Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 26.血塗れの罪
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 気がついたときには、一人その場で立ち尽くしていた。
かすかに風の吹く音がするだけで、他は何も聞こえない。
視界に広がっていた色彩も、以前のセピアよりはましになったが、やはり褪せたような妙な色合いをしている。
目の前には、元の形が想像できない肉の破片と、おびただしい血痕……いや、血だまりとでも言うべきか。
握っていたはずの懐剣は、見たこともない豪奢な長剣へと変貌していた。
紅玉と銀で彩られたそれは、圧倒的な存在感を有して俺の手にある。
こんなもの、どこから来たんだろう。持ち替えた記憶もない。第一、こんな場所にこんな剣が転がっているわけがないじゃないか。だが、現実に俺はこれであのグリフォンを肉片に仕立て上げたらしい。その刀身から柄、握った手どころか肘まで、服のあちこちにも血が飛び散っている。
何をしたのか、よく思い出せなかった。
目の奥が、収縮するように痛んで……はっとした。
「リシュ!!」
剣の重みが煩わしくてそれをその場に突き立てた。
白い羽が散らばっている。周囲をくまなく見渡して、横たわる人影を見つけた。
「リシュ……!」
青白い顔で、ぴくりとも動かずにその場に倒れているリシュの姿に、頭から血の気が引いていく。
今すぐにでも抱き起こしに行かなければならないのに。どうすればいいか、分からない。
足が、凍りついたように動かなかった。
「っくそ……リシュ!」
強引に一歩を踏み出すと、転がるように足が動き出した。
バランスを取り直して辛うじて踏み出したもう一歩、そのまま走る。
「リシュ……大丈夫か?」
横たわった体の前にしゃがみこんで、その頬に触れようとして、視界に入った血塗れの手。
白い頬に褪せた血の色が妙に気味が悪く、俺は硬直して、結局リシュに触れられなかった。
「リシュ」
「……サイ?」
目を閉じたままのリシュの唇がかすかに震えて、そこから俺の名が紡ぎ出される。
こんな……嬉しいものなんだな。名を、呼ばれるということは。
「あぁ」
よかった……リシュはここにいる。
「……サイは、無事?」
「あぁ、俺のものじゃない血塗れで、かすり傷はあるかもしれないが、大きいのは何も。大丈夫だ」
「そう……よかった」
力ない声。開かない瞳。
さすがに俺も不思議に思った。
「リシュ……? お前は、無事じゃないのか?」
「あ……うん、ちょっとだけ。大丈夫よ? ちょっと、裂けちゃっただけで、血はもう止めてくれたから。ただ……傷が、残るって言われて。見たくなくって……怖がりなの、私」
今にも泣き出しそうな、弱々しい声に、俺は息を詰まらせた。
リシュが自分のことでこんな風になるのは、滅多にない。
自分に関することは大抵、大丈夫だと嘘でも強気でかわすのがリシュだった。
「……どれくらいの傷か、見てやるから。言え」
「や……嫌」
「いいから。言え」
「やだ……見ないで」
頑なに拒否するリシュに、不安が募る。
そんなに、見せたくないほどの酷い傷なのか?
「リシュ」
「嫌」
「俺が全身くまなく探すぞ」
リシュがいつまでも言わない気なら、本当にそうするつもりだった。
さすがにこれは嫌だったらしく、リシュはしばらく口ごもって、ゆっくりと寝かせていた身体を起こした。俺にはどこかも分からない傷が痛むのか、不自然に遅い仕草だった。
「……サイの意地悪……」
「ほら。どこだ?」
「……背中」
目を合わせようとしないリシュの、背中に回る。それだけで、傷は探すこともなく簡単に見つかった。
背の半ばから腰まで、真っ直ぐに裂けた傷痕。赤黒いそれはリシュの白い背中には酷く不釣合いで、別の何かを見ているようだった。
確かに……これは、人に見せたくないかもしれない。
それと同時に、リシュがこの傷を負うことになった原因が俺にあるということを、その重さをリシュが知られたくなかったのだと悟った。
こんな酷い傷を、俺が守りきれなかったせいでリシュの体に残した。
俺がもっと強ければ……リシュは、これをこの先ずっと背負って生きていくことなんてなかった。
……責任なんて、取れるはずもない。
リシュの精霊が『残る』と言ったのなら、この傷は生涯リシュの背にあると言うことだ。
 俺は、どうすればいい?
「……サイ? そんなに、酷い?」
「え? あ……」
俺が何を言える。涙を溜めた瞳に見上げられて、潤んだ声で囁きかけられて。
俺がリシュの背中にこの傷をつけたんだ。
何と言える?
「……サイ、その目、どうしたの?」
今にも泣き出しそうだった……現に今、すくい損ねた涙がこぼれたが、そんなリシュが不意にそう呟いた。
「瞳?……いや、別に何も……リシュが、加護をくれた後、急に色が見えて、その後、気がついたら前よりは見えるようになってたが……どうにかなってるか?」
「……左、目。青く……いえ、蒼く、なってるわ。やっぱり……そうなの? サイが……」
リシュが、急に難しい顔でうなる。
俺には、何のことか分からない。
「リシュ……?」
「何か他に、変わったことは?」
何かを追求するような、その口調。今までのリシュにはありえなかった。
ますます混乱するが、リシュの問いに思い当たることはいくつかある。
「え……あぁ、かなり疲れてたはずなのに、全然つらくない。今も、だ。後は……俺の懐剣が消えていつの間にか長剣を握ってた、ってことくらいか」
「……も、しかして、その長剣って、あそこに突き刺さってる……あれの、こと?」
さっきからリシュの表情はくるくると入れ替わる。
あんなにも厳しい顔で俺を真っ直ぐに見据えていたのに、今は……また泣き出しそうに目を潤ませながら息を飲んで硬直している。
「あぁ。どこから来たかさっぱり分からないんだ。どういうことだろうな」
呟いた言葉に、返事はない。
無防備に晒される背中には、痛々しい傷。
俺の、罪の証。
ぼんやりとそれを見つめていると、急にリシュが振り返った。その直後に、背中の傷が引き攣れたのか、ほんの少し痛みに顔を歪ませる。
「大丈夫か?」
手を差し出したが、乾いた血がこびりついた俺の手を見て、つかまろうとしたリシュは一瞬動きを止める。
「あ……悪い」
「いいの。サイ、みんなのいるところまで、連れて帰って? 私、背中が痛いから、飛べないの。お願い」
引っ込めようとした手を、強く掴まれる。
しばらくそのまま見つめ合って、俺は上着を脱いだ。その下のシャツを脱いで、リシュに羽織らせる。血塗れの上着を直に羽織って、きょとんと目を瞬いているリシュに、シャツのボタンを留めるよう告げた。
背中の傷が、風に晒されるのはつらいだろう。ボタンを止め終わったリシュを、体をかがめて抱き上げる。リシュは何のためらいもなく身を任せた。こんなに血塗れの俺に、眉を顰めることもなく。
「サイ、剣。こんなところに置いて行かなくてもいいんじゃないの?」
思いがけないリシュの言葉に、慌ててそれを取りに向かう。
鞘も何もないそれを妙に持つわけにはいかず、結局リシュを担ぎ上げ、剣を片手にしっかり握ってから地面を蹴った。
首に回されたリシュの腕は、細い。
片腕で腰を支えて、それだけで酷く安定する小さな身体に、己の罪を再認識する。
リシュが何も言わないから、余計に。
まだ泣き喚いて責めてくれる方がましだ。
これは俺の罪。
血に塗れた俺の、消せるはずもない罪。




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