Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 40.最後の課題
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 リシュに会うのは、久しぶりだ。
転移の課題の後、穏やかな表情で拒絶されて、それからリシュに、どんな顔で会えばいいのか分からなくなった。
今までならきっと、何事もなかったような顔をして、リシュに会いにいけた。
それが、どうして……あんなに躊躇ったのかは、今でも分からない。
ただ、分かるのは……俺がリシュに会いに行かなくなったら、リシュが自分から俺を見つけ出してくれるかも知れない。そう、どこかで期待していたのだということ。
結局、その期待も裏切られ、リシュは俺の元を訪れず……俺は昔の生活を取り戻した。
感情を必要としない、同じことを繰り返す毎日を。
目が覚めて、身支度を整えて、ロードワークの途中で養成所のカフェに寄る。珈琲とトースト、食事はただ栄養を摂取するためだけの行為。寄り道もせずに真っ直ぐ部屋に戻って、そこで日が落ちるまで鍛錬に時間を費やす。
汗を流したら、あとは寝るだけだ。ぼんやりと星々の瞬きを見つめるか、外に出て夜の散歩と洒落込むか。昨日との違いを見つけることの方が難しいくらい、同じように、日々を過ごす。
リシュに会わなくなった、そのことで、さらにリシュは遠ざかる。
俺の右耳に預けられた守護石のカフスは、唯一のリシュとのつながりだった。

 リシュの部屋の、ドアの前に立って。
ノックするかどうかを、こんなに悩んだのは初めてだ。
握った拳を胸の高さまで持ち上げて、じっと見つめる。
これから最後の課題発表だってのに、迷う暇なんて、本来ならありもしない。
拳から目を逸らし、足元へと向けた。
粗い木目の床は、古ぼけていても目立った汚れはない。リシュの部屋に繋がる床。扉の向こうには、リシュがいるはず。だが、人の動く気配は感じられず、部屋の主が出てきそうな雰囲気でもない。
最終学年の召集がある日時は、必ず養成所の掲示板に張り出される。個々への連絡はない。
……もしかするとリシュは、今日が召集の日だとは知らないんじゃないだろうか。
これまでは、俺がリシュにそれを教えていた。リシュは……掲示板の場所も、分かってないんじゃないだろうか。
だとしたら、まずい。教えなければならない。一緒に行こうと、リシュを連れて。
……悩む。会って、いいのかどうか。
俺がまだ、リシュのパートナーとして許されているのかどうか。
軽く唇を噛んで、ひとつ呼吸。
拳を軽く、扉にぶつけた。
3回、木を叩く快音が響く。
すると、奥で何かを引っ掛けたような、大きな物音がして……同時に、甲高いリシュの悲鳴がかすかに聞こえた。一体、何をしてるんだ……?
「っサイ?!」
内開きの、部屋のドア。その向こう側にいたのは、ずいぶん久しぶりに感じる、可愛らしい顔。ドアの生んだ風で、栗色の前髪が、ふわりと舞い上がった。身を乗り出すように、ドアを開ける先から強引に顔が出てくる。
「……久しぶり」
「……サイ、だ……」
驚きに丸くなった、翡翠色の瞳。柔らかな輪郭を描く、乳白色の頬。その白さを際立たせる、栗色の緩く波打つ髪。俺の覚えているリシュより、ほんの少し線が細くなった気がする。五分袖のシャツから覗く腕と手首は、喩えではなく本当に折ってしまえそうだ。
「リシュ、これから最後の課題だ。トーナメントの抽選がある。行くぞ」
努めて、感情は出さないように。
目の前に、リシュがいる。手の届く位置に。
そのせいか、自分が何をしてしまうか分からない。
 ……俺は、リシュに何をしたいのか。
答えは、あっけないほど簡単に見つかる。リシュを目の前にして、会えなかった時間が、それを明確に……嫌になるほどはっきりと浮き彫りにした。醜い感情が日増しに大きく、強くなって。しまいには、俺の手に負えなくなって。
会いたかった。けれど、会えばそれだけではすまなくなる、手を伸ばして、触れて、柔らかさを確認したい。それをどこかで知っていたから……リシュに、会えなかったのかも知れない。
欲求に忠実に動けば、リシュを壊してしまう。そんな確信に、自分自身が怖い。
リシュはきっと、俺の抱く恐怖なんて比べ物にならないくらい、もっと怖い思いをするだろう。
だから、触れられない。触れられては、いけない。
触れればその瞬間に欲望は暴発するだろうし、触れられても、きっとリシュの温度に我慢は出来なくなる。だが、触れられることを望む本能が、リシュから逃げることを許さない。
 俺は、今の位置から動けない。
例えばリシュの指がこの腕へと伸びてきても、それを避けられない。つかまれれば、振り解けない。
だから、精一杯で。理性で、今にも本能に従いそうな身体を縛り付ける。リシュが、触れないように。近づこうと、思わないように。
感情を透かし見てしまえそうなほど、じっと俺を見つめていたリシュが、何かを言いたげに唇を震わせて、俯き目を伏せた。
その拍子に、かすかに光るものが落ちる。何かと目を凝らしたが、リシュの耳元で光るピアスとカフスしか、それらしいものはなかった。
「分かった、から……ちょっと……待ってね、すぐ、支度するわ」
顔を上げたリシュは、かすかに赤くなった頬と潤んだ瞳で微笑み、すぐさま部屋のドアを閉めた。リシュのいなくなった床に、光るものが落ちていないか、ぼんやりと見下ろす。
木製の床、俺の足元には、さっきまで見つけることも出来なかった小さな黒いしみが、いくつか浮いているのが分かった。

 隙のない、きっちりと肌を覆う服装。それは俺に、罪を思い起こさせる。
無言で半歩遅れて歩くリシュの背中から、傷痕は消えない。あのとき……リシュの背中に傷が刻み込まれたときに見てから、俺は一度もそれを見ていない。見るのは、怖い。
……どうしてだろう、こんなとき、湧き上がるようにやってくる衝動が自虐的なのは。
リシュの背にあるのは、俺の刻んだ罪の証だ。目を逸らすことは許されない。
だが、それを刻んだのが俺だと思えば、それだけで支配欲は満たされる。
俺が傷つけた。リシュに、消えない傷痕を刻み込んだ。
たとえこの先、リシュが運命に出会ったとしても、その傷は消えない。リシュの隣に俺がいたことを証明する、生涯ついてまわる印。
リシュの隣に立つべく生まれた者に、その傷を晒すたびに……リシュは俺のことを思い出すはず。
そこにある感情が憎しみであろうとも。
忘れ去られ、なかったことにされるよりはずっとましだ。
あぁ、でも。
――このままでは俺は、リシュを壊してしまうかもしれない。
俺の存在をリシュに刻みつけようと、どこまでも追いつめて……。
「……サイ?」
かすかな、それでもしっかりと耳へ届く甘い声。
振り返るが、リシュはいない。
「こっちよ。前。サイ、急に立ち止まるんだもの。どうしたの? 道、間違えた?」
正面を向けば、リシュが不思議なものを見るような目で首を傾げている。
「……悪い。あってる。もう少し前に行くと、闘技場がある。そこが集合場所だ」
「闘技、場? えっと……あの、最後の課題って、もしかして」
不安に満ちた視線が、縋るように俺に注がれる。
俺はただ、事実を口にすることしか出来ない。
「最後の課題は、トーナメント制の模擬戦だ」




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