Plumage Legend 〜絶佳の奇才〜 04.めぐりあい
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 俺たちの周りに出来ていた人だかりは見る間に消えて、取り残されたのは、俺と女とファリエル。
「なにぼぅっと突っ立ってるんだい。君、僕より力あるんだから、この子抱き上げてついてきてくれる? 僕が抱いて運ぶより速いと思うんだよね」
さらりと、不思議なことを言った。
「……俺が、こいつを抱き上げて運ぶ? 何のために」
「君、パートナーをこんなところに放置するわけ? 今彼女、意識がないんだよ。とりあえず安全なところに連れて行ってあげなきゃ」
ほら、とファリエルは俺を促したが、たかがパートナーになっただけ。
いくらこいつの言っていた風天使に期待していたからと言って、俺がそこまでしなきゃならない理由にはならない。第一、安全な場所ってのはどこにあるんだ。
「ここは安全じゃないのか」
そう呟くと、奴はひどく不満げに首を振る。
「中庭の木の下がどうして安全なわけ? なんなら君の部屋でもいいよ」
「断る。どこへ行くんだ」
「この子の臨時宿。……簡単に言うと職員寮の一室なんだけどね」
養成所の敷地内にあるそこまでなら、大した距離でもない。
俺の部屋に連れ込まれるよりましだ。……女だけならまだしも、女の世話役らしいこの教官までわざわざついてくるんだろうから。
 俺は、溜め息混じりにそいつを抱き上げた。
「女の子なんだから大事に運んでくれる?」と厭味ったらしく視線を送るファリエルの指示で、担ぎ上げるではなくて、抱き上げることしか出来なかった。

 「ゆっくりだよ? ……手荒く扱ったり、下心持って接したりしたら容赦しないから。……君の無事も保証できないし」
案内された部屋は、そっけない、生活感のない部屋だった。
この女の私物らしきものがひとつもない。
ベッド、ライティングデスクに、大き目のランプがひとつ。椅子が2脚と、食事用の小さな丸テーブル。それらが、少しきしむ薄汚れたフローリングと、それを隠すように敷かれた真新しいラグの上に乗っていた。
 ゆっくりと、腕の中の女を降ろす。
抱いている間、ずっと思っていた。
軽すぎる。羽毛か何かのように、重さを感じない。温度さえも、何か薄い膜を隔てたように直接感じることが出来ず、強い違和感が付き纏うのだ。
まるで、得体の知れない、掴み所のないものに触れているような。
「……はー。何事も起きなくてよかった。サイも、無事でよかったね」
「どういう意味だ。女一人運ぶくらいでへばるようじゃやっていけないぞ」
にこにこ笑いかけてくるファリエルに、俺はむっと顔をしかめた。
いくら俺が嫌だといっても、女を運ぶのが嫌で断ったわけじゃない。俺がしなければならない理由が見当たらなかったんだ。
「ところで、さ。リシュさんを抱き上げて運んでる間、何を考えてたの?」
……ふと。真面目な表情で俺に訊いてきた教官の言葉に、俺は薄く笑って呟いた。
「いい身体だと思った。顔の幼さの割に案外な……あとは、直接触れないような感覚があった。異様な軽さだった」
最初の一言に、ファリエルは息を呑んで目を見開いたが、最後まで聞いて小さく苦笑する。
「びっくりさせないでよ。……あのね、彼女はリシュ=アリシエルさん。僕がさっき言ってた子。補助回復能力は天界でも3本の指に入ると思う。それだけじゃないんだ。彼女は、風天使だけれど風天使じゃない。彼女を守護する精霊に目を凝らしてごらん」
静かにベッドで眠っているリシュ、とかいうのに、そっと視線を向ける。
精霊を、視る。
ふわりと、浮かび上がってきた光景に目を疑った。
「……何なんだ……?! どうして水の精霊やら、大地の精霊やら、おまけに、木の精霊までいるじゃないか……!! 風天使、じゃないのか……?」
怖いくらいに、たくさんの精霊たちが女を守るように取り囲んでいた。ふわふわと、心配そうに周囲を飛び回り、不安げに女を覗き込み、女を力のベールで覆っている。
「……こいつらの力だったんだな? 何かを隔てたような感覚は」
ファリエルは両手にひとつずつ椅子を持ち、ベッドのそばに音を立てないよう静かに下ろした。片方に座るよう促され、そいつも座る。
「そういうこと。彼女は、大地の娘。この世界を構成する自然そのものに愛された、奇跡の子。だから、彼女は力の使い方を知っているし、その力の大きさは計り知れないものがある。納得した?」
