王子様たちと私 祈り捧げる神殿・求める理由
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 それは、太陽を讃える神聖な場所。
さまざまな人が訪れ、さまざまな祈りを捧げる場所。
彼女が、初めて己の国以外で歌ったのも、この美しい世界だった。

 「まぁ、こんな風になってたのね!」
楽しげに先頭を切って走る歌姫に、アーサーが転ぶなよ、と声をかける。
そう言われた端から何もないところで躓くのは、やはりお約束だろう。
「歌姫様のお声を初めて聞いたのは、ここでしたね」
フロッドが感慨深げに呟く。斜め後ろを歩いていたオークが、そっと上を見上げた。
「いつ来てもここの天窓の細工と、絵画の素晴らしさは世界一だな。月の神殿の静かな内装と水晶の煌きもまた美しいが、やはりこの神殿にいると心が洗われるようだ」
天井を隙間なく埋めるのは落ち着いた色彩で色づけられた絵画だが、その細部まで描き込まれた緻密さは、年月と描いた者の思い入れを感じさせる。大きく太陽光を取り入れる天窓に施された金枠の細工も、床に落ちる影から上品で洗練された構成を大胆に取り入れたものだと分かる。
誰もが美しさを認めざるを得ない、髄を凝らした神殿。
前夜祭のざわめきを自室にて聞いていたブレスは、初めて入った神殿の内部に息を呑んだ。
別の角度から眺める世界が開けたばかりの彼には、細部まで作りこまれた豪華な柱の彫刻や、壁に彫られたレリーフなどまでが衝撃の対象となった。
「凄い……」
圧倒されるほどの、素晴らしい景観。そして、明るく洗練された芸術。光と共存する空間。
すべてが揃っているからこそ、この太陽神殿の、神聖でありながらどこか開放感を備えた美しさは存在するのだろう。
「アーサー! お祈りしていっていいかしら?」
「……神殿は祈りを捧げる場所だろうよ。いくらでもしていけ」
世界に一人の歌姫が、祭壇の前で両手を組み合わせ静かに祈る姿は、美しく……儚い。
銀糸が陽光に照らされ、つややかな頬を滑る様も、長い睫毛の影がそっと目元に落ちるのも。奇跡のように美しく、信じられないほど神聖だった。
感情を超越して美を認めさせる、夢幻のような存在。
まるで、触れてはならないもののように。
触れることが怖くなるほどに。
静まり返った神殿の中、誰もが彼女を見つめた。
 やがて、ゆっくりと立ち上がった少女の立てた衣擦れが、彼らを現実に引き戻す。
当の本人は、見つめられていたことにも気づかずにこにこと微笑むばかり。
そんな彼女に、フロッドが、空いた空白を埋めるように声をかける。
「あのっ、失礼は承知でお聞きします!」
「何でしょうか?」
躊躇いと興奮を兼ねた声に振り向いて、ディーネは小首を傾げ、それに応じる。
耳に甘く残るのは、歌姫の声音。
誰もが、彼女の言葉に戦慄を覚える。その存在に、奇跡を感じる。
全員から見つめ返される視線に戸惑いを覚えたのか、ディーネはそっと唇を開いた。
「あ、あの……? 何ですか?」
「はっ! す、すみません、あの、その……歌姫様は、何を祈ってらしたのですか?」
すでにこの会合は半分を終えている。日に換算すれば、片手の指で足りるほど少ない。
こうしてこの顔ぶれで時を過ごすのも、あと僅かなのだと肌で感じ始める時期。
あんなにも煩わしかったこの会合を、楽しいと思えたのはこの年が初めてだった。すべては、この純粋な、世界に一人の歌姫のおかげ。
自分を始め、他の参加者たちを救ってくれた彼女が、長い祈りの間に何を思ったのか。
それは、複雑な胸の内をどうにかしたいと思う、自分たちの期待の言葉。
フロッドの戸惑い交じりの問いに、ディーネは笑顔のまま首を傾げた。
「祈ったことですか? たくさんありますわ。……この先も、すべての人に幸せが訪れますように。そして、私の歌で、すべての人に幸せを運ぶことが出来ますように。後は……そう、皆さんが素敵な人と巡り会って、幸せだと胸を張って言えますように」
日の光を浴びながら微笑む彼女の姿はどこか悲しげで、アーサーは一人、いぶかしげに眉をひそめた。

