Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 48.求めるものはひとつだけ
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 強く抱きつくリシュの腕。かすかな重みを感じさせる柔らかな身体。
そこに、リシュがいる喜び。
たった一言。言いたいと心に決めた言葉が滑り出したのをきっかけにして、俺はリシュの背に腕を回した。
リシュの存在を、しっかりと確かめていたくて。
が。
「っや……やめて!」
びくん、と震えたリシュの体が、ぱっと離れる。
「やめて、触らないで。ごめんなさい」
「リシュ……?」
抱き締める手前で拒絶され、撥ね退けられてリシュが遠ざかった。
「何でもないの。お願い。触らないで」
踏み込まれることを拒絶する、翡翠の瞳。
俯いて少しずつ後ずさりするリシュに、どうすればいいのか分からない。
「リシュ、待ってくれ、分かった、触らないから逃げるな」
「……でも、だって」
「いいから。怒らないし、気にしてない。リシュに、伝えたいことがあって来ただけだから」
伝えるだけでいいとは、欠片も思っていないことは伏せる。
伝えて、それが肯定されるなら。
何もかもを共有する、深い関係になりたい。
否定されたなら……どうすればいいだろう。
本来なら考えなければならない、望みとは逆の選択。考えることを頭が拒絶する、最も恐れる結末。
だが、ドリュアスが言っていた。俺たちは傍にいなければ意味がないのだと。
それを信じていればいい。
傍にいられなくなれば、この世界は崩壊して、俺などすぐに掻き消えてしまうのだから。
他のものなんていらない、ただ、リシュがいれば。
「えっと……その」
薄く微笑むリシュの表情は、俺がどうしていいのか分からずに一人で迷ってしまう前の、柔らかで親しみの込められたもの。
「ピアス、つけてくれるのね」
「……あぁ。あの、リシュ、このピアスは一体」
「とりあえず、濡れちゃったし……サイは、お風呂にでも入るといいわ。その服もどうにかしないと。私も、着替えるから」
……俺の問いに、答えはなかった。
まるで聞こえなかったような反応。むしろ、問いを遮るような勢いでつなげられた言葉。
居心地が悪いのか、時折視線を逸らしながらそう呟いたリシュを、訝しげに思っても、拒絶することはない。
リシュが何を思っても、俺の気持ちは、変わらない。
いつかその答えがもらえれば、それでいい。
「……いいのか?」
「えぇ、もちろん。私も……会いたかったの」
リシュが指を伸ばして、俺の手を掴んだ。逃げる必要のない俺は、そのままリシュのしたいようにさせた。
しっかりと、包み込むように握られて、その温もりに安堵する。
リシュが、俺に触れることを望んでいる。俺は、リシュから拒絶されるだけではないのだ。
……だが、俺に許される時間は式典までの間。
リシュも同じように、こうしてこの場所に留まっていられるのは式典までの間だろう。
同じ瞬間に向けて、加速して行く残されたわずかなとき。
たとえ時間がなくても俺は、リシュをこの腕に抱く。
俺から触れられない理由や離れた訳を確かめる。
そして。
もう、何からも逃げない。迷わない。
俺はただ、俺の望む道を、俺の正しいと思う道を行くと決めたのだから。
誰にも、何にも曲げさせない。
たとえそれが、俺自身の躊躇いだったとしても。

 現実から切り離されたように、時間の流れが遅い場所。
湯をもらって、乾かしてもらった服を着て、最初に案内された居間へと足を運ぶ。
「サイ、お茶飲む?」
「あぁ……」
俺に気づいたリシュが、すでに用意を始めていたらしいポットに湯を注ぎ込んだ。
並べられたカップの数は、三つ。俺とリシュ、そして、もう一人この空間にやってくるだろう男の分。
ただそれだけのことで、突然足が動かなくなった。
俺が、傷つけた。ドリュアスは完治したと言っていたが、傷つけたことに変わりはない。
今まで、こんなことで悩むなんて想像もしなかった。
傷つけられるような弱い奴が悪いと、そう思っていた。
なのに……俺は、一体どんな顔をして会えばいい?
「おーいリシュ、来客か?」
「あ……ダイス」
悩む間もなく、現実はあまりにも早く目の前に現れた。
確かに、知っている顔。最後の記憶の中で、リシュの次に覚えている男の顔だ。
「……これ、お前の男か?」
「え、えぇと、そうじゃなくって、最終学年のパートナー」
「ふぅん。まぁ、俺の方がいいオトコだと思うけど」
男は俺を上から下までじっくりと見つめて、薄く笑っている。
おかしい。
あれが、俺にぶつかってきてリシュに妙な言葉を吐き捨てた男だろうか?
あれが、飲み込まれそうな気迫でもって俺に向かってきた男だろうか?
真偽の程は定かではないが、とても俺に火傷を負わされた男の態度とは思えない。
むしろ、俺を知らないような物言い。
一体……どうなってるんだ。
「今日は砂糖ひとつ。えぇと、あんたは……どうする?」
椅子に腰掛けて、リシュにそう言い付けた口で俺に向かって問いかける様は、明らかに俺を知らない風だ。表情に、何の迷いも、躊躇いもない。
「サイは、お砂糖もミルクも使わないのよ」
「何だよ、そんなことまで知ってる仲なのか?俺が割って入る隙ないじゃねぇの」
ソーサーに乗せられたカップが、男の前に並べられた。続いて、俺の前にも。
今までなら、確かに手渡してくれたはずのカップ。
カウンターの上の二組の茶器に、耐え難いもどかしさを覚えた。
「ま、あんたがリシュと付き合うのは自由だけど、気をつけなよ、迂闊に触ると痛いぜぇ? 何でも、運命を受け入れないためだとか言って」
「やめて、ダイス。そんなこと、サイに言う必要ないじゃない」
……運命を、受け入れないため?
眉を顰めた俺の表情に気づいたのか、リシュの言葉を不思議に思ったのか、男は緩く首を振ってリシュの申し出を否定する。
「なに言ってんだよ、お前に惚れた男はそこをちゃんと理解しておかなきゃ意味ねぇだろ。あんたも覚えておくといい。リシュの、この身体は……」
「やめて……!」
今にも泣き出しそうなリシュの拒絶の声に。
「誰にも触れられないよう、古の呪に侵させているんだ」
不治の病を宣告するような、男の低い声が重なった。




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