「……まぁ、今目の前に広がってるからな、実際」
納得というより、受け入れざるを得ない。
「リシュさんは、まだ生まれてそんなに経ってないらしい。精霊に鍛えられた時間は、おおよそ5年。……とは言っても、彼女にそんな時間感覚はないから、精霊たちから助け舟出されてたけど」
「精霊と会話するのか?」
「そりゃあ、大地の娘だからね。彼女は、精霊を『使役』するんじゃなくて、精霊に『協力』してもらうんだって。だから、精霊との会話は必須条件。僕たちにはない可能性が、彼女には山ほど詰まってる。……今いる天使にない可能性を秘めてるのは、これで二人になったわけだ」
死んだように眠る女。顔の造りは、過ごした年月の短さを納得させるだけの幼さがあった。女になりきっていない、だが少女からは脱した中間の美貌。あどけなく純粋な雰囲気に、整った顔貌……すれ違って分かるのではなく、じっと見ていて自然と気づく、そんな控えめな美しさがある。
「ところで、この女は何であんなところで倒れてたんだ?」
「あ、いけない。一番話しておかなきゃいけないことを忘れてた。リシュさんは、5年で扱いきれるような小さな力を抱いて生まれてきたわけじゃない。5年ではとても掌握しきれない、まだ不確かな部分が残っているらしい。……それが、攻撃能力の封印だと思う。攻撃能力が封印されて、自動展開する保護障壁なんかも全部閉じちゃってて、その分そっちに回されるべき力が有り余ってるわけ。で、その有り余った力が爆発しそうになると、精霊たちが障壁を張って、溢れそうな力を処理してくれるんだって。そのとき、彼女の意識がなくなるんだ。周期は大体、10日に1回。だから、もし彼女を乱暴に扱うと、精霊たちが処理してる力の欠片を放出して、僕たちに危険が及ぶ。言ったでしょ、大事に扱ってねって」
そういう意味だったのか、あれは。
まったく……厄介なのを捕まえたもんだ。
「大体、1刻くらいで終わるって、言って……あぁ、そろそろかな?」
小さく、女の瞼が震えた。
そっと、押し上げられるその向こう。
夢から醒めるのを拒むように、いまだ夢の中を彷徨う穏やかな翡翠が一対、瞼の奥で見え隠れする。
……翡翠?
翡翠は見たことがある。穏やかな、少し白みの混じった明るい緑。
だが、それがどうして分かる?色を失った、俺の目が。
心臓が激しく脈打っているのを感じた。じわりと汗がにじみ出る。
「……おい。この女の目の色は?」
隣で、じっと女の目覚めを待っているファリエルに聞く。
「え? リシュさんの目は、綺麗な翡翠色だよ。それも、極上品のね」
……だが、目線を向けたファリエルの色は何一つ分からない。
いつもどおりの白と黒。
「ん……」
小さく漏れ聞こえた声に、顔を向けた。
「……あれ? ここ……ファリエル教官と……あなたは……?」
視線が、絡まる。
瞳の翡翠、透き通る乳白色の肌、頬をくすぐるように波打つ栗色の髪。
――手を伸ばす。
見開かれた瞳はやはり鮮やかに色を宿し、触れても夢幻のように消え去りはしなかった。
 そこに、色がある。
あまりにも強烈に、目を焙るように熱が伝播して。
色が。あんなにも欲した色が、目の前に、ある。
「うわ、ちょっ……サイ?! 何してっ」
「視えるんだ!!」
淡いクリーム色の衣装、その濃淡まで、この女の何もかもが色づいて、鮮やかに描き出されて。
「……視えるんだ。この目に、色がある。この肌に、色がある。どれだけ俺が求めても、見つからなかった色が、ここにあるんだ……!」
「視える、って……原因不明だったのに、どうしていきなり」
腕に抱き込んだ体は、柔らかく温かかった。違和感のあった膜はすでになく、人肌の感触、布の手触りがある。日の光に照らされて、翳った部分の陰影まで、何もかもが鮮明に。
眠りから醒めたばかりの瞳は、混乱よりも戸惑いの色が強い。
「あの、あの……あなたは……?」
困惑気味の声に、そっと距離を作る。不安げに揺れる、翡翠の瞳。
欲しい。どうしても、この女が。
「サイ=ザイエル。……お前の、パートナーだ」
呟いた俺の言葉に、そいつは目を瞬くと……穏やかに微笑んだ。
「私は、リシュ=アリシエルと申します。サイさん。これからよろしくお願いいたします」




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