Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 25.堕ちていく
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 身体が、重い。
度重なる回復の呪にも反応しなくなる程度には酷使した体が、悲鳴を上げている。
やはり懐剣程度の軽いものでは、無駄かもしれない。
目の前には相変わらず、悠然と構えるグリフォン。ただ……以前と違うのは、その翼が片翼しかないこと。乾いた血の張り付いた手が、かさかさと気味の悪い音を立てた。
どうすれば、いいだろう。
まともに働いていない頭で、必死に考えを巡らす。
やはり、動物は心臓だろうか。
だが、あの巨体の下へ潜り込むことは出来てもおそらくその場でつぶされてしまう。手首から肘までもない懐剣では、心臓に届くかどうかも微妙だ。
 手詰まり、なのだろうか。
膠着状態のまま、どうすることも出来なくて、張り詰めた緊張の糸さえ切れてしまいそうだ。
もしこのまま、時間が過ぎたら。
……俺が先に消耗して終わり、だ。リシュもすぐに捕まってあの爪の餌食になるだろう。
どうすれば。
「……ねぇ、サイ。私、何が出来る?」
そっと、背後からかけられた声に返事をする。
「そこで大人しくしてろ」
ほかのことは、何も言えない。不完全な俺では、リシュを守りきれない。
「でも、それじゃあこのまま身動き取れないじゃない。サイはそんなの、嫌でしょう?」
「お前が危険な目に遭う方が嫌だ。俺はお前を犠牲にしてまで助かりたくなんかない」
今からでもリシュを逃がせば、少しはましだろうか。教官のいる場所まで引き返せれば、何とかなるかもしれないが……リシュは、ここを離れようとはしないだろう。
どちらにせよ、このままでは埒があかない。
「……じゃあ、一緒に帰れるように、何か手を打ちましょう。私だって、サイが死んじゃうのなんか、見たくない。お願い」
「……だが」
更に言い募ろうとした俺の言葉を遮るように、後ろから華奢な二本の腕が俺の腰へ回された。軽く抱き締められる。
「私は、サイのパートナーよ。サイ以外はありえないの。サイだって、私以外のパートナーなんてありえないでしょう? だから、大丈夫。絶対一緒に帰れるわ」
「……どんな理屈だ、それは」
「もし……私が怪我したとしても、サイは助けてくれるって、信じてるから。大丈夫。死んだり、しない」
背中越しの言葉。触れる吐息に、こんなにも安堵してしまう自分がいる。
……危ないことは、させたくない。たとえリシュが望んでも。
だが、リシュはリシュだ。俺じゃない。
他人の行動までがんじがらめに縛り付けて、俺は一体何をする気なのか。
……どうか、俺にリシュを守る力を。
リシュがどこでも行きたいところへ行けて、その行動を妨げることなく、守りきれる力を。
 残った精霊の力を強引に搾り出した。
わずかであっても、それは己の力の礎になる。
リシュがゆっくりと俺の隣に並んだ。
視線は、合わせない。わざわざそちらに向けなくても、今はリシュの表情が簡単に想像できた。少し緊張気味の、不安そうな顔。唇を引き結んで、前を見据えて。
「あのね、サイ」
そっとリシュが、俺の首へと腕を回した。
何事かと、視線だけでその表情を確かめる。
……唖然とした。
「私、絶対にサイの瞳を治すから。治すまで、死んだりしないから。心配、しないで?」
溶けてしまいそうな柔らかな微笑みに迎えられて、どうすればいいのか分からない。
「大地の娘から、この世界を統べる精霊たちの加護を。頑張って」
戸惑っているうちに、優しい翡翠色の瞳がゆっくりと瞬いて、薄く色づいた唇が頬をなぞり、そっと目尻に触れた。思わず、瞼を下ろす。ゆっくりと、切なくなるような速度で、唇が滑る。
まるで時間が止まったような、不思議な感覚だった。……それが、リシュの精霊によって張られた防護膜越しの景色だったからと分かったのは、リシュの唇が離れた瞬間。
いつの間に展開したのかも分からないほど、あまりに自然で、違和感のない発動だ。
ゆっくりと開いた瞼の奥で、瞳が焼けるような熱を帯びたように、感じた。
「おとりは、初めてなの。だから、なるべく早く決着つけてね」
「なっ……リシュ!!」
伸ばした手は、リシュの指先を掴んでするりと滑った。
蝶のような不安定な飛行は相変わらず、羽ばたきも軽やかで心もとない。
そんなリシュに、おとりなんて真似……仕留められる確率は高いかもしれないが、その分リシュは危ない。
……勝たなくては。
勝負は一瞬。
負けられない。リシュを、失えない。
目の痛みを無視して、深い呼吸をひとつ。舞い上がったリシュの姿は、もう見ない。
「パートナーの間に、嘘や隠し事はない……リシュは、嘘をつかないっ!!」
頭上に気をとられたグリフォンに向かって走りこむ。
身体は、軽かった。今までの疲労が嘘のように。
身を捻りながら、懐剣を構える。
一緒に、帰る。
強く思ったその一瞬に、変化は訪れた。
 世界が眩いばかりの色に満ち溢れる。
手の中にある懐剣の重みが、突然ずっしりと手に響いた。
何事かと思えば視界に入ったのは、今までの短い刃を持った懐剣ではありえない、白刃の太刀。少なくとも、グリフォンの心臓を貫くだけはある。
勢いに置いていかれないよう、刃を引き寄せ、重心を取り直してそれの身体の下に滑り込み。
掬い上げるように、突き上げる。
 途端に、凄まじい咆哮が上がった。
暴れ回るそれの雄叫びに混じって、小さな衝突音と、甲高く短い悲鳴。
深々と埋め込んだ刃を更にその身体へと沈めながら見上げたその光景は、夢のように、美しかった。
真っ青に澄んだ空を背景に、きらきらと白い羽を散らしながら落ちていく、小さな女の姿は……幻では、なかった。
「……っリシュ!!」
何も考える余裕はなかった。




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