王子様たちと私 心乱す異変・真実とは
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 近づけば近づくほど、肌近く感じる嫌な予感。
今までに感じたこともないほどの、不吉な予感。
肌をちりちりと焦がすような、神経を逆なでする落ち着かない感覚。
なにか、ある。何か起きている。
彼女の身に、よくないことが。


 ぼんやりと、手元の温かい紅茶を飲み下す。
たくさんのことが自分を追いかけてくる。
いや、むしろ自分が追いかけているのかもしれない。
つけなければならないのは、たくさんのものとの決着。
人であったり、物であったり、意志であったり……想いであったり。
深く考えることは、よいことだが……ここまで行き詰まって考えるのは、久しぶり。
「……シングの、言う通り……結末はもう見えてるのかもしれないわね。私が……見たく、ないだけで」
白滋のティーカップの中に揺れる濃い紅色に、ゆっくりとため息を溶かした。
小さく映った自分の顔は、なんとも情けなく、叱られて怯える子供のようにも見えた。事実、怯えている。明確な形の見えない、彼の感情に。
そして、今……彼の気持ちを、追いかけている。
「そういう、ことなのかしら」
首を傾げて、無理やり笑ってみることにした。自分の顔が映らないように、紅茶を一息で飲み下して……
 ――それは、一瞬の接触。
何かと触れた、何かに触れた感触。ぞくりと肌寒い、この違和感。悪い予感。
はじかれたように顔を上げて、ディオネは椅子から立ちあがった。
「……何か、来る……?」
ただ膨れ上がる不安をどうする事も出来なくて、所在無さげにきょろきょろと部屋中を見渡す。それでも消えない負の感情を、押し込めるためにバルコニーに近寄った。
一気に開く。
  ざわっ……。
風が人工的に生み出され、唸りを上げて部屋の奥まで吹き込んだ。
理由は、目の前にあった。
 見たことのある船だ。太陽の国の、マストが3本も立っているような大規模で優雅な船ではない、非常に小型で、流れるようなラインを持った流線型のボディ。シンプルな一枚の帆。もう見慣れた、月の刻印。
王国の船……いや、王宮の船だ。
それが、なぜここに。誰が使って?
ディオネは悪寒と戦いながら、必死で叫び出しそうな声を封じていた。喉元にある悲鳴を、強引に飲み下す。深呼吸を、ひとつ。
「私はディーネ=クレスです。どなたかは存じ上げませんが、ここは太陽の国の王宮ですよ。船を乗りつけるなんて、言語道断です。早急に、立ち去りなさい」
無人の甲板。ただ、自分の声がそこを通り過ぎて行くだけ……。
 きぃ、と、蝶番の軋む音がした。
びくりと震えて、ディオネは一歩下がる。
出て来たのは。
見たことのある人。
白髪に近づいた、銀の髪。温和そうな目許が、今は不自然に歪んで閉じられていた。
その奥に眠る色は、おそらく。深い深い瑠璃。見慣れた、見知った色。
「……さぁ。取引と行きましょうか、姫」
聞こえたのは、爬虫類を思わせる、粘着質な耳障りの悪い声。ぞくりと体を走るのは、彼の声を聞いた時とは全く正反対の、正真正銘の悪寒だ。
しかし、聞き覚えはある。
「……ナイン・アルス……」
ナイン・アルス。月の王国の生まれではない、他国籍でありながら……それでも、神官を志し、その夢を叶えた者。
白い雪のような髪。肌。瞳だけが、狂気を宿したかのような、血に濡れた紅。
ぞわりと、再び全身に鳥肌が立った。
「私がここにいることに、戸惑っておいでですか。あなたの父君がここにいらっしゃることに……驚いておいでですか。利発なあなたに、今求められていることは……分かって、いらっしゃいますよね?」
狂った笑顔がそこにあった。
どうして。なぜ? 疑問は、尽きない。
混乱する中、耳元でそっと囁かれる声に耳を傾ける。その内容に、慄然とした。
『あいつは……ディーが神のいとし子だと、知ってる』
様々な人の生を見守ってきた“光の歌”にも、可能なことと不可能なことがある。
世界を見守る傍観者であるその声には、この状況をどうすることも出来ない。『声を持つ者』が多く生まれる月の王国で長く生活して来た者に……いや、歌姫の声に飲まれた者に、中途半端な声の力は通用しない。
シングには、頼れない。
 ディオネは、戸惑いながらも必死に考える。どうすればこの状況を打破できるか、最善の手段はいかなるものか。思考を巡らせる中で、胸に染み入るような声を聞く。
『オレはお前も知っての通り、全てを見届ける者。オレはどうする事も出来ない。ここから先は、全てお前のものだ。お前が選んで、お前が決めて、お前が進むべきところだ。……ディー。決めろ』
一方的に告げられた言葉の意味を、知っている。
ディオネは月の王国の姫。神殿を守る姫巫女であり、今傍らに立つ“光の歌”を歌いこなすべき歌姫。この状況をどう動かすのかは、全て自分の責任。自分のための選択。
『でも、ディー。ディーには、ちゃんと決着をつけなきゃいけないことがたくさんある。それを、忘れちゃいけない。オレはいつもそばにいるから』
柔らかな印象を残してゆっくりと消えた気配に、ディオネは少し微笑んで。
そっと、顔を上げる。目の前の現実。
