王子様たちと私 後日
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 静かに夢を漂う彼女の元に訪れたのは、美しい銀の髪の女性。
柔らかな丸みを帯びた体に、しなやかな四肢。黄金律を奏でる美の化身とも言うべき姿が、そこにあった。
『……歌姫。そなたの歌声に飲まれし哀れな者の魂は我が預かり、それを清めた。この者に新たなる生を……今度こそ、清らかに正しく生きるように。すべてはそなたらにかかっておるゆえ、育む道筋を誤らぬようにな』
女性は目の前にいる己へと、腕に抱いていた小さな白い布にくるまれたものを手渡す。
わけも分からないまま腕にその包みを受け取って、いったい何なのかと訊ねるために顔を上げる。
……そのときすでに、女性の姿は跡形もなく消え去っていた。


 目を覚まして真っ先に見えるのは、愛しい人の黒髪か寝顔だと思っていた。
しかし、まだ重たい瞼を上下させてみても目の前は白いふわふわした何かで塞がれている。
ゆっくりと腕を持ち上げ、目をこする。
もう一度、その不思議な物体を見つめた。
それは、頭。小さく丸まった体は、柔らかそうな純白の産着で包まれていた。
はっきりしない意識の中で、それの正体はいまだつかめない。
ディオネは、ゆっくりとそれに触れないよう体を起こす。白い物体の向こう側に、朝日に照らされる黒髪があった。
つやつやと光るそれに触れたい衝動に駆られ、彼女はそっと手を伸ばす。
自分とアーサーの間に、小さな白い物体がいることも忘れて。
「ふ……ふえぇぇえええ!!」
火がついたように泣き出したそれに、ディオネの目が一気に冴える。
同時に、耳元で大声を張り上げられたアーサーが飛び起きる。
「何だ!!」
「え? ……なんか、よく分からないわ」
何かしら、と穏やかに首を傾げる間も、その白い物体は泣き続ける。
「……ちょっと待ってくれ……なんで、何の脈絡もなくこんなところに『乳児』がいるんだ?!」
ディオネとアーサーの間に堂々と割り込み、厚かましくも泣き喚いているのは白い産着に包まれた白い髪の赤子だった。
「……私とアーサーの赤ちゃん?」
訳が分からん、と頭を抱えたアーサーに、ディオネの収拾つけられない誤解が追い討ちをかける。
「……俺とお前が子供作る方法は、俺がお前の両親に挨拶に行ってから、じっくりと、手取り足取り教えてやるからまぁ今は置いとけ。その気の抜ける方向には絶対考えるな」
もう何も考えたくない、と彼は呟いて、息を吐き出す。
「とりあえず。泣き止ませないとやかましくてかなわんな」
相変わらず状況が把握できず、ぼんやりと腕の中の白い塊を見つめていると、アーサーがそれをディオネから掬うように抱き上げた。弟がいるからか、その動作には迷いがない。
「なんかわけわかんねぇけど、とりあえず泣きやめー。もし王太子どのでも来たら、俺死ぬと思うから」
まさかそんな、とディオネが答える前に、その考えはあっけなく覆された。
「アーサー、起きているか? 入るぞ……?」
ノックの音が部屋に響き渡る。
もともと開いていた鍵は意味を成すはずもなく、扉はあっさりと開いた。
扉が開き、閉じる音、そして、ゆっくりと絨毯を踏む軍靴のかすかな音が耳に届いた。
「いったい何の騒ぎだ、アーサ……」
寝室につながるドアから、紅葉色の髪をしたオークがそっと顔を出した。ベッドに座り込んでいるディオネと、目が合う。
彼は、酷く固い動作で視線を移動し、泣き叫ぶ赤子を抱いたままで固まったアーサーへと、焦点を定めた。アーサーの姿は、半裸に近い寝巻きだ。
「……アーサー。俺は確かに、責任を取って来いとは言ったが」
かすかに震える拳が、彼の感情をあらわにしている。普段はそれほど露骨に感情表現する人ではなかった気もするが、一体どうしたことだろう。
「っ誰が自室に歌姫を連れ込めと言ったのだ?! お前はそこまで堕ちたのか!!」

