Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 35.彼女の背負う傷
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 リシュが、遠い。
実質的な距離の問題ではなくて、意識的な距離。
今までなら、躊躇わずに踏み込んできた部分に、リシュは意識して近づかないようになった。俺も、どんな距離を保てばいいのか、分からずに戸惑っている。
それには、色々な要因があると思う。
まず、力の使い方が違う。
力の質も違う。規模も、潜在能力も何もかも、その辺に並み居る天使とは比べるのもおこがましい。なんせ、創世の御神の一人なんだから。
さらに、俺はリシュとの約束……契約を破った。リシュに大きな傷を残して、生涯引き摺るだろう痕を刻みつけた。
そして、リシュは俺に、たくさんの『何か』を言えないでいる。
リシュは、いつも嘘偽りなく物事を伝えてくれる。
だから余計に……『何もかも』を聞くことが出来ない、それを知らずに、リシュの一番近いところにいると信じていた自分が、馬鹿らしい。
俺は、他より少し潜在能力の強い、一介の天使に過ぎないのだから。
リシュがこの先、どこかにいる誰かの隣へと移ってしまう様を、見届けなければならないのだから。
何より……俺が、リシュにどう対応していいのか分からず、踏み込まれることをよしとする線引きを、曖昧にしている節がある。
リシュの傍にいることを、躊躇い、迷い始めている。
どうすれば、いい?
教えてもらえるものならば、教えて欲しい。
「……俺はここにいていいのか……?」
不安は、消えない。

 前回の課題で……それだけ衝撃が大きかったのだろう、酷く時間をかけて、リシュは泣き止んだ。
ごめんなさい、と謝られて、どう答えていいのか分からなかった。
何に対する『ごめんなさい』なのか。
泣いたことか……それとも、黙っていることか。
分からないまま、俺はリシュを連れてファリエルの元へと戻った。
 相変わらずの表情で俺たちを迎えたファリエルに嫌悪の一瞥を送って怯ませた後、俺は本題に入る。沈黙を守るリシュを隣において……ファリエルたちに知られたくないことを俺が喋りそうになったとき、すぐさま止めに入れるように。
それを踏まえた上で、リシュと跳んだ世界の報告は、概要だけにとどめておいた。
世界の改変だの、リシュの親がウミエルだの、それは教官に話す必要のないことだ。
リシュも自分の口から何も言わなかったのだから、それでいい。
そんなことを考えている間も、教官たちが頭を寄せ合ってああでもないこうでもないと思案にくれている様は、なかなか面白かった。
結局、結論は出ず、俺たちは解放された。
ファリエルはしきりに不思議だね、と首を傾げていたが、目の前にある小枝はまぎれもない証拠だ。俺たちが帰った後は、研究するんだ、と息巻いていたファリエルがその枝を持って帰ったらしい。だが、翌日いきなりの呼び出しを受けて俺が研究室を訪ねれば、昨日は確かに蕾をつけていたはずの枝が、見る影もないただの細い枯れ枝になっていた。
やっぱり過去のものだったんだよ、とファリエルに神妙な表情で伝えられても、俺に返す言葉はない。その後も色々とうんちくを垂れていたようだが、俺に聞く気がないのを悟ったのかしばらくすると、つまらない、とか何とか言いながら大人しくなった。
もう一度行ってみてくれない? と気楽な様子のファリエルに、二度とごめんだと捨て台詞を吐いて、俺はその部屋を出た。
リシュと跳んだからなのか、それとも『別の力』が干渉したのか。
俺に、それを知る術はない。

 身体を起こした。目を覚ました後は、しばらくまともに頭が働かない。だが、不便はない。勝手知ったる自分の生活する部屋だ。いつもと同じ。普段通り、静かで、素っ気無いほどに物がない。生活臭も、ない。
俺の部屋とは違って、リシュの部屋は、荷物が少ないながらも、確かに暖かい。
 養成所の生徒は、敷地内、もしくは街の中に部屋を与えられている。学年が低いほど、養成所に近い。力の扱いに慣れていないため、暴走する危険がある……ということも理由のひとつだろうが、実際は、それだけ所内でしなければならないことが多いからだ。当番や雑事……俺はそれの大半を知らずに最終学年になったわけだが……は、学年が上がるごとに減っていく。
最終学年にもなると、そういった養成所の雑務からも解放され、課題のあるときに召集を受け、それが済めばあとは自由時間。遊び歩こうと鍛錬しようと教養を身につけようと、卒業までの短い自由の身だ。養成所の傍でいるよりは、いくらか離れた場所の方が好まれるのも何となく分かる。
だが、俺は比較的養成所に近い位置に部屋を与えられていた。
理由は簡単だ。俺の力が暴走したとき、なるべく素早く対応できるように。
そういった警戒に気づかないほど鈍くはなかったが、抗議してどうなるものでもない。
いまさら、いちいち気にする必要もない。
その方が、リシュに会いに行くには都合もよかったし、な。
だが……今は、その距離が妙に憎らしい。
きちんと、曖昧にしているものの距離を見定めろと、言外に急かされているようで……嫌だ。
それでも、会いに行くことに迷いはない。会いたい。傍にいたい。
それが……限りあるものだと分かった今だから、これ以上踏み込むことに、迷っている。
情けない、と自分を笑った。本当に……弱くなったものだ。他の奴らも……こんな弱さを、抱えているんだろうか。だとしたら、すごいな。
 何を考えていても、普段と変わらず、寝台から起き出し、身支度をしてしまうのが習慣となっている。無意識のうちにいつでも出て行ける格好になっていた俺は、リシュの元へ行こうと、部屋から一歩足を踏み出し……それを、ふと止めた。
 俺がリシュに会いに行くのは会いたいから、だが……リシュは、俺に会いたいと思うだろうか?
リシュに、途方もない大きな傷痕を残し、そして本来の……いずれ出会う対の御神ではない、俺に。
俺にとっては出会ったときからリシュは他とは違う生き物だった。
何よりも欲した色彩を全身に宿す、華やかなリシュは、他の奴らとは別の、綺麗な何かだった。
それは今も変わらない。
けれど……リシュは、望むだろうか。
俺が会いに行かなくなったとして……リシュは、俺を探して会いに来てくれるだろうか。
リシュを傷つけてばかりの、この俺に。
 感傷を振り払うように、乱雑に歩みを進めた。
風を、遠く感じる。




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