王子様たちと私 心安らぐ川辺・理想について
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 訪れた、決断の日。
どうあろうとも、今日が彼女と自分の曖昧な関係に決着をつける、最後の機会なのだ。
それでも、今のままの自分では冷静に話し合うことは出来ない。
一歩踏み出す、きっかけが欲しかった。

 「あーもう、どうすりゃいいんだ」
眠れぬ夜を過ごしたアーサーは、ともすれば閉じてしまいそうな瞼をこじ開けながら、森林浴にいそしんでいた。太陽の光が他の国よりも強く降り注ぐこの国では、森や林は手軽に涼める場所として重宝されている。
「空は綺麗だし……このまま何もかも忘れられたら、選んだ道とは別の幸せが見つかるかもしれないなー」
らしくないかと自嘲気味に笑いながら、それでもアーサーは空を見上げた。
空の天辺から少し下の位置に、直視することの出来ない眩い光源がある。
目を細め、焦点の合わない視線で見つめる。
「兄様みーつけた!」
聞き慣れた声と同時に、とん、と軽い衝撃が背後から伝わってきた。
「……あぁ、シーザー」
かすかに頬が緩む。背中を振り向けば、そこにもたれかかった可愛い弟の顔が見えた。
「久しぶりに遊んでくれるって、本当?」
「んー……昼飯までな?」
「それでも、嬉しい!」
その嬉しさの滲み出した表情に、アーサーも嬉しくなる。
自分はこの国から出ることを選び、まだ幼い弟に大きな荷を背負わせたというのに、この弟は厭事も言わず笑顔で納得してくれた。
こんなに自分の事を思ってくれる弟を犠牲にした自分が、幸せになっていいものだろうか。一つ不安なことがあると、何もかもが問題のような気がする。
「……でも兄様、何だか上の空。何か悩み事?」
並んで森の中を歩いていても、隣の弟より彼女のことを思ってしまう。
抜け出すことの出来ない、強固な檻に囚われて、もはやすべはない。行き着くところは、ただひとつだ。
「悩み。そうだな。シーザーはどう思う? 俺は、歌姫が王女説に賭けてるんだが」
「へっ?! う、歌姫様が、王女様……? 王女って、あの、兄様が求婚してる、月の王国の……」
「そりゃ、今のところ王女がいる国は月の王国のディオネ姫と、水の国のアクア姫だからな。年齢的には月の王国としか思えねぇだろ。あの外見だし」
「……そういえば、歌姫様のお年とディオネ姫のお年は、同じですよね。口で伝え聞く限りでは、王女様もそれは見事な銀の髪をしているそうですし」
「見てる限りでは、どうも一般人とは思えないんだよ。いっそ王女だと考えた方が納得いくんだ。お前は、どう思う?」
「えぇっ?! そ、そんな、突然言われても……」
「……なるほどな。だから、お前は遠慮なしだったのか」
「お、王太子どの?! いやぁ、奇遇ですね……」
「まったくだ。では、奇遇ついでにその話を詳しく聞こうか?」
大物を仕留めた猟師のような会心の笑みで立ちはだかるオークに、アーサーは溜め息混じりで頷くしかなかった。
「……はい」
当初の目的地であるこの先の小川へと案内しながら、アーサーはあまりにもタイミングのよすぎるオークの出現に小首を傾げた。

「で? 歌姫が王女説というのは、どういうことだ」
さざめく水の流れを近くに、オークがやはり笑顔で問う。
「……王太子どの、まさかとは思いますが狙ってましたか?」
「失礼な奴め。俺がそんなことをするとでも思っているのか?」
「……そうじゃ、ありませんけど」
でも、明らかに作為を感じてしまうのは気のせいですか、としつこく食い下がるが、一国の主になる人は手強かった。
「……王太子どのは、どう思われますか。歌姫が王女説」
「俺は歌姫と直接話す機会などほとんどなかったからな。分からない、というのが正直なところだ。何を根拠にそんな突飛なことを思いついたんだ?」
「兄様は想像力が非常に豊かな方ですから」
