Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 15.炎のワルツ
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 空に舞い上がってから、どれほどの時間が過ぎただろうか。
俺にとってはたいしたことはないが、リシュはつらいかもしれない。
「……リシュ? 大丈夫か」
風が耳元を、唸りを上げて過ぎ去っていく。それをかいくぐって、距離を縮めて囁いた。
「大丈夫、です。まだ飛ぶんですか?」
やや上がった息で応じたリシュに、苦笑する。
「もうすぐだ。見えてくるぞ」
目の前に広がっていた雲を突き抜ければ、そこは。
 熱風が顔面に触れる。ややひりついた肌を軽く撫でて、そのまま直進する。
とりあえず、俺の守護石が見つかるだろう最有力候補のルビー鉱。炎の精霊たちが生まれる灼熱の大地だ。熱く熱された空気と、切り立った狭い岩で出来た足場の下を激しく流れる超高温の川。濛々と上がる水蒸気を潜り抜けて、その突き当たった場所に、ルビー鉱はある。
 近づくにつれ、俺の力を支える精霊たちがざわめき始めたのを感じた。
少し開けてなだらかになった場所を目指して、ゆっくりと下降する。
「……みんな、喜んでる。嬉しそう。ここ、この子たちのお家なんですね」
俺には精霊の感情は読み取れない。その表情や仕草で何もかもを察知する他には方法がない。だが、リシュはそれを無意識のうちにやってのける。おそらく……精霊を『視る』必要がないんだろう。最初から精霊たちの姿を見て取れて、その声を聞き届ける。
未知の領域を知るリシュには、世界はどう映るのだろうか。
緩やかに降り立って地に足をつけ、翼を消す。
そこには、複数のペアの姿があった。
「サイくーんっ!」
あれは、確かに見た顔。リシュが力を暴走させたとき、俺を足止めした厄介な女。
……頭痛がする。
「……ソーシャさん」
小さく呟いたリシュの声に、一瞬唖然とした。
「リシュ……お前が情緒不安定になったのは、あいつのせいなのか」
思わず漏らした言葉に、リシュも不思議そうな顔で目を瞬く。
「そう、ですよ? サイ、ソーシャさんの名前、覚えてなかったの……?」
「まぁな。覚える必要のない名前は覚えない性質だ。……あの風天使の教官の名前も、お前が呼んでるのを聞いて初めて覚えたぞ」
「え、でも、私の名前は……?」
不安げに、縋るような目つきで見つめてくるリシュに、思わず頬が緩む。
「お前は……俺にとって、必要だから」
ただそう、純粋に出てきた言葉に、リシュの顔がさぁっと赤くなった。
「なっ……な、何を……!」
口ごもりながら俯いてしまったリシュが、そばにいるというだけで安堵する。
「さ……サイ君! ねっ、せっかく会ったんだから、一緒に奥まで行かない?」
曖昧な、何とも取れない表情を浮かべたそいつに、リシュがそっと身を引いたのが横目で見えた。
それだけで、俺のとる行動は決まる。
「断る」
「え?」
目の前で疑問符を浮かべた女が間抜けな表情でこちらを見つめてくる。
「……あの、サイ?」
「お前にはお前のペアがいるだろう。俺はリシュと行く。邪魔するな」
俺と女を交互に見比べているリシュの手を、掴んで、引き寄せる。
「え? えっと、その。し、失礼しますっ」
リシュを引き摺る手から、かすかな抵抗を感じた。リシュが振り返って頭を下げたようだ。
そんなことまで、してやる必要なんてないのに。
軽く息を吐いて、俺はゆっくりと速度を落とした。あの女の声が聞こえないってことは、ついてきてないってことだろう。
「え、と、その……どうして、あんな言い方したの? ソーシャさん、きっとつらいわ」
「お前を不安にさせたような女、どうして俺が気遣ってやらなくちゃならない。俺が大切だと思うのはお前だけ。俺が自分以上に優先するのは、お前一人だ」
顔は、見ない。リシュから沈黙と、俺が一方的に握った手を握り返される感触が感じられたから。それで十分だと思う。そんな風に思える相手はこいつだけだと自覚もしているから。

 ――熱風が全身に吹きつけられる。
握ったリシュの手が、ぴくん、と震えたのが感じられた。
ただ、肌を焼くような痛みを孕む風が正面からなぶるように吹きつけてきて、だんだんと濃くなってくる空気が、蒸気で重く湿っていて、足場がどんどんと狭く、切り立ってきただけ。
怯える要因なんて、ない。
「……リシュ? どうした」
「なっ……なんでもないですっ!!」
斜め後ろからの、悲鳴混じりの声。それは、恐怖、というよりは、焦り、に似たもの。
リシュの声と同時に、伝染するように耳に届いたのは、きらきらとさざめく騒がしい囁き。
「何だ……この小うるさい声は」
「え……ま、まさかサイ、みんなの声、聞こえるの?!」
みんな……とリシュが呼ぶのは、常にリシュのそばにある種族しかいない。
「これが、精霊の声……? こんなざわめき、お前、よく耐えられるな」
こんな耳の奥に残るざわめきが常に聞こえているのだとしたら、リシュの寛容さはどれほどのものなのか。
「びっくりした……会話の内容まで全部聞こえちゃったのかと……」
胸を撫で下ろすリシュの言葉と仕草に、これがそのまま耳に入っていくわけではないのだと納得する。
 リシュの力や、精霊の生まれるこの大地の影響で、俺に精霊の声を感じ取る力が一時的に発生したのか?
詳細はわからないが、たかだか言葉を聞き取るまではいかない、かすかな騒がしさを感じ取る程度の些細なものだ。ここを離れれば、このざわめきも消えるだろう。いちいち騒ぎ立てるほどのやかましさでもない。
「何を言ってるのかは、よく分からないな。ざわざわしたものが耳元で響いてる感じだ。お前には、これが言葉として聞こえるのか?」
「えぇ……そうです。火天使で、この土地の力に近しいサイの障壁が、とても大きいから。精霊たちが興奮してるみたいで……私にも、全部を聞き取ることは出来そうもないくらい口々に」
強引に笑みを貼り付けて、リシュが笑う。
一体どんな都合の悪いことを聞かされたのか。
興味はあるが、リシュは答える気もなさそうだ。こいつはこれで、案外頑固な面もある。
追求したところで、聞きたい言葉が聞けるわけでもない。相変わらず困惑気味のリシュの手を引いて、俺は奥へと足を運んだ。

