Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 52.いっしょに。
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 襟元の止め具を嵌めようと鏡を覗き込めば、くいと袖口を引かれた。
「それくらい、私が手伝うのに」
振り返ったそこに、リシュがいる。裾の長い、優雅なラインに視線を奪われる。
「俺も、お前の着替えならいくらでも手伝うんだが」
「そういうことじゃないでしょう? ……もう」
笑うリシュのために、身をかがめた。止め具をかける仕草がまだ怯えていて、俺はわざと、身体を動かす。
「きゃっ!! さ……サイっ!!」
「何度言えば分かるんだ。ほら……もう、なんともない」
至近距離から逃げ出そうとするリシュの身体を、捕まえる。
抱き寄せて、わずかな距離さえも詰めて……そっと、触れる。
「……大丈夫、だろう? ……それよりもむしろ、お前のほうが心配だよ、俺は」
「私だって、大丈夫よ。……でもね、私、まさか攫われるとは思ってなかった」
あぁ……そうだろうか。
ただ俺は、あいつに分からせてやっただけだ。
リシュが、俺一人にしかすべてを許さないと。
 あのあと、まぁ、色々……あいつがあそこにいた本当の理由や、あいつの記憶がどこまで消えているのかなんかを聞いて……重大な変化もあって。
朝から喧嘩腰で俺に食って掛かるあの男を森に置き去りにしたまま、俺はリシュをつれて街に戻ってきた。……追いかけてきたから、途中で撒いてやったが。最終学年の記憶がすっぽり抜けたあいつは、卒業式典に出られないらしいから、別にかまわないだろう。
「嫌だったか?」
「……そうじゃ、なくて……サイは、何もかもから私を守ってくれるんだなって、改めて感動したの」
柔らかく微笑むリシュの頬に、そっと口づけて。
俺は、その手を引いた。
卒業式典の行われる、天帝の宮の大広間へ向かうために。

 「きっと、大騒ぎになるわよ? いいのかしら、式典なのに」
「構うもんか。ただでさえ迷惑をこうむってきたんだ。ひとつ、派手に騒ぎを起こしてやるのも面白い」
空には、いくつもの白い翼が飛び交い、下りてくる太陽の光を遮って石畳に影を作る。
俺たちは、街の中心部にある天帝の宮を目指して、のんびりと舗道を歩いていた。
纏うのは、深緑の礼服。軍服にも似た形のそれは、普段着ている服の何倍も重く、息苦しい。だが、わざわざ止めてもらった金具を外すのも申し訳なく、俺はただ居心地悪く吐息をつくことしか出来ない。
左耳には、リシュから預かったピアスが。右耳には……しつこく粘って、ようやく俺の元へ帰ってきた、カフスが。
リシュと繋いだ手の中指には、守護石の指輪が。もう片方には、山岳回廊で手に入れた剣を携えた。結局、あのとき一度使ったきりで、それ以来これを抜いていない。この物騒な剣を使うような事態にならなかったのは、喜ぶべきことだ。
リシュは、背の中ほどまで伸びた髪を後ろに流して、白の衣装を纏っている。上品に肌を覆うレースやベールのように被さる薄布、裾は優雅に広がり、陽の光に溶け込んでしまいそうなほど華奢な印象が、よくない感情を掻き立てる。
……少なくとも、太陽が昇っている間は自重しなければならないような。
「なぁ、リシュ。全部終わったら……」
「終わったら?」
こちらを覗きこむリシュの耳には、リシュの守護石のピアスとカフスが。
風にふわりと舞い上がった髪が、そのきらめきをあらわにする。
あぁ、眩しいなと思い……同時に、いとおしく思う。
「とりあえず、何日か誰にも邪魔されない場所へ行きたいんだが」
「……何するつもり、って、聞いてもいい?」
リシュと繋いだ手を、ゆっくりと持ち上げる。リシュの左手、中指には……俺の守護石を嵌め込んだ指輪がある。そこへ唇を落とし、俺は顔を上げて、問いかけに応じた。
「聞きたいか?」
俺の言葉への、リシュの困惑が伝わってくる。俺の言いたいことを、何となく感づいている風な、リシュの戸惑い。
「えっと……遠慮、しておくわ」
それが懸命だ、と囁いて、俺はただ、今の幸せを感謝した。
互いの触れ合った指先から、すべてが伝わる、その快感に。

 広い、広いその空間に。
わずかな物音さえも隅々まで響きそうな、静寂が満ちていた。