 軽はずみな言葉ひとつで、この先すべてが決まるだろう。
それでも、今は。目の前に交換条件として存在する人が、無事かどうかが気になって仕方なかった。
「……陛下は……国王陛下は、ご無事なのですか?」
無意識のうちに口から滑り出る言葉を、止められなかった。
震える声に、彼はにこりと、相変わらずの笑顔で応じる。
「もちろんですよ。そうでなければ、意味がないでしょう。他人行儀はお止めください、姫……ディオネ=クレセント王女殿下」
 ――自分の名を、彼に呼ばれることで穢された。
全身を毒が回るように汚れていく気がする。
仮の名前であっても、彼に呼ばれたときは……体内の不浄なものが抜けていくような気さえしていたのに。
 いけない。……このままでは、いけないのだ。
「あなたは、お父様に何をしたのですか。お父様とひきかえに、何を望むのですか」
声が震えるのを、必死で押さえ込む。ここで、こちらが弱みを見せるわけには、いかない。
精一杯で前を見据えたディオネの目には、力ない父の姿がしっかりと映る。
このままではいけない。絶対に。
「何もしておりませんよ。少々抵抗されましたので、こちらも少々の抵抗をしたまで。何一つ傷など負っておられないでしょう。……それにしても、こちらに来て、いくらか成長なさったようですね。以前のあなたはそこまで強くはなかったのに。何があなたを変えたのでしょうか。気にはなりますが……姫のご機嫌を損ねてはたいへんですから、すぐに本題へと移りましょう」
 何でもない事のように告げられて、どうしようもない怒りを覚える。
彼は、命というものを。何だと思っているのだろう?
自覚もないままに睨みつけていたらしい。ディオネの視線に気付いたのか、ふっと表情を厳しくした彼は、纏っている黒の衣装の懐に手を入れた。
 そして、差し出されたのは紫紺の袱紗。包まれているものから感じられる気配は……知っている。
「手にとって、お確かめになりますか? ご存知の事と思いますが、こちらは『涙』です。女神の残した、美しい『涙』……。そして、私の欲するものは『力』です。この世界に、もう一つの『国』を創ることができるような……」
袱紗に包まれていても、感じる。閉じ込めきれない女神の鼓動を。
 世界を育む際に、女神はたくさんの涙を流した。そして、女神が空に昇った今も、夜空から見守る彼女が悲しみに流した涙は、地上に降り注ぐ星となる。
女神のもたらしたものであるそれは、月の王国に静かに静かに、眠っている。
月の王国の王女であり、月の姫巫女である自分だからこそ、手に取るように分かる。その涙から感じる鼓動は、何よりも温かく、何よりも優しく、そして何よりも激しかった。
彼の手にあるのは、おそらく『原初の涙』と呼ばれる、最も大きく、強さを秘めたもの。
「私に、女神を穢せと、仰るの?」
彼は、女神の力をよこせと言っている。人間が神の力を使うこと……それは明らかに、神への冒涜。
 そもそも自分に出来ることは、ただ世界のために歌うだけだ。女神のために舞うだけ。
他に出来ることなど、何もない。
神の力を……たとえ縁のものへであっても……降ろすことなど、出来ない。出来るはずがない。
「第一、私に出来るのは……女神様のために舞を捧げること。そして、世界のために歌うことです。女神様の力を引き出すだなんて、そんな……」
聞き返したディオネに、ナインは少し困ったように頬を緩め、うつむいて微笑む。
「まだ、全てを思い出しておられないのですね。姫、あなたは、ご自分の力と、与えられた愛をきちんと把握すべきですよ。あなたのその月光で作り上げた髪は。朝焼けの空が封じ込められた瞳は。月の色で染められた肌は。何より、女神の如く全てを卓越した美貌は。一体、どのような偶然で生まれると言うのです。それほどまでに女神の寵愛は、あなた一人に注がれているのです。そして……“光の歌”を虜にするような声。あなたの声が……女神を呼べば? 女神はもちろん、あなたの元に舞い降りるでしょう。あなたを連れ去るために」
上げられた顔に、すでに笑みはなかった。
ただ、貼り付けたような狂気が、そこに巣食っていた。
 何も知らない。何も知りたくない。何も『思い出してはならない』。
恐怖が、血に溶け込んで巡る。
指先に、足に、体中に……意識に。
食い込むような怯えに、小さな震えが起こる。連鎖するかのように、全身に移る。立っていられない。
がくん、と膝が折れた。どさりと、その場に座り込んでしまう。
立たなければ。立って、そして考えなければ……!!
 震えが止まらない。考えようとすればするほど、頭の中は空っぽになっていく。
それと引き換えに浮かび上がるのは、自分という存在。彼の望みを叶える術。
ゆっくりと、確かめるように立ち上がった。今度は、ちゃんと。
彼の望みを、叶えるために。
ふと、思い出すのは……十二歳の頃から、ほとんどずっと一緒に時を過ごした声。
「……シング……ごめんね? こんなことに、声を使ってしまうなんて。赦してくれなくていいわ……ただ、そんな馬鹿な子がいたって覚えていてね……」
そして、あなたの言いつけを。守れないままになるだろう私を、いつか許してくださいと、囁いて……最後に、笑って。
小さな雫をこぼした。