にっこりと微笑んだのはシーザーだ。アーサーを挟んで身を乗り出し、オークに向かって笑いかける。
「想像だけでこんなこと言えるわけないだろ? 一応、根拠はあるっての」
左腕でシーザーの肩を抱く。弟と遊ぼうと思って森までやってきたのに、二人きりで過ごした時間はほんの少しだ。申し訳ない気持ちに、自然と手が動いた結果だった。
「それを聞きたい。もしその根拠に真実味があれば、俺たちは今までずっと月の王国の王女殿下と過ごしてきたのだからな」
先の神殿でのことを謝らなければ、と呟いたオークの目は真剣だ。
「……あの、悪いと思ってるなら俺には何か……」
「本当だと分かったら、お前にはいつでも好きなときに稽古をつけてやる。謝罪よりもその方がいいだろう?」
うわっ、ホントですか! と浮き足立ったアーサーだが、水を差すようなオークの冷たい言葉に口を噤む。
「お前は俺の何倍謝らなければならないのだろうな?」
誰よりも彼女と時間を共にし、好き勝手な真似を働いたのは他でもないアーサー自身だ。
やり込められて沈黙するアーサーの腕に、シーザーから小さな振動が伝わってきた。
見下ろせば、そこには懸命に肩の震えを押さえるシーザーが。
「……シーザー? 楽しそうだなぁ」
「えっ、あ、違います兄様、許してください!!」
「思わず謝るようなことを考えてたのか、お前はっ」
「いいから、本題に入れ」
回した腕でシーザーを懲らしめようとするアーサーだったが、オークに引き戻されてそれも叶わない。
恨みがましい視線を相変わらず含み笑いのシーザーに向けて、深い溜め息を一度ついたアーサーは、重たい口を開いた。
「その……前々から、思ってはいたんです、ホントに」
あの物腰や言葉遣い、世間知らずすぎるところ……数え上げたらきりがないくらい、彼女には一般人の常識が通用しない。そして、何より違和感を覚えたのは、彼女の歌姫としてのあり方。
「あいつ、前に言ったんですよ。出来ることなら、世界中を回って、幸せを届けたかったって。でも、王国を出ることは出来なかった、って。毎晩、世界にこの声が届くように歌を歌った、って。王国を、って限定したってことは、国内ならばある程度回ったことがあるんでしょう。毎日歌を歌えるってことは、病気とか怪我ってわけではないでしょう。しかも、夜中ですよ? 夜中に歌姫が歌っても平気なんだから、誰かが見張りに立ってあいつのいる場所の安全を保障してるはず。王国の中でしか生きることを許されず、しかもそれは歌姫の声が漏れ聞こえても決して危険の及ばない完全な守りの成り立つ場所。……それに、あいつの外見や仕草を見てたら、答えはもう、ひとつしかないじゃないですか」
他にも根拠はいくつかありますが、これは秘蔵ネタなので、と含み笑いで締めくくって、ようやく一息つく。
 水音が近づいてきた。当初の目的地の小川は、すぐそこだ。

 涼しい音色に、アーサーは目を細める。
シーザーはいそいそとブーツを脱いで水辺へと近寄り、オークは手近な木陰に身を預けていた。
「それなりに納得のいくくだりではあるな、確かに」
「でしょう? ……でも、やっぱり確証が持てないことには本人に聞くわけにもいかないんです、こればっかりは」
「いきなり『王女殿下ですか』では確かに笑えん」
「……その通りなんです、おかげでもうどうすればいいか……」
多少シーザーに近い位置へと腰を下ろしたアーサーは、オークに向かって苦笑する。オークは静かに目を伏せたまま薄い笑みを浮かべるだけ。
「そういえば、聞いていなかったな。お前が太陽の国の王位を捨てた理由を」
さらりと彼の口からすべり出た言葉に、アーサーは苦虫を噛み潰したような渋い表情を向けた。
「そんなことまで話せって言うんですか? もうこんなに喋らせておいて、まだ?」
「……そんな固いことを言ってくれるな。これでは真偽のほどが気になって、国に帰っても落ち着いて政務に携わることも出来ない。お前は、俺をそんな不安定な状態で帰すつもりなのか?」
