Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 49.逃げないで
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 「そう、なのか?」
ただ純粋な疑問から口を突いて出た言葉は、もう戻らない。
リシュが息を飲んで視線を下げるのを見て、あまりにも無神経な問いかけをしたと気づかされる。
泣き出す、と思った。
そんな俺の想像を裏切り、リシュは、俺に視線をやることもなく、軽やかに身を翻し、俺に背を向けて遠ざかる。
逃げられる、その不安に伸ばした指先が、リシュの指先にわずかに触れて。
その瞬間、
「っ……?!」
上空から叩き落とされるような、激しい衝撃が全身を震わす。
とっさに膝をつき、上半身を腕で支える。
突っ張った腕さえ震えるほどの大きな痺れを、無理やり堪えて詰まった息を整え、ようやく顔を上げたときには、もうリシュはそこにいなかった。
「な? 言ったろ? リシュは、何かの代償にあの呪いを受けたんだとさ。何の代償なのかは、ちっとも教えてくれねぇけど」
こちらを覗き込んでくる男の顔は、俺への嘲り、そうでなければ憐憫に似た感情を浮かべていた。嘲笑のような、憐れみのような笑み。
だが、俺には……痛みよりも大事なものがある。
何よりも優先しなければならない、たった一人が。
「あれを身をもって知ったんなら二度はやりたくなくなる……っておい、その身体でどこ行くんだ? まだあちこち痺れてるだろうが」
強引に、立ち上がろうとした。膝は震えるが、何とかなる。
カウンターに掴まって立ち上がり、息を整えて一歩踏み出す。
よろけはしても、歩けないというほどではない。追いかけなくては。
「やめとけって、そんなことしてもあいつは……」
「それでも、俺にはやりたいことが、やらなきゃならないことがある。リシュが俺をどう思っていたとしても、俺にとってはリシュがすべてで、リシュがいないならこの先の自分なんて、ここにいる意味も理由もないんだ……」
それが、俺の真実。
何物にも変えられない、たった一つの現実。
ようやく辿りついた答えなのに、一番聞いて欲しい人には届きもしない。
意識もしないうちに吐き出していた溜め息は、静かに辺りへ溶けて消えた。
「……あの、さ。そこまで言えるのに、何でリシュは勘違いしてるんだ? だってあいつ、お前のことはただのパートナーで、それ以上じゃないって。あいつ自身がお前のこと、ただのパートナーだなんて欠片も思ってないくせに……まさか、今みたいな言葉、本人には言ったことない、とか……?」
妙な静けさを破ったのは、男だった。
不思議そうな表情でかけられた問いに、俺は正直に頷く。
「あぁ……最近、ようやく分かったことだから」
「はぁ?! っこのバカヤロ、そんなだからあいつ、眠るだの眠らないだの口走ってんじゃないのか?! 何もかもこれから始まるってのに、お前が大事なこと言わないせいであいつは全部を台無しにするんだ!! ちょっと、あいつに言って来い!」
言いたい放題まくし立てられたあと、とん、と背中を押された。
一瞬呼吸の閉塞感を覚えて、押された弾みで一歩二歩と足を踏み出す。
「……あれ?」
押される前より、体中の痺れがいくらかましになっていた。
「少しは、楽になっただろ。あいつみたいに上手くはいかねぇけど、ないよりましってことで、俺からの餞別」
薄く笑う男の表情には、ただ明るい色が見えるだけで、他の含みは見つからない。
一体いつの間に、と思った次の瞬間、男の指に呪を短縮するための紋章札が握られているのを見て、納得する。だから詠唱もなく、力の動きもほとんどなかったのか。
「あれが今の俺の最大限。なんかわかんねぇけど、もう俺の精霊力、空っぽだぜ? ……でもまぁ、上手くいくといいな」
走り出した俺の背中に投げかけられた、余裕ぶった男の言葉には、返事も出来なかった。
焦る気持ちを抱えて、俺はリシュの色彩を探す。

 形容しがたい、光の色。
なぜだろうか、リシュは部屋の中ではなく、外、明るい光の下にいるような気がした。
玄関のドアを開けると、そこは目を細めてしまうほどの眩しさと暖かさに満ちていて、自分の存在を忘れそうになる。
融けてしまいそうな、緩やかな光景。
周囲の木々の緑。泉の、光を反射する深い紺の水、きらめき。
泉の向こうに茂る梢の隙間を縫って、静かに、優しく降りてくる光の中、ふわりと舞い上がる翡翠の瞳を見た。
あれだ、と認識するのは、一瞬。
俺が間違えるはずもない。
いつでもリシュは、俺に誰よりも美しい純粋な色彩を与えてくれる人だから。
踏み出した三歩目で、飛翔。
光を全身に浴びて半透明に輝く水の精霊が、道を開けてくれる。
と、ふわりと舞い上がった一陣の風が、静かに凝って精霊の姿を形作った。
『あの子には、秘密ね』
リシュを守護する風の精霊なのだろう。柔らかな微笑みに、彼女から発せられる風に、先を促されて俺は頷く。
ただ穏やかに、過ぎていく時間の心地よさが笑みを誘った。
 泉を越えて、梢の葉音に紛れ俺は下草に降り立つ。
ゆっくりと周囲を見渡せば、そこかしこにドリュアスの姿があり、俺を探るように見つめていた。
そんな中、たった一人、余所者でしかない俺へと近づいてきたのは……
『あら、いらっしゃい。さっきは世話になったわね。あの子に会いにきたの?』
「他に、何があるんだ」
『でも、あの子すっかりふて腐れちゃってるみたいだし。なに言ったのよ、あんた』
ほんの数刻前まで一緒にいた、ピアスに隠れていた木の精霊。
「何、って……いや、リシュに直接聞きたい」
『ふぅん? ちょっとは甲斐性あるのね、いいわ、あの子にはあんたがこの森に入ったこと、秘密にしててあげる。行って、ちゃんと二人で出て行きなさい。何かするんなら、見ない振りしててあげるし』
見ない振り、ということは、俺たちの様子をずっと見ているつもりなんだろう。
「あぁ……いつまでも逃げられてたんじゃ、俺が辛いから」
あの男は、勘違い、と言った。
何より、あの勢いや、俺を抱いた腕の強さは、俺を自惚れさせるには十分な要因だった。
苦痛で、想いを歪められるのなら、それはその程度の感情だったってこと。
もう、逃げられても追うことに躊躇いはない。
俺の想いは、固まっているのだから。
「リシュ……もう逃がさない」
呟いた言葉に、ドリュアスのかすかな笑い声が重なった。
『そういう、決めたら一歩も譲らないところ、あの男に似てるわ』
あの男、と言う言葉の意味は深く考えず、俺はただ足の赴くままに、リシュのいるだろう森を、静かに歩き始めた。




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