「知ってます。私が、女神様の子であることを。道が存在することを。けれど、どうする事も出来なかった。私は、女神様の元へ行くわけには、いかなかったから……」
神に愛されて生まれた子供。それは、神の子。神との密接な繋がりを生まれながらにして持つ、天性の依り代。神と繋がる道を持つ、生まれながらの巫。
知っていたのだ。ただ、思い出してはならない……秘められたことだっただけ。
神の子は必ず神の元へと連れ戻されるから。
神の呼ぶ声に応じて、いずれ神の元へと連れ戻される。
たった一人の王女が、神の元へ連れ戻されれば、王国は、成り立たない。
 だから。
「……でも、もうそれも終わり……かしら。未練は……すこしあるけれど……それも、仕方ないかもしれないわ。嘘をついた私への、罰なのかもしれない……」
伝えることのなかった想いを、今確信する。
これがおそらく、彼の伝えてくれた、想い。
それを認めることが遅れたせいで、彼に伝えることは出来なかったけれど……。
待ちわびるように瞳を輝かせた狂気。
そちらに向かって、最高の笑顔で微笑みかける。
「お父様を、放してください。あなたの願い、叶えますわ。ただ、私にもお願いがあります。お父様と国の皆さんと、この、太陽の国には何もしないと。そう、誓いなさい」
「……結構です。さぁ。こちらへ」
彼は甲板から離れ、バルコニーへ降り、担ぎ上げて運んだその人を降ろした。うつむき顔を上げないその人がもし気がついていたなら、真っ直ぐに顔を上げて、瞳を激怒に染めて、ディオネを叱るだろう。しかし、その瞳は閉じたまま。開きはしない。
かすかな望みをかけて、一瞬だけ、その人を盗み見た。
目の前の狂気の瞳は、じっとこちらを見つめている。
その一瞬で、望みは打ち砕かれた。
「……お父様。私は、幸せです。どうか……お元気で」
聞こえないだろうことを理解していながら、淡く目を閉じ……最後の、別れ。
 どこにも、被害が出なければいいのだけれど。
そんなことをわけもなく思い、しかしそれはすぐに消えた。
「さぁ。ディオネ王女。私に、『力』を」
今は、差し出された手を、取るしかなかった。

