Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 50.証
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 歌が、聞こえる。
言葉にならない想いを乗せた、切ない旋律が、緩やかな吐息が。
それは、内に秘めた感情の強さを物語る、染み入るような声音だった。
詞はなくても、十分に伝わる想いがある。
誰を想って歌っているのか、考える必要がない程度には。
「……こんなに想われているはずなのに、どうして俺は拒絶されるんだ」
一人呟いて、俺はゆるゆると漂う声だけを頼りに、さらに森の奥へと足を踏み入れる。
もどかしい距離に、握った拳がぎりりと軋んだ。
 ――声が、近い。
リシュが、ひとところに留まっているんだろう。
森に入ってそれほど経っていないが、確かに近づいている距離は感じられる。
きっとすぐ傍に、いる。
気づかれたら、逃げられてしまうだろうから、慎重に。
ゆっくりと踏み出した一歩を追うように、すぐ傍で声が上がった。
 それは、高い、抜けるような澄んだ声。
甘く、切なく、耳に残る残滓が愛しい。
そっと、梢を掻き分け、向こうを覗き見た。
 ……リシュの、横顔。切ない色を宿した、揺れる翡翠の瞳。瞬いた瞬間に頬を滑り落ちたきらめきは、その正体が何かも分からないまま俺の記憶のどこかに触れ、すぐさま砕け散る。
……知っている。あの光を。
「あの、ときだ」
一月の間、リシュと距離を置いていた、あのとき。
迎えに行ったリシュが部屋へ下がったとき、確かに落ちたはずの光は、ただの小さなしみだった。
あれは……リシュの涙。
俺が、泣かせたのか。
だと、すれば。リシュはあのときから、ずっと苦しんでいた……?
がさりと、葉が擦れあう音。
甘い声が、ぱたりと途切れた。
顔を上げても、リシュは見えない。……そこでようやく、自分が押さえていた枝を放してしまったことに気がついた。
「リシュ……」
「来ないで……! どうして、追いかけてくるの?! どうして、今頃になって優しくするの……」
今頃になって。
そう言われて、返す言葉は見当たらない。
俺は、リシュに酷い態度を取り続けていたのだから。
想いの行く末が見当たらずに、一人で混乱して、突き放して、時折近づいて。
リシュはさぞかし困惑しただろう。俺の、曖昧な態度の意味に。
それでも、決めた。
俺自身は、二度と迷わないと。
「でも……俺が嫌いなら、お前はもうここで話もしてくれないだろう? だから、俺は自惚れてるんだ、お前はまだ俺を嫌いになってないって」
どうしても、呼んでみたかった、たった一つの名前。
「そうだろ? ……アリシエル」
梢を挟んだ向こう側、表情さえ窺えないリシュが息を飲んだのが気配だけで伝わってくる。一瞬の沈黙を挟んで、さらさらと髪の揺れる音がした。
「や……違う、そんな、そんなこと」
「違わない。だってお前は、こうして……」
俺たちを隔てる梢を、ゆっくりと除けて俺は一歩進む。
「俺のために、泣くんだから」
翡翠の瞳が、大粒の涙をこぼす。
わななく唇に触れたいと思うのに、今触れればきっと逃げられる。リシュを、傷つける。
だから、ゆっくりと、穏やかに囁いた。
驚かせてしまわないように、逃げられないように。
「なぁ、リシュ。俺はピアスの片割れを受け取った。リシュから話を聞く約束をした。それから……少し怒ってる。俺の嵌めていたお前の指輪、勝手に持って行っただろう。そこにあるのは、分かってるんだ。わざわざ鎖に通して身につけなくても、つけておいてくれればいいのに」
カフスがなくなり、ピアスが置き去りにされていた時点で、そんな気がしていた。
いや……それ以外、考えられなかった。
しかも、こうして改めてリシュと向き合って、焦るリシュの胸元からは、ちらちらと銀の鎖が覗いている。それに、指の紅玉が呼応していた。
指摘した途端、リシュがぱっと胸元を押さえつけて……それが、俺の問いを肯定する。
「ご、ごめんなさい……!! 何も言わずに、勝手なことして逃げて……もう、会えないって思ったら、どうしても何か形のあるものが欲しくて……それでも、まだ欲張ってしまって、結局ドリュアスにわがままを聞いてもらって……私が、わがままだから……!」
「リシュ。俺は、お前をわがままだなんて、思わないから。もう、逃げるな。俺の前から消えたりしないでくれ。俺は、ちゃんとそばにいる」
抱き締めたい。触れたい。想いだけが先走って、それでも手は届かない。
「……でも、私……私の身体は……私に触れようとする人は、耐え難い苦痛を覚えるわ。さっきだって。苦しかったでしょう? だから、駄目なの……私、一緒になんて」
緩く首を振って視線を落とすリシュに、どうして、と、聞きたいのに聞けないのは、俺にも大きな原因があるからだろう。
たとえその答えを聞いたとしても……俺の想いに、変わりはない。
「別に俺は、触れる触れないでリシュの傍にいたいわけじゃない。ただ、リシュが俺の隣にいてくれれば、俺をリシュの傍においてくれればそれでいい」
触れようとする人、ってことは、リシュから触れるのは構わないのか。
実際、あのとき泉から俺を引き上げたのはリシュだったんだろうし、そのあと飛びつかれたが痛みも何もなかった。
「それに」
「え?」
怯えた瞳が、真っ直ぐに俺へ向けられる。森の緑に融けてしまいそうな翡翠の色は、俺の目には鮮やかさが際立って映った。
「俺が触らなくても、お前が俺に触るのは平気なんだろう? だったら、いい。お前が望むとき、俺はお前に胸を貸してやれる。お前の指で、癒してもらえる。そばにいれば、手伝えることがたくさんある。守る事だって、出来る。……あの約束は、まだ有効なんだろ?」
そしていつか、呪われた理由を教えて欲しいと思う。
リシュがその身に何を背負ったのか、誰のためなのか、誰のせいなのか。
「本当に、それでいいの? 私、サイに何もしてあげられない。たくさん、たくさんあげたい想いがあるのに、言葉だけで伝えられないたくさんの気持ちがあるのに」
「構わない。……何度もそう言ってるだろう」
「本当に? ……私が手を伸ばしたら、サイは、手が届く場所にいてくれる? 呼んだら……答えてくれる距離にいる?」
「あぁ。約束する」
絡めた視線の先に、涙を溜めた翡翠の瞳が。
次の瞬きできっとこぼれる……そんなことを思った次の瞬間に、リシュが動いた。
「絶対よ? 嘘だったとしても……私が、離れないんだから。サイは、誰にも譲らない」
軽い、振動。それとは比にならないほどのしがみつかれる強さに、想われる実感と、俺の中にある想いを再確認する。
求められることに、安堵を覚えた。
あれほど胸に蔓延っていた躊躇いは、跡形もなくなっていた。




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