Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 43.残された言葉の意味は
<< text index story top >>



 剣戟をかわし、受け流し、時折迫る拳から身を引いて避ける。
なぜか、不自然に身体が重かった。リシュの周りを覆う炎も、衰えそうもない。
早く、リシュの安全を確認したかった。俺が水天使の相手をしている間もずっと、夢の中にいるようなおっとりした動作で髪をかき上げ、リシュを取り巻く炎をぼんやりと見つめている、あの火天使なら、一発殴りでもすれば、すぐに何とかできそうだというのに。
纏わりつくようにしつこい攻撃は、欠片も緩む気配がない。
……相手は水の精霊。だが、効くか効かないかを考えるより、やってみた方が早い。
拍子を計り、目を細める。相手が繰り出した剣の一撃から、体勢を引き戻すその一瞬。
俺は、空へと舞い上がった。
「我は炎を纏うものっ……? っな」
そしてようやく、自分の身に起こっていることに気がついた。
気配さえ感じさせないほど小さな、おびただしい数の水の精霊たち。空からの光に煌くそれは、リシュの保護障壁にはないもの。俺の目には見えなかったが、こんなにも小さな水の精霊がここにいるだけ……気味が悪いほどびっしりとあの男の傍に控えていたのなら、焔の精がざわついてもおかしくない。
これは確実に、俺のミスだ。
「はっ……やってくれたな」
「気がつかない、あんたが悪い!!」
舞い上がった空、視界に広がったのは、白い、白い翼。
空気中の水分が自然と集まったのだろうか、それは拳のまわりでうっすらと渦を描いている。これに殴られたら、さすがに無事ではないだろうな。
場違いにも、笑みがこぼれた。
ただ反射的に、飛んでくる拳を剣の腹で受け止める。
衝撃。
辛うじて直撃はしなかったが……翼力は相手の力にかなわず、俺は空から叩き落された。
地面に叩きつけられる前に、強引に体勢を立て直し、背中から墜落、は免れる。素早くその場から跳び退って、右手に視線をやった。
……少なくとも、この試合中は使えそうもない。
感覚がない上に、どうやら手首に負担をかけすぎたらしい。妙に腫れ上がっていた。
使えないものを当てには出来ない。幸い、剣を振るう腕は左。こちらは、支障なく動く。
……では。
左手一本で、精霊の力もまともに使えず、リシュからの補助も期待できないこの状況で……。
 リシュからの、補助。
無意識に加えていた条件が、痛みさえ消えた感覚のない世界から、耐え難い苦痛を伴う今へと引き戻す。
 俺は、勝てるのか?
その問いかけへの答えは、一瞬で導き出される。
今のままでは、きっと勝てない。
……ようやく、気づいた。
俺は、ひとりで戦うことに慣れすぎている。
リシュに出会うまでは、一人でやってきた。
誰かが支えてくれるなど、ありえなかった。
ずっと一人で。誰もいなくて。
 だが……今は、リシュがいる。
無意識のうちに肯定していた、ひとつの存在。
一人だった俺の、誰かになってくれたリシュが。
 リシュは、俺に与えてくれる。
自分以外の、誰かと共にいる喜びを。
リシュは、俺に教えてくれる。
一緒にいたいと、生きたいという意志を。
……どうして、もっと早く気づかなかったのだろう。
リシュはいつも傍にいたのに。山岳回廊では、消えない怪我まで負わせて、それでも俺の傍にいてくれたのに。微笑んでくれていたのに。
それがただの優しさからだったとしても、俺に、かけがえのないものを与えてくれる、特別な存在だったのに。
リシュが俺をどう思うか、も大事なのだろうけれど。
俺が、リシュをどう思っているかも……同じくらい、重要だったんだから。
リシュがいずれ俺から離れていったとしても。
俺は、リシュを手放せるわけがないんだから!

