Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 33.時間旅行
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 小さく震えるリシュを、そっと抱き上げる。
……俺には、分からないことだらけだ。
意外なほどの力強さで俺にしがみついたリシュが、ゆっくりと顔を上げた。
「何……するの?」
不安、怯え、悲しみ、躊躇い。たくさんの感情が入り混じって、どうすればいいのか分からないのだろう、その瞳はいつもの輝きを宿していない。
子供を相手にしているような気分になって、悪いと思いながらも、唇に苦笑が浮かんだ。
「あの二人の会話を聞くんだよ。なんか話してるだろう、だから、お前の両親の会話が一段落したら、どうしてここにいるのか訊けばいい。訊きたいんだろう? 自分を置いていった理由」
相変わらず震えは止まらないが、それでもリシュは小さく頷いて、俺の首に頬を寄せた。
抱き締め返して、俺はそのままリシュの両親の方へと近づく枝を選んで、渡る。
 ディリュードの枝は太い。地界の、地面に生える木の幹よりも太い。そこからさらに分かれる枝葉はだんだんと細くなり、ようやく、俺たちが折ることの出来るような枝になる。
ここは、おそらくディリュードの幹に近い部分なのだろう。早足で進んでも何の不安も感じないほど、しっかりとした強い枝。張り出したそれからは、更に枝が伸び、周囲をどの植物とも違う独特の形をした葉で覆っている。
溶け込むような、溶け込んでくるような、妙な一体感がある。
 「……つ生まれてくるんだ、ホントにこんなところに来て大丈夫なのか?」
「心配性ですね、大丈夫ですよ。生まれは、もうすぐでしょうね……この木に花が咲く頃」
くすくすと笑いをこぼす仕草も、リシュによく似ている。
だが、ディリュードに花が咲く頃がもうすぐ……というのは、おかしい。
ディリュードの花が咲くのは、新たな風が生まれるとき。もうすぐ、と言うには、やや早い気がする。それなのに……掴まった細枝には、彼女の言うことが事実だと証明するように、小さな、蕾と思われるふくらみがいくつか、葉の間で顔を覗かせていた。
 違和感。
間近で確認しようと、それの先端を手折る。確かに、見間違えではない。そこには、この木に咲くとても華奢で、可憐な花を連想させる、小指の爪程度の蕾があった。
おかしい。
「それにしても……お前の中に、もう一人入ってるんだと思うと不思議だな。しかもそれが、俺の一部も組み込んでる、なんて」
「何、言ってるんですか。いくら愛し合っていても、普通ではありえない出生をこれから先の長い長い生の間背負わせることになる子を、それと分かっていて産むんですよ、私。でもそれは、相手が、ウミエル様だから……」
耳の端に捉えた名詞に、息を飲む。唇を噛んで、叫び出してしまいそうな己を戒める。
ウミエル?
ウミエルは……すでに、新たな生を歩んでいるはずだ。
その存在は、真偽の程も分からない、遠い遠い過去の話だというのに……!
それが、しかも。
目の前にいるあの青年が、ウミエルで……ウミエルがリシュの父親?
腕の中でこうして震えているリシュが、あのウミエルの……。
ちょっと待て、それにしては間が開き過ぎてるだろう。リシュは意識を持って何年と言った?
