16.色と形
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 ウィルジオは、自分の容姿が人目を引くと知っている。
だが、大抵の人間は、見つめたあとにすぐ目を逸らす。
だからいつまでも視線が追いかけてくることは、さほどない。
もちろん、さほどない、というだけで、皆無ではない。それは事実だ。ウィルジオも認める。
けれど。
――男からこれほどまでに熱い視線を注がれる理由は持ち合わせていないと思うのだ。
 女性関係に不自由な思いをしたことがないウィルジオは、白衣を着ている間に向けられる視線は全て無視する。仕事と私生活は別物だ。切り離して考えられなくなるのは面倒くさい。だからウィルジオは、先輩であるロイのように職場恋愛、職場結婚だけはしたくないと思う。
だから、この病院内で向けられる女性からの視線には、決して応えないようにしている。
だが……男の熱い視線。
いたって普通の感覚を持っているウィルジオは、男から得体の知れない視線を向けられていること事態が不愉快なのに。
よりによって……相手は、あの変人室長なのだ。
「……いいかげんに出て来い、そんなところからいつまでもじろじろ不躾な視線を向けられるのは不愉快だ」
「……お気づきならば話は早い」
いや、気づく気づかないの問題ではなく。
用があるならば、柱の影からじっとこちらに視線を送るのではなく、さっさと出てきて声をかければいいものを。
相変わらず常軌を逸した行動しかとらないこの放射線室長の姿をまじまじと眺め、ウィルジオは、嘆息した。
重そうな濡れ羽色の長い髪。紙のように白い肌。瞳を覗かせない、分厚い眼鏡。
同じ黒髪でも、ダレンという整形外科医の髪は軽やかだった。髪質の問題なのだろうか。いや、髪形の問題のような気がする。
肌の白さも、不健康だ。同じ白でも、ナースやジフラールの肌の白さとは明らかに違う。……そういえば、彼女の診断結果は、少し不安なものだった。
彼女がこちらをどう思っていようとも、少し注意しておかなければならないだろう。慢性的な貧血と、食欲不振。そのうち過労で倒れてもおかしくない。
向けられる、彼女の視線。痛みを含んだ、それでいて、濡れたように光る深い宵の色。
 いけない、と、無関係な方向へ転がり始めた意識を引き戻す。
彼女の瞳は、鮮烈な印象を残す深い紫だが、眼鏡の向こうに隠れている彼の瞳は、どんな色なのだろう。瞳の見せる表情はまったく見通せないが、視線の行き先だけは分かりすぎるほど明確に分かる。
彼の視線は真っ直ぐに……ウィルジオの腹部へと向けられていた。
「何の用だ」
低く響いたウィルジオの声に、彼は顔を上げる。
見つめられる視線に、背筋を凄まじい悪寒が走った。
「つかぬことを伺うが……ウィルジオ氏は、何か運動を?」
「……あぁ。物心ついた頃から、ずっと体術を。今は体力保持のために続けているだけで、熱心なわけではないが」
半身ほど彼から距離をとった姿勢のまま応じる。
なぜだろう。とても、とても嫌な予感がする。
「それが……何か?」
「いえ、ただ、写真を取らせていただいた結果で、少々」
はたで聞いているだけなら、ごく普通のやり取りに見えるかもしれない。だが、相手はこのルヴァールだ。この後に続く言葉が、普通だとは限らない。
「何か異常がありましたか」
「まさか。相変わらず……美しい肋骨でした」
ほら、やっぱり。
思わず笑ってしまいそうになって、ウィルジオはつと顔を背けた。
昨年は、たしか背骨だった。歪みひとつない美しさを保っていると妙な褒められ方をされて、どう答えるか非常に悩んだ。
今回はどんな問いをぶつけられるのだろう。
やはり、美しい肋骨を作るための秘訣だろうか。
「あぁでも、今年伺いたいのは、肋骨のことではないのです」
「……違う? じゃあ……」
この人骨マニアから、骨とは別のことを聞かれるだなんて。
想像もつかない。一体、どんな質問が飛び出すというのだろう。
「本年は、骨の美しさと筋肉の関係についての論文でも書こうかと思い、そこで……」
「――断る」
「……まだ本題に触れていないのだが」
そんなもの、ここまで言われれば分かる。
この男の考えることなのだ、当然、常識からかけ離れたことに違いない。
話の流れから見て、ウィルジオがその観察対象として狙われているということくらい、すぐに想像できるではないか。
「俺は脱ぐ気はないし、一年間全身の筋肉をつぶさに観察されるなんてごめんだ」
「……やはり読まれていたか」
くっ、と息を呑む音がしたが、ウィルジオは気にしない。
「それでは、致し方あるまい……ジフラール女史に頼むか」
――気に、しないわけにはいかなくなった。
「ジフラール女史の大腿骨の美しさ、あの秘訣は一体何なのだろう……やはり足の筋肉量や脂肪の割合なども測らせてもらって……」
ぶつぶつと呟くその姿は、さながら狂気じみた研究者のようであった。
この男に、彼女の身体を触れさせるのか。
あの、白い肌に?
ふ、と脳裏に描かれた倒錯めいた図が、やけに現実的だった。
なぜこの変態室長は、これほどまでに暗い手術室と診療台が似合うのだろう。
 自分の想像力に尊敬すら抱いて、ウィルジオはかすかに笑った。
一体どうしたのだろう、自分は。
嫌われている相手に、これほどまでの気遣いを見せるなど。
ミリエットが聞いたら、何と言うか。アルサスが見たら……何と言うか。
ウィルジオはもう一度嘆息して、目の前で呟くルヴァールを見据えた。
彼女に、これ以上の疲労は溜め込ませたくない。私事を除いて、ただ、内科医の視点から見ても、彼女は過労気味なのだ。ごく普通の神経を持っているだろう彼女が、これほど常軌を逸した特殊な人間を相手にするなど、どれほどの労力を要するか。
阻止しなければならない。
彼女の、患者のためにも。
それだけだ、とウィルジオは自分自身に言い聞かせる。
「ルヴァール」
「……何か? ウィルジオ氏」
つと顔を上げた彼に向かって、笑ってやる。
彼にはこの笑みが、どんな風に映っているだろうか。
「……条件つきではあるが、協力してやらないこともない」
挑発の笑みを浮かべたまま、ウィルジオは思う。
ずいぶんと毒されたようだ、と……紫の瞳に想いを馳せて。




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