Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 34.泣いていいから。
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 目を、開けた。
そこは、俺の知っている世界だ。
『今』と言える、俺を知る誰かがいる世界。
安堵、と言う感情に、張り詰めていた意識が緩む。
腕の中には、まだリシュがいた。
大切に抱き締めたままの、しかし確かに今までとは別の存在である、リシュが。
一瞬、不安だった。
もしかして、あの場所から二度と帰っては来れないんじゃないかと。
リシュが『今』へ還ることを、望まないんじゃないかと。
いつの間に呪が発動したのか、記憶のどこを探してもわからないが、転移の術を一人の力で動かすことは、おそらく出来ない。
だから、今腕の中にいるリシュの柔らかさに、安堵している。
「……リシュ?」
抱き上げた体を降ろそうと、華奢な身体に回した腕を緩めた。
だが、緩めた分リシュが強く抱きついてくる。
「……いや。はなさないで」
力なく首を振って、更に強く。呟いた言葉は、どこか舌足らずな、年端の行かない子供のような印象を受ける。しがみつかれて、無に等しい距離が更に縮まる。
抱き返そうとして違和感を持ち、手の中を見た。意識から忘れ去られていたそこには、蕾を確かめようと手折った枝が、感覚がなくなるほど強く握り締められていた。やはりその枝には、ディリュード独特の葉の間から小さな蕾がちらほらと覗いている。
今の時期には、存在しないはずの蕾が。
「どうしたんだ、お前らしくない」
なだめるように、枝を握るのとは反対の手で軽く体を抱き返す。
「だってきっと、サイはこのままどこか行っちゃう。私を置いて、誰か別の人のところに」
だから、いや。
緩く首を振って、そのまま首筋に顔を伏せられ、俺にはリシュの表情を知ることは出来ない。
どう言葉を返せばいいか、分からない。
いずれリシュは、特別な誰かを探すために、俺の元からは離れていってしまう。
リシュは……いや、違う。そうじゃない。今は、リシュがどう、じゃないんだ。
俺がどうしたいか……だ。
リシュは俺のパートナー。離れることは、出来ない。
約束も、契約も。
だが、そんな義務を抜きにしても、今は……ここに、リシュの傍にいたいと思う。
言葉にするには、気恥ずかしいが……気持ちの中に、嘘はない。それが、真実。
 さて……どうするか。
リシュの体を抱いたまましばらく考えたが、どうにもまともな言葉が思い浮かばない。
今までそんな言葉を、会話を必要だと思ったことがないからなのか。
なんにせよ、言いたいことが出てこないのは事実だ。困った。
俺が躊躇っている間に、沈黙したままのリシュが、かすかに腕の力を緩めたような、そんな気がした。
「リシュ?」
「あのね……聞いて、サイ」
震える声が、精一杯で俺を呼んだ。
俺は、抱き締める腕でその呼びかけに応える。
「サイには、たくさん、言わなければならないことがあるわ。でも、言えない。この間言ったように。私がサイの守護石を嵌め込んだ指輪を受け取らないように。今はまだ……私自身も『本物』じゃないから。幾重にも重ねられた封印と誓いは、簡単には解けない」
しがみつかれていた腕は、確かに緩んだ。首筋を、頬を、リシュの柔らかな髪がかすって流れる。
「だから……お願い、離さないで。ちゃんと、私が手を伸ばして、届くところにいて」
リシュが、顔を上げて俺を見た。泣き濡れた、極上の翡翠。緩んだ涙腺からはとめどなく涙が溢れ、普段なら暖かい、おそらく今は、それよりも熱い頬の上を滑っている。
「お願い。今だけ……パートナーっていう関係の、今だけでいいわ。その先は、私の話を聞いてから決めて。絶対、ちゃんと話すから。両親のことも私のことも……サイのことも。全部ちゃんと話すから。お願い。今は……お父様とお母様のこと、忘れて」
声が大きいわけでもないのに、そう念を押すリシュの、妙な説得力。
自分も『本物』じゃない、封印と誓い、そして、約束を求める言葉。
リシュが、そう言うんだ。他でもない、リシュが。
俺が断る理由は……どこにある?
忘れる、なんて都合のいいことは出来ないが、リシュが話せるまで待つことは……それくらいなら、できるはず。
今日までずっと、他人と深く関わろうとしなかった。今まで、無関心でいることが出来たんだ。これからだって、出来ないはずはない。
「リシュ」
声をかけると、ひとつ大きく震えた。その拍子に、目尻にたまっていたらしい涙が散る。
「分かったから。お前も、大変だな」
そう言うと、リシュは一瞬、何を言われたのか分からないような顔をした。
ぱちぱちと目を瞬いて、口の中で何かを何度か呟いて。
そして、あろうことか……泣き出した。
「……なんでまた泣くんだよ?」
「だって、そんな……サイが、悪いのよ」
そう言って、また表情を隠すように、俺の肩に伏せる。
手の平が触れる背中は、小さくしゃくりあげるたびに震えた。
守りたい。そう思う。
たとえ俺の手が届かなくなっても、リシュが運命を見つけても。
参った、な。
いつから俺は、こんなに弱くなったんだろう。
能力が上がっても、これじゃあ意味がない。
ここまで、リシュ一人に意識を奪われて、何もかもの感覚が、感情がリシュ一人に向けられて。
……周りの人間にも、気づかないなんて。
ぐずっているリシュを刺し殺しそうな視線で見つめる……いや、睨みつけている女がいる。その隣には、似たような視線を俺に向けて注ぐ男が。
その男女と俺たちを遠巻きに取り囲むのが、課題から帰ってきた複数のペア。大勢、と呼ぶには少ないかもしれないが、何組、と具体的に数えるには多すぎる。
更にリシュの視界に入らないよう用心しただろう位置に身を置く、ファリエル。
その顔が、言いたいことを如実に現して気味が悪い。
にやにやとへらへらと浮き足立ったような高揚感をごちゃ混ぜにした、いい感情を一切抱かせない表情だ。
それが妙に気に障って、俺は手の中に残っている……『今』ではない『過去』のいつかから手折ってきた小枝を投げてやった。慌てて受け止めるその動作までを見届け、俺はリシュの髪を梳きながら、顔を上げられないよう軽く押さえる。
「とりあえず、お前が好きなだけ泣ける場所に行こうか」
「……泣いて、いいの?」
「あぁ。お前が泣きやんで……気持ちが切り替えられるようになって、それからでも報告は遅くないだろ?」
声はなるべく優しく聞こえるように気を遣い、睨みつける目だけでファリエルに頷かせた。
「お前の気が済むまで泣けばいい。誰も……咎めはしない」
今このときを、これだけ多くの人間が見守るだけで、邪魔しないのだから。
リシュを抱いたまま、目指す方向へ。
多数の視線を感じながら、俺は中庭に背を向け、足を踏み出す。
こうして……いられればいいのに。
ずっと、この先、俺の見通せない未来まで。
どうか、このまま。




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