Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 17.甘い言葉
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 風が、唸りをあげる。
緩やかに、しかし時に激しく。

 ……この世界において、風が止むことだけはありえない。
風がなければ、俺たちは空を舞うことが出来ないから。
例えかすかなものであっても、それは必ず存在している。
「すごいのね。世界って、こんなに広かったんだわ」
「いまさら、何言ってるんだ」
「いまさら、でもないんだけど。私が知っていたのは、あの東の果てのお屋敷と、周辺の泉や森だけ。それが、一瞬で街へと広がった。でも、そこまで。他のどの場所に何がいて、どんな風になっているのかなんて分からないし……だからいつも新しい発見だらけ」
優しくくすぐるような微風に、リシュが小さな笑い声をこぼしながら髪を整える。
「この木の存在も知らなかったんだから……世間知らずもいいところね」
一際強く吹き上げた風が、周囲の音を掻き消す。
 ディリュードの大木。地界ではそう呼ばれているらしい。
大木なんて軽いもんじゃない。この木は地界に根を下ろし、天界を突き破るように、支えるように枝葉を伸ばしている並外れた、いや……異様な植物。
 そんなところにどうしているのかというと。
最初は、リシュと一緒に空を目指すはずだった。それが、日の高さから考えてそんなことをしてたら帰れなくなるという結論に行き着いて、仕方なく近場でリシュの興味を引きそうな場所を回ってみることにした。
手始めにと来たこの場所を、リシュは想像以上に気に入ってしまったらしい。
「あのね、何となく、知ってる気配がするの。とってもあったかくて、包み込まれるような……」
リシュの言う気配はよく分からなかったが、これは世界を支える時空樹。
正の気、陽の気に満ちて、そばにいるだけで心地いい。
……リシュのそばにいるように。
傍らで柔らかく微笑みながら風を受けるリシュに、胸が痛む。
どうすればいい? この歪みを、穢れを。
そばにいたいのに、それだけで俺はどんどんと汚くなっていく。
汚れることは怖くない。
ただ、そばにいることでリシュまで汚してしまいそうで、怖い。
 今まで抱いたこともない感情が、なおさら俺を追い詰めていく。
幸せに笑うこと、恐怖に怯えること、不安に悩むこと。
たくさんのものを手に入れると同時に、必要ないもの、穢れたものまで溜まっていく。
もともと感情を持っていた奴らは、こんなものを最初から内に抱いて生活していたんだろうか。自分の事を『普通』だとは言えない俺には、分からない。
目を細めて木漏れ日を見上げるリシュに、言いようのない想いを込めて見つめる。
「……サイ?」
「ん?」
見つめすぎたのだろうか。リシュが、ゆっくりと視線を俺に向ける。まっすぐの瞳は、揺らぐことなくただ俺を映す。
「サイは、誰かと契りを交わしたこと、あるの?」
囁くような声に、息が止まった。
脳裏を様々な考えが駆け巡り、声が出ない。
「……あのな。契りを交わすときには、守護石を交換するんだって、言わなかったか?」
搾り出したのは、答えともつかない言い訳。リシュが満足するはずもないのを分かっていながら、俺には素直に応じる勇気がなかった。
「でも、サイは絶対、って言わなかったわ。石の交換を後回しにすることだって、あるかもしれないじゃない? 私、サイとずっと一緒にいたいって思ってる人、たくさんいると思うの。だから」
……リシュの本意が、分からなかった。
「守護石を交換したいと思うほど、大切に想った奴はいないんだよ」
逃げている。不透明なリシュの言葉の陰に隠れて、曖昧にして。
「相手に想われても、俺の気持ちがついていかなかったら……お前の両親のように上手くはいかないだろう?」
「……そういう、ものなのかしら。私のお父様とお母様は、上手くいってた、っていうか……あぁでも、そうね。契りは、お互いが想い合って初めて成り立つものなのよね」
何か懐かしいことでも思い出したのか、リシュの表情が和らぐ。
どうやら、わけの分からない追及の手からは逃れられたらしい。
……もし俺が仕掛けるとしたら、今。
「リシュ?」
「え? 何?」
軽く首を傾げる様は愛らしい。
「それじゃあ、リシュ。その石、細工からあがってきたら俺にくれるか?」
「へ?」
「俺の石は、お前の指に似合うように、細工師に頼んでおくから」
「……あの、サイ?」
躊躇うような声を無視して、俺は畳み掛けた。
「お前は、ピアスか何かで頼んでくれればいい。あぁ、両方とは言わない、片方でいいから」
「サイ? ね、待って、あの、その」
しどろもどろになっていくリシュの言葉に、微笑みを返して囁く。
「守護石。交換、してくれないか」
かーっと、リシュの顔が赤く染まる。
「駄目か?」
「なっ……だ、駄目!」
真っ赤な顔で、瞳を潤ませて弱々しく反論されても、嗜虐心がそそられるだけで痛くもない。
「どうしてだ? 俺は、こんなにリシュのこと想ってるのに」
「なぁっ……?! や、どうして? どうしてそんなことっ……」
さすがに半泣きの顔を見せられてはこれ以上虐めるわけにもいかなくなる。
堪えていたものが吹き出して、低く笑いながら、そっと柔らかな髪に触れてみた。
「……リシュは、可愛いな」
やや癖のある栗色の髪は、細く軽く、温かかった。
俺の笑い声に気づいたリシュは、どうやらからかわれたと思ったらしい、膨れっ面で俺の手から逃げる。
「もう、酷い!! サイの意地悪! サイなんて大嫌っ……」
言いかけて、はっと口を噤んだ。
「……だいきら、何?」
俺のゆっくりした瞬きのうちに、リシュの目には薄く涙が滲んできた。
虐めすぎ、だろうか。
くるくると変わる表情に、目移りしそうだ。
笑顔だろうと、泣き顔だろうと。
全部を、俺のものに。

 そうして、俺はますます歪んでいく。
「ごめん。もう言わないから、そろそろ帰ろう」
日が暮れていく。
「また明日にでも、いい細工師のところに連れて行ってやるから。疲れてるだろうけど、晩飯、頼む」
伸ばした手は、リシュの前に。
躊躇いがちに触れてくる手は、柔らかくしなやかで、温かかった。
「……これでも、本気なんだが」
囁いた言葉は、リシュには届かずに消えた。




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