Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 37.拒否
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 ゆっくりと、奥へ視線を向ける。
リシュは、今にもこぼれそうな涙を瞳に溜めて、緩く首を振った。
その隣、女が突き刺すような視線でリシュをじっと見つめている。
最も近い位置に、薄笑いを浮かべたまま立ちはだかる男の目は、どこか愉悦を含んで嫌な色に揺れた。
「リシュ」
「サイは……悪くないの」
「えぇ、サイ君は何も悪くないわ。ただ、この子の問題で」
「それがソーシャ嬢の主観だって言うのに。君は周りを見てなさすぎだよ。リシュちゃんがいなくなったって、彼は君のものにならないんだから」
その通りだと、思わず女に目をやった。
「馬鹿ね……サイ君は、誰のものにもならないからサイ君なのよ。誰かを隣に置くサイ君なんて、サイ君じゃない。私は、サイ君を変えた……サイ君が許したあなたが、気に入らないのよ」
目を弓にしならせ、場違いに笑む女の手が、ゆったりとリシュの頬を滑る。
大きく一度震えて、しかしリシュはしっかりと顔を上げた。目には、今までにない鋭さがある。頬にある手をそっと取り、意志を持って下ろしていく。
「そう、ですね。私が悪いのかもしれません。あなたの中にいたサイを穢したのは、間違いなく私なのでしょうから」
「なっ……わ、分かったような口、きかないで」
リシュの必要ない肯定に、思わず足を踏み出し、進んだ。
同時に、女がリシュに握られた手を振り払った。かばうように胸元に引き寄せた手は、震えている。思いがけないリシュの肯定に、怯んだか。
馬鹿な女。
その言い分も……詭弁だ。
そんな理由が、通るわけがない。
この女は、俺に偏った理想を抱いている。
その理想を壊すきっかけになったのが、リシュだから……だからリシュが悪いと?
馬鹿にするな。
男が以前言ったように、人形のようだった今までの俺は、確かに誰を傍らに置くこともしなかった。誰かを傍にいさせる意味がなかったからだ。一人でいいと、そう思っていた。足手まといならいらない。今も変わらず、そう思っている。
 だが、リシュは、違う。
俺には必要な、大切な存在。俺にない物を持っている……かけがえのない存在。
俺一人では、諦めることしか出来なかった、色を持つ特別な一人。
俺が一方的に求め、この位置にいるというのに、それを……本当に、馬鹿な女だ。
「ふざけるな」
「サイ君……! どうして? この子の何が、サイ君を変えるの? どうして、突然現れただけのこの子なの……!!」
言葉で答えられない問いかけに、強く、痛みを感じるほどに、唇を噛み締めた。
言っても、分からない相手だ。分かる気がないんだから。
そんな女がリシュに危害を加える前に。
はっきりと、否定のしようがないほどに分からせる方法は、ひとつ。
 ふつりと、唇の端を裂いた感触。
それを証明するように口の中に広がる鉄の匂いと味。
感覚のない足を、また一歩踏み出した。
俺は、リシュの傍にいたいから。顔を伏せたままのリシュに、そっと、触れる。
「リシュ」
「……サイ」
名を呼ばれる、喜び。歪んだ所有欲に、吐き気がする。
毒が回るように罪悪感は薄れ、ただあるのは、追い求める気持ちだけ。
「リシュ、もういい。俺が……」
「待って」
遮られた言葉の行き場がなくなり、息を飲み込む。
「サイは……私を、信じて、くれるのよね……?」
リシュの問いに応じる言葉は、ただ一つ。
「あぁ。もちろんだ」
笑みをもってリシュの不安に答え、頷きでもってリシュの沈黙を許す。
リシュが、ゆっくりと顔を上げた。
強引にひねり出したのだろう笑みが唇の端に浮かんでいる。
が、それはすぐさま驚きへと変化した。
「サイ、それ……唇。どこで切ったの?血が……」
伸びてくるリシュの手が、遮られた。
手の持ち主は、女。
「話はまだ終わってないわ」
「……ちょっと、待ってください」
こちらからは見えなかったリシュの表情に、女が息を飲み、一歩引いた。
リシュはそれに構わずこちらを振り返ると、少し屈んで、と、唇の動きだけで呟く。
口端から滑り落ちる血の感触を、指先で拭った。切った部分に触ったのか、鋭い痛みが走る。
リシュは、この傷を……唇で癒してくれるのだろうか。
こんなときでも確かに息づく欲望は主張する。
触れたい……触れられたいと。
リシュの肩に左手をかけ、膝を折る。
その間にリシュは、血のついた俺の右手を持ち上げて。
何をするのかと、見つめた目にはかすかな笑み。
「お願い。信じていて。何があっても、私が酷いことを言っても」
「……リシュ?」
汚れた指先を、そっと唇が滑る。血に濡れたそれを、ゆっくりと。
血が舐め取られ、清められる。拭い去られた血の名残は、リシュの触れた感触と温度だけ。
腕が解放され、それを掲げていた手がゆっくりと俺の手を導き、リシュの白い頬へ当てられる。
どうして、何を、と問いかける間もなく、リシュが顔を上げた。
「約束、よ?」
ほんの少し、眉を顰めて、自分が受けた痛みのように苦悶の表情を浮かべて。
「目、閉じて?」
言われるままに、拒むことも出来ずに目を閉じれば、傷口に突き刺さるような痛みと、柔らかな唇が滑る感触。初めてリシュからの癒しを受けた、あのとき瞼に走った言い様のない温もりを思い出した。
痛みを感じたのは、一瞬。すぐさまそれは薄れ消えて、ただリシュの温度と、柔らかさ……花の香が意識へと残る。
もっと、傍に。
もっと近くに。
肩にかけた手を、ゆっくりと持ち上げる。
ふわふわと柔らかく波打つ髪に指を差し入れて、逃れる先をなくして。
主導を、奪う。
「っん……!」
一度だけ、深く口づけて、すぐさま解放する。
「……酷いわ、サイ」
こちらを見上げてくる瞳には、責めるような、戸惑っているような……だが、そこに否定の感情だけは見受けられない。
「嫌だったか?」
「そういうことじゃなくって……もう、いいわ、あのね?」
吹っ切れたように、晴れ渡った明るい表情。可愛らしく微笑んで、リシュははっきりと言った。
「この話は、私とソーシャさんの問題なの。サイは、関係ないわ。お願い。黙っていて」




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