この静けさが、俺のために用意されたと思うと……それだけで、緊張が走る。
広間の誰もがこちらへと視線を注ぎ、俺は、俺とリシュは、その不躾な視線に晒される。
模擬戦を見ていた奴らが騒ぎ出すんじゃないかと思っていたが、どうやらあの事件……といっても俺の記憶にはないんだが……は、何らかのきっかけで、俺の力だけではなく、相手の男の力も暴走して連鎖反応が起き、その結果大きな騒ぎへと発展した、ということになっているらしい。だからこの視線は、きっと『騒ぎを引き起こした生徒がよくものこのこと出て来れたものだ』ってやつなんだろう。傍にいるリシュに対しては、どうしてそんな奴のそばにいるんだ、ってところか。
だが……繋いだ手が、いつかのようにリシュから緩められることはない。
不特定多数の視線が集まっても。静けさに迎えられても。
その力は、さらに強く。しっかりと絡めた指に、握り返される感触がある。
静けさを破るように、突然背後から扉が閉まるときの低い軋みが響いてきた。別に、俺たちの到着が遅くて最後だったわけではなく、養成所の都合で。俺たちは、最後にこの広間へと放り込まれた。
理由は、簡単だ。俺の力が暴走することを恐れた養成所の判断。
「……ただいまより、卒業式典を執り行う」
朗々と響き渡ったその声がこちらへ届くのと、背後の扉が重い音を立てて閉じたのは、同時だった。
 さて、どうしたものかと周囲を見渡す。
控えの間に閉じ込められていた間、ファリエルが心配したのか俺たちの顔を見に来た。
至近距離にある俺たちに嬉しそうな表情を隠さないあたりが、ファリエルらしい。
どんな風に式が進められるのかと聞いたら、武官と文官はスカウト制になっているらしく、その選別が終わらない限り、他の生徒の進路は決められないらしい。
逆に、それさえ決まれば自分たちの望む進路へ進み、職人なら職人の下へ弟子入りし、そうでない職種もまたスタートラインへと立つ。
「君たちは二人とも、軍からのスカウトがすごいと思うけど」
そういうファリエルに、俺とリシュは笑うしかなかった。
望まれることは嬉しいが……問題が山積みだと改めて知る。
 いくらかの距離を隔て、俺たちの周りには人だかり。
それが、俺の力の暴走を恐れてなのか、それとも、何か意味あってのことなのかは分からない。
だが……お誂え向きの舞台では、あるな。
傍らのリシュを盗み見る。
緊張した表情で、俺に縋るように捕まったリシュの姿に、笑いがこみ上げた。
翡翠色の瞳が、わずかに潤んで、困惑と不安を俺に知らせている。
こんなときでも、リシュは鮮やかに俺の目を楽しませる。
リシュがいれば。
それで、大丈夫だと思える不思議。
「……サイ」
「あぁ」
こちらを見上げるリシュと、視線を絡めて、頷きあって。
俺は、一歩踏み出した。
響く、靴音。一歩一歩に込めた重み。
たくさんの時間を犠牲にして、ようやく巡り会って……一緒にいられる、今に続く長いとき。
もう、これ以上時間を無駄には、したくない。
踏み出す先に並ぶ人が、次々と道をあける。ざわめきが広がり、目の前が開けて……誰かが、俺たちの前に立ちはだかった。
「まずは……養成所、最終学年首席卒業おめでとう。私は、現四天使長の任につくナディエルだ」
……あぁ、軍からお誘いはあるだろうと思っていたが。
「まさか……四天使長どの自ら現れるとは」
驚き混じりに、頭を垂れた。膝をつき、ここに彼がいることを疑問に思う。
軍の最高位である四天使長。
白と金と銀を豪勢に使用したきらびやかな軍服と並ぶ勲章は、四天使長の証だ。
あれをウミエルも纏っていたのだろうかとふと想像する。……恐ろしく似合いそうだな。
「サイ=ザイエル、リシュ=アリシエル両者に願い出る。ぜひとも、軍に来て欲しい。その力を、真実役立てる場所へ導こう」
毅然とした、真っ直ぐな視線。もし……こんな風にならなかったら、リシュと一緒に武官になるのも、よかったかもしれない。
だが。
「サイ……お返事、しなくちゃ」
ついと顔を声のするほうへ向ける。リシュが、上品に裾を広げて膝をついていた。
「そうだな」
促すリシュの表情に、俺は笑う。そんな不安そうな顔をしなくても……俺は、お前から離れる気なんてないんだから。
「……サイ=ザイエルから、四天使長ナディエル様に申し上げます。サイ=ザイエルと、こちらのリシュ=アリシエルは……共に、軍の武官として生きるには足りないものがございます。それ故、その要請に応えることは出来ません。この……俺の力は、リシュがいなければ、いつ暴走するとも知れないものだから」
