12.いたちごっこ
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 ばたばたばた、という忙しない足音は、もはや聞きなれたものだ。
この病院に数度通院すれば、嫌でも一度は目撃する光景。
「どこ行きやがった白衣オカマー!!」
聞きなれ、見慣れてしまえる患者たちも、やはりこの病院のように、どこか変、なのだろう。
 本来、病院の廊下は静かに歩くものだ。
まかり間違っても、どたばた、だとか、だかだかだか、だとか、どすん、うわぁっ、だとか、そんな音はしないはずなのだ。
そして、普通ならばそれを見つけた病院の職員の誰かが、注意するはずなのだ。
『廊下を走ってはいけません』と。
 ジフラールは、廊下の窓から、外を見下ろす。
花の月、様々な植物が色とりどりの花を咲かせる、芽生えの季節。
どたどたどた、となぜかこちらに近づいてくる足音を背景にしながら、ジフラールはぼんやりと思う。
「ここは……病院よね?」
周りをくるりと見渡してみたが、入院患者も、見舞いに来たらしい男性も、看護士も、白衣を纏った自分も。
どうして、彼にだけは注意できないのだろう。
ジフラールが彼に注意しないのは、しても意味がないからだ。
けれど、他の人に関しては、どういった理由なのかは分からない。
いや、分かっている。分かっているのだ、本当は。
分かっているのだけれど……認めたくない。
この病院でそれが常識なんだと、認めたくないから。
 忙しない足音がますます大きくなり、突き当たりの角だろうか、廊下と、彼がいつも履いているラバーソウルの靴底が擦れ、きゅきゅっ、と高い音を発する。
再び、ばたばたという足音がして。
「あぁっ、ちょうどいいところにジフラール先生っ!! あのオカマ野郎を見なかったか? 薬局の中は、もう、薬品棚の下の埃を綺麗に掃除するくらいの勢いで、3回通り確認したんだが!」
 ソルティス=ウィロウ。
当年とって27歳、ウィルジオと同期の精神科医だ。
彼らの同期は、この病院でも最高ランクに近い見目の美しさを誇っている。ナースたちが毎年、全身全霊をかけて更新発行を続けている『国立エルスワース病院美人医師大全』という冊子の中で、あるコラムがそう語っていた。
 ウィルジオを始めとしたその年のニューフェイスは、例年に見る大豊作だったらしい。確かに、彼らと同期の医師の顔をひとつひとつ頭の中に思い浮かべてみると、どの医師もそれぞれ、とても魅力的だ。その中に、ソルティスの顔もある。
そして、ナースの作った『美人医師大全』のすごいところは、医師それぞれの『近況』という欄があることだろう。ソルティスの『近況』欄には当然、こう印字されていた。
『この病院に赴任して早6年。未だにターゲットとの直接対決はない』
ターゲット、すなわち……彼の言う、オカマ野郎、だ。
「あの、いくら姐さんでも、薬品棚の下には入らないと思うんですけど」
ソルティスが追いかけ続けるオカマ、クロウという名の薬剤師は、彼の前にはなかなか姿を現さない。だが、彼の気配さえしなければ、クロウはいつでもジフラールの目の前に現れる。
「どうやって感知してるのかしら」
もしかすると、彼の服のどこか、いや、もしかするとすでに体のどこかにあるのかもしれない。クロウに埋め込まれた、発信機か何かが。
「姐さんなら、ありうる」
「っあぁぁぁぁまた逃げられたぁぁぁ」
うん、と頷きかけたジフラールの耳に、ソルティスの情けない声が響き渡る。
その声は、負けを認めるようであり、次の機会を狙う強かな思いがこもっているようでもあった。
つくづく、不思議な人。
 確かにクロウが彼の反応を面白がって、患者たちに色々な話題を提供しているのはあまり褒められた行為ではないと思う。それで、少なくとも彼は苦しんでいた。
だから彼はクロウを追いかけているのだろうから、クロウは、もっと自分の胸の内を明かすべきではないだろうか。なのに、なんとも思っていないようにあしらうのは、少し彼がかわいそうだ。
だってほら、と、ジフラールは視線を落とす。そこには、廊下にしゃがみこんで、枯れかけの花のように頭を落としたソルティスの姿があるのだから。
 がっくりと肩を落とし、落ち込んだ風のソルティスを見つめ、ジフラールは、ほんの少しだけ、笑った。クロウは、相変わらず罪作りだ。
