Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 09.餌に釣られて
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 最初の課題から、新しい月が一つ生まれた。
ある程度はリシュとの会話にも、色々な食材を調理して食べることにも慣れてきた。
踏み込むまいと思ったはずの相手に、こんなにも振り回され、気がつけば振り回している。
今までの俺には、想像も出来なかった自分の姿だ。
そして……あれから、リシュから目に癒しを受けたことはない。
ふと会話が途切れたら、リシュがやたらと逃げ腰になる。
あの時、こっちから触ったからかもしれない。
自分の方法に疑問を持っているのかもしれない。
どちらにしても勢いが殺がれたのは確かだ。ただの疲れなんて簡単なもんじゃないだろう。
……触れたいと、思ったことがいけなかったのか。聞くに聞けないことだから、微妙な距離が縮まらない。もどかしさに、自然と溜め息がこぼれた。

「あれ?」
朝は食べない。そう言った俺に、リシュはそれならブランチにしようと言った。
昼食を含めた少し量の多い朝昼兼用。昼食よりも薄い味付けの、胃に軽いものをたくさん揃えたリシュの作るブランチは美味い。
今日も、それを期待していたんだが。
リシュの部屋の鍵が開いていなかった。いつもならノック3回で必ず出てくるはずのリシュが、出てこないし、ノブを回せどドアは開かない。
昨日の夜も、調子が悪いような感じはなかった。明日はいないとか、そんな言葉もなかった。何か、あったんだろうか。
反射的に、例の周期を頭に思い浮かべる。違う。
だとしたら、一体……。
「サイ君! やだ、あの子の言ってたことってホントだったのね……」
振り向いた先に、女がいた。耳に引っかかる声は、記憶のどこかで聞いたことがあるような気がする。
ここの所ずっとリシュとしか口をきいていない。課題でもなければ部屋から出ないんだから、仕方ないと言えばそうかもしれない。
「……どうしてお前が、この部屋を知ってるんだ?」
「どうしてって……ってなんて言うかその、一度も見たことない子だったからこの間市場で見かけたとき、つい……」
「尾行たのか?」
「そう尾行……はっ!!」
慌てて両手で口元を押さえるが、遅すぎる。
この女、リシュよりも馬鹿だ。……いや、リシュは馬鹿じゃないな、とろいのか。
「……で? あいつはどこへ行ったんだ?」
ドアにもたれて首を傾げると、そいつが目を輝かせて笑った。
「私たちと一緒に、お菓子を作ってるの! あの子に聞いたら、すごく上手に作れてね、そう、サイ君も食べに来ない?」
……要するに、それが目的か。
「……そうだな。それじゃ、行くか」
乗ってやれば、リシュの元にたどり着けるんだったら、乗るのもいい。
腹は減ったし、リシュのいるところへ行けば何かは腹に入れられるだろう。
どうしてリシュが何でこの女と一緒にいるのか、わけが分からないんだが……うきうきと身体全体が楽しげな女の背中に続きながら、俺は首を傾げた。
 「えっ、あっ、サイ! どうしてここに……」
口々に騒ぎ立てるセピア色の女たちの声は聞こえない。リシュの驚いた声だけが、選び取ったように耳に染み込む。やっぱり、この声だ。もっと聞きたいと思う。
「腹が減ったなと思って部屋を訪ねていったがお前はいなくて、そこでばったりこいつに会った。お前のいる場所を知ってるって言うから、来た。まずかったか?」
「そんなことないです! あ、あの、それじゃここの……あ、でもこれ甘いし……」
左手にボウルを抱えて、右手に木べらを持ったままのリシュが、おろおろとうろたえる。
なんだかよく分からないが、女がたくさんいて、リシュの周りを取り囲んでいる。辺りには甘ったるい匂いが充満し、空腹に沁みた。カウンターには、色んな形のケーキ、クッキーが乗った皿が広げられ、プリンやババロア、ムースなんかもいくつか見受けられる。全部、リシュがデザートだとかおやつだとか言いながら出してくれたものと同じ。……まぁ、リシュが教えて作ったんなら当たり前だろうが。
「サイ君、これ食べてみて! 私が焼いたのー」
「やだ、抜け駆けしないでよ! これも! すごくうまく焼けたのー!」
わらわらと向かってきた女たちに囲まれて、リシュから遠ざかる。リシュの目がかすかに悲しそうな色を帯びて、ゆっくりとそらされる。
翡翠の視線が、緩やかに消えて、波打つ栗色の髪が流れる背中を向けられて。
「……リシュ」
軽く呼んでも、返事はない。
周りを取り囲まれて、身動きが取れない。煩わしい。
「リシュ」
声が聞こえない。翡翠の瞳が笑わない。
いつもはもっと近くで感じる背中が遠い。いつもはもっと近くで感じる感情が、見えない。
「リシュ」
俺の声を振り切るように、リシュがさっと動いた。
すいと屈んでオーブンの様子を見たリシュが、黄色っぽい液体の入った丸い型をそこに滑り込ませた。その隣のオーブンを開けて、天板を取り出している。そこに乗っているのは、ブランチにも時々出てくるスコーン。そうか、あれはリシュが焼いてたのか。
妙なところで納得していたら、またリシュが動いた。今度は、かまどにかけてある鍋をかき回している。何だかよく分からないが、味にも納得したらしい、火から下ろして布巾の上へ。とにかく手際がいい。普段のとろいあいつなんて、見る影もない。
そう言えば、料理してるときだけは、リシュの動きは俊敏だった。話しかけてもちゃんと答えが返ってくるし、それでも動きは止まらない。表情は楽しそうで、いつも笑ってるのに。
あんなに無表情にキッチンに立つリシュを見たのは、初めてかもしれない。
「リシュ?」
ようやく声が聞こえたのか、リシュの動きが一瞬止まって……また、緩やかに動き出した。
視線は、こっちに戻らない。
……無視か? あの馬鹿。
「サイ君ってば! こっちにテーブルを用意してあるの。座って!」
ぐい、と腕を引かれて、バランスを崩す。
そのまま2、3歩引きずられ、腕を掴んでいる相手に目をやれば、やっぱりあの女だ。
「……いい加減にしろ。俺はお前に会いに来たわけじゃない」
低く呟いても、聞く耳持たない。
周りのざわめきが、リシュの気配を消した。
 一瞬、リシュの視線をかんじて顔を上げる。だが、つい今しがたまでそこにいたリシュは既に姿もなく……俺は、リシュに逃げられたことを悟る。
胸が悪くなるような甘い匂いに、頭痛がした。
今日は、厄日だ。




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