Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 06.観察
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 「あ、あの、怒ってますか……?」
「気にするな。これが地だから。さっきは顔の筋肉がいかれてたんだ。怒ってないから封筒を開けろ」
リシュが、そっと覗き込むように斜め後ろから顔を出す。
動作が子供っぽいなと思った。グレードすべてをスキップする実力があるのなら、俺くらい、場合によっちゃ俺以上の年月を過ごしてるだろうと思ったんだが、まさか3年も短いとはな。
封を開けて、リシュはそれを読み上げる。
「えっと……『課題1 月氷流華の採集(期限:明日日没まで)』だそうです。……月氷流華……? 明日……」
「何だ? 月氷流華ってのは。聞いたことのない名前だな。……明日の日没までなら、多少は余裕があるか」
今はまだ日が昇りきっていない。これから書庫に行って探してからでも遅くはないだろう。
そう高をくくっていた俺の隣で、リシュはずっと何かをぶつぶつ呟いている。
「……おい?」
「あのっ、今日って朔の日ですか」
いきなり訳の分からないことを聞いて来たリシュに、首を傾げながらも答える。
「あぁ、今日は新月だな。それがどうかしたのか?」
「大変……っ急いでください! この花、月がないと消えちゃうんです!!」
「月がないと消えるって……お前知ってるのか?」
慌てて走り出したリシュを追いかけ追いつくと、並走しながら俺は訊く。
「知ってます! 詳しいことは、後でいいですか、えと、今すぐ出発していいんですよね?!」
「そりゃ、構わないだろ。これからすぐ行くのか?」
「はい、間に合わなくなっちゃいますから!」
リシュは息切れ交じりに声を出して、それでも走り続ける。
訳が分からないまま、俺は一緒に走った。……もしこれがこいつの全力疾走なら、俺が担いで走った方が速いような気もするんだが。

 どこまでも走り続けるリシュの襟首を掴んで、俺は尋ねた。
「月氷流華とやらは、走ってでなけりゃいけない場所にあるのか?」
「え? ……あ、飛ばないと行けないところです!」
「何のために俺たちは走ってるんだ?」
「えっと……あの……何のためでしょう?」
もっと早く止めればよかった。
曖昧に微笑むリシュに、わざと大きくついた溜め息を聞かせる。
「ごめんなさい。……でも、こんなところで羽を開いてもいいんですか?」
「周りに迷惑かけなきゃいいんだ。さっさと案内しろ。今日の日没までに間に合わせなきゃならんのだろうが」
はい、と照れたような笑顔混じりに、リシュは目を閉じた。ふわり、と、背から湧き上がる光。軽く反らされたその小さな背中から、小さな羽ばたきと眩い白。思わず目を細めた瞬間、そこに具現した翼は、顔や身体よりも綺麗だった。
真珠色の艶めく翼。それに紛れて見え隠れする柔らかそうな栗色の髪。
触れたい。
衝動的に、手を伸ばして……その手を、何も掴まないまま引き寄せた。
触れて、どうするつもりなのか。冷静にならなければならない。
触れたいのは、この女が求めて止まない色を宿しているから。
リシュは実習のパートナー。ただ、それだけの関係だ。求めてはいけない。プライベートまで踏み込むようなことは、する必要がない。
……特に、こいつの第一印象から見て、踏み込めば踏み込まれる。それなら、踏み込まれるようなリスクを背負ってまで、そんなことを望みはしない。馬鹿らしい。
「月氷流華、でしたよね。こちらです。ご案内します」
俺のそれとは比較にならないほど、軽やかな羽音。すぐにでも消えてしまいそうな儚さで、宙を舞う姿は、鳥というよりも蝶のように不安定で、不確かで。
 俺の背から生み出された羽ばたきが、あいつの羽音を掻き消した。

 とりあえず、分かったことがある。
まず、こいつは正真正銘、おっとりではなくてとろい。
飛ぶ姿はあまりに不安定で、見ていて怖い。しかも、寄り道が多い。飛び交う小鳥たちに声をかけ、絡まれて足止めを食うわ、大型の鳥は怖がって俺の後ろに強引に隠れようとするわ。
東の端の森に降り立ってからも、さして長くない髪を木の枝に引っ掛けるわ、巣から落ちた雛を助けてやったのにその親につつかれるわ、蛇やら毛虫やらに大声を上げるわ、いちいち並べたらきりがないくらいのどじっぷりだ。
どうやったら、ここまでとろい、鈍くさい奴が出来上がるんだろう。
呆れてものを言う気もなくなった。
いったい、こいつの頭の中はどうなってるんだか。
今度はさっき空の上であった小鳥たちを身体に山ほどくっつけて、それでもそいつらを振り落とすまいとゆっくり、静かに歩いている。全身を緊張させて、だんだん指先が震えてきてるのに気づいているのかいないのか。
 何度目か分からない溜め息をついたら、リシュはそっと顔を上げて……頭にも小鳥を3匹ほど乗っけたまま……情けない表情で呟く。
「……呆れてますよね?」
「まぁ、あれだけ散々自分のどじを自分から列挙されれば、嫌でもな?」
そうですよね、と半べそをかいた顔。ちらりと横目にそれを捕らえて、すぐ逸らした。
なんとなく、見てはいけない気がした。
女の泣き顔なんて、どうってことないはずなのに。
俺は責めていない。事実を言っただけ。慰める理由なんてひとつもない。必要もない。
そのはずなのに、どうしてかこの空気が耐えられない。
鳥に囲まれても、いいことをしたのにつつかれても、木の枝に髪を絡めても、苦笑交じりの笑顔を絶やさず、決して泣きはしなかったリシュが、俺の態度ひとつでこんなにも変わる。
それは、嬉しいような、腹立たしいような……複雑な心境だった。
考えてしまうのは、追い詰めて問いただして、泣かせてしまいたい……そんな歪んだこと。
 成り行きとは言え、初めてこうして行動を共にする女だから。そんな理由ではない気がした。
「えっと、ぐずぐずしてちゃいけませんよね、もうすぐそこです、急ぎましょう!」
泣きそうな顔で小鳥たちに離れてねと囁いて、その羽ばたきに飲まれながらリシュが言った。
見上げた空にある太陽は、頂上よりやや低い位置にいる。
「……そうだな。ひとつめの課題から落としてたんじゃ、卒業どころじゃない」
「こちらです。枝が張ってますから、気をつけてください」
自分のことは棚に上げて、俺の心配をするリシュに苦笑が漏れた。
「俺より、お前が気をつけろ。場所を知ってるのはお前で、お前に何かあったら俺は辿りつけないんだからな」
リシュは一瞬、驚いたように目を見張ると、すぐに満面の笑みで頷いた。
「はい。ありがとうございます」
……どうか、この笑顔のまま。
蓄積していく靄を訳が分からないまま胸に溜め込んで、このとろいパートナーの背中を、追いかけた。




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