王子様たちと私 心躊躇う部屋・偽りの理由
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 そこは、年相応の落ち着きのある部屋だった。
やや暗めのベージュで統一された広い部屋、その奥にある小振りの扉を抜けた先に、アーサーたちはいた。大きな広いベッドは、同じく落ち着いた色合いでまとめられ、サイドテーブルに置かれた一輪差しからは愛らしい白の花が覗いている。
「とりあえず、お前も聞いてただろうけど、さっきの部屋に残してきちまった……お前の父さんは、新しい部屋に入ったから。ちゃんと医者もついてる。そこんところは心配するな」
ディオネが小さく頷いたのを確認すると、アーサーはほっと安堵の息を吐いた。
 あの部屋で起きた不思議な出来事、光の洪水が収まると、目の前に呆然と立ち尽くすディオネがいた。
彼女の着ていたワンピースは、所々裂け引き千切れて見るも無残な有様。部屋は台風とぼやが一気に来たような悲惨な状況。アーサーはひとまず自分の上着で彼女を包み込み、荒れ果てた部屋から連れ出すと、すぐさま王宮兵士を呼んだ。
詳しい事情は後から話すから、とりあえず部屋の中にいる男性を客間へ運び医者に見せて欲しい、診断の結果は部屋まで知らせてくれと言いつけると、その足で、ディオネが誰の目に触れることもないように、細心の注意を払って自室までやってきたのだ。いまだ頭は混乱の真っ只中にある。
 それでも、アーサーにとっての最優先事項は、目の前で顔を伏せている大切な少女だった。
「……もう、泣き止めそうか?」
気遣うような優しい声に、彼女はそっと首を振る。
「えーと……気持ち落ち着くだろうから、風呂でも入ってくるか?」
また、彼女はまた首を振る。
お互いが引くに引けない微妙な距離を保ちながら、ベッドに座り込んだ二人は一方的な問いと、首の動きによる肯定か否定の応対で会話を強引に成り立たせていた。
「そうは言っても、服はちょっと悲惨な感じだしな? 俺の目にもかなり有害だし……入った方がいいと思うんだ。あんまり我がまま言ってると、俺が風呂入れるぞ」
一呼吸置いて……彼女は小さく頷いた。
「……おいこら、まぁ待て、冷静になってみろ? 確かに、俺は入ってみたいっつーのが本音で準備もばっちりオッケー……っていやいやいや俺は何を言ってるんだ。だけど別にそれを強請したりはしないし、ってかしてないじゃないかちっとも。風呂だぞ? 体見られるんだぞ? もしかしたら、さっきの奴みたいに」
「言わないで。あの人のことは言わないで。お願い」
急に感情を切り離した冷たい声で、言葉を遮るように一息に告げられる。一瞬言葉に詰まって目を見張ったアーサーは、長く細く息を吐いて、再び口を開いた。
「……とにかく。さっきのはちょーっとびっくりさせようとしただけなのに、何で俺が逆に焦らなきゃならねぇんだよ。……ここは俺の部屋だから。好きなだけ泣いて、好きなだけ声上げて、落ち着いたら……とりあえず風呂入って来い一人で。いいな?」
三拍ほど置いて……頷いた。
その様子にほっと安堵のため息をついて、アーサーは少女を抱き寄せた。
「ただし、あとでちゃんと説明と、釈明と、返事。聞かせるんだぞ。……ディオネ」
しばらく返事がなくて……けれど彼女は、しっかりと、頷いた。

 体中を、彼の高くもなく、低くもない甘い声が、ゆったりと巡っていく。
血の巡りと共に、鼓動に伴って、全身、隅から隅まで、優しく、暖かく、心地よく。
涙は、いつの間にか枯れていた。声は……思ったほど出なかった。
今は彼の声と、その体の温度と、抱き締めてくれる腕の優しさだけが、知りたかった。
もっとそばに抱き締めて欲しい。もっと近くに感じたい。
けれどどうしてだろう。抱き締められるだけでは、これ以上のものは求められそうになかった。
 ……それなら、自分が近づけばいいのだ。
自分が満足するところまで、自分から。
もたせかけていた体を、ゆっくりと起こす。何の役にも立っていなかった腕を、彼の肩まで持ち上げる。そこに乗せて。首の後ろへと回した。
「……おい? ディオネ……?」

「……近くに、行きたかったの」
それは、甘えるようなうっとりする声で。もっとそばに近づきたいのと切なく求められているようで。
思わずその体を抱き上げて、胡座をかいた自分の足の上へと降ろした。
