Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 13.小さな真実
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 影がずいぶん長くなった。
目を細めて太陽をぼんやりと眺めても、そこに本物の色彩を感じ取ることは出来ない。
それがあるのは、目の前で死んだように眠りについているたった一人の女だけ。
横抱きにした体は柔らかい。温度、空気、何もかもが心地いい。
さすがに意識のない女をどうこうする趣味は持ち合わせてないが、今までになかった、ゆったりとした独占欲が満ちてくる。
他の誰でもない俺の腕の中にこいつがいる。こうしていられるだけで、安堵する。
「どうしてだろうな……他の奴らじゃ駄目なんだよ。お前……お前だけだ」
そっと髪を梳けば、風が吹いてそれを促す。ゆっくりと手を動かせば、心地いいさらりとした手触りが返ってくる。
肩を抱いた手に、かすかな身じろぎが伝わってきたような気がした。
「……リシュ?」
「……ん。サイ……?」
「目、覚めたか」
「なんか、体、痛い……」
体を縮めて、そっと擦り寄ってくる仕草を無性に可愛いと思う。
「急に倒れるから、驚いた。大丈夫か? 体が痛い他には何かないか?」
そっと体を抱き起こして、向かい合う。リシュが目を擦りながら軽く頷いた。
「うん……大丈夫みたい。ごめんなさい、ずっとそばにいてくれたんでしょう?」
「おかげで今日はまだ一食も食べてない。腹が空きすぎると音も鳴らない」
ちょっと厳しいな、と呟いた俺に、リシュが慌てて顔を上げた。
「ごめんなさい! そうだわ、ハーブティーを飲もうと思って外に出て、そのとき……」
あんなことに、と頭を垂れるリシュに、聞き返す。
「ハーブ?」
「えぇ、気が立ってるときは好きな香りのお茶を飲みなさいって、お母様が……」
そこまで言って、はっとしたように慌てて口をふさいだリシュの視線が泳ぐ。
「……いらいらしてたのか?」
一瞬、気まずげに俯いて、リシュは溜め息をついた。
「そうです。とても……悔しくて。もしかすると、それが原因だったのかもしれませんね。悔しい、なんて、いい感情ではないから」
「悔しい?」
「ソーシャさんは、あんな風に好きな人に好きって、照れずに言えて……その人を手に入れるためなら何でも出来るなんて。私はきっと出来ない。どれほどその人が好きでも、誰かにそれを聞かれるのも恥ずかしいし、独占できるほどの魅力もないし。それは、やっぱり私の持ってる好きが小さいからなんだろうなって思うと、すごく……悔しくて」
うなだれたリシュの瞳に涙が滲む。
……ソーシャって、誰だろう。
まずそこに疑問を感じたが、それよりもどうしてリシュがそんな身勝手な奴の行動に嫉妬する必要があるんだ。
 人間は、独占するものじゃない。どれほどそれを求めても、本当の意味で独占することなんて出来るわけがないんだから。……俺だって、いくらリシュを独占したいと思っても、独占することが出来ないのは分かってる。たくさんの要素に支えられて存在している俺たちが、お互いだけになってどうして生きていける。ただ、虚しいだけだ。
それくらい常識だろう。
なのに、そんなくだらないことを、どうしてリシュが悔しがる?
