Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 38.届かない想い(1)
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 触れた姿勢のまま、どうすればいいのか分からなくなった。
リシュの表情は、ただ、真っ直ぐに俺を見つめてくるだけで変わらない。怒りも戸惑いも何もなく、真剣そのものの、揺らがない瞳。高貴な、翡翠の色。
「えっと……ケインさん、でしたよね? あなたもです。女性の喧嘩に、男性が口を出すのはルール違反です。お分かりになるでしょう?」
「リシュちゃん」
振り向けば、困惑の表情で小首を傾げる男がいた。
「サイも、あなたも。ただ見ているだけなんてきっと無理でしょうから。お引取りください。ここにいられては、困ります」
考えを曲げる気はなさそうだ。本当に、俺と男をこの場所から追い出すつもりでいるのだろう。
 どうして。
そう問いかけたくて、しかしリシュの目を見れば、それさえも言えなくなる。
どうして……これは、俺とこの女の問題だろう?
「リシュ」
「お願い、何も言わないで? 大丈夫だから。サイは関係ないのよ、サイは何も悪くないんだもの」
だが、と言い募ろうとした俺の言葉を遮るように、背中越しに男の声。
「リシュちゃん、男が、愛する女性のそばにいたいと思うことの、何が悪いんだい? 出来ることがなくても、君に見向きもされなくても……ただ傍にいたいと思うのは、いけないこと? 愛する人に危害を加えられたくないって思うのは、間違ってるかな?」
表情は見ない。その意見が意味を成さないと分かっているから。
普通ならば、そんな甘い言葉を告げられれば、幾分かは揺らぐものなのだろう。
だが、リシュは違う。リシュには、たった一人の誰かがいるのだから。
リシュの傍にいられるのは、その位置にいるべきと定められた者だけ。
俺が今リシュの隣に立てるのは……パートナーだから。卒業までの短い期間だ。
それでさえ、リシュが否と言えば終わってしまう。
もともとリシュは、自分自身に関わる決断を一度下せば、なかなかそれを曲げない。そうして貫き通した結果は、いつも必ず、他の誰でもなくリシュ一人に返ってくるものだから。
こちらがどれほどごねても、リシュは首を縦には振らない。
自分ひとりに影響が出ることなのだからと、決して譲ることはない。
リシュは、いずれ巡り会う運命の輪に組み込まれた、たった一人に出会うまでは……どれだけ俺が頼られることを望んでも、結局、心からその身をゆだねる相手など作らず、自分ひとりの力でどうにかするだろう。
それを朧気に理解しているから、リシュの言い分は分かる。
だが、こいつの言いたいことも、よく分かる。
たとえリシュが、俺の力を根本的な部分で必要としていなくても。
それでもリシュに降りかかるものから守りたい、すぐ傍に、いつでも危険から守れる位置にいたい……そう思う。
 欲は、限りなく。結局、今の俺はこの男と変わらないんだ。
養成所を出るためのパートナーとして。一定期間認められ、許されているか否か。
その程度の、ささやかな違い。
選ばれたわけではない俺たちは、リシュのもっとも深い位置に立ち入ることは出来ない……そういうことだ。
軽く溜め息をついて、抱き締めたリシュの身体を解放する。
リシュは、申し訳なさそうに微笑んで、大丈夫だからね、と念を押した。
ここで頑として俺が譲らなくても、リシュはいつまでも俺を拒絶しただろう。
「分かった。だが、怪我はしないようにな。お前には分かるだろう? 俺のしそうなことは。この女が心配なら、怪我はするな。絶対に」
「……本当に、心配性ねサイは。ソーシャさんは、そんな乱暴なことはしないわ。大丈夫よ」
「……あぁ」
微笑むリシュの髪を、一度撫でて。
わずかな苛立ちを隠すように、俺はリシュに背を向けた。
階段に差し掛かった頃、男のものと思しき足音が、俺を追いかけてくるのを聞いた。

 「サイ=ザイエル」
「何だ。いちいちフルネームで呼ぶな」
背中越しに、声をかけられる。
振り返るのも煩わしい。考え事をしたいときに、どうして他人に付き纏われなくちゃならないんだ。
拒絶された意味や、リシュとの距離、リシュの秘密、リシュが俺に伝えたいこと……疑問は山のようにある。
だが……目下の問題は、どうしても消化しきれない、後回しに出来ない一つの疑問。
俺が、今だけのパートナーなのであれば。
この先、リシュが巡り会わなければならない誰かの元に行くのであれば。
どうしてリシュは、俺にこのカフスを預けたんだ?
 パートナーとして信頼しているから?
そんな理由で、リシュは軽はずみな行動は起こさない。
それとも、今だけの優しさ?
……リシュは、そんな中途半端な態度はとらない。
 結局、何もかも分からずじまいだ。
近づきたいと思えば思うほど、リシュは遠くなる。
純粋さからはかけ離れ、すでに歪んでしまった想いでも、伝わって欲しいと思うのは俺の傲慢か。
「君に、少し聞きたいことがあるんだ。話を、させてもらえないか」
「聞きたいこと?」
投げかけられた言葉に、俺は振り切ろうとした背後の男へ向き直った。
その表情は、真剣そのもの。だが、この男が俺に尋ねるくらいだ、おそらくその聞きたいことは……意中の相手、リシュに関することなのだろう。
俺には、聞かせてやるほどの情報なんて、一握りもないんだがな。
「……リシュのことなら、俺が教えて欲しいくらいだ。答えられることは何もないが?」
軽く溜め息をついて、再び歩き出そうと背を向けた。
一歩踏み出そうとした瞬間、いきなり腕を掴み取られる。
「待ってくれ、違うんだ。……確かに、リシュちゃんのことも聞けるものなら聞きたいんだけど……君とリシュちゃんは、どうやらオレが思ってるような関係じゃないみたいだから。それとは別、オレが今聞きたいのは……君のこと」
何を言いだすかと思えば。
息を吐き出し、同時に肩を落としてから、それら一連の動作が、無意識のうちの癖になっていると気づいた。
溜め息が癖になるのは、出来れば遠慮したいんだが。いまさら、どうにもならない気もするな。
傍にいたいものには拒絶され、残ったのは望まざる相手との質疑応答、か。
溜め息が習慣化するのは当たり前かもしれない。
半ば諦め気味にそう思い、俺は視線で、養成所内のカフェへ向かう道を指し示した。




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