 愛らしい顔が、目の前にあった。甘い声を囁く唇が、息の届くところにあった。優しい瞳が、こちらを見つめていた。温かい手が、背に回されていた。柔らかな体が、そこにあった。
強く、目の前にあるずっと抱きたかった彼女を抱き締める。
「……アーサー、あの、痛い……」
苦しげに息を詰まらせた声で囁かれ、ようやく我に返った。
「ご、ごめん……! 大丈夫か?」
「うん。あの、お風呂、入ってくる。大丈夫」
ゆっくりと密着していた体が離れる。温かい温もりはまだ腕の中に残っている。
それを実感しながら、アーサーは小さく頷いた。
「分かった。待ってるから、ゆっくりして来い。ちゃんとあったまれよ。……あぁ、着替え。……後で替わり持ってきてもらうから、とりあえず俺のガウンでも持って行っとけ」
荒れ果てた彼女の使っていた部屋に、無傷の服が残っているとは思えない。
自分と彼女と、バルコニーで気を失っていた……月の王国の国王に見えた……人が、何の被害も受けなかったのは不思議だが、あの腹立たしい血色の瞳の男の行方はますます不思議だ。部屋を出る前に、隠れる場所のない部屋を見回してみたが、人間は確かに国王一人しかいなかった。
第一、あそこで何が起きていたのか……自分に分かるのはただあそこに女神が舞い降り、ディオネが連れ去られるかもしれなかったということだけ。
あとは全て、ディオネの胸の内だ。
彼女が、全ての謎を解く。
 そっと少女がベッドから降りたのを見送って、アーサーは人を呼んだ。
彼女の父王の様子も気になるし、ガウン一枚で出てこられては精神的に耐え切る自信がない。
やってきた侍女に、月の国王の様子を伺ってくることとディオネの着替えを頼むと、アーサーは所在なさげにベッドに倒れ込んだ。

 アーサーから預かったガウンは、ぶかぶかだった。後から誰かが脱衣所に持ってきてくれたのも、着た気がしない薄物。姫巫女として、神殿で禊をするときに着るそれに似ているな、とぼんやり思った。
ガウンの隙間から入る空気が急ごしらえの薄物の間を通り抜けて行く。
なんだかすぐに湯冷めしてしまいそうで、少し不安になったディオネは髪をしっとりと濡らす水分をタオルで拭き取りながら、アーサーの待つ部屋へと戻った。

 着替えは、どうやら大きすぎたようだ。
心許ない表情で、とりあえず渡しておいたガウンの袖を何度か捲り上げて。
あの下に、さっき侍女が持ってきた薄い寝巻きしか着ていないのかと思うと緊張する。
タオルで髪を包んだまま現れたディオネの姿に、アーサーはどうしようもなくなって目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をした。


 「……髪、拭こうか?」
おいで、と腕を広げるアーサーに、ディオネは自然な気持ちで身を委ねる。
温かい腕が体を反転させ、彼に背中を向けるような形でベッドサイドに腰掛けさせられた。
タオルを、取り上げられる。
優しく、ゆっくりと丁寧な手つきで髪をなでる彼の手を、タオル越しに感じる。
「……気持ちいい」
「そうかぁ? ……変わってるヤツ」
どちらともなく笑い声がこぼれる。秘密も黙っていたこともこれから全てなくなってしまう、その事実があるだけで、こんな風に笑い合えるのだろうか。
「……ねぇ、アーサー」
「ん?」
相変わらずディオネの銀の髪の雫を丁寧に拭き取りながら、彼は軽く応じる。
「怒ってる?」
「怒ってた」
「……ごめんなさい」
しゅん、と俯けた頭を、軽く拳で小突かれた。顔を上げると、彼はにやりと笑う。
「だから、怒ってたんだって。ちゃんと過去形だろ? 今は怒ってないの。分かったか?」
念を押して、きちんと理解したかどうか、しつこいまでに確認するその態度に、ディオネは苦笑する。
「うん。……でもやっぱり、ごめんなさい。負の感情って、あんなにも暗いのね。深いのね……知らなかった。あなたのことも、その……避けて、逃げてたし」
「いいよ。逃げられて当然のことしたから。“光の歌”怒ってなかったか?」
「大丈夫。シング、もし怒ってたらアーサー無事じゃないだろうし」
さらり、と告げた言葉に、彼の顔から血の気が引く。
「俺のまわりはどうしてこう厄介で危険で変な奴ばっかり……」
「類は友を呼んでるんだと思うの。私。シングも言ってたし」
ふふ、と微笑んで見せると、彼は何だか悔しそうな舌打ちを一つ。
そして、ゆっくり動いていた彼の手が、ぴたりと止まった。