 今までのアーサーの言動のせいでそんな言葉が出てくるのは仕方ない。
しかし、アーサーにしても今回ばかりは誤解であり、耐え切った自分を褒めてやりたい気分でさえあるのに、それをオークに叱られては怒りを通り越して悲しくなる。
「……あの、もうちょっと、状況を見てください。そんな雰囲気、あります?」
確かに、朝目が覚めて彼女の姿を最初に映すことが出来るなら、甘く朝の挨拶でも交わすところだが、今はそれどころではない。
「あーもう、泣くな。ディオネ、ちょっと抱いててくれ。これじゃらちがあかねぇ」
相変わらず状況の飲み込めていない表情で間近に迫った彼を見つめ返すディオネに、無理やり空けた手で後頭部を押さえる。
「ほら、いい加減起きろ」
額に触れるか触れないかの口付けを送って、腕の中の赤子を強引に抱かせる。
「え……え、あの、アーサー、ちょっと、この子どうすれば……っ」
素早くベッドから降りたアーサーも、突然のことに思わず振り向いた。
今の今まで泣き止む気配などかけらも見せなかった小さな珍客は、ディオネの腕の中で余韻のようにしゃくりあげながらも、しっかりと泣き止んでいたのだ。
「……お前、何したんだ?」
「何もしてませんっ!! 私だって、どうしてなのかちっとも……っやだ、い、いた……お願い、引っ張らないで?」
彼女の腕の中で大人しくなった赤子は、すでに興味を彼女の肩口から流れる銀糸に移して、小さな手で一生懸命それを掴もうとする。大きく開けた瞳の色は……真紅。
目に飛び込んできた色彩に、思わず悲鳴に似た声がこぼれた。
「ナイン……アルス」
「まさか……そんな非現実的なこと、起こるわけ……」
アーサーが覗き込んだ、その赤子の持つ色は、新雪のような髪、そして、血に濡れた紅い瞳。
それは、まだ肌に残っている記憶。
「なっ……なんであいつがこんなちびになってんだよ!! っつーか、もしそうだとしたらお前が抱いてやることなんてないぞ、お前にあんな真似したんだからな!!」
数にしてみればアーサーの方が多いと思うのだが、彼はそんなことお構いなしにディオネの抱く赤子を取り上げる。
「やっ、アーサー待って、髪が……!」
分別のつかない赤子が、手加減などと言う言葉を知っているはずもない。容赦なく引っ張られる痛みに、ディオネの目に涙が滲む。
すると、突然赤子は握り締めていた指をほどいて、その銀糸を解放した。
小さな言葉にならない声で、精一杯伸ばした手でディオネを求める。
緩んだ表情は、何の穢れもない純粋な笑顔。
そして、彼女が思い出すのは、夢の言葉。
「……アーサー、あの、この子はね、女神様が私たちにお預けになったの。今度こそこの子が道を誤らぬように、今度こそ幸せな生を歩めるように……」
あの声は確かに、『涙』が暴走したときにそれを抑えてくれた人の声だった。
柔らかく耳朶を打つ声は、すべてのものへの溢れんばかりの愛情が込められていた。
それは……大きな過ちを犯したものに対しても、等しく注がれる。
「……なんか納得いかねぇけど……お前がそういうんなら、そういうことにしとく」
彼女の言い分に、納得したような納得できないような、中途半端な気持ちを抱えて唇を尖らせ、腕の中の小さな命を抱きしめる。表情や声とは裏腹に、その雰囲気は穏やかだ。不意に和らいだ視線で、彼女に笑いかけようとした、その瞬間。
「……アーサー。気は済んだか?」
突然、アーサーの背中に声が投げかけられた。
低く耳を通る押し殺した感情に震える声音が、どうしようもなく恐怖をあおる。ぎしぎし、と音でもしそうなぎこちない動きで、アーサーは振り返る。

そこにいるのは当然、満面の笑みを浮かべたオーク。
「……えーっと……その……と、とりあえず、誤解です!!」
「何がだ?」
「いや、だから、その」
歯切れの悪いアーサーをまっすぐに見据えて、しかし微笑みはそのままに。
「まぁ、ちょっと来い。悪いようにはしない」
「……笑顔が怖いのは気のせいにしていいですか」
「しておけ。……歌姫殿。……いや、ディオネ王女。ご挨拶は、後ほど改めまして。月の国王のご容態を見に参りましょう。……さぁ、アーサー」
すっかり元気のなくなったアーサーは、それでも促されてしぶしぶとオークの方へ歩み寄る。
「……その子は置いていくんだぞ」
くぎを刺すように念を押した彼の言葉に、アーサーは泣きたい気持ちでその背を追いかける。