 「俺のもんだったあいつを奪った、お前が憎い!」
空から落ちてくる、罵声。
「……お前の、モノ?」
頭上を振り仰げば、水天使の影が落ちてくる。
落ちてくるのが分かっているなら、避けてやればいい。
踵で土を蹴り上げて、舞い上がる。
「そうだ!! いきなり出てきてあいつを掻っ攫った、お前を俺は許さない」
空の上で、交差するようにすれ違う。空気の流れに反発が起こり、その場で大きな爆風が生まれた。
翼を再度羽ばたかせ、地面へと。
着地と同時に、重い一撃が飛んでくる。
まだ距離はあるが、背後には火天使の作った炎の壁がある。
いくら火天使だからといって、火傷をしないわけじゃない。
自分の生み出した炎であっても、それは同じだ。
辛うじて受け流す水天使の拳と太刀。
さぁ。
リシュもいないまま俺は、どうする。
 「……おいたは、その辺にしましょうね?」
甘い、柔らかな声音。
それは確かに、リシュのもの。
ざわりと、空気が冷たくなった。背中に感じていた、炎の生み出す熱が、一瞬にして消えうせる。
「何……うあぁっ!!」
火天使のものらしき、中性的な悲鳴。
同時に、軽やかな破裂音と、きらきらと耳に残る精霊の声が。
そして。
「サイ!」
甘い、柔らかな女の声が。
「……リシュ!!」
たとえこの一瞬に何をされても。
それはそれで、構わないと思えた。
たった一人の、大切なものを……その姿を一瞬、視界に留めるためならば。
振り返って、そこにいる女をただ待ち望む。
かき消された炎の名残から、無傷で出てきた、澄んだ翡翠の瞳。
感情の失せた瞳は、焦点を結ぶと同時に、驚きに見開かれて。
「サイ……っだめぇ!!」
何が、と、聞けなかった。
聞く前に、すべては起こっていたのだから。
強く押され、平衡感覚をなくした身体を、制御する余裕はなかった。
水天使から繰り出された木刀の腹が、リシュの華奢な身体を軽々と吹き飛ばす、その光景を目の当たりにして。
「お前っ……!! どうして! どうしてこんな奴を選ぶんだよ!! どうして……どうして、俺じゃ駄目なんだ!!」
耳の端に引っかかった、水天使の悲痛な声音。
それ以上に俺の意識を占める、地面に叩きつけられた、小さな身体。
そして、自分が動き出していたことを認識する。リシュの身体が衝撃に再び浮き上がって、もう一度地面に落ちていくのを、受け止めた瞬間だった。
受身を取る余裕はなく、地面に打ち付けるだろう痛みに身構える。リシュの身体を庇うように抱き締めて……衝撃をすべて受け止める。
……が、それは予想外に弱かった。
疑問に思うが、理由など、知らない。
第一、そんな理由は……必要ないのだから。
「サイ……無事?」
「あぁ。大事無い。お前は」
腕に抱えたリシュは、うっすらと微笑み、持ち上げた指で俺の頬を柔らかく撫でた。
「……とても、いい気分なの。ずっと探していた人が見つかって。私、間違ってなかった」
座り込んだまま、リシュを抱き直す。問い質したいことは山ほどあるが……土に打ち付けられた痕跡の残る服や、かすかに歪められた眉が、俺からの問いを躊躇わせた。
静かに、微笑むリシュに。無力だった己と、リシュにこんな仕打ちをした相手への憎しみが渦巻いていく。
安心したように甘い吐息をこぼし、そのまま……リシュの首が、ことりと傾いた。
「……リシュ?」
返事がない。だが、その命が息づいていることは、確かめなくとも、手に取るように分かった。それと同時に、何の躊躇いもなく預けられた身体に、優越感を抱く。
そして、周囲を見渡した視界の変化に、納得のようなものが脳裏を駆け抜けた。
あぁ、何だ。
こんなにも、簡単なことだったんだ。
右手を、動かした。あれほど痛みを訴えていた手首も、何の問題もない。
焔の精を呼ぶ。先ほどまでの不安定な姿が信じられないほど、真紅の色彩に明るく燃え盛っている。
「お前……その目」
耳に届いた声音。斜め上を見上げれば、そこにあるのは怯えに似た表情を浮かべた、青灰色の髪を持つ男。
見上げる空は言葉に出来ないほど青く高く、観客席には様々な色がひしめき合っている。
世界は今、極彩色に輝いていた。
 あぁ……世界は、こんなにも美しかったのか。
目の前に広がった色彩。身の毛もよだつほどの興奮。
どうして俺は、今までこれを失っていなければならなかったのか。
 ……だが、今はもう気にしない。
たった一瞬で、この怖いほどの色彩の嵐を、手に入れたのだから。
何もかも、この腕の中にいる、大切な女との巡り合わせのため。
すべてに納得した今、俺はリシュを傷つけたこの男にさえ、笑みをやれるだろう。
「俺は、今ここに存在するすべてのものに、心から感謝する」

 紅く燃え上がった視界の中で、俺は、高らかに笑い声を上げる。




<< text index story top >>
Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 43.残された言葉の意味は