突然の静止に、ディオネはどうしたの、と振り向いて。
……ふわり、と、言葉ごと唇を攫われる。
「っ……あ……アーサーっ!!」
「怒るなよ。ちょっとした出来心だろ」
「出来心って……!」
あまりにも突然な唇の応酬に、ディオネは怒りたいような泣きたいような、複雑な感情で頬を赤らめる。そんなディオネに満面の笑みを向けて、彼は笑う。
「さっきの不愉快な発言のお返しだ。あんなのと一緒にされるなんて心外だ」
「……シングよりひどいわ……」
心の中で考えたつもりがうっかり言葉になってしまったらしく、ディオネがはっと唇を両手で押さえる。その様子を一点の曇りもない笑顔で見つめて、アーサーは再び額に唇を落とした。
「それじゃ、聞こうか。あの最低男は何者か、俺があそこに行くまでに何があったのか、あの光は何なのか。綺麗さっぱり吐いてもらうぞ?」
これを喋らない限りは引かないからな、というアーサーの言葉には強い真実味がある。
話さなければ、このまま何かとんでもないことをされそうな気がして、ディオネはおずおずと唇を開いた。
「あの……あの人、は。月の王国の神殿……月霞宮、で、神官をしていた人……名前は、ナイン・アルス。月の王国に生まれた人じゃないらしいんだけど、とても優秀で、実力の溢れた人材だと聞いていたわ。でも、シングが『絶対に近づくな』って言うから、今まで遠目にしか見たことはなかったの」
「“光の歌”が言ってたのはあいつのことか……」
なるほどな、と一人呟くアーサーに、ディオネは首を傾げるが、その先に何の言葉も続かないところを見て促されているのだと認識する。
「アーサーが来てくれるまで……あの人と、取引をしていたの。あの人は、新しい国を作るために、力が欲しいと言ったわ。王国に保管されている『涙』の中で最高の力を秘めたものに、女神様の力の片鱗を降ろせと要求されて……お父様の安全と、たくさんの『涙』が保管されている月の王国と、攻撃されてもっとも不利なこの国には手を出さないことを条件に、試してみることにしたの。そうしたら……びっくりするくらい呆気なく女神様の力が降りて来て、びっくりしてるうちにつかまっちゃったの」
そこでアーサーが来てくれたのよ、と淡く微笑んだディオネだったが、ひどく不機嫌なアーサーの表情にその笑みが固まった。
「ふーん」
「あ、あの、アーサー……どうしてそんなに怒ってるの?」
「やっぱり聞くんじゃなかった。聞いても腹立つだけだもんな。その先は、やっぱりいい。どうせあの光は、力の宿った『女神の涙』の暴走かなんかなんだろ?」
鋭い眼光でさらりと呟いたアーサーの言葉に、ディオネは素直に頷く。
「多分。女神様は私を見てくれていて、助けてくださったんだと思うわ。女神様はあの涙を消してしまわれて、私には新しくやり直す機会をくれた……だから今、私はこうしてアーサーの隣にいられるのよね」
そう囁いて、彼に向かって微笑むと、アーサーはほんの少し気まずげに目をそらした。
どうしたのかと小首を傾げたディオネだが、アーサーがどんな表情をしたかは見ていなかった。
「……で? 何でお前は嘘つくなって誓わせた俺に嘘ついてたんだ?」
よし、とりあえずはこれでいいか、とアーサーがタオルをサイドテーブルに引っ掛ける。ベッドに腰掛けたままのディオネは、突然ぐいっと引き寄せられ、小さな悲鳴を上げる。閉じ込められたのは、彼の腕の中。そこから見上げたアーサーは、ディオネに向かって、にっこりと、信じられないほど優しく微笑んだ。
……喋らなきゃこのまま色々してやるぞ、という視線が、何だか怖かった。
「あの、その……ごめんなさい」
「謝らなくていいから、とっとと話せ」
俺はこれでも切羽詰まってるんだ、と言われてもわけが分からないディオネは、ただ急かされて、肩を滑り落ちてきた生乾きの髪を弄る。
「私が最初から王女だって知ってたら、アーサーはこうやって話してくれなかったでしょう?」
「まぁ……それなりに猫被ったままだっただろうな。あちこち引っ張りまわしたりもしなかっただろうし」
ディオネは、それじゃ駄目だと思ったの、と首を振る。
「……お父様や、お母様、国のみんなに。不自由はさせたくなくって。ただ、私を幸せにしてくれる人でなくてもいいから……国を、みんなを幸せにしてくれる人を、しっかり自分で見極めたかったの。どうせ私は、政務にかかわれない。下手に口を出しては、間違ってしまうかもしれない。だから、私の代わりに国を導いてくれる人を、見極めなければならなかったの。……本当のところ、品定めをしようと思って」
