Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 16.風のロンド
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 「これといって怪我はないみたいね。びっくりしたのよ、突然突き放されたんだもの。周りは見えないし、足元ですごい音がしてたし」
「悪い。お前に呼ばれたような気はしたんだが、ちょっと取り込んでた」
今までいた、もうもうと蒸気を上げる道から抜ければ、この谷はさほど危なくない。
広くなった道幅に、周囲をよく見渡してみると、確かにもう一本、ルビー鉱に繋がっているだろう道があった。狭く細いあの道は、明らかに脇道だったことがここで分かった。
だが、あそこに迷い込んだのも、もしかすると守護石に呼ばれたからなのかもしれない。
今はこの手中にある守護石だが、もしもあの侵蝕に……あれが守護石の『審査』なのかもしれないが……耐えられなかったら、俺はどうなっていただろうか。守護石が、守護するに値しないと見切りをつけた場合、そこでもうこの石を得る権利を失うってことか?
わけの分からない考えに見切りをつけて、息を吐き出した。こんなこと考えても、埒があかない。
段差の出来た岸壁にもたれかかって座ると、すぐさまリシュが体中を指で辿る。
小さな切り傷はあるが、致命的なものはひとつもなかった。
「これで、とりあえず俺は何とかなったな。次は、お前だ」
ゆっくりと顔を上げれば、リシュと目が合う。絡まった視線の先の、困惑した色が見え隠れする瞳や軽く傾げられた頭は、どうすればいいのか分かっていないのだろうと思う。
「とりあえず、エメラルド鉱に回ってみるか。そこで見つからなければ、他の場所もたらい回しにしてやればいいだけだ。時間はたっぷりある」
服の土埃を払いながら、立ち上がる。
リシュが慌ててそれに続いた。広げた翼は、相変わらず華奢で、質感がなくて、夢の中の出来事のように静かな羽ばたきで視界を遮る。
風を受けて舞い上がる姿は、驚くほど美しい。
その姿に続いて、俺も地面を蹴り、空を目指した。

 エメラルド鉱は、ルビー鉱のやや東、さほど距離の離れていない山の中腹にある。
道は狭く細く、山の洞窟内でも、どこからか風が吹いてくるらしい。
俺は火天使だから、フィフスグレードの実習で行く場所は、ルビー鉱かサファイア鉱。サファイア鉱には、水の精霊がいるからだ。反対属性の相手との実習は多いが、相互作用のある属性との演習はあまりない。だから俺は、エメラルド鉱に行ったことがない。
「どこにあるんでしょうね? エメラルド鉱」
リシュに悪気はない。分かってはいるんだが。
「……悪いな、曖昧な記憶で」
「えぇっ、あの、その、違うの、サイを責めたんじゃなくって……」
リシュの声がだんだん小さくなっていく。
まさか、落ち込んでるんだろうか。俺もリシュを責めてるつもりなんて……。
「リシュ?」
「っ……あ、や……さ、い……」
一瞬で頭の中が真っ白になった。
苦痛に歪んだ目元、喉から搾り出されるようなかすかな悲鳴、体を抱き締める指は、服を握り締めた力で白い。
「リシュ?!」
「サイ……身体が、熱いの……!」
抱き寄せたその身体は、確かに熱を帯びて、しかし震えている。
「リシュ……っ! いい、力抜け、俺が支えてやるから」
「何……これ、や、だめっ……!!」
ふっとリシュの体から力が抜けていく。それと同時に背の翼が消え、ふわりと髪が揺らぐ。
縋りつくような力に、リシュを抱き締める腕を更に強めて、しっかりと抱く。
「お願い……下に降りて。ここに、何か『ある』の……!」
リシュが指差した先は、木々生い茂る森の中。目を凝らしてみれば、そこに、小さな黒い口を開いて待っている洞窟があった。
苦痛に満ちたリシュの表情に、それが守護石の『審査』なのだろうと朧気に思う。
こんな遠い距離でもリシュを呼び寄せる。それほど、リシュに見つけて欲しいのだろうか。
触れる普段より熱い皮膚に、俺は急いだ。