 じわ、じわ、と。闇が、己を黒く塗り潰していく。
その感覚に抵抗することも、もはや怠惰に感じられた。

 差し出された手から、『原初の涙』が渡された。
汚れていく自分を、罰するかのようにじりじりと痛みを伝えるその『涙』に、悩み戸惑いつつも祈りを込めた。
「月の女神よ。……私は、ここにおります。この『涙』に、あなたのお力を、どうぞ宿してください。この声が聞こえたならば……願いを叶えて、そして私を、あなたの元へとお連れください」
囁いた声は、自らの内に眠っていた道へと響いた。

 触れる。指がつかまった。『涙』であったものは……今はただの力の奔流でしかない。女神が自分の願ったことを叶えてくれたのだ。
それでは、そろそろ女神が迎えに来るのだろうか。
……言いたいことも、言えなかった。
伝えたかったことも、伝えられなかった。
彼の怒る姿が目に浮かぶ……それでも、もうどうする事も出来ない。
引き寄せられ、体がつかまった。どうしよう……。
「これが……女神の力。なんて強い……なんて気高い。それを招いたあなたも……女神に縁あるもの。それを、連れ去られる前に得られれば……!」
じわじわと真っ黒なものに飲み込まれて行く。
全身がだるい、気持ち悪い、嫌。誰か。……脳裏をよぎるのは、ただ一人。

 耐えられない。
彼女が消えてしまう。
どんどんと濃くなるこの焦り。
消えない。
恐怖が増していく。
脳を犯したこの想いは、もう、彼女なしでは生きられないことを告げていた。
「ふざけるなよっ……」
自分勝手な、彼女。

 「せめて答え聞かせてから行きやがれ!!」
勢いよく開いた扉は、何の抵抗もなく彼を受け入れた。
ゆっくりと、顔を向ける。
容赦なく自分を貫くのは、闇色の瞳。自分を飲み込んだ闇とは違う、優しく、包み込むような美しい闇。
額に、汗が滲んでいた。表情は……怒り。硬く握られた拳。上下する肩。今まで見たこともないほど取り乱した、彼の姿。会いたいと心から願った、大切な人。
「……アーサー」
微笑む気力は、なかった。

 白い男が、彼女の細い体を抱いていた。
力ない、くたりとした表情で、彼女は自分の名を呼んだ。
白い男。しかし、顔見知りの白い男ではない。
見たことのない、白い、男。
頭に血が上るのは、一瞬。
「俺の女に、触るな!!」
激情に任せて、足を踏み出す。
「近づいて、いいのですか?」
瞬間、全身が固まった。自分が今、彼女の状況をますます悪化させた。
その場で立ち止まり、顔を上げる。
汗に濡れて、顔に張りつく髪。見苦しいほど、乱れた息。
愚かなまでに一人の女に振り回されている自分。
そんな自分に、アーサーは……望むところだと微笑んだ。
「そいつに、何する気だ」
「何をする気もありませんでしたよ。姫が、あなたの名を呼ばなければ」
にこりと笑う。絵に描いたような笑み。ただ生々しいのは、狂気に染め上げられた、紅く輝く瞳。
ぞくりとするような、気味の悪い瞳に映ったことが嫌だった。
その目がそのまま彼女へと向けられ、息のかかるほどの近しい距離で、男は微笑み告げる。
「姫。女神の元へと召されるところを、お見送りに来てくださったようですね。ですが姫は、彼と決別なさらなければ。女神の元へと、迷いなく行くためにも。私に、女神縁のものとして、祝福を与えるためにも……」
腕に抱いた銀の乙女が、まるで女神そのものであるかのように恭しく触れて。