……考えが、まとまらない。自分が、どうすればいいのかも。
どちらが正しく、どちらが間違っていて。
何を信じ、何を疑えばいいのか。
 情報の取捨選択が、今のままでは出来ない。
腕の中に、確かに存在するリシュを、改めて抱き締めた。
耳を澄ませ、求める。新しい情報を、思考のための部品を。
「たとえ、その子につらい思いをさせてしまっても、一緒にいられる間はあふれるくらい愛を注いで育てます。その後は、もう、ドリュアスや泉の乙女たちにお願いするしかないのだけれど……あの子の歴史から、私たちがいなくなってしまっても、傍にいた時間を糧に、両親がいて幸せだったと言ってもらえるように。そして……いつか自分のために生まれてくる人のために、同じように愛を返すことが出来るように。忘れないで欲しい。私はこの子を、心から望んでこの世界に産み落とすのだということを」
「……もう、分かってるのか? そこにいるのが、お前のすべてを受け継ぐ者だってことは」
腰を落ち着けていた位置から移動し、ゆったりした仕草で女性を抱き寄せた青年は、そっとその腹部に手を当てて笑っている。絶妙に配置されたパーツは、それ自体でも怖いくらいに美しい。芸術家でも、想像力を働かせるだけでは彼のような造作を持った美術品を作ることはできないだろう。ウミエル様、と呼ばれた青年が、俺たちの伝え聞くあのウミエルなら、天界で、最も美しい天使と呼ばれたのも頷ける。
そして何より、どれをとっても非の打ち所のない部分部分の中でも、極めて特殊な魅力と、意志を秘めているのが……瞳。怖いくらいに引き込まれるその色は、蒼。それを見て、ようやく理解した。
リシュが、色の変わった俺の目に、不思議な感情を宿した視線を送った理由を。
俺の片目は、きっと、あの色なんだ。
「えぇ。この子は、私と同じ色を持って生まれ、いずれ私の力をその身に受け継ぐ、大切な子。ウミエル様の色と力を受け継ぐ誰かを、運命を見つける子」
彼女は幸せそうに微笑んで、彼の手に自身の手を重ね、ふくらんでもいないそこを、ゆっくりと撫でている。彼女の言葉から推測するに、彼女は天使でありながら、胎内に子供を宿しているのだろう。だが、天使に生殖能力はない。ただ唯一の例外として、身篭ることが出来るのは……創世に携わった三組の男女神だけ。
こうして耳を傾けているだけで、どんどんと整理しきれないほどの情報が飛び込んでくる。
分からなくなってきた。
いや……本当は、分かっていた。ずっと、おそらく、両親がいると聞かされたときから。
ただ、それを理解するのが、きちんとリシュ自身に問いただすのが嫌だっただけ。
本当に自分とは違う生まれで、違う環境で育てられて、違う力を身につけて……自分とは関わることも出来ない、特別以上の存在だと、認めたくなかった。
真実は、とっくの昔に、自分の中で形を作っていたというのに。
 リシュの両親は創世の御神の一組で、父親はウミエル。ウミエルは創世の御神だった。
その娘のリシュは母親の持つ色と力を受け継いだ、すなわち現在の創世の御神の一人。
リシュの力が、信じられないほどの潜在を秘めているのも。俺の知らない何かを知っているのも。
きっと、リシュが『受け継ぐ者』だからだ。
……これで、リシュは俺の手の届かない場所まで行ってしまった。
腕の中でまだ震えている、小さなこの女は。
「でも……困りましたね、ウミエル様は3枚目の羽根と直接の関係を持っていましたから、力の暴走は食い止められているようですけど。新しい身体を持った時、もしかすると力が扱いきれないかもしれません。何だか難しいことになって来ましたから……この子と離れ離れになる前に、何か方法を考えなくちゃ」
「俺の羽根……いや、もうディリュードなんだが、これと新しい身体は直接の関係がなくなる、のか?」
「だってウミエル様、次の身体からは翼は二枚、ですよ? 今までは見えなくてもちゃんと三枚あったものが、次からは二枚、ですから。確かに三枚目の翼は、ここに存在するんですもの。また三枚翼で生まれたら、二重存在になってしまうでしょう? 意識を持ったときに受ける精霊の洗礼が二枚翼では耐えられないくらいに激しいものだったら、きっと暴走しちゃいますよ?」
ふと、会話の内容が変わったのを理解する。混乱していたはずの頭に、流れ込んでくるような……『聞かなければならない』と言われているような、そんな感覚。
何だ……何の話をしてるんだ?
天使の翼は二枚だ。三枚は、ありえな……いや、いる。たった一人だ。それは、姿も見ることがかなわない、この世界を統べる者。この天界の玉座に腰掛ける、天帝その人。
誰も姿を見たことはないが、天帝の背にある翼は三枚だと、誰もがそう知っている。
「あの方も厄介なことしてくれるもんだ。後始末も何もなしだろう。まぁ……世界の改変にはちょうどいいきっかけだったんだろうが。あの一瞬のおかげで、宮の文献も何もかも吹っ飛んだって聞いたぞ。俺は直後のことを知らねぇが、大変だったんだろう?」
あの方……世界の、改変?
そんなもの、記録に残っちゃいない。少なくとも、俺の生きる時代には。
……一体、この世界では何が起こったんだ。ここはもしかして、俺の知らない世界なのか?
分からない、どうにもならない。
現実が何なのか、ここがどこなのか。
ただ分かるのは、これが『今』じゃないこと。
おそらく、ここは……!




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