美しくて、とても……曖昧で。
「そんなに落ち込まなくても大丈夫ですよ。クロウ姐さん、きっと、ソルティス先生のこと、大好きですよ?」
「……いや、お、俺は別に、好きだとかそういうことで追いかけてるんじゃなくて」
あぁぁ、と、彼は首を振る。誤解だ、と言いたげな作られた表情を、ジフラールは笑みで否定した。
「別に、私、悪いことじゃないと思いますよ? 隠さなくてもいいです。姐さん、あぁ見えて照れ屋さんだから、きっと困ってるんですよ。ソルティス先生を嫌いとか、そういうわけではないと思います。あんなに熱烈な告白、いつもしてますもの」
「いやいやいやいや」
「でも、やっぱりそういうのって、秘密にして欲しいですよね。分かります」
うんうん、と軽く相槌を打ったが、相手からは沈黙が返ってきた。まだその場に座り込んでいる背中にどうしたものかと視線をやると、そこには、心底困っています、といった風情の、ソルティスが。少し伸びてきた髪を、彼はがしがしと混ぜ返す。
「……あの、つかぬことをお尋ねするがジフラール先生。君はもしかしなくても、俺とあのオカマが、そのー、あー、えぇと、だ」
あまりにも言い難そうに口澱ん<だソルティスに、ジフラールは頷く。全て言われなくとも、もうジフラールは知っている。
「はい、知ってますよ?」
「……えぇ、あの、それはどこまで?」
深い深い溜め息と同時に吐き出された言葉。
言ってしまって、いいものだろうか。しばし迷ったが、彼はクロウの相手だ。当事者なのだから、かまわないだろう。よし、と意を決して口を開く。
「えっと、そのぅ、先生と姐さんは、だから、そう……いう関係なんでしょう?」
「こら待て待て待て何だその頬を染めて言う『そういう関係』ってちょっと誰に何を言われたジフラール先生っ」
がしっ、と肩を掴まれ、瞳を覗きこまれる。熱くなっている頬を隠すように手の平で覆い、視線を逸らした。恥ずかしくて、真っ直ぐに彼を見ることが出来ない。
「クロウ姐さんに、教えてもらっちゃいました……ご、ごめんなさい、あの、でも誰にも言ってないです、姐さんにも、あんまり言いふらさないようにねって釘差しておいたんですけどっ……」
「ない、全然そんな関係ではないっ!! 断じて違う、俺とあのオカマはそういう関係ではありませんっ!!」
「……そう、なんですか……?」
力いっぱい否定され、拒絶されて、ジフラールは戸惑う。
別に、わざわざ隠したり、恥ずかしがったりすることではないのに。
「でも別に、クロウ姐さんが男でも女でも、クロウ姐さんは姐さんだから、恥ずかしく思う必要なんてないと思います」
男だとか女だとか、そんな理由で彼がクロウを追いかけ回しているのなら、クロウが可哀想だ。もしかすると、その辺の意見の相違で、二人は追いかけっこをしているのかもしれない。
「私、恋愛に、性別って関係ないと思います」
「違うっ! 俺はあいつとは何の関係もないんだっ!!」
性別とかそういう問題以前の話なんだっ! と叫ばれて、ジフラールもようやく気づく。
「……あの、今更なんですけど、もしかして私、クロウ姐さんに」
「思いっきり騙されてる! あぁもう頭にきたっ! 俺や患者だけならまだしも、ついにジフラール先生にまで魔の手を!! 待ってろよオカマ薬剤師!! すぐにとっ捕まえて謝らせてやるからなぁっ!!」
そう言って、ジフラールの肩を突き放すように解放したソルティスは、再び、全力疾走で廊下を駆け抜けていった。
「えぇと……」
なにやらよく分からないが、とりあえず、騙されていたらしい。
「けど、これってクロウ姐さんのお茶目のひとつよね」
よくあることだ。
騙された経験など、一度や二度ではない。医師としての業務に差し支えが出るとか、慌てふためいて仕事が手につかないとか、そんな冗談ではないのだから可愛いものだ。
「許してあげればいいのに、ソルティス先生も」
それが出来ないのが、二人の関係なのだろう。妥協のない、追う者と追われる者の関係。
「どっちにしても、私は姐さんが幸せならそれでいいなぁ」
ふふ、と笑って、ジフラールはようやく、その場から一歩を踏み出した。
明るい光の差す廊下は、春の気配に満ち溢れている。




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12.いたちごっこ