Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 45.悲恋(2)
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 行く先も分からないまま、ただ足の赴くままに走った。
廊下の両側に俺が飛び出した部屋と同じようなドアがいくつも並んでいる。
別の療養所、と言ったのだから、おそらくここも療養所なのだろう。
アパートメントとさして変わらない造りだ、とりあえず建物の端まで走っていけば……階段が、ある。
見つけた階段、踊場から駆け下りる直前、嫌な気配を感じて立ち止まった。
ぞくりと総毛立つ肌に、振り返る。
「……サイ」
「ファリエル……邪魔するのか?」
俺のいた部屋のドアにもたれた、ファリエルの姿。距離は短くないはずなのに、その声はやけに大きく聞こえる。
薄く微笑む瞳には、揺るぎない決意が見て取れた。
今までの、何かに恭順するような色は、もうない。
「邪魔、って言うか……情報提供と、忠告」
眉を寄せた俺に、ファリエルは薄く微笑んだ。
憐れむような、嘲笑うような。
どちらとも取れない表情は、俺の不安を呼び起こす。
「トーナメント戦で色々あって、君はこの療養所に運び込まれた。君の傷はほとんどなかったんだけど、なぜか意識が戻らなくてね。半月ほど眠っていたんだよ。お腹はすいてないの?」
「……あぁ。別に」
いきなり、何を言いだすんだ、こいつは。
情報提供と忠告では、どう考えても邪魔にならないだろう。
「あと三日で、養成所の卒業式典だよ。一応、礼服は君の部屋に持ち込んであるから。着替えもあったと思うなぁ。もちろん……靴もね」
言われて初めて、俺は自分が裸足だったことを思い出した。そうだ、ベッドの傍に靴がなかったから……すっかり忘れていた。
「念のために軽い食事も。あ、参考までに言っておくけど、君が式典で軍に入ることを選んだとしたら、すぐに尉官クラスで配属される風に聞いてる。……まぁ、君が何をするのも自由だよ。君なら何でもそつなくこなしそうだし。どこに行ってもいいし、何をしてもいい。だけど、ちゃんと式典には出席するように」
「どうして……そんなことを、俺に教えるんだ」
嘘だとは、思えない。協力的な態度も。
俺を騙すような気配が、今のファリエルからはまったく感じ取れない。
だが、真実を俺に伝えてくれているとしても。
そこに、何の意味がある……?
「僕は、養成所の上の人間が大嫌いなんだ。それでもしがない下っ端教官の僕は、上の命令に従って君を見張ってて、でも結局君に脅されて、仕方なく情報提供した。いくら下っ端の僕でも、ただでさえ人員不足なのに、有能な教官がいなくなるのは困ると思うんだよね、やっぱり」
……本当に有能な人間は、自分で『有能』とは、言わないと思うんだが。
まぁ、これでこいつの真意はよく分かった。
お高くとまった理事の奴らに一泡吹かせてやりたいんだろう。
こいつには今までに世話になった、たくさんの借りがある。
それくらいなら……俺にも、協力できる。
「そうか。助かる。三日後、だな」
「うん。頼むよ。……でも、ここからは忠告」
かすかに笑ったファリエルが、表情を曇らせて、俺を見据えてきた。
「なんだ」
「あと、三日しかないんだよ?その短い時間では、きっとリシュさんを見つけられない。奇跡的に彼女を見つけられたとしても、きっと君の想いは伝わらない。それでもいい? 君の傍らに立つことをよしとしないリシュさんを目の当たりにして、それでも耐えられるのかな?」
それが無理なら、諦めたほうがいい。
俺には、そう聞こえた。
……なるほど、忠告にちがいないな。
リシュは式典までには見つけにくいところに隠されていて、しかも何か仕掛けがある、と。
今の言い回しだと……リシュ自体に、何かされている可能性がある。
脅されているか、誤魔化されているか。騙されているか。
リシュなら、どれもあり得る。
力ずくで手に入れようとすれば、傷つける。
それでも。俺は……他の選択肢を、知らない。
確かに、リシュの気持ちも大切だろう。
今まで、それが分かるまではと自分の気持ちを曖昧にしてきた。
だが……もう、この感情に蓋は出来ない。俺は、知ってしまったから。
傷が疼くように痛むのは、リシュが、傍にいないから。
大きな空白が自分の中にあるのは、リシュが、この視界に欠片も映らないから。
「それでも、いいんだ。俺が会いたいから」
他の理由なんて、存在しない。
世界のどんな色彩を知ることが出来ても、俺にとっては、リシュのあの髪と瞳の色だけが真実で、他の色とは天秤にかけることも出来ないくらい、大切で。
相手を思えば、って考え方もあるんだろうが……俺は、それじゃ不満なんだ。
誰よりも近く、誰よりも深く繋がって、少しの余地もないほど、独占したい。
気持ちが伝わらないなら、無理にでも伝えればいい。
伝わるまで、伝え続けて……手を尽くしてから諦めても、遅くない。
俺は、そんな方法しか、知らないから。
「会えば何とかなる、なんて……君らしくないことを考えてるわけじゃないよね?」
「何とかなる、ではないな。どちらかと言えば……」
何とかする、だ。
無理だの、不可能だの、そういった型を破るのが俺だ。
俺に、常識は当てはまらないんだから。
「教官連中は、お前を責めるんだろうな」
「もういいよ。無理やり僕が引き止めても、力負けするだけだし。そういう、不利益なことはしたくないんだ。もし責められたら、ならあなたは止められましたかって聞き返してやるから」
出来の悪い子供を、許す教師。
そんな表現がしっくり来る、淡い笑み。
「違いない」
俺は笑って、突き当たりの壁にある窓に手をかけた。
それを押し開き、窓枠へ飛び乗る。
「次は、卒業式典だな」
「無事に帰って来られることを祈るよ」
行ってらっしゃい、と。
見送られたような気がした。
背の翼を意識して、窓から、飛び降りる。
空の青は、いつ見ても違う色で、いつ見ても綺麗だと……そんなことを思いながら、高く高く舞い上がった。
さぁ。
出かける準備をしに、ひとまず部屋に戻ったら。
リシュに、会いに行こう。
誤魔化してきた気持ちが、報われるように。
閉じ込めてきた想いを、伝えるために。
ファリエルが言うように、この思いが通じ合わないまま終わっても……伝えられずに終わるより、ずっといいはずだから。

羽ばたきに巻き起こる風の色が、見えた気がした。




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