 「何か……感じないんですか?」
「ちっともだな。いい加減、何か見つかってもいい頃だと思うんだが」
ますます細く、険しくなっていく道筋に、リシュの息が荒い。
こんな狭い道の向こうに、ルビー鉱なんてあるんだろうか。ここに来るまで、誰とすれ違ったこともない。間違えるような道筋があるとも思えないんだが。
周囲の水蒸気はますます熱を持ち、居心地がいいとは言えない。
視界はほとんど遮られ、手探りと気配ですべてを察する。俺の集中力も、あまりもちそうになかった。
軽く息を吐き出して、蒸気を吸って重たくなった髪をかき上げた、そのとき。
がくんと、足を踏み外した。反射的に握っていた手を振り払う。リシュが小さく悲鳴を上げて倒れ込んだ音がして、俺は持ち歩いていた懐剣を全力で傍らの岩肌に突き立てた。
がりがりと石を砕く嫌な音がして、落ちる速度が緩やかになり、やがて止まった。
上を見上げても、蒸気が立ち込めて何も見えない。翼で飛んで戻るには、この重たい空気が邪魔をする。リシュの声が聞こえたような気がするが、ここまでは、届かない。
さて、ここからどうするかと周囲を見渡し……そして、それを見つけた。
意識の何もかもを奪い去るような衝撃。体中の血を沸騰させたかのように、この胸が激しく熱い。指先から爪の先まで、震えが伝染していった。必死に、両手へ力を込めて、手の中の剣を離さないようしがみつく。
 それは、清き純潔を示す鳩の血色。最も高貴とされる色を宿した、純粋な紅玉。光を乱反射する剥き出しの原石だ。
手を伸ばせば届く岩肌から、目に突き刺さるような紅が……こちらを伺っている。
内側を隅々まで調べつくそうとするかのように、見えない触手を張り巡らされ、探られる。
歯を食いしばった。
この石は、俺のものになる。俺のものに、する。
噛んだ唇から鉄の味。生臭い臭いが口腔内に溢れた。
意識まで侵蝕される恐怖を打ち払うように、強く、強く想う。
「……俺に、従え……っ!!」
そのかすかな一瞬だけで、すべての形が入れ替わる。
ぱらぱらと、紅い石の周囲を囲う岩が崩れ落ちていく。そして、まるでコマ送りのように紅玉が岩肌からこぼれるのを見た。
とっさに、掴み取る。
紅玉から伝わる熱が、全身を焼く。精霊の力を借りる瞬間の、沸き立つような興奮が体中を麻酔のように回る。何でも出来そうな……昂ぶり。
浮ついた感情を浚うように、突然、下方から冷たい風が吹き上がってきた。
周囲に満ちていた靄が一瞬で晴れ、清浄な空気が肺へと流れ込む。
乾いた空気を吸って、大きく背にある翼を広げる。
握り締めた紅玉の澄んだ光に目をやって、風を孕んだ翼を、羽ばたかせた。
全身のバネを使い、剣を引き抜き……空へと舞い上がる。
高く、ただ上へ。
一面に、真っ青に広がった青。
鮮やかな、目を焼くような眩いばかりの光が目に収束される。
煌きに、輝きに、胸が熱い。気分が高揚しているのが、自分でも分かった。
風に身を任せてふわりと宙返りを打てば、いつの間にか炎の精霊たちに囲まれていることに気づく。きらきらとさざめく声からは、騒がしさよりも明るい温かさを感じる。
「お前たち……祝ってくれるのか?」
伸ばした腕に、群がるように絡みつく精霊を、意外な気持ちで見つめた。
「サイーっ!!」
下から耳に心地よく残る声が、そして柔らかな羽音が聞こえる。
この羽に受ける大地を渡る風とは違う、人工の柔らかな揺らぎに髪を揺らされた。舞い上がる色彩と、しなやかな重みが首へと絡められる。
「リシュ……?」
「サイ、無事? 怪我は? 大丈夫?」
泣きそうに歪んだ目には、涙が滲んでいる。相当、心配させてしまったらしい。
「よく見てみないと、分からないな。けど、石は手に入れた。これだと思える石、これしかないんだって、本当に分かるものだった」
必死の表情でしがみついてくるリシュを抱き締めたくても、懐剣と石を掴んで塞がってしまっている手ではそうもいかない。
いつの間にか青い空は消えうせて……静かに色褪せていた。
この目に取り戻したのは、一瞬の青と、今でも眩い光を放つ手の中の紅玉。
そして、何者にも変えられない女。
もう、止まらない。
胸の奥を余韻のように疼かせる痛みが、何もかもを期待させる。




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