「身も蓋もない言い方する奴だな、お前は」
彼の言い分に、けれど嘘のつけないディオネは、だって本当だもの、と泣き出しそうな気持ちを叱咤して答える。
「だって……それでも、アーサーがいいって、思っちゃったんだもの」

 彼女の、甘い告白。今までどうやって紛らわしていたのか分からないような衝動が、身体を突き動かしていく。彼女が触れるその部分だけが、焼けるように熱い。
それでも彼は、耐えるしかなかった。
こんな真似二度とごめんだと、アーサーは心の底から思い、彼女の言葉を待つ。
「見るものすべてが、綺麗で、珍しかったわ。王国で見られない、たくさんのものにも出会ったわ。静かな風にも、優しい水にも、穏やかな緑にも。……それとね、王国に降り注ぐものよりもずっと強い、熱くてじりじり肌を焼くような、灼熱の陽の光。びっくりするくらい温かく私を包み込んで護ってくれる夜の闇。色んな感情を、見つけたわ。たくさんの考え方を、色んな想いを……とても素敵だった」
過去を思い起こすように、淡く微笑んで目を閉じるディオネの頬に、そっと触れる。
彼女はくすぐったそうに頬をなぞる指から逃れると、ふわりと目を開けて、アーサーの手をとった。
「でも、私にとっての一番は、やっぱり同じ『声』を持つ……アーサーと、出会えたこと。それだけで、私は救われたの。一人じゃないって。たった一人の特別じゃないって。今思えば、すごく他人任せな考え方なんだけど、でも、そのときは私、本当に嬉しくって……何でも出来そうな気がしてたわ」
それだけアーサーの存在は大きかったの、と柔らかく微笑みかけられて、アーサーは限界が来たのを感じた。
「……頼むから、それ以上殺し文句を並べるのはやめてくれ……お前の気持ち、全部無視してしまいそうになる」
それでも軽々しく行動に移せない相手なだけに、アーサーはやはり耐えるしかない。そんな彼の気持ちもお構いなしのディオネは、ぽんと両手の平をあわせ、思い出したわ、と呟いた。
「……そう。忘れてた。アーサーに会ったら、最初に言わなくちゃいけないって思ってたのに。……でも、私汚れてしまったわ。暝い闇に飲まれて、女神様を穢したわ。そんな私が、アーサーにこんなこと言っていいのかしら?」
悲しげに眉をひそめるディオネを、アーサーが包み込む。
「その話はまた後で。俺に言わなきゃいけないことってのは何だ? それは、俺の聞きたいことか?」
「うーん……多分、そうだと思うんだけど。言ってもいいの?」
「言え。聞きたい」
目の前にあるアーサーの胸へと、ディオネがそっと額を寄せて、小さな声で囁く。
「あのね。どうしてか分からないの。でも、お父様やお母様と同じくらい、アーサーが大切だわ。ずっとこうしていたいって、アーサーの時間を独り占めしたいって、そう思ってしまうの。アーサーがいれば、何でも出来る気がする。どうして?」
「お前が俺の時間を欲しいって言うんなら、いくらでもやるよ。ただし、俺はお前の時間をもらうぞ? ……言ったはずだ。俺はお前の何もかもが欲しい、髪の一筋さえも俺のものにしたいんだって。……意味、分かってるんだよな?」
いつになく真剣な声音。不思議に思ったのか、ディオネは小首を傾げて微笑んだ。
「分からない、って言ったら、私でも分かるような言葉をくれる?」
「言って欲しいのか?」
「……歌姫で、神の子で、月の王国の王女の私でも、言ってくれるの?」
もう引き返せないところまで来ていると分かっているはずなのに、彼女は敢えて念を押した。その言葉に、アーサーは微笑んで彼女の身体を抱き締める。
「俺はお前が欲しい。愛してるなんて、綺麗な言葉は使わない。誰にも見せたくなくて、独り占めしたくて、触りたくて、抱き締めるだけじゃ足りないくらいお前が欲しい。……あいつに触られたことで汚れたって言うんなら、俺が、あいつの汚れを塗り潰すくらい汚してやる。あいつに触られた場所を思い出せなくなるくらい、俺の闇に閉じ込めてやる。お前がいくら洗っても、洗った先から汚してやるんだからな。お前の何もかもが俺のものになるまで、いくらでも」
確かめるように、ゆっくりと言葉を選んだアーサーに、ディオネは身体を預け、目を閉じる。
「……いいの?」