そうは言っても、オーク自身の表情は柔らかい。言うも言わぬも、すでにアーサーの判断に任されている。
「……王太子どのは、ずるいです。そうやって俺に先手を打って、どうあっても話させる状況に持ち込むのがお上手で」
「会話ではお前には負けんよ。武術の腕ならさることながら、お前はこうして話していると、俺にたくさんの隙を見せる。嬉しいことだ」
お前が自然と弱みをさらけ出しているだけだ、と思ってもみなかったことを指摘されて、アーサーは思わず考え込んだ。
「……確かに、そうかもしれませんね。王太子どのには、あまり細かいところまで気を配って言葉を選んだりしませんから」
小さく笑って、深呼吸を二つ。
「『声を持つ者』の声は、聞きなれれば、どうってことないんですよ。王太子どのは、もうほとんど影響が出ないようですけど。だけど……それまではやっぱり、相手の行動を左右する傾向があるみたいで。それを分かっていながら、もし俺が王位について……もし誤った選択をしたら、どうなります?」
自嘲気味の笑みを浮かべて、アーサーは後ろのオークへとそっと顔を向けた。
しっかりと顔を上げて、自分を見つめてくれることが嬉しい。
「……例え俺が正しい選択を続けたとしても、その選択を納得しているわけではなくて、選択に従うようでは、国は成り立たないと思うんです。……国民を声の力で支配しているんだと噂されても文句は言えない。それを足がかりにして国のどこかで反乱が起きないとも、限らない……」
「それで、継承権の放棄?」
「一番大きな理由は、それです。それに、俺は昔から散々遊びまわったし……もうひとつ、月の王国という、『声を持つ者』に寛容な国と、その王女に、興味があったんです」
今まで国から出たことのない、何よりも大切に守られた王女。
絵姿さえ出回らない……それが何を示すのか、アーサーには不思議で仕方なかった。
「一応、月の神殿……王宮でもあるんでしたか、月霞宮を出入りする行商人をとっ捕まえて尋問した経験が」
「……そういう真似をするから、城下で『狂王子』などと噂されるのだろうが。自業自得だ」
だが、そんなことをしたのは一度限りだろう? と確認されて、アーサーは言いにくそうにしばし視線を泳がせ、ゆっくりと口を開く。
「いや……そのとき、案外簡単に口割ったもんで、味を占めて何度か。手に入る情報何もかもが、興味深いものでしたし」
最初は、ほんの小さなものだった。
紫水晶の細工をあしらった豪奢な髪飾りを、王女付きの女官たちが買って行った、王女様の銀の髪にぴったりですねと、ひどく嬉しそうだった……そんな他愛のないものだ。
それから何度となく月の王国に出入りする商人を捕まえては質問攻めにした。
得られる情報はいつでもほんの少しだったが、着実に集まっていくそれをかき集めれば、なかなかの量になった。例えば、王女は人前に出ることが出来ないが、両親、女官には心から愛され、国民からは崇拝に近いものが捧げられている……とか、王女は月の女神さながらの美しい銀の髪をした一目見ただけで心奪われるほどの美少女だ……とか。
「情報が集まれば集まるほど、王女を一目みたいと思うようになって……けれど気がついたら、王女に向ける感情はどす黒いものでいっぱいになっていました。俺とさほど変わらない生まれなのに、どうして王女はそんなにも愛されているのか、どうしてそんなにも守られるのか……この声で、王女を穢してやりたい。暗い嫉みに囚われて」
目をゆっくりと伏せて、空を仰ぐ。頂上近くまで昇った太陽は、閉じた瞼の内側を焼く。
「そして……シーザーはいろいろなものを抱え込んでいた俺の犠牲になったんです」
静かに煌く水しぶきを見つめるシーザーへ、アーサーが向ける視線は穏やかだ。
誰に対するものより暖かく、かすかに悲しげな視線。