「私……リシュ=アリシエルの力は……もはや、サイにしか向けることの出来ないものとなりました。他の何者にも、私の癒しの力は発動しないのです」
ざわりと、周囲が波打った。
人の囁きが大きなざわめきとなり、広間を埋め尽くしていく。
確かに、わけが分からないだろう。どうして俺の力の暴走がリシュにかかっていて、リシュの癒しの力が俺にしか向けられなくなったのか。
「理由を、聞いてもいいのだろうか」
「……詳しいことは、申し上げるわけには参りません。ただ……以前のままでは、お互いのためにならないことが分かっていました。それ故、本来あるべき力の方向を、無理に歪めてこちらへ馳せ参じ……僭越ながら、お願い申し上げます」
それは、二人だけの誓い。
俺はリシュをこの力の限り守り。リシュは、ただ俺のためだけに癒しの力を使う。
過去に交わした、ささやかな約束を、今度は破ることの出来ない、永遠の誓いへと変えた。
俺の封じられていた防御属性と、いくらかの精霊は、すべてリシュに触れるたびに与えられる苦痛を無効化するために使い。
リシュの攻撃属性は、精霊の手で歪められ、形を変えて、他者がリシュに触れようとするたび自動展開して、それを弾き返す。それでも補いきれないだろう痛みは、リシュの癒しの力を用いる。
だから俺は、自身の体を守ることは一切出来ず、リシュは、呪を使って他者を傷つけることも、俺以外の人間を癒すことも出来ない。
ただ、ふたりが共にあるためだけの、我が侭な誓い。
「この力を暴走させることなく、この世界にあるためには……共に養成所の教官として、今日卒業するあの場所へ残ることが最良の手段だと考えます。そうすれば、俺の暴走を不安に思う誰もが、安堵するでしょう。たくさんの能力者の集まる、あの場所にいるということを」
俺とリシュが一緒にいる、ただそれだけのために。
「サイ!」
俺を呼ぶ声に、顔を上げる。ざわめきの中、人込みを掻き分けてきたのはファリエルだった。
「ファリエル……俺は、養成所の教官になろうと思うんだ。色々と口を出してくるくせに、上から圧力もかけられてるくせに、結局、目をかけてる生徒のことを、一番大事にするあんたのような教官に」
もちろん、そっくりそのままってわけにはいかないだろうが。
少しでも、ファリエルのように……はみ出した俺のような生徒を、手助けしてやれる教官でありたい。
「養成所は……って言っちゃうとまた上から苦情がくるんだけどっ……て言うか、この状況、多分上の人はすっごく嫌がってると思うけどっ……僕は、君やリシュさんを歓迎するよ。高水準な教官がいる、それだけで僕たちは心強い。まぁ、君をよく思ってなかった教官もたくさんいるっぽいから、スタートは……何て言うか幸先悪そう。いや、でも、その……君たちがそれを選ぶのなら、誰一人として反対することは出来ないよ。君たちは……疑う必要もないほど、優秀な生徒だから」
言い切り、満足げに微笑む、ファリエルの顔を一瞥。
「ですから……この剣は、お返しいたします。もう、俺の手元にあっても、その力を示すことは出来ませんから」
差し出した剣、その重みを、愛しく思う。これが最後。リシュの父親が手にしていた、優雅なこの剣に触れるのも。
「……私は、それでも君に持っていて欲しいんだが」
困ったような、諦めたような複雑な四天使長の表情、そして、ゆっくりと俺の手から離れていく剣に視線をやる。
最後に、視線を移した先。リシュの、真っ直ぐ俺へ向けられた瞳に。
笑みが、こぼれるように浮かんだ。
「リシュ……俺は、自分本位だから、これから先も困らせると思うけど」
「え?」
リシュの、驚いたように見開かれた瞳や、小首を傾げる仕草まで、すべてを……立ち上がりながら見届けて。
「きゃっ!」
伸ばした腕で、抱き上げ、抱き締め、腕に閉じ込める。
手を伸ばせば、そこにはリシュがいる。抱き締められる。その、当たり前な幸せ。
「一緒に……幸せになろう」

 もう……迷いも、躊躇いも存在しない。
ここから先は、すべて俺とリシュの決める道筋。
辿る必要のない、新しい時間が、始まる。




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