Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 08.色を纏う
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 いくら見つめていても飽きないのは、色彩を感じられるからだろうか。
場所は、午前中に一度、こいつを抱いて運んだ部屋。
リシュの臨時宿、教官の寮の一室で、俺はぼんやりとキッチンに立つ小さな背中を眺めている。
「それにしても、教官の皆さん……ひどく驚いてらっしゃいましたね」
背を向けて、それでも表情が読めるくらいに感情の込められた声。
リシュが苦笑混じりに呟くほど、教官連中の反応は凄まじかった。
しかも、ほとんどが実物を見たことがなかったらしく、図鑑片手に大騒ぎだ。リシュはその様子を、意外そうに目を瞬きながら見つめていた。採取した当人はそれほど珍しいものだとは思っていないようだった。
実際、珍しくないんだろう。
こいつの言う『母親』の、好きな花らしいから。
摘んできた花は、リシュの作った氷の籠の中で、落ちる日の光を浴びてふわりとその蕾をほころばせると、日が完全に落ちるまでの数瞬、水晶の輝きに似た美しい八重咲きの花弁を精一杯に開いて、そっと解けるように散っていった。
崩れた花は小さく漂う霧となり、それもすぐさま、すり抜けていった風に攫われ、かき消された。
課題は、優で終了。
 それから、リシュに済し崩し的にここへ連れてこられて、今に至る。
何のためにここへ連れてこられたのか、理由さえ分からない。
手持ち無沙汰なままじっと椅子に座って、せわしなく動くリシュの身体を目で追うことくらいしか、することがない。
いったい、何なんだ。
「……好き嫌い、ありますか?」
「するほど、食材を食べたことがない。食べてみないと分からないな」
「……ファリエル教官の仰ってたこと、本当だったんですね」
いきなり振り向いて訳の分からない質問をしてきたリシュに、俺は正直に答えた。
質問の意図がつかめない。あの教官は、いったいどこまで俺のことを話したんだ。
「ファリエル教官が仰ってました、サイはパンと珈琲で生きてるんだよって。本当なんですか?」
事実だから、頷いた。リシュの溜め息が、ここまで聞こえる。
「……とりあえず、色々食べてみましょう。栄養のバランスって、大事ですよ?」
「何の話だ?」
「だから、目の話です」
「どこが?」
まったくかみ合わない会話に、首を傾げた。
どこをどうやると、栄養のバランスと目が繋がるんだ。
「サイの目に色が写らないのって、多分ストレスとか、何かの栄養が足りなかったとか、そういうのが原因だと思うんです」
「だったら何でお前はフルカラーなんだ」
「パートナーだから見つけやすいように、とか……」
間髪おかずに入れた更なる疑問に、背中を向けたままテンポよく返ってきた返事に、気が抜ける。
「冗談みたいな話だな」
「……えっと、冗談のつもりだったんですけど……」
「滅多にやりそうもないことをするんじゃない。後悔するぞ」
俺の言葉に、そうですね……と落ち込んだ風のリシュに、ついため息が漏れた。
「いいから、続きを話せ」
「……まぁ、目と食事が関係なくっても、体調って大切だと思うんです。これから、今までのAランクを越えるSランクでやっていくんですよね? だから、少しでも体調を万全にするには、ちゃんと食べることも大切じゃないかな、って思って。それに、私、ご飯一人で食べるの苦手なんです。いつも誰かが一緒にいたから。だから、今日からは」
「俺を付き合わせようってことなのか?」
リシュの言葉を引き継ぐように繋いだ俺の声を聞いて、リシュは頷いた。
「そうです。駄目ですか?」
「……俺は何も出来ないぞ?」
「そんなことないです。私は、攻撃属性に欠陥がありますから。その分を補ってもらうかわりに、私はサイに食事を作る。ギブアンドテイクって、そういうことでしょう? ……私の方が得ですけど」
にこにこ笑いながらそう言ったリシュに、疑問符が山のように浮かび上がった。
たとえ得だったとしても、そんなことは言わないもんだと思う。だが、それがリシュなんだろう。だんだんと、このズレを納得させるコツがつかめてきた。
「そうなのか?」
「だって私、料理得意ですから。危なくないですし。怪我しても治せるし」
「……俺が怪我したらどうする気だ? 放置か?」
さっきの笑えない冗談の応酬に、真顔で聞き返した。リシュは、勢いよく首を振る。
「そんなことしませんよ!! ……あ、そうだ。一度やってみていいですか?」
