Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 36.悪いのは誰?
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 季節のない天界で、街の景色を楽しむことは難しい。
空からの光は常に明るく、並木はその梢を茂らせる。肌に感じる温度は、風の強さや匂いで多少変化するが、根本的な部分は同じだ。
ざわめき、風の音……人の気配。そういった、流動するものの変化を感じるだけで、さして面白味はない。少なくとも、俺はそう思う。
だが、リシュなら……そんなことないですよ、と笑うだろう。
俺に感じ取れないものも読み取り、理解するリシュならば。
石畳に、規則的な踵の鳴る音。
時折ばらばらと多数のものが聞こえるのは、隣り合った路地で誰かが走り回っているんだろう。明るい笑い声もついてくる。何を慌てているのか、一人の男が俺を追い抜いていき、正面から来た女とすれ違う。女は迷惑そうな顔をして、俺の隣をすり抜けて行った。
目前の十字路には、立ち止まって、談笑する女たちがいる。養成所へ行くのにいつも使う道だ。だが、わざわざあの道を通らなければいけないわけでもない。
いろいろなことに気が重い今日は、遠回りもいいかもしれない。
そう思い、いつもの角を通り過ぎようとしたときだった。
「サイ君! お願い……ソーシャを、止めて!」
普段通る道から飛び出してきた一人の女。精霊を視たところ、そいつが風天使だということは分かった。だが……。
「……? 誰だ、お前」
袖を掴まれて、強く引かれる。
俺にはこの女についていく理由がない。両足に力を入れると、女に引き摺られることもない。混乱した様子の女に話を聞くのは、あまり得意ではないんだがな。
「誰、って言われると話は長くなるんだけど……ソーシャの、友達、だと私は思ってる。お願い。ソーシャを、止めて。このままじゃあの子、大変なことになる……!!」
自身の位置づけを曖昧にするあたり、相手とはさほど仲がいいわけではないんだろう。
そんな奴が、どうしてわざわざソーシャとやらのために、こんなにも必死になるのやら。
大体、止めて、と言われても、必死の表情で縋りつかれても、何の話か分からない限りはどうしようもない。
「少し、落ち着け。何の話なんだ? ソーシャとやらが、何をしようとしてるのかを話せ。止めるにしても、行き先を聞かないことには」
どうしようもないだろう、と続けようとした声、それを遮るように真っ直ぐ、強い視線がこちらを見据えてくる。
「行った先は、あなたのパートナーの部屋。あの子、この間の課題のとき、あなたがパートナーを抱いて行っちゃったところしか見てないの。それで、なんか、変な誤解したみたいで……」
これでもう話を聞く必要はない。リシュに、何かがある。そういうことだ。
掴まれた袖から指を振りほどいた。そのまま走り出す。
「今なら、まだ間に合うはずだから……!!」
背後からの声に、当然だ、と独り言ちる。
間に合わなければ困る。いや……間に合わせなければならない、か。
俺はこれ以上リシュを傷つけたくない。肉体的な面でも……精神的な面でも。
もう、俺が間に合わなかったなんて、一番不甲斐ない理由で……リシュを傷つけることは出来ない。すでに何度も、そうやってリシュを傷つけてきた俺には。
だが、そんな俺がリシュの傍らに立ってもいいか、それを面と向かってリシュに聞くことは出来ない。
その答えを聞くときには、深い恐れが伴うと分かっているから。
俺にはそれを耐え切る自信がない。
俺が一方的にリシュを求めるだけで……リシュから同じ意志が返ってこないのは、まだ耐えられない。
我が侭なことだ。だが、そうすることでしか今は自分を保てない。
だから、身勝手な仮定で自分自身を築き上げる。
まだ、俺はリシュの隣にいていいはず。
リシュが自分の意志で、俺に手渡してくれたはずの守護石、リシュからもらったカフスは、今も俺の右耳にあるのだから。

 階段を、駆け上がる。
空気がざわめいている。普段にはありえない妙な緊張。
そこかしこに、精霊の気配がある。視れば、普段なら屋外にいるはずの精霊が、不安げな感情を撒き散らしてうろうろとその辺を飛び回っていた。
これだけのざわめきを引き起こすことが出来るのは、ほとんどの属性を揃えたリシュの精霊たちくらいだろう。それはリシュに悪いことが起きている証拠。俺は、間に合えるのだろうか。
 「そんな言い訳が、通ると思って?!」
「やっ……」
鋭い女の罵声と、小さく短い、リシュのものと思しき悲鳴。
「リシュ!」
階段を上りきり、壁の角に手を沿わせて勢いで廊下へ抜ける。
一歩二歩でその場に留まり、上げた視線の先には、身を守るように両手で己を抱いたリシュ。その正面には、片手を振り上げたまま驚きに目を見開いた見慣れた女。さらにその奥、二人を見守るように、背中を壁に預けた男。
女がいるのは、分かっていたが……男がいることまでは、想像もしなかった。
「サイ君……どうして、ここに」
純粋な驚きを抱いた女の声に、俺は反射的にそちらを睨みつける。
「いちゃ、悪いか。お前たちのほうこそ、どうしてここにいる。何の用があって」
俯いたリシュの表情を知ることは出来ない。ただ、そこで何らかの言葉のやり取りがあっただろうことは想像できた。
「そ、それは……!」
「……私が、悪いの。自惚れているから」
リシュが、顔を伏せたまま、そっと呟き俺の問いに答えを寄越す。
だが、それは明確な答えではない。
それが真実なら、リシュの精霊がこんな風に騒ぎはしないだろう。何があったのかははっきり分からないが、それらが怒りではなく不安を撒き散らしているのは、リシュの感情の変化が理解できないか、リシュ自身が動揺しているか……相手に非があるのに、リシュがそれを良しとしないか。
「何の話を、してたんだ? はっきり言え」
「……君の話だよ。君が、どれだけ罪深いかって、そういう話。無意識なのかそうじゃないのかは知らないけど、本当に迷惑だね、サイ=ザイエルという男は」
木造の廊下を、規則的に叩く踵の音。
等間隔でこちらへ近づいてくる音と振動は、床に触れた部分から伝わってくる。
「何が、言いたい」
芝居がかった仕草。にっこりと、作った笑みを浮かべて俺の前に立つのは、あの女のパートナーだと言っていた男だ。
「はっきり言うよ、サイ=ザイエル。ソーシャ嬢は君のパートナーのリシュちゃんに嫉妬してる。今まで誰のものにもならなかった、手の届かないはずの君という存在が、いつの間にかリシュちゃんのせいで堕ちてきた。ソーシャ嬢はそれが気に入らないのさ、リシュちゃん一人が、君の気を引くという揺るぎない事実が」
……意味が、分からない。
眉間に、縦の皺が刻まれただろうと、無意識の行動を思う。
それに気づいたか、男は相変わらずの笑みでもって、溜め息をついた。
「物分かりの悪い男だね、サイ=ザイエル。君にも分かるように簡潔に言おうか、いいかい? リシュちゃんは、君に執着されているせいで、ソーシャ嬢の標的にされている。君がリシュちゃんを『特別』と見なければ、こんなことにはならなかったんだよ、分かる?」
「ちょっとなに言ってるの?! サイ君は悪くないのよ!」
「じゃあ、何が悪いと? リシュちゃんのせいにするのは、ソーシャ嬢、君の主観だ。客観的に見て、悪いのは……」
「ち、違います、サイは悪くないの……!」
荒々しく否定する女の声。
飄々と笑みを浮かべる男の声。
そして、泣き出しそうな、リシュの声。
俺には、誰が悪いのかは分からない。




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