Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 51.運命のパートナー
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 「どうして私、独りでも平気だって思ったのかしら……今こんなに嬉しいのに、どうして平気だなんて……」
摺り寄せられる頬を、静かに流れていく雫が綺麗だと思う。
もどかしい、身動きの取れない体勢。
「構わないとは言ったものの……ただ胸を貸すことしかできないのは、ちょっとつらいな。抱き締めてやりたい。ちゃんと、手を握ってやりたいのに」
俺の呟きに、リシュが涙混じりの声で笑った。
「……ごめんなさい。記憶を癒すには、代償が必要だったから。あのときは、もうサイとは会わない、眠りを得て、新しい自分に全部引き継いでもらおうって、そう決めてたから……ちょうどいいと思ったの。誰か別の人に触れられるよりは、最後までサイを覚えていたくて」
甘い言葉に、どうしていいのか分からなくなる。触れたい、と何度目かも分からず願い……いや、それよりも、何か胸に引っかかった。
『記憶を癒す』?
……記憶を?
「ちょっと待て、記憶を癒すって……そんなこと、出来るのか?!」
「え? あ……本当は、あまり触れ回っちゃ駄目なんだけど。人に大きすぎる影響を与える記憶は、その人にとって有害でしょう? だから、その記憶を引き受けるの。何かを代償にして。……私はその代償を『他人に触れられること』にしたんだけど……」
……あぁ、どうして。
どうしてこいつは、こんな風に自分を後回しにするのか。
そして……こいつの可能性は、どこまで広がっているんだ。
「その人ってのは、まさか、俺とあの男か?」
「サイのは……私が請け負ったんじゃないわ。えっと、これを聞いても、怒らない?」
「……さぁ、お前が怒ると思うのなら、怒るかもしれないな」
「あの、ね? ……ドリュアスが。サイの、一番知りたくない事実を見せてやればいいって。そういう呪があるの。サイの眠りに忍び込んで、記憶と引き換えに見たくない過去を、記憶の重みと同じ量だけ。そうすれば、サイが追って来るのを阻止できるかもしれないし、それ以上会えば……きっと、決心が揺らぐって思ったから」
「……あの過去は俺の記憶の代償か」
今もはっきり思い出せる、リシュの過去。両親と共有したたくさんの時間。思い出。
リシュが本当に手の届かない、誰かを待つ存在だと信じたくなかった、あのとき。
今は、どうでもいいと思う。
リシュが俺を欲して、俺がリシュの傍にいたいと言えるのだから。
「そ、それで……あの、やっぱり、言わなくちゃ駄目よね? たくさん、サイに黙っていることがあるんだけど」
不意にそう切り出したリシュが、そっと顔を上げて、俺を上目遣いに見つめてくる。
まだ潤んで光る目元を拭いたいと思い、指を持ち上げようとして、苦笑。
まただ。触れようとすれば、リシュが逃げる。こんなにも触れたいと思うのに。
「そうだな。その約束もあった」
きっと、リシュの言葉の中には俺の目の色が変わった理由だとか、ドリュアスの言っていた色を継ぐ者が何なのかだとか、創世の御神の一人であるリシュが、どうして一介の天使である俺の傍にいると決められたのかだとか……たくさんの答えがあるのだろう。
すべて聞き届けよう。受け入れることは出来なくとも、それを真実として受け止めよう。
促すように小首を傾げて見せると、リシュは瞳を泳がせて、言い訳をするように笑った。
「……えぇと。お父様はね、よく口づけひとつで言いたくないことを誤魔化していたんだけど……そういう方法って、有効?」
「無効」
「す、少しくらい悩んでくれたっていいじゃないっ……意地悪」
知っている。過去を覗き見た俺は、リシュの両親が、互いに愛情を注ぎ合う姿を。
溢れるほどの想いを互いに注ぎ合い、寄り添う姿は、ただの傍観者である俺にも、その幸せを痛感させた。
どんな障害が立ちはだかろうとも、二人でいることの、幸せ。
……リシュの言う口づけも魅力的な条件ではあるが、今は疑問の解消が先決。
拗ねるリシュにほんの少し笑って見せて、俺はゆっくりと身を引いた。
「いい加減、立ち話も飽きただろう。俺の聞きたいことはたくさんあるからな」
離れた温度にびくりと震えて顔を上げたリシュが、俺の言葉を聞いて薄く微笑んだ。
「……要するに、話せってことなのね。それじゃあ……そうね、私とサイの関係から」
俺と、リシュの。
きっと今の俺は、なんとも言いがたい微妙な表情を浮かべているんだろうな。
大きな木の根元に腰を下ろした俺に、寄りかかるようにリシュの身体がある。
温度を感じる、それだけで安堵できる。……大丈夫。
「やだ、サイ。どうしてそんな不安そうな顔をするの? ……ね、機嫌直して?」
甘い声と同時に降りてきた唇の感触は、閉じた瞼の上。
「……どこで覚えてきたんだ、そんな機嫌の取り方」
「秘密」
目を開ければ、悪戯に成功したような、嬉しそうな微笑み。
瞼に残る感触に言い様のないもどかしさを覚えて、息を吐き出した。
「で? 俺とリシュの関係に、何の秘密があるんだ」
「あ……えっと、私が、創世の御神の一人だっていうのは?」
「それは大分前から知ってる。いや、確信はないが、そうだろうと思ってた」
創世の御神の娘で、母親のすべてを『受け継ぐ者』。
だからリシュは、創世の御神で、俺のようなただの天使とは相容れない。
リシュの父親である、ウミエルのすべてを受け継ぐ者と結ばれる。
俺の割り込む隙なんて、ないはずだった。
「それじゃあ……サイが、お父様の『色を継ぐ者』だっていうのは?」
「……『色を継ぐ者』? あぁ……ドリュアスがそんなことを言ってたが、どういう意味なんだ?」
「そのままの、意味よ? 私は、私のお母様の『色を継ぐ者』、サイは、私のお父様の『色を継ぐ者』……これで、分かる?」
…………いや……分かる、と言われても。
『受け継ぐ者』は、ようするに『色を継ぐ者』で、俺は、まさか……?