文章が、繋がっていない。身体を捻って振り返ったリシュが、首を傾げてこちらを見ている。主語を抜いた会話をしようと思うな。俺には分からないから。
「……ホントにお前、脈絡のない奴だな……」
「だから、あの、サイの目です! ちょっと力使ってみます。どうしてもっと早く気づかなかったのかしら?」
 言われてみれば、そうかもしれない。
天界最高の癒しの天使がいて、どうしてそれを思いつかなかったのか。
キッチンから手を拭きながらやってきたリシュが、テーブルに肘をついてぼんやりしていた俺の目の前に立った。
「それじゃ、試させていただきます……なんだか、こうやって改めて言うと恥ずかしいですけど。頑張ります!」
「恥ずかしい……頑張る……? 何をだ、何を」
確かにぎゅっと握った拳には気合いが入っていそうだが、今まで見てきた癒しは、怪我の部分に手を翳しているだけだった。何を恥ずかしがるのか。何を頑張るのか。
やっぱりこいつのことはよく分からない。風天使にとって、癒しってのはそういうものなのか。
「それじゃ、目、閉じてください。いきます……」
そっと、何かが近づいてくる気配がある。癒しを受けなければならないほど怪我をした事がない俺にとっては、これが初めてだ。多少、緊張する。
 そろそろか、と思った瞬間、瞼の上を、言いようのない感触が這った。
「っちょっと待て! ……お前、今、何した?」
反射のように、手を伸ばす。手に触れたリシュの肩の感触が伝わる前に、強引に距離を作って、目を開けた。
目の前に、びっくりしたリシュの顔がある。息がかかる至近距離で、翡翠の瞳がじっとこちらを見つめていた。
「え、と、あの……? わ、私何か変なことしましたか?!」
「変というか、違うだろう。俺が見て知ってるのは、手を翳してたぞ? 違うのか?」
「あ……え、と、その」
視線を泳がせ、指摘されたことに明確な返事を返せない理由は、何なのか。
「どうして、手じゃなくて唇が降って来るんだ?」
さっきの、瞼への唇の洗礼は、何なのか。はっきり答えを聞かせてもらわなければ、納得できない。
「あー……端折って説明していいですか?」
「分かる程度の端折りならな」
「私、皆さんと力の使い方が違うので、直接触れた方が早いんです。お母様からこの力の使い方を教わって、そのとき、癒しはこうすると効力が上がるって言われたから……!」
……それで、恥ずかしい、頑張る、か。
なるほどな。
「……あ、でも、手の平や指でも代用できるから、唇は一番大切な人だけにしておきなさいねって言われたような気も……え、言ってた? 言ってたの? やっぱり?」
後半は、おそらく周りにいる精霊たちの声に応じたのだろう。
そりゃあ、どんなやつにも唇で癒しを与えるなんて無節操なことは、普通ならしないはずだ。母親はまともだったんだな。この性格は誰譲りなんだか。
掴まれた肩のせいで身動き取れないリシュの、真っ赤になった顔と潤んだ瞳が、今すぐにでも逃げたい、そう言っている。
敵を追い詰めるときのような、ぞくぞくした快感が身体を巡る。
今までに感じたこともないような、奥底から引き出される獣じみた願望。
どうしてこう、この女は俺の神経を毒すのか。このまま腐れ落ちるはずだった感情を、強引にかき乱していくのか。
たった1日の短い接触が俺に感情を呼び起こし、求めて止まなかった色の一部まで呼び寄せた。
 なんて、面白い奴なんだ。
今にもこぼれそうなほど潤んだ目から、瞬き涙が溢れる前に、触れた唇で受け止める。
「俺への癒しは、またそのうちな」
囁きにさえ反応しないくらい固まってるのは、やっぱり俺のせいなのか。
リシュがこの状態で、さっきの行為を再開できるわけがない。
掴んだ肩から首、頬を辿って、俺の目に触れた柔らかな唇を、親指の腹で舐めるようにゆっくりとなぞる。
相手はパートナー。いくらでも機会はある。
まだ、最終学年は始まったばかり。
「……ギブアンドテイク。いいだろう。お前の癒しの力は、俺のため。俺の守りの力は、お前のため。俺以外の奴をこの唇で癒すことは許さない。その代わり、お前以外の奴に俺の守りの力は使わない。お前の身体は、俺を癒すために、俺に守らせるためにあるんだ。それ以外は、認めない。これがパートナーの契約だ。いいな? ……リシュ」
俺は初めて、その名を声にした。
それは、自分の口からこぼれたとは思えないほど、温かく……柔らかく響いた。




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