 「……嫌な夢だった」
飛び起きれば、そこは自室。さっきとは違う別の時間だ。
額にわずかににじんだ汗を拭い、思わずベッドの上を見回す。
白い頭も産着もない。あるのは、シーツの波にまぎれた長い銀の髪と、愛しい少女の穏やかな寝顔だった。
何と、現実的な夢だろうか。夢の中の出来事とはいえ、あれが現実だったらと思うと寒気がする。
夢ではたくさんの邪魔が入ったが、今は……現実にはこうして、二人きり。
彼女の目が覚めたら、真っ先におはようを言おう。
夢の中では、それどころではなかった。
現実は違う……そう納得するには、違う事実を作ることが一番手っ取り早い。
ゆっくりと、眠る少女に近づいた。
「……ディオネ」
額を流れる髪をそっと払って、口付ける。彼女が手に入った……その事実がようやく自分の中に染み渡る。
「ん。……う……」
小さな声が、珊瑚の唇からこぼれだした。
「目、覚めたか?」
緩やかに目を瞬きながら、寝起きのぼんやりした表情で見つめてくるディオネに、笑みを送る。
「アーサー……」
「あぁ。おはよう」
ゆっくりと体を起こしたディオネの肩から、さらさらと鳴りながら銀糸が流れ落ちた。
カーテン越しの薄い朝日を浴びながら、輝かんばかりに美しい肢体を惜しげもなくさらす彼女が、いずれこの腕の中に……そう考えるだけで、身体は甘い疼きに支配される。
「おはよう、ございます。……あの、えっと」
「ん?」
「これから、どうぞよろしくお願い致します」
起きて早々ぺこりと頭を下げたディオネに、思わず苦笑がこぼれた。
「こちらこそ、よろしく」
顔を見合わせて笑いあう。
静かに流れる時間は、永遠に続く。

 ……はずがない。
「王子! 例の客室で、突然赤ん坊の泣き声が上がったので進入してみると、本当に赤ん坊がいたんです!! あの煤だらけの部屋に、真っ白な産着を着た、白い髪と赤い目をした男の赤ん坊です!!」
「王子! 例の客室から運んだ男性がお目覚めになりましたので、お呼びに上がりました! お元気そうです!!」
ノックもそこそこにアーサーの部屋へと飛び込んできた二人の兵士は、目当ての人物が奥の寝室からなかなか出てこないことに顔を見合わせる。
出過ぎた真似だとは思いつつも、念に念を入れて言いつけられた事柄を伝えに来たため、きちんと聞き届けた旨を伺わなければ、引くに引けないのだ。
何をしでかすか分からない『狂王子』が相手なのだ、用心に越したことはない。
「あ、あの、王子……?」
「っだーもう何で現実は俺とこいつを二人っきりの甘ーい時間に浸らせてくれねぇんだ我慢ならねぇっ!! 畜生っ!!」
ばたーん、と勢いよくけり開けられた寝室のドアに、目の前まで迫っていた二人の兵士は怯えて大げさに後ずさった。
そこにいるのは、ボタンを留めるのも早々に、まだ寝乱れたままの髪を乱暴に直しながら凶悪な視線で兵士をねめつけるアーサー。
そして、奥からひょこんと顔を出している、類稀なる美貌の少女……それは、誰もを魅了し、忘れさせてくれない月の精。
『……歌姫様が何故ここに?!』
声を合わせて叫んだ兵士に、アーサーの怒りは頂点まで達した。
「えーいもうなんでこんなに世のしがらみは俺たちを邪魔するんだ!! ディオネ、来いっ! 今すぐにでもお前の親父さんとこに挨拶に行ってやるっ!!」
「えっ、えっ、きゃあ! ちょっと、待ってアーサー?!」
羽織らせていた膝までの長い上着ごと、彼女を包み込んで抱き上げる。
悲鳴は驚きよりも恐怖の割合が高そうだが、気にしないことにした。
「おーいお前ら、目の覚めた客間のお方のところに案内してくれ。あ、しっかり敬うんだぞー。あの方は、月の王国の国王陛下だから」
ほら、急げー、とアーサーに追い立てられて、兵士二人はわけもわからず目当ての客間に向かって走り出した。
アーサーの言葉を理解して、悲鳴をあげながら。
「何でそんな方がこんなところにいらしてるんですかっ!!」
「あの荒れ果てた部屋となんか関係あるんでしょう! 王子!! しっかり説明していただけるんでしょうね?!」
気色ばんだ兵士の走る背中を追いかけながら、アーサーは薄く笑みを浮かべる。
腕の中の温度が、その手からすり抜けることはないのだと、今なら言えるから。
「ディオネ?」
「え?」
しがみついて顔を伏せていた少女が、ゆるりと面を上げる。
視線を絡ませて、どちらともなく微笑みあって。
「幸せになろう」
「約束」


そして、歴史は次なる世代へと移り行く。




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