「いいって、何がだ? 自分でいいのかって質問なら、答えはイエスだぞ。大体、汚れたとか言うんじゃない。お前は悪く……いや、悪いか。勝手に諦めて、俺以外の男に唇奪われたんだからな。反省してもらわねぇと」
アーサーの目が、隠し切れない色を含んでディオネを見つめる。
清らかなものを、地の底まで引き摺り下ろす快感。かすかなそれを感じ取ったか、ディオネはゆっくり目をそらして、首を振ると更に続けた。
「……それは、ともかく。いいのかしら」
「ん? 今度は、何がいいんだ?」
「私、国を幸せにしてくれる人を選びたかったのに、結局自分の幸せにかまけてしまってる。ここに来たのは、そのためだったのに。……アーサーは私じゃなくて、国のみんなを幸せにしてくれる? お父様やお母様のように、国のみんなを幸せに出来る?」
ディオネの言葉に、アーサーは少々間を置いて、淡く微笑む。
「してやるよ? お前がそれを望むのなら。俺がその望みを叶えることでお前が俺のものになるのなら、俺はいくらでもお前のために努力できるぞ」
さらりと流れ出たアーサーの言葉に、ディオネは一瞬口を噤んで、そっと、呟くようにそれに応じる。
「アーサーが努力……なんだか、すごく違和感のある言葉だわ」
「どういう意味だよ、コラ」
苦笑混じりに笑いあう。
ひとしきり笑いあって、彼女は、その澄んだ瞳でアーサーを見つめ返した。
「それじゃあ、私は、アーサーが似合わない努力をしちゃうほど愛されてるって、そう自惚れていいのかしら? アーサーなら、私が望む幸せをくれるんだって、無条件に信じていいかしら?」
「……あぁ。俺が似合わない努力をしたくなるほど、お前が欲しいってことだな。お前にはそれだけの魅力と、俺を虜にした何かがあるってことだ」
すべてを受け入れる。彼女のための努力や、欲求を。そっと手を伸ばし、その頬を包み、ディオネの視線を捕まえる。
何もかもを飲み込む、何もかもを受け入れる、優しい闇。
「……ねぇ、アーサーのことも教えて?」
「ん?」
「私だって言ったじゃない。アーサーのことも」
「嫌だ。喋るようなことないって。言っただろ、ちゃんと、俺の気持ちは」
「気持ちじゃなくて……どうして王位を放棄したのか、とか。どうしてそんなに意地悪になっちゃったのか、とか」
そっと身体を投げ出すディオネを抱きとめて、アーサーが苦笑する。
「それ、お前のところに来る前、王太子殿にも追及された。同じこと二回も説明しろって言うのか? あんなこっ恥ずかしいこと」
俺、夢見がちなんだぞ、と冗談のようにやんわりと拒否するアーサーの胸に擦り寄って、彼女は猫のように目を閉じた。
「あら、それじゃあ敬愛するオーク様には説明できるのに、未来の妻には説明できないって言うの? 一生しつこく言い続けるかも」
「そんなにしつこい女なのか? お前」
「そうかもしれないわ」
柔らかな微笑を浮かべているのだろう、その声にも優しい響きが感じられる。甘く、柔らかく耳朶を打つ声。
「……あのね、このまま、気持ちよく眠ってしまえそうなの。途中で眠って、きちんと最後まで聞けないかもしれないから。それなら、恥ずかしくないでしょう? 今、アーサーの全部を教えて?」
それなら、聞いてないお前が悪いんだって、責められるでしょう?
そう囁いた声は、かすかに微笑みが混じり、アーサーに心地よい温もりをもたらした。
「……そうだな、それじゃ、子守唄代わりに。すぐに寝かしてやる」
「よろしくお願いいたします」
ゆっくりと首筋に回された腕の温度を気持ちよく思い、感じるしなやかな重みに現実を実感する。
そのままゆるりとベッドに体を倒すと、横になり向かい合って、アーサーは柔らかな唇をそっとなぞった。
「……さっきは、あぁ言ったけど」
「え?」
「話すからには、全部聞いてもらうぞ? 途中で寝るなんて許さないからな。覚悟してろ」
微笑みは確かに温かく慈愛に満ちていたが、アーサーがそれだけで満足するはずもない。
横たえた身体を少しずつ動かして、楽な姿勢に整える。声の調子を聞き何を企んでいるのかと目を開けて、じっと見つめてくるディオネに笑いかけた。
そのまま掬うように唇を奪って、びっくりして目を見開いているディオネに向ける微笑みは、おそらく、出会った当初から変わらない、彼女曰く意地悪な笑み、であることだろう。

 夜は、始まったばかりだ。




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