Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 30.約束
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 リシュは、指輪を受け取ってくれなかった。笑って、今はまだ、とそう言った。
今はまだ……ってことは、いずれ受け取ってくれるんだろうか。
首を傾げた。
「サイには、こっちのカフスの方が似合うと思うから。つけてくれると、嬉しいわ」
愛らしい微笑みで、対に作られたカフスの片割れを渡される。俺は、受け取ったそれをリシュの笑顔と見比べ、右耳につけた。
リシュが嬉しそうなときは、ほっとする。
嫌なことを忘れているんだろうと、そう実感できるから。
爺の店を出て、裏路地を、手を繋いで歩く。
リシュは終始機嫌よく笑っていて、俺も不安を感じない。
「ねぇ、サイ」
「なんだ?」
立ち止まったリシュの手に、繋いだ腕が軽く引かれる。それを無視して俺が進めば、きっとリシュは引き摺られるように歩き出してしまうだろう。俺は立ち止まった。
振り返れば、やはりリシュは安堵したような柔らかい笑みを浮かべて、俺を見上げている。
「リシュ?」
ただじっと見つめ合うだけの沈黙に耐えられず、俺はその名を呼んだ。
「サイ、約束」
「約束? 今までのか? これからするのか?」
先に交わされた約束は、俺から破った。約束……と言うよりはむしろ、契約、に近いのかもしれないが。
「これから、かしら」
どこか遠くを見るような、ぼんやりとした定まらない視線。
それは、俺の目の色が変わってから、よく見るものだ。
髪の生え際辺りがちりちりと気持ち悪い。聞きたくないことを聞くときや、知らされたくないことを強引に明かされるときの……不快感。
「リシュ」
「私は、サイに黙っていることがたくさんあるわ。サイがそれを知ったら、嫌な気持ちになるようなことが。それをいつか明かすときが、きっと来ると思うの。それでも……一緒にいてくれる? そのときが来たら渡す、もう一組のピアスの片割れを、受け取ってくれる?」
リシュの右耳で、さらさらと揺れるそれを見た。
両方を、受け取ること。それが、リシュとの『特別な関係』を意味すると、俺は悟る。
そして、リシュがどうして俺の指輪を受け取ってくれないのかも、何となく。
 リシュは、俺に猶予をくれた。
持っている秘密の内容が、俺に相当の衝撃を与えるんだと、だからこそそれを黙っていたリシュを、嫌いになるかもしれないと。
それによって一緒にいるのが嫌になる可能性があるから、リシュは俺の指輪を受け取らない。俺はまだ、リシュのすべてを知らない。
「……それは、分からない、な。お前が黙っていることの、内容によるよ。だから、お前も俺の指輪を受け取らないんだろ?」
「……ん……。だから、ここからが約束。お願いだから、そのとき私が明かすことを、否定しないで。いくら信じられなくても、それは真実だから。そのときの否定は……私たち以前のたくさんの人たちをも否定することになってしまうから。それだけは、駄目。だから、約束して。否定しないで。いくら信じられなくても、受け止めて。それだけ」
感情の消えた表情から打って変わって、リシュは今にも泣き出しそうに顔を歪めている。
 リシュが、こうまで言うんだ。リシュが自分の中に閉じ込めている秘密は、相当大きなものなのだろう。俺には、予想もつかないほどの。
「分かった、約束する。だから、そんな風にすぐ泣くな。お前にそんな顔されるのは、つらい」
目尻に溜めた涙を拭ったリシュが、納得したように頷いた。
「うん。約束……ね?」
「あぁ。約束だ」
リシュに小指を差し出されて、俺は目を瞬いた。
「……なんだ?」
おそらく、わけの分からない、といった表情をしていたんだろう、リシュが自分の小指と俺の顔を見比べて、あ、と声を上げた。
「知らないのよね、サイは。……普通は知らないものだったの、忘れてたわ」
このところリシュの感情はくるくるとよく変化する。
今さっきまで強引に泣き止んだような、落ち着かない表情だったくせに、今はもう楽しげにきらきらと目を輝かせている。
「あのね、こうするの。小指と小指を絡めてね」
リシュが右手の小指を差し出したまま、俺の右手を左手で持ち上げようとする。どうすればいいのか分からないまま、腕を持ち上げると、今度は小さな輪の嵌った小指を引っ張られる。
小指同士を、くるりと絡めあう。
「約束。破っちゃ駄目よ」
目の前でリシュは、酷く満足げに笑っている。
これが、約束?
「地界では約束するときに、こうやって小指同士を絡めて、節をつけた歌も歌うんですって。だけど、歌は私知らないから。約束よ? サイ」
笑みの形に細められた目が、ふっと遠くを見るそれに変わり、ゆっくりと何かを懐かしむような、悲しみを秘めた視線に変わる。
「これは……お父様と、お母様から教わったの」
そう言って、リシュは絡めた指を緩めた。するりと滑って、そのまま離れる。
名残も何もない、酷くあっさりとした感覚。
リシュが故意にそう感じさせたと、俺にも分かるような。
「リシュ……?」
「もうすぐ、路地から出ちゃうから。離れないと、ね」
指が離れたときのように、さっと傍らをすり抜けていくリシュの身体。
反射的に、腕を掴んで、引きとめた。
「……なぁに?」
「お前は、言わないから分からない。言葉にしろ。俺に何をして欲しいか。無茶を言われるのは困るが、お前の場合、無茶には程遠いことを一人で悩んでることがある」
さっき離れた指を、もう一度触れ合わせる。
今度は、手の平全体で。しっかりと指を絡め合わせる。
「お前が何を怖がってるのかも、何を隠してるのかも知らない。でも、俺はお前の望むことは叶えてやりたい」
「で、でも」
「じゃあいい。俺がこうしてたいから、このままだ。嫌か?」
顔を上げたリシュの表情は、かすかな拒否を含んでいるのに、どこか安堵したような、複雑な……言葉にしにくいものだ。
だがそれでも、俺が握り締めた手は拒絶しない。
暖かく俺の手の中に納まって、じっとしている。
「……行こう」
強引にその手を引いて路地から出た。
太陽の光はまぶしい。
それを見上げて目を細めた瞬間、かすかに動いたリシュの指が、俺の手を握り返したような気がした。




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