 リシュが、ふらふらとおぼつかない足取りで辿る洞窟の内部は、ある種異様な光景と呼べるものだった。
仄かに明るくなった洞窟の内部は、上からも下からも鍾乳石が伸び、不思議な凹凸と光と影を生み出している。こんな場所は、他にない。
「……リシュ、大丈夫なのか?」
荒い息が、狭い洞窟内で反響する。それを聞いていることしか出来ない俺には、その事実が自分の体を痛めつけられるよりもよほど痛く感じる。それがリシュに起きているだけで十分不満なのに、俺にはどうすることも出来ない。
「大丈夫、じゃ、ないけど……私は、あれじゃないと駄目なの。あれ以外を考えられないの……」
だから、そこまでいくの。
そう囁いたリシュの声は、苦痛以上に決意が滲み出ている。止められるはずがない。
「分かってる。けど、無理はするな。急がないでいい。この洞窟……力場が安定していない。力を掻き乱されるような、妙な気配がする」
精霊を騒がせるような、一種の違和感。こめかみの辺りをざわざわと走る何かが、かすかな警鐘を鳴らす。事実、俺の精霊が周囲でざわついている。落ち着かない、浮ついた妙な感覚が離れない。
 そんな状態であっても、今の俺に出来るのは、精一杯でリシュを守ることだけ。
完全に安定したとは言い難い、リシュの力の暴走を、出来得る限り食い止めることだけ。
自分が、やけに非力に思えた。
……もっと。もっと強くなりたい。
この身一つで、リシュを支えられるほど、強く……。
「……あった。私の石……私を、ここまで呼び寄せた石……!」
不意に立ち止まったリシュの視線の先にあったのは、今まで見たこともないような、不思議な輝きを持つ石。
透き通った、水晶とはまた違う微妙な輝きを持った原石は、確かに水晶とは異なる形だ。
細工師の手に渡り、美しく磨き上げられたとき、どれほどの光を放つだろう。
……リシュと同じだ。一見何の変哲もない輝石だが、よく見ればそれ以上の美しさで、即座に魅了される。磨けば磨くほど、輝きを増す。美しくなる。
そっとリシュがそれに手を伸ばす。無造作に転がっただけの手の平大の原石が、視界を焼くほどの光を放ったように、見えた。
「あなたの力が、必要なの。眠りを妨げてしまってごめんなさい。でも、お願い。未熟な私に、大地の娘に力を貸して」
それをそっと抱き締めて、リシュが囁く。
優しく紡がれる言葉に見たものは、俺と、リシュの大きな違い。
いや、俺たちと……の方が正しいか。
リシュは、こんなときでも従わせようとしない。
俺は何の疑問もなく従え、と……そう祈ったところを、リシュは率直に願う。協力を請うだけで、決して強制はしない。
力の扱いから異なる大きな差。これは、きっとどうしようもない、必ず生じる溝だろう。
リシュはどう思えど、俺たちの根底に染みついたものが消えるはずもない。
「サイ、もう大丈夫。何だか分からないけれど……すごく気持ちいいの、ふわふわして、今すぐにでも風に乗って、高く高く上を目指して……!」
話をつけた……のだろう。リシュが溢れんばかりの微笑みを俺に向ける。
明るく晴れ渡った笑顔は、先ほどまでの苦痛もどこかへ飛んで行ったように冴え渡っていた。
「それじゃ、目指そうか」
「え?」
リシュの手を引いて、辿った道筋を引き返す。
「その気持ちが収まる前に、行けるところまで、行ってみないか……どこまで俺たちは上っていけるのか」
ゆっくりした速度で進む俺についてくるのは、さほど難しくないだろう。
やや後ろから、穏やかな視線が投げかけられている。
「どうする?」
「……行きます」
俺が一方的に握った手は、握り返される。
それだけで俺は歪んでいく。




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