「こんなにも大事な弟なのに。俺と同じ目になんか、あわせたくないのに。シーザーは俺の汚い感情を知らないまま、俺を許してくれる。無条件に信じてくれる。嬉しくて……苦しくて。だんだんと俺の中に歪みが生まれていくのを感じながら、何も出来なかった。あいつに……会うまでは」
それでも、出会ってしまった。手に入れたいと思う。共にあることを望んで欲しいと、どこまでも際限なく求めてしまう。
その代償を支払うのが、自分ではなく可愛い弟なのだと思うと、やりきれない。

 「……シーザー。後悔、してないか?」
突然声をかけられて驚いたのか、シーザーがぱっと振り向いた。
「え?」
「俺の我が侭のせいで、お前は王位って重荷を押し付けられたんだ。後悔、してないか?」
聞いた言葉が信じられない、と言わんばかりに目を見開いて首を傾げるシーザーに、アーサーはかすかな笑みを浮かべて、繰り返す。
「今なら、まだ引き返せるから。後悔してるなら、そう言え? きっと、今ならまだ、大丈夫だから」
それだけは彼女から逃げるようで、躊躇われていたというのに。
言葉にすることは、何と簡単なものか。
引き返したら、もう後には引けない。求婚も取り下げるようになる。
求婚を取り下げても出来ることは何もないが、弟を犠牲に幸せになるよりは、ずっとましだろう。
弟が望むのなら、それもいい。
「兄様は……どうしたいのですか?」
「ん? ……そうだな。手に入れられるもんなら、手に入れたいんだがな。お前に我が侭を言って俺だけ勝手に幸せになるなんて、気が進まないんだよ。お前の犠牲によって成り立つ幸せが、本当に幸せなのか……ちょっと、分からなくなった」
同じリズムで続いていた水を撥ねる音が、突然途切れた。
少し遅れて、アーサーが振り返る。木陰の下にいたオークの視線も上がった。今しがたまで素足を小川につけて跳ね上げ、煌く水を見て喜んでいたシーザーが、真っ直ぐにアーサーを見上げていた。
「……兄様が、諦めるんですか」
「え?」
「兄様が、歌姫様から逃げるのですか? 何に対峙しても決して背中を向けなかった兄様が、一番欲している人に背を向けるのですか? ……それとも、それは……僕を言い訳にした、兄様の口実ですか?! そんな、そんなの……」
そんな兄様は嫌いです! と半泣きになってまで訴えられ、アーサーは呆然とした。
「……そんな風に聞こえたか?」
「兄様はそんなことを考えなくていいんです! 僕は、僕の意志で王位を継ぐと決めました! それとも、兄様にそんな心配をさせたのは、僕が不甲斐ないせいですか?!」
今までにない激情を見せるシーザーは、泣いているようにも見えた。
そして、いまさら迷いを見せた自分の弱さに、苦笑する。
「……いいや。シーザーのせいじゃない……そんなお前に救われたことは、たくさんある。悪いのは、こんな瀬戸際になって、お前を困らせるような駄目な兄だ」
「……兄様?」
小さく笑い声を漏らす姿を不思議に思ったのか、シーザーが訝しげに首を傾げる。
「あぁ、ごめん。違うんだ。俺はホントに我が侭だなと思った。切羽詰ったからって弟のせいにしてたんじゃ兄貴失格だ。ただでさえ兄貴らしいことは何もしてないってのに……ごめん」
優しくて、強くなった弟。
「自意識過剰も、大概にしないと、な」
自分の選択に疑問を持つような弱さは、もういらない。
いい弟を持ったものだと、一人微笑む。澱んでいた気持ちが、驚くほど晴れやかになっていた。

 「……ところで兄様? どうしていきなりそんなことを? 今までの兄様だったら、いちいち悩む前に走っていきそうなものですけど」
兄様らしくないですよね、今回、と呟いたシーザーに、アーサーはうっと口篭った。
「……いや、まぁ……分かっては、いるんだがな?」
声量を抑えて、アーサーが曖昧に言葉を濁す。
「その、ちょっと手荒い手段に出て失敗したもんだから何と言うか……」
「アーサー、手荒い手段というのは、もしや……」
声のした方を向けば、頭痛をこらえるように眉間に指を当てたオークが視界を過ぎり、しまった、とアーサーは口を噤ぐ。
