Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 29.望むもの
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 「何だ坊主、その目は。世界の色見たさに取り替えたのか?」
かすかに顔を上げて俺を見たあと、またすぐに手元へと視線を戻した爺の開口一番の言葉は、そんなものだった。
「……いくら俺でもそんなことはしない。見えないなら見えないままで仕方ない」
それがいつもの憎まれ口だと分かっているから、気にしないことにした。
隣でリシュが、どうすればいいのかとおろおろしているが……それも、敢えて見ないことにした。
俺たち天使は、歳を取らない。いや、老化がない、と言った方が正しいか。
この爺のように年老いていくのは、己の存在を、再び一から組み立て直したいときだ。
その意志が老化という変化を形作り、進行する。
もちろん、老化という道を選ばなくとも、懺悔の間にてすべてを放棄すれば、またその魂は新しい肉体を形作り、それまでの記憶を捨て、経験を捨て、やがて意識を持ち……俺たちのように、はじめから、すべてをやり直すことになる。
何をきっかけにしてこの爺が老化という道を選んだのか……それを知るすべはない。
そんなものだ。
「で? 出来てるんだろう、さっさと出せ」
「うるさい、少し黙れ」
酷い言い草に、俺はかすかに目を細めた。
いつもの場所に座って、背を丸めて手を動かす爺に、ただ沈黙と視線を送る。
日付どころか時間まで指定して呼び出したくせに……いつもの爺とはどこか違う。
「サイ……?」
「あぁ、大丈夫だ。爺が耄碌するのは当たり前のことだから」
「何だとこの青二才が偉そうな口を利きおって」
言葉と同時に何かが宙を舞った。投げつけられたらしいそれを、俺は頭上に手を伸ばして掴み取る。
手の中にある感触は、金属だ。
「……なんだ?」
「今語るべき真実は持ち合わせとらん」
わけの分からない爺の言葉に首を傾げて、俺は何かを掴んだ手を引き寄せた。
覗き込んでくるリシュにも手の平を見せるように、低い位置でそれを広げる。
それは、透かし模様の入った銀細工の指輪だった。
ちらちらと光るのは、紅……俺の、守護石だ。
「……あのでかい守護石が、こんなになるわけないよな」
「お前、わしの腕を何だと思っとるんだ? それはお前の注文の品に使ったものの余りで作ったんだ。第一、その指輪はお嬢さんの薬指どころか、親指にも嵌るまい。それは、わしからの手向けだ。何と取るかは、自由だがな」
確かに……手に乗ったそれをリシュの指と見比べれば、それだけでリシュのものではないと分かる。リシュに、こんな幅の広い重たいリングをつけさせるのは忍びない。細くてしなやかな指には、軽く、華奢で、上品なデザインが似合うだろう。
「……揃いだな、リシュ」
右手中指に輪を嵌めながら軽く笑ってやると、リシュが真っ赤になって首を振った。
「そ……そんなの、分かんないじゃないっ」
それに、私はまだサイの守護石を受け取るなんて言ってないのに……と呟くリシュは、それでも俺の手に乗ったリングの細工から目が離せずにいる。
「……おじいさん、細工が好きなんですね。ちゃんとこんな小さな指輪からでも、その気持ちが感じられるくらいなんですもの。私、楽しみです」
楽しげな響きを持ったリシュの言葉に、爺は顔を上げて意外そうな表情をしていた。
「あの? どうか……なさいましたか?」
何の反応も示さない爺を心配してか、リシュは俺の傍からそちらへと声を投げた。
掛け合いのような会話が、まだリシュには怖いのかもしれない。おっとりしたリシュは、あんな風に冷たさのない手厳しい言葉に、どんな意図があるのか分からないんだろう。
「気にすることはないぞ。普段そんな風に率直な言葉で褒められることなんてないもんだから、驚いてるんだ。偏屈な爺にそんなことを言うやつは、なかなかいないからな」
「やかましい。……ちょっと懐かしいことを思い出しただけだ。お嬢さんはあの方によく似とる」
ふっと視線を和らげた爺が、席を立つ。引き出しを少しごそごそといじって、袱紗に包まれたものを二つ、取り出した。
「ほれ。注文の品だ。紅玉は指輪に。あの石は……金剛石は、ピアスに。二組出来たぞ。カフスと、後は、こんなもんだ。久しぶりに仕事をした……こんなに手をかけたのは二度目だな」
しゃらりと目の前に突き出されたそれは、ランプの明かりに照らされて揺れた。
銀の鎖に、透かし模様の彫られたいくつかのプレートと、大胆に散りばめられた大小さまざまな輝石。……原石のままでも十分魅力的だったが、爺の手によって磨き上げられ、装飾品という明確な形になってますます、目を離すことが出来ないような、言いようのない引力が面へと現れた。
リシュが、恐る恐る手を伸ばして、石に触れる。
それをしばらく見つめて、揺れる鎖と石が光を反射する様を楽しんでいたリシュは、ふと顔を上げて爺に向かって問いかけた。
「あの……これ、金剛石、っていう石なんですか?」
「あぁ、お嬢さんは知らないのか。そうだ。金剛石……宝石を扱う職人の中では、すでに幻とまで呼ばれるようになった逸品。わしもこの石を見たのは二度目だ。これが守護につくということは、お嬢さんはあの方の運命を譲り受けたのだろう。大事になさい」
今まで俺に見せたこともないような、穏やかな表情。リシュは驚いたように目を瞬いて、それから、すぐに何かを悟ったような……秘密を共有するもの同士しか分からない、どこか謎めいた微笑みを返した。
「えぇ……そうですの。あなたは、ご存知なのですね。父や……母を。両親の持っていた物も、それが次代へ受け継がれたことも」
俺には決して分からない、そして……決して向けてくれない、何もかもを許した近しい者への表情。
「ありがとうございます。とても……美しく磨き上げてくださって。大切に使います」
リシュが広げた手の平の上に、爺の持っていたピアスが優しく乗せられた。さらさらと小さな音を立てる鎖が、また光を受けてきらめいた。
リシュが残りの袱紗に包まれた分まで見つめている間に、俺へもうひとつの包みが乱雑に渡される。
「お前のは……小指になら入るんじゃないか? お嬢さんであれば中指に入る。どうせ今すぐは受け取ってもらえないだろう。諦めてしばらくは自分でもっとれ。寂しいやつめ」
……俺への態度とは大違いだな。
溜め息をこぼして、袱紗を払う。
この口の悪ささえなければ、もっと売れるだろうに。
そこにあるのは、大小の紅玉が品よく並べられた、華奢な銀の指輪。確かに、俺の小指くらいか。手に取り、それを小指に嵌める。ちょうどいい。
「近づいているのだな。それぞれの……覚醒は」
「えぇ。変化は、何よりの証になります」
リシュが、そっとピアスをつけているのが見えた。どうしてだろう、こういった仕草だけは妙に大人っぽいリシュに、気がつくと目を奪われていた。
右耳に、ピアスを。左耳に、カフスを。
つけはじめだからだろう、不思議そうに耳元をいじっている。普段とは違う重さは、気になる。
「私は欲張りですから……もっと、早く、と、一人で焦ってしまうのです。でも、だからこそ……言えないことも増えてしまって。どうすればいいでしょう」
そう言ってリシュは、さっきと同じ、俺には絶対向けない笑みを浮かべた。
それが何を意味するのか……俺が、知る由もない。




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