 「ところで……皆さん、この会合の後、自国に帰られて……どうなさるのですか?」
「どう……って」
突然の切り返しに、困惑の表情を浮かべたフロッドがアーサーに視線を向けた。知ってか知らずか、アーサーは腕を組んだままじっと歌姫を見つめている。オークが苦笑交じりに彼女の問いに答えた。
「今年は、色々と自身に変化のある会合だったからな。皆、戸惑っているのだろうよ」
誰もが。
彼女の加わったこの会合で、己の中に潜んでいた歪んだ想いを溶かしていた。
「俺は……そろそろ身を固めなければ。とは言っても、まだまだ学ばなければならないこともあるし、一つ一つを挙げていてはきりがない」
「王太子殿下には、いくらでもお相手はいらっしゃるでしょうに」
ブレスが、さらりと嫌味を吐いた。
「何を言うか。ただ美しいばかりの姫君たちを俺の隣に立たせるのは忍びないよ。持ちかけられる美姫の絵姿は目に楽しいが、俺は美しい妃が欲しいわけではない」
苦笑交じりの言葉は、強い真実味を帯びて降りかかる。
今はまだ、仄めかされるだけですんでいるが、いずれは自分たちにも降りかかる現実なのだ。意志も精神力も強靭なオークに難しいものだと言われては、この先の苦労が見えている。いまだ差し迫った状況にない王子たちそれぞれの反応に、オークは今からそれでは先が思いやられるぞ、と呟いた。
「オーク様、あの、お尋ねしてよろしいですか?」
そろそろと歩み寄って、首を傾げて赤毛の騎士を見上げたのは、ディーネだった。
オークは、それに応じるように彼女に向き直る。
「オーク様の、結婚相手の条件って……どんなものなのですか?」
きらきらと光る星を浮かべた藤色の瞳が、好奇心と、ほんの少しの不安を抱いてオークを見上げている。まさかそんなことを聞かれるとは思ってもみなかったのだろう、彼は苦笑交じりに溜め息を吐いた。
「いや、まさかそれを俺に聞かれるとは……」
「王太子どの、俺も聞きたいです、それ。参考までに」
にこにこ……いや、むしろにやにやと笑み崩れながら近づいて、アーサーは首を傾げるだ。
オークは、仕方ないな、としぶしぶと口を開いた。
「……結婚相手の条件、というか……これは要するに、自分の好みについてじゃないのか? そんなこと聞きたいのか?」
「俺は聞きたいですけど」
今までそんな話したことなかったですよね、と微笑んで、どうあっても引く気のないアーサーに、オークが同じように笑みを返す。
「アーサー、あとで見ておけ。そのときになってからこんな話を振るのではなかったと後悔するなよ?」
「……望むところです」
 長椅子にそっと腰掛けて、オークが高い天井を見上げる。
「条件、そうだな……俺にとって、結婚相手は、一種の契約を結ぶ相手だ。俺の手の中には王位がある。俺は国の民を幸せに導く義務がある。民に尽くし、民のために働かなければならない。それは仕事ではなく、義務だ。俺は民のおかげで生きているのだからな。だから……俺の元へ嫁いで来る女性がいるとしたら、それは……俺が間違いそうになったとき、俺を戒めてくれて、明確な意思、俺と同じ目的を抱く同志で、愛されることだけを望まず、甘ったれたことを言わない心の強い人、だろう。まぁ、そんな人はなかなかいないが」
「……王太子どの、それを女性に求めるのは酷ではありませんか?」
アーサーは、苦笑交じりにオークの前の長椅子へ腰を下ろした。身体を捻り、視線を合わせた彼の口元に浮かぶものは、苦笑、というよりも、呆れに近い。
「そうだな。だが、どうしようもないんだよ。俺はその条件を譲歩するわけにはいかぬし、条件を満たさぬ人を迎えたとしても、おそらく納得できない。いくら俺が、このままでは婚期を逃しそうだといっても、俺の言い分が分かるなら誰も強制などしないはず。俺はそんなに従順な王子ではないしな」
ゆっくりと見上げた視線をアーサーに合わせて、微笑む。
「それじゃあお前は、どうしたいんだ?」
何もかもを見透かす意志を持ったオークの視線は真っ直ぐにアーサーを射る。く、とアーサーの呼気が伝わってきた。
「何のこと、ですか?」
「後悔するなよと、ちゃんと言っただろう? お前はどうしたいんだ? お前の、結婚相手の条件は?」

 企みが上手くいって、オークは満足げに笑みを浮かべる。目の前で困った顔のまま固まったアーサーからそっと視線をずらすと、少女が目に入った。
たくさんの色を磨き上げられた大理石の床に返すステンドグラス、その色が銀の髪に、白い肌に映し出され、彼女の姿は色鮮やかに、より華やかになる。
しかしその眼差しはなにやら不安げで、じっとただ一人を見つめている。
視線の先は、感情をひた隠しにして自分から目をそらし、壁のレリーフを見つめるアーサー。
そんな二人を見て、オークはこの話をしていいものかどうか、少し悩んだ。
 微妙な関係のアーサーと歌姫。
しかし、先ほどの話題……結婚相手の条件云々にも繋がる申し入れ……結末の見えそうもないそれに、オークは興味があった。
それらを、普段なら決して口を割らないだろうアーサーから聞き出そうというのだ。
ここで引くわけにはいかない。
「お、王太子どの、ほら、そろそろ出ませんか? 一般の礼拝の時間が……」
「まだたっぷり二刻はあるだろう。……あぁ、アーサー? だんまりを決め込んだらどうなるかも、分かっているな?」
俺に逆らうなんて真似、しないと信じてるよ。
オークの中には、許す余地など一片もない。
「はは……」
引きつる唇を強引に動かして、アーサーは降参です、と両手を上げた。
「俺の、結婚の条件、は……とりあえず、俺の声に流されないこと。言いなりの人間と結婚したって、何の意味もない。それが、第一です。この条件が当てはまる相手なんて、石ころの中から宝玉を見つけるくらい難しいでしょう? ……ないものねだりに近いんだって、分かってるんですが」
呟く声が、彼自身への嘲りを含んで緩やかにこだまする。
意外なほど素直な、意外なほど切ない声に、ただ聞いていたフロッドが首を振る。
「そんなこと、ありません。現に出会ったではありませんか。歌姫様と。そ、それに、おれも多少は慣れてきたと思うんです! だから、そういうのは、探せばきっといるんだと信じなくちゃ、いけないんです!」
慰めにもならないフロッドの言葉は、アーサーの瞳を瞬かせた。
信じること。常に苛酷な環境で生きてきたアーサーには、ずいぶんと遠くへ行ってしまったことだろう。だが、出来ることなら思い出してほしい。
「そうだなー……月の王国には、声を持つ者も多いって言うし。なぁ? ディーネ」
「えっ?! ……え、と、あぁ、そう……だと思うけれど。アーサーみたいに、しっかりと人の行動を左右する声を持つ人は、なかなかよ? だから、私も話し相手がシングくらいしかいなかったのよ?」
焦ったように、矢継ぎ早に紡がれる言