かすかな抵抗は試みたが、やはりオークの鬼気迫る無言の追求には耐え切れず、おずおずと、口を開く。
「えーと……我慢しきれずに手ぇ出しちゃったんです、実は」
やっぱり、俺に据え膳はきついです、ホント! と、自棄になって不必要な明るい笑顔で応対したアーサーだったが、耳に届いた低い唸り声には表情が固まった。
「こ……このたわけがぁっ!! 俺はお前がそんなにも情けない奴だとは思いもしなかったぞ!! それならなおのことだ! お前には、責任を取る必要がある!!」
「お、王太子どのっ?! ちょっ、なんか誤解してませんか?! 俺は別に、ちょっとキスしただけで……」
言い訳の言葉は、オークの怒りを助長するだけ。眉間に浮いた血管が更にはっきりと目に映る。
「お前のちょっとはちょっとじゃないだろう!」
「うわっ、なんか今の、結構傷つきましたよ」
胸を押さえる仕草は堂に入っているが、事実『ちょっと』ではないので表情は引きつっていた。
「やかましい! 口答えする暇があったら、さっさと歌姫に謝って真実の程を確かめて来いっ!! 何らかの結論を導き出すまでは、顔を出すな!」
怒りに紅く染まった顔は鬼気迫るものがあり、アーサーでも怯んだ。
しかし、追い立ててくれるオークの言葉が、大きなきっかけになったことも感じ取る。
胸に溜まったわだかまりも、複雑に絡み合った本音も、何もかもが昇華して、今ならきっと、彼女に不快な思いをさせずにすべてを話してしまえそうだと、心境の変化に思わず薄い笑みが浮かんだ。
「分かりましたってば!! だから、そんなに目くじら立てて怒らな……」
オークは真面目に怒りを感じているのだろうが、アーサーは笑いを浮かべて応じ、少しでも彼から距離を取ろうと身を翻した、そのとき。
 全身に、緊張が走る。
ぞくりと背筋を走った冷たい何かに、表情が強張った。
指の先さえ動かせないような衝撃が、アーサーを襲う。
「……アーサー?」
「あ……」
オークの声に、初めて身体に自由が戻る。
体中に流れる冷たい、気味の悪い汗を感じる。全身の温度が下がっているような感覚で、唯一激しい熱を発しているのは、右腕の半ばに嵌った華奢なバンクル。
じりじりと肌を焼く痛みは、小さな石から伝わってくる。
「兄様? ……大丈夫ですか?」
「シーザー。お前は、何も感じないか?」
「何も……って。兄様は、何か……?」
不思議そうに覗き込んでくる弟の顔には、何の変化もない。シーザーも左腕半ばに同じような『男神の血』を嵌め込んだバンクルをしているはずだが……この違いには、どんな意味があるというのか。
『……助けろ』
「へ?」
聞き覚えのある声は、ひそやかに耳元へと囁かれた。
『お前が本当にディーを必要としているのなら。……来い』
それは、至上の声を持つ者。
歌姫と常に行動を共にする、美しき傍観者の声。
その声が、彼女を必要とするのなら来いと言う。
来いと言われれば……。
「……行くまでだ!!」
引けない条件を提示されては、なすすべはない。
心を決めた今なら、なおのこと。
もしかすると、自分にしか感じられない体調や血石の変化も、彼女への何かが原因なのかもしれない。
のんびりなんて、している余裕はなかった。
「兄様?! ちょっ、どうしたんですか!! 兄様!!」
すでに走り出した背に、シーザーの声が響く。
せき急ぐ気持ちと、緊張がないまぜになって息を乱す。
それでも、かろうじて絞り出した言葉は。
「俺の花嫁を、口説き落としてくる!!」

 かき乱された気持ちは、彼女への想いと……この先に待つ何か、への緊張。
「もう、容赦なしだ」
口をついて出た言葉に満ちているはずの余裕は、もはや存在しない。
声の主が己を誘った理由も知らぬまま、アーサーは走る。




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