21.ジフラール医師争奪大障害物競走(4)
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 また一人、体全体を使って力いっぱい投げ飛ばした後輩が、すごすごと退場ゲートに向かうのを横目で見て、ミリエットは小さく息を吐いた。
「あと三人」
 重量や体格の関係上、ミリエットが使えるのは懐に飛び込んで問答無用で投げる、といった一撃必殺の技だった。
相手との接触が長くなると、力でもリーチでも競り負けるミリエットは、圧倒的に不利だ。
 よし、と気合いを入れなおし、次の相手を探そうとしたそのときだった。
「うわぁ!!」
「……相手の後ろから飛び掛かると、あとで痛い目を見るぞ。覚えておけ」
至近距離で響いた声は、低く、不機嫌そのものだ。
振り返ってみると、そこには予想通り、ウィルジオが大柄な外科医をうつ伏せに組み敷いていた。引き摺り倒されたらしく、倒れ伏す外科医の衣服の裾はずいぶんと汚れている。腕を取り、今にも骨を折れそうなウィルジオの構えは、ずいぶんと本気に見えた。
今日のウィルジオは、ずっとそうだ。
ぴりぴりしていて、近寄りがたくて、話しかけ辛い。
話しているときは普段通りにも思えるのに、なぜだろうか。
向かってくる相手への、容赦ない攻撃が、今日のウィルジオの雰囲気を変えていた。
「ミル、後ろ」
視線を向けると、やはりこちらに向かって走りこんでくる医師の姿がある。
「あ、わ、うわぁ……っと!! もう、びっくりするんだから、気を抜いてるときに掴みかかってこないでよ!!」
息を飲み込んで、全身のバネを使い、上からのしかかろうとする医師の懐に入る。腕を掴み、自分の背中を使って、医師の勢いを利用しその身体を投げた。
体が離れると同時に、腕も離したから、結構遠くまで飛んで行った。それだけの助走をつけていたということだろう。
「気を抜くなよ、馬鹿」
鼻で笑われ、ミリエットは確かに、と苦笑する。
「僕、質量的に軽く見えるから、変に狙われてるみたいなんだよねぇ」
「狙ったって、仕方ないだろうのにな」
ミリエットは、これまで色々な医師と組んでこの全員参加障害物競走に挑んだ。
ウィルジオと組んだことは一度もないが、それなりに楽しんで、参加して。
いい汗をかいたとゴールに辿り着いてみると、ほかには誰もいなくて。
そんなわけで、ミリエットはこの障害物競走優勝常連者だった。
だが、これが完全な実力だとは言いがたい。
何せ、今回の障害物競走のトップをひた走るのは、今までの障害物競走で早々に敗退して来たウィルジオなのだから。
 ミリエットは、知っている。
彼が手を抜いてきたこと。障害物競走も、全員参加だから参加しただけで、一位など目指してもいなかったこと。
 ウィルジオは、休息を好まない。
彼は基本的に、休みを必要としないのだ。
一日の睡眠時間は三時間、むしろ、不必要な休息を拒絶する節がある。
物事に迷う時間、無意味に思考する時間が嫌いなのだ。
だから、休暇など欲しくない。
ウィルジオはそんな人だった。
 なのに、今回は一体どういうことなのだろう。
ウィルジオの行動からは、どこか焦りのようなものが感じられる。
今までにない激しさに、参加者の誰もが驚いたことだろう。
ミリエットも驚いた。彼が手を抜いてきたことは知っている。けれど、今回の障害物競走に本気になる理由は……何となく気づいていても、知っているわけではない。
「ねぇ、ジオ。どうしたのさ今回は。みんなは、一週間の休暇目当てだって言ってるけど、ホントは違うんでしょう?」
「……休暇? 何だそれは。そんなもののためにこいつらはこんなことをしてるのか?」
「え、いや、ちょ、ちょっと待って! それってどういう……やっぱり君、彼女のこと」
「こんな茶番、さっさと終わらせるぞ。時間がない」
ふっと呼気を漏らしたウィルジオが、するりと動いた。
白衣の裾がふわりと揺れ、けれど、衣擦れの音さえ立てることはない。
威風堂々。
風さえ彼を避けて通るような、錯覚を抱かせる背中。
大きくて、力強くて……とても、敵わない。
「ミル。早く追いついて来いよ? 俺一人ではまずい」
「だから、それはどういう……」
手を伸ばし、掴もうとした彼の背に、ミリエットの手は届かない。
追いすがろうと一歩を踏み出したが、背後から感じる視線にそれも遮られる。
「……前へ、進まなくちゃ」
ミリエットは気づかないふりをしたまま、背後の相手に狙いを定めた。

 「十人、ノルマ達成!」
よし、と拳を握って勝者ゲートをくぐろうとしたミリエットの視界に、すでに彼の姿は捉えられなくなっていた。
どこにいるかさえわからない。
この先に、何が待ち受けているのかも。
「ジオ、今回はホント容赦なしだなぁ……あとで恨まれても知らないよ」
ふふ、と小さな笑みをこぼし、ミリエットは足を速める。
この丘を登れば、彼女がいるだろう東屋に辿り着くはずだから。
 ミリエットに、ウィルジオの気持ちはよく分からない。
ウィルジオがどんな性格で、どんな行動パターンをしているのか、なら、付き合った年月の分だけ、知っているつもりだけれど。
「それでさえ、つもり、でしかないんだもんなぁ」
ウィルジオにとってのミリエットは、どんな存在なのだろうと、時折考えてしまう。
ミリエットにとって、ウィルジオは特別な人だ。あんな人はなかなかいない。
冷静沈着で、決して取り乱さない、揺らがない人。
そして、本心を隠し、決してそれを明かさない秘密めいた部分も持つ。
優しくて、冬の雪のように冷たくて。
実際の腕力のみならず、内面もしっかりと強い人。
ミリエットが目指しても、到底辿り着けないだろう場所に、平然と立っている人。
……ミリエットはウィルジオが好きで、けれど、少し妬ましい。
 少しずつ、けれど確実に道程を歩む。
次第に開けてくる視界の向こう、すでに辿り着いているはずの人の白衣が見えたような、気がした。
「……ジオ」
視界の先、捕らえられるところに、ウィルジオが立っている。
いや、進んでいるのは確かだ。
けれど、不自然な速度。
それはまるで、ミリエットに追いつかれることを望んでいるような。
「僕は……そんなの、嫌だよ、ジオ」
胸の中を、複雑に揺れる思いが叫ぶ。
奪い合わなければならないのだろうか、と。
本当なら、今すぐにでもミリエットの手も届かないところへ攫ってしまえるのに。
どうして、と、呟いた言葉は走り出した呼吸に溶けた。




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