Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 39.届かない想い(2)
<< text index story top >>



 ちらちらと振り返る視線は、お互いに向けられたものなのだろう。
どうしてこの二人が。
こちらを盗み見るように通り過ぎて行く誰もが、そんな顔をしている。
 オープンカフェのカウンターは、食堂の調理場に繋がっている。そこで二言三言誰かと話した男は、会話の相手から受け取ったカップを両手にひとつずつ抱えて、俺の選んだテーブルへと帰ってきた。
時間が中途半端なせいか、人影はまばらだ。もう少し遅ければ、早い昼食を摂りに来た生徒でうるさくなる。話をするのなら、ちょうどいい。
「……そんなにオレが君と一緒にいるのは珍しいのかな」
「俺がリシュ以外のやつと一緒にいるのが珍しいんじゃないのか」
「はは……なるほど」
納得したように薄い笑みを浮かべて、男は俺にカップを差し出す。
「食堂のお姉さん、心配してたよ。最終学年に上がってから、ぱったり来なくなって何かあったのかと思った、って」
おごりだって、と手渡されたそれは、リシュに会うまではずいぶん世話になった香り。
そういえば、いつもここで珈琲とパンと。そんなものしか食べてなかった自分を思い出す。
今となっては、遠い昔。それを思い出す必要がある、過ぎ去った過去。
……実際、その頃にあったんだ。俺にとっては、大きな変化の始まりが。
リシュと出会って、ここに行かなくなって、リシュと一緒に、二人で食事をするようになった。
わずかな色彩を掴み始めて、自分の変化に戸惑って……リシュを、追い求める気持ちだけがふくらんで。
結局、この気持ちの変化が何なのか分からないまま、リシュの抱える出生まで踏み込んでしまった。
自身の変化に加えて、リシュの態度の変化。リシュの持つ秘密、俺に伝えたいこと、それをまだ言えない理由。
分かりたいことも、何もかも。
答えは、俺一人では得られない。
「あの。で、聞きたいことなんだけど」
「……? あぁ」
そういえば、ここにきたのはこいつが何か話したい、って理由だったな。
すっかり忘れてしまうところだった。
「君、結局リシュちゃんとはどういう関係なんだい?」
「さぁ……どうなんだろうな。リシュに聞かないことには、分からない」
俺は、リシュにパートナー以外の位置を強要したことがない。
リシュから、こうなりたいという意思表示もされていない。
「……なるほど。だからそんな顔してるんだ」
そんな顔、と称されるほど、一般的な表情を浮かべているのだろうか。今の、俺の顔は。
自分で自分の表情を鏡で見ることは、なかなかない。
ただ、顔を洗うときに正面に挿げられた鏡に、全体的に褪せた色で映る自分の目、違えた色彩を宿す両目に違和感を持つだけだ。その違和感が……どちらの色彩に向けられたものかは、自分でもよく分からないが。
どちらかが間違っているような、そんな気になる。
「君、今、好きな子に邪険にされた、さみしそーな顔してる」
……好き?
俺が、誰、を?
「何、その顔。まさか自覚してなかったとか?」
自覚してないも何も。
そんな、普通の感情を持っているとは思わなかったから。
この胸にあるのは明らかにリシュに対する所有欲、独占欲や支配欲だと、分かっている。
「どうして、その気持ち伝えないんだい? リシュちゃん、待ってるよ。オレに望みがないのは、とっくの昔から分かってたことだけど、君がまだリシュちゃんと恋人同士になってないことは、オレの予想外。もう、望みないの分かってるから、さっさとすっぱり諦めさせて欲しいんだ。リシュちゃん、そうじゃないと笑って曖昧にして誤魔化しそう」
苦笑交じりの表情は、どこか明るい。同時に、諦めに似た感情も見え隠れする。
「……それなら、俺からも問おう。好きってのは、どんなものなんだ。俺には、それが分からない」
今まで、はっきりとした執着を持ったことがなかった。物に対しても、人に対しても。
ここまで明確に欲求を感じるのは、初めてだろうと今になって思う。
リシュは、特別だ。誰と比べることも出来ない、俺にとっての、たった一人。
だが、何度もリシュに対して「好きだ」と言葉にしたこいつの想いは、諦められるものなのだと理解出来る。だとすれば、その『好き』は、俺の抱く執着とは、リシュに抱く特別な感情とは、別物のはずだ。
「え? ……あー、うーん、そうだなー、なんて言えばいいんだろ、例えば、ずーっと一緒にいたいとか」
「それは所有欲だ」
「オレだけを見て欲しいとか」
「独占欲だろう」
「欲望の限りを尽くしたくなるとか……」
「好きだというよりそれは性欲にあたりそうだが」
「……」
困惑の表情を浮かべた男は、うーん、と唸って頬をかいた。
困らせるようなことを、俺は言っただろうか?
「君にはもっと根本的な部分で分かってもらわないといけないのかな……いいかい、それじゃあ君の持つそれらの欲望の対象になったことがある人は? 全員挙げてみなよ」
言われるままに自分の中の記憶を攫う。
だが、感情らしい感情を持ち始めたのがつい最近だ。
……いちいち考えるまでもない。
「リシュ一人だ。だからどうした?」
「……リシュちゃん相手にそんなこと考えてるんだ、へー……」
やや頬を赤くした男は、俺から視線を逸らして手の中に握ったカップを口元へ近づけ、ゆっくりと傾けた。
自分の手にあるカップを、見下ろす。小さなその中では、ゆらゆらと表面を波打たせ、ほのかに湯気を立てる濃い茶色の液体が、自分の顔を映していた。
表情など浮かべていたつもりのない俺の顔だが……そこには、何らかの感情が見受けられる。俺は、その感情の名を知らない。
気落ちしたように、目尻が下がっている。とはいっても、普段つり気味の目だ、さほど違和感はない。唇の端は笑みの形に持ち上げられることはなく、いつもと同じように、引き結んだ状態。
不満、であれば眉間に皺がよるはずだ。なんだろうな……例えるなら、リシュが泣き出すのをこらえるときのような、何かを耐える表情。
「それってさ、リシュちゃんが特別ってことでしょ?」
顔を上げると、苦笑に変化した男の顔があった。
困惑だったはずのこの男の感情の変化が、何によって引き起こされたのか、俺には分からない。
「……オレたちは、自分と関わる、たくさんの人に対して好きだとか嫌いだとか、可愛いとか綺麗とか……そんな風に何らかの感情を必ずと言っていいほど抱くわけだけど。人の区別がつかないほど、誰にも執着したことのなかった君が、リシュちゃん一人を特別に想うことって……それは、彼女のことを好きって言ってるのと同じじゃないかな」
……好き、か。
ますます、この感情の名前は分からなくなった。
両手の平で包み込んだカップを持ち替え、中身を飲み下す。
生ぬるい苦い液体は、リシュが淹れる珈琲とはまったく違う。
柔らかな苦味、深い香り、程よい温もり。
胸につかえた、言葉にしたい感情は、リシュにはきっと届かない。




<< text index story top >>
Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 39.届かない想い(2)