Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 12.食べ損ねた餌
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 強風に煽られながら、風の渦の中心を目指す。
そこにあるのは、栗色の髪と、かすかに揺れるフレアスカートの裾。
そういえば、今日は珍しい色を選んでた気がするな。
ワインレッドのベルベット。体のラインに沿った大人っぽいデザインが、意外なくらい似合っていた。レース使いの裾と袖口。少し開いた首元。……ゆっくり見ている間もなかった。
何とかリシュの真上まで来ると、風の抵抗はほぼなくなった。
背の翼を消して、そのまま地面へ飛び降りる。
立ち尽くすリシュの背後へ。……全身から力の抜けた、どこか存在感の薄い、今にも消えそうな儚い空気。
しかし周囲を荒れ狂う力の渦と風は、リシュと対照的に、暴力的に空間をかき乱す。
体を突き刺すような純粋な力の塊。
一瞬躊躇って……すぐさま手を伸ばした。
「リシュ!!」
かすかに、膜のようなものが俺の腕を阻んだ。
しかしすぐさまそれも通り越して、その肌に、直に触れる。滑らかで柔らかな肌に、ぞくりとした。
「リシュ……起きろ!!」
抱き締める腕に力を込める。遠くを見つめる瞳には、光がない。
身を切るようにのしかかってくる重圧は痛い。力の出所であるリシュに触れる面積が広ければ広いだけ、身体への衝撃は大きい。
それでも、離さない。躊躇する暇があったら、この暴走をさっさと止めなければ。
このままこれほどの力を放出し続けたんじゃ、リシュは衰弱で力に飲まれる。
沈んでいるだろうリシュの意識を起こさない限りは、どうしようもない。
柔らかな髪に頬を寄せて、抱く腕を緩めないようにしっかりと力を込めて、耳元に囁いた。
「リシュ……起きろ」
その瞬間に、世界がざわめいたのを感じた。
隔離された空間に満ちていくのは、溢れんばかりの歓喜。精霊の集うこの場所を、精霊たちの歓喜が包み込んでいく。
……同時に、瞳が、抉り取られるように熱を帯びる。
わけの分からない痛みと、肌に直接感じる精霊の歓喜に強く瞼を閉じた。
「リシュ!!」
混乱に飲まれながら、その名を呼んで。
びくん、と震えたリシュが、かすかに唇を開けたのが、見えた。
「……お……父様……?」
瞬いた瞳が、ゆっくりと意志の光を宿す。
「リシュ、息吸って。深く吐いて。力は落ち着けられる。昔からお前の中にあったものだ。それをもう一度鞘に納めるだけ。お前になら出来る。吸って……吐いて」
ひたすらに乱れ荒々しく吹き荒んでいた風の渦が、止んだ。
ゆっくりと繰り返される穏やかな深呼吸が聞こえて、俺はほっと息を吐き出す。
もう、安心だろう。
「……大丈夫か?」
「お父様……! じゃ、ないの……? サイ、なの?」
腕を緩めた瞬間、リシュが慌てて振り返った。
……今までに一度も見たことのない、喜びに満ちた表情。だが、その視線の焦点が定まると、見る間に不安げな……置いていかれた子供のような顔をした。
たったそれだけの変化のせいで、よかったと、安堵の気持ちでいっぱいだったはずの俺の感情は、すぐさま暗く堕ちていく。
「俺で、悪かったな」
「ちっ、ちがっ、違います、そうじゃないの」
慌てて首を振るリシュに腹を立てたって仕方ない。こいつにわざとなんて真似できるはずがないんだから。リシュの中を占める俺の割合は、それだけ少ないってことを、はっきり認めさせられる。
分かってたことだ。それでも……どうしようもなく、乱される。
「じゃあ、そんな顔するな。俺にそんなことを言わせるような表情、見せるな」
一度緩めた腕に、再び力を込めた。
首筋に頭を埋めて、回した腕で肉付きの薄い華奢な背中を辿る。
「っ……や、サイ」
「ん?」
「……ごめんなさい。違うの、さっき、サイの目が、目の色が……」
今にも泣き出してしまいそうな声に、俺は仕方なくぴったりと寄せた体をかすかに離す。
「サイの目の色が、お父様と同じ、綺麗な蒼に見えて……すごく、びっくりしたの。だから、それで……」
目に涙をためて必死に訴えるその姿に、リシュを虐めすぎたことがわかった。
「俺こそ、ごめん。お前を責める気はなかったんだ。ただ、俺が……どうしようもないだけ」
自分でも驚くほど、すらすらと謝罪の言葉が出た。
それだけ俺は、リシュのことが大事なのか。特別なのか。
「……あの、どうして、ここが?」
ほんの少ししかない空間を必死で広げようと、リシュがか細い力で俺の体を押し返しているのを感じる。それでも力ずくで俺を拒否できないのは、リシュに罪悪感があるからか。
俺は、わざとそれを無視して腕に力を込めた。
「あの、あのっ、サイ?」
「お前が楽しそうに話してた。東の果ての森に、泉があって、そこにお前が住んでた家がある。時々その泉に行く……覚えてないのか?」
ぱちぱちと瞳を瞬いたリシュは、次第に赤らんでいく顔を隠すことも忘れて、過去を思い起こしているようだ。明後日の方向に向けられた視線が、それを物語っている。
「……言った、ような気も……」
ぽつりと呟かれた言葉に、俺は苦笑した。
「なんにしても、お前が無事でよかった。……けど、何であんなことになってたんだ? お前だって、力が暴走しないように制御の方法を教わったんだろう?」
「……それが、あんな風になったのって、初めてで……こんな力が自分の中にあったっていうことが、今でも信じられないの。今までこれをみんなが解いてくれていたなんて……私、こんなものを持ってるなんて……」
俺の腕の中から、リシュが周囲を見渡す。花壇の花がいくらか引き千切られ、散々風になぶられた木の葉が水面に浮かんでいる。
ゆっくりと首を回して世界を視れば、あちこちで心配そうな眼差しの精霊たちがリシュをじっと見つめていた。……こいつが精霊たちに心から愛されているんだと、それがありありと分かった。
「私、こんな危ないものを、不安定なものを抱えているのに……たくさんの人がいるあの街にいても、大丈夫なのかしら? サイのそばにいて……」
腕の中で震えたリシュが、ゆっくりと顔を伏せた。
同時に、精霊たちがざわめき始める。何かと思った、その刹那。
「リシュ?!」
リシュの体が弛緩して、俺の体にもたれかかってきた。
慌ててその体を支え、抱き寄せる。
上げさせた顔に映る表情は、不安と、困惑、だろうか。
悲しそうとも、悔しそうとも取れるそれをただ見つめながら、俺はゆっくりとその体を抱き上げて、目についた大きな木の陰へ向かって足を踏み出した。




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