「とりあえず勘にものを言わせて答えるが。俺は……創世の御神だったりするか?」
「そうね。するわね」
なんでもないことのように、微笑んだリシュが頷いた。
「じゃあ、俺は……リシュの隣にいて、いいんだな? これから先も、ずっと?」
「世界が壊れるからとか、そんな理由じゃないなら……一緒にいて欲しいわ」
俺は……馬鹿だな。
今までずっと引っかかっていた原因が。
リシュの隣に立つはずの誰かに抱いていた嫉妬が、それ故の躊躇いが。
全部……自分自身に向けてのものだったとは。
「俺が……リシュのたった一人だったんだな」
「パートナーになったばかりの頃は、まだ確信がもてなくて不安だったんだけど。でも、山岳回廊で……分かったの、サイが私のために生まれた人なんだって」
リシュが、笑う。
甘く、解けるように。
「お母様から、聞いてはいたの。私の翡翠の瞳とは違う、蒼と緑の溶け合った瞳が目印だって。会えば分かるくらい惹きつけられる、その人が私のためにこの世界にいる人。私が……この世界にいる理由」
ゆったりと預けられた重み。ただリシュのためだけにここにいられる、自分。
あふれ出してしまいそうな、胸につかえた感情がもがく。
出て行きたい。吐き出してしまいたい。それを閉じ込めるように、無造作に投げ出していた手を、硬く握り締めた。
「昔話を聞いたわ。私たちの知らない、創世の頃の真実。あのね、創世の御神はみんな、羽が三枚あって。サイと同じ色を宿していた神が、一枚羽を失って……それをね、再び得ていたんですって。でも、その神は三枚目の翼が帰ってきたことを知らされず、誰も知らず……それから、私たちの巡り合わせを定める鍵の関係が出来て……私のお父様とお母様の時代がやってきて。それ以前から世界は、ある理由で少しずつ歪んでしまっていたのだけれど、その歪みがとうとう持ちこたえられないほどになって……世界が、変革を迎えたの」
世界の、変革。
きっとあのとき……過去のディリュードに飛んだとき。
リシュの両親が話していたのが、そのことなんだ。
三枚目の翼と、それを失って……力の制御がどうの、という話。
リシュのために生まれる、ウミエルの『色を継ぐ者』の話。
「……俺のことだったのか」
「その変革のお話だけは、お母様もはっきり仰らずに笑ってらしたから……何か、すごいことがあったんだと思うわ。その結果、お父様は再び得た三枚目の翼を失って、本当に、ただの二枚翼の天使になって。そのせいで、たくさんの封印と誓いがかけられたの。私にも、サイにも」
「リシュにも?」
俺だけかと、思っていた。
リシュの両親の話を思い出した限りでは、リシュについてはそれほど触れられていなかったから。それよりも……俺の力がどうこう。そんな話だった気がする。
「まず一つ目は、サイの力が、暴走しないように、精霊を封じ込めて瞳の色を変えたの。だから、最初はマラカイトグリーン。お父様が、どうせ変わるならお母様の翡翠の瞳に近い色がいいって、駄々をこねたらしいわ」
「それで、目の色が変わるたびに精霊が解放されて、力の絶対質量が増えたのか……」
「そういうことね。二つ目は、サイに、っていうか……『色を継ぐ者』に従う炎の精霊を借りて、私の攻撃属性を封じてたの。翼が三枚あることって、特別なんですって。それまであったものがなくなると、力の制御が不安定になるだとか、何もしてないのに暴走する可能性があるだとかで。私も……攻撃属性、全然上手く扱えなくて困ってたから」
だとしたら、俺は今……ものすごい数の精霊を従えているのか?
確かめてみたいと思ったが、よくよく思い出してみると俺の力はほとんどあの得体の知れない呪を破るのに使われて、空同然だ。具現させても、ただでさえ残っていないものがますます削られるだけか。
「で? まだあるのか?」
「えぇと……きっとサイはね、これを聞いたら怒ると思うんだけど。サイ、色が見えなくなっていたでしょう? あれ……私のせいなの」
「は?……どういういきさつなんだ、それは」
「サイは、私のことを何にも知らない状態でこの世界に生れ落ちるでしょう? 本来なら持っているはずの力をたくさん削られて。サイのそばにあるべきものを、たくさん奪い取って。それでも不安で……サイの防御属性をね、いじったの。きっと防御属性がなくなったら、サイの攻撃属性の強さを考えると、防御に秀でた誰かを傍に置く必要があるはずだから。それなら……きっと、私がなれる。そう思って……」
「それで、どうして色まで……?」
「わざとじゃなかったんだけど、でも、小さい頃だったから……失敗、しちゃったみたい、なの」
「……失敗」
「色はね、サイの精霊たちが少しずつ取り戻してくれたみたいなんだけど。……あの……実は、防御属性がまだ、解放されてなかったりとか……」
「するのか」
「ごめんなさい」
うな垂れて謝るリシュの姿に、息を吐く。別に……防御属性が戻ってこなくても、俺は一切困らないんだが。
幼いリシュが考えた通り……俺には、リシュがいればそれで何もかも事足りるんだから。
「それじゃあ、リシュ。無理を承知で提案しよう」
「え?」
おずおずと顔を上げるリシュの耳元に、俺はそっと囁いた。




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