「……人それぞれだとは思うが、俺はそんな押しつけがましいもの欲しくもないぞ。お前は、そうして欲しいのか? そいつ以外の誰とも会えない、誰のことを考えるのも許されないようながんじがらめの感情を……それを好きなんて言葉で呼んでいいのか? お前の好きなやつは、そんなものを望んでるのか?」
「サイ……?」
「俺は嫌だ。そんなことできるわけがない。耐えられるはずがない……俺にも出来ないだろうし、きっと、相手にだって出来るはずがない。お互いが無理し合うのが愛情か?」
そんなものは、愛情でもなんでもない。ただの子供のわがままだ。お互いを同程度に縛りつけるのならまだしも、もしもどちらかがその拘束から逃れているのだとしたら、そんな不平等なことはない。
淡々と、それでも口を挟めない速度で一息に言い切った。
潤んだ瞳でじっと見つめてくるリシュの視線に、俺も同じように見つめ返す。
「お前の両親は、そんな風に愛し合っていたのか?」
俺の言葉に、リシュが涙を拭って首を振った。
「違います。お父様とお母様は、いつもお互いのことをちゃんと想い合ってたわ。とっても幸せそうに笑って、抱き締めてくれた。独占とかじゃなくて、あれは、きっと……」
信頼、だったわ。
リシュが柔らかく微笑んで、俺はただその笑顔ひとつで幸せだと実感する。
こいつがいつまでも、こうして笑っていられるように。
……こいつも俺と同じように、幸せだと感じていられるように。
「……サイも、信じてくれるの?」
「ん?」
頬が緩みかけたそのとき、リシュが不安げな口調で囁いた。
「サイも私に対して、私のお父様とお母様の関係みたいに、信頼があるのかしら? ……あんな、暴走を引き起こしてしまった、私でも」
尻すぼみになっていく声は、リシュの表情を見ずともそれを感じさせる。
……確かに、今まで知らなかったとは言えあんなものが自分の中に不安要素として存在するなんて、とても平然としてはいられないだろう。
普通ならば危険だと、排除すべきだと言うかもしれない。
 それでも。
もう、気づいてしまった。
今の俺は、こいつがいなければ生きる意味がなくなってしまう。
俺の求める色彩を宿し、俺にそれを取り戻してくれるかもしれない唯一の希望。
今こいつを見失えば、きっと、またあの惰性に乗った死んでいない生活に戻るだけ。
こうして目的を持つことを知った俺には、そんな日々が耐えられるとも思えない。
例え、こいつが何と言おうとも、周囲が何と言おうとも……俺はこいつを排除することなんて、出来ない。
そんなことは、させない。
「……そうじゃないなら、パートナーの間にあるものは何なんだ。お前は俺のパートナーだろう? 俺はお前を守ると約束した。この力を守りに使うのはお前のためだけだと決めた。……それに、お前がいなくちゃ、俺は卒業できない」
最後に茶化すように付け加えた俺の言葉に、リシュがくすりと小さく笑った。
周囲が鮮やかに、空気が鮮明になる。心地よいやや冷たい風が頬を撫でて、太陽は目に柔らかな赤を返す。空は夕暮れ前の濃い朱から薄紫へのグラデーションを描き、浮かんだ雲にまで淡いオレンジで照り返しを与えていた。
そして、この目に飛び込んでくる鮮烈な翡翠。
大粒の翡翠が、真っ直ぐに視線を向けてくる。怖いくらいの印象で脳裏に焼きついて、離れようとしない。胸を締め上げるような、この感情を何と言うのだろう。
「そうですよね。私は、サイのパートナーに選ばれたんですもの。最後までしっかり務めなくちゃ。ただ……サイと釣り合ってるのかどうかが不安だった今までとは別の緊張があるのは、ちょっと困りものだけど。私もサイと約束したわ。私の癒しは、サイのためにあるんだって。サイが怪我を負ったとき、一番最初に治せる位置にいないと、約束、守れないものね」
ほのかな明るさの木漏れ日を、夕暮れのやや赤らんだその光を柔らかに浴びて、リシュが微笑む。
どうしていいのか分からないほど、こいつのことを求めていると実感した。
こんなにもそばに、手が届く位置にいるのに、すでに触れているのに、そこから先に進むことだけは出来ないと思う。
だから、今の俺に出来ることは。
「……腹減った」
呟いた俺の言葉に、リシュがはっと家を振り返った。
「私もご飯食べてない!! 朝ばたばたしてたから、何にも食べてなかったんだった……」
声が徐々に溜め息へと変化する。
それもそのはずだ。俺と同じで何にも腹に収めてないんじゃあな。
「……なんか、食べるものはないのか?」
「あ、大丈夫です! 朝に焼いたスコーンと、シフォンケーキと……あと、サラダとか、お魚のムニエルがあったんだけど、冷めちゃったから香草焼きにでもして……それから、スープと、甘さ控えめのジャムと。卵は食べる直前に焼こうと思ってたから、サイの好きな焼き方にします。あの、入ってください!」
ご案内します、と立ち上がったリシュが、くるりと身を翻す。
広がった裾が風を孕んで踊る。
俺はこの背中を逃がさないように、壊してしまわないように大事にしなくちゃならない。
……いつかその背中を抱き締められるように、捕まえられるように。
「お前は、そうしていてくれればそれでいいんだ」
「え?」
かすかな囁きが届いたのか、リシュが振り返った。
俺は軽く首を振って否定を表すと、やや離れたリシュに向かって一歩踏み出した。
この距離と同じように、俺とリシュの距離が縮まれば楽なのに……そんなことを考えずには、いられなかった。




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