 息が伝わる。吹き込まれる。それは、彼に与えられたものに何となく似ていた。
けれど、あれはこんな静かになされたものではなかった。
嵐のように激しく、強く、全てを壊すほどに熱く。
これは、ただただ静かに、ゆっくりと泥を塗りつけるように、流れるように冷たかった。
 ……気分は、悪くない。
すでに自分の中は、真っ黒で真っ暗で、何者も通さない闇だった。
どうすればいいのか、それすらも分からず、ただなすがままに。
これが、女神に呼ばれる前の気持ちなのかしら、などと漠然と思いながら、ディオネは気だるさに目を閉じた。


込み上げる怒りと混乱に任せて、ただこれ以上耐えられずに口を開いた。


 「っ……ぁぁああッ!! もうこれ以上我慢できるかっ!! いいか! とりあえず勘で呼んどくぞ!! いつまでそんな情けねー顔で俺以外の男に抱かれて触られてる気だ!! 起きやがれ! ……ディオネ!!」


 何より好きだと気づいた声に、その名を呼ばれた。


 目に入ったのは、すぐそばの紅い瞳。気味の悪い、狂気の眠った目。
触れている。唇が。彼ではなく、別の男に。
「っやだ……!! 嫌っ!! 離して……!!」
頭の中は、もう、嫌悪で埋まっていた。
触れられた。この人に。
そして、見られた。彼に。
必死に体を突き放す。この人の腕の中にいる。彼の腕の中ではない。あの腕ではない。
「それほどまでに、未練がおありですか? お忘れ下さい。女神がもうじき、あなたをお迎えにあがりますよ」
体の自由は得られず、逆にますます強く拘束され、触れてくる指。
首へ。喉へ。鎖骨へ。肩へ。
「嫌……行きたく、ない!! アーサーっ!!」


 不思議な感触だった。
何もかもがぬるま湯のように温かく、全てが真綿のように柔らかかった。
抱かれる心地よさに体をゆだね、全身が洗われていくような感覚に心をゆだねた。
『そなたの望み、叶えよう。今この時を、誰も悲しまないように。そなたに喜びの風が吹くように。我の愛しい、歌姫よ。その身から魂が離れるまで、我はそなたを待ち侘びておる故に。……望みを、叶えて参れ。運命に流されし歌姫……』
 たくさんの光が、全ての国に等しく舞い降りた。温かく優しい温もりを、誰もが抱けるように、と。
 そして自分には。
強い風が吹いた。


 「……この、馬鹿」
目の前でそっと見つめてくる視線が、優し過ぎて耐えられなかった。
肩にふわりと舞い降りた彼の上着に、伝わる温かさに息が詰まる。
こんな瞳に見つめられる資格が、今の自分にはない。
汚れてしまった、自分には。
ゆっくりと目をそらし、ゆっくりと目を閉じ、ゆっくりと手で覆った。
こみ上げてくるものは、止まりそうもなかった。

 泣き声も上げず、ただ静かに涙をこぼす姫君に、王子はどうすることも出来ず、ただそばにいた。
不意に、王子が呟く。部屋の様子を見渡して。
「……どうするかなぁ……」
虚空をにらみ、呟く。
空に溶かしたその言葉を、切り払うように颯爽と立ちあがった王子は、目の前で涙を流していた姫君を、ゆっくりと、優しく抱き上げて、その場を去った。

 静まりかえったその空間。
ただそこに残っていた、真っ黒に焼け焦げた船の破片、煤に汚れた白かったバルコニー、千切れ飛んだシルクのカーテンの残骸、ガラスの全て割れた枠のみの窓、そして……一人残された壮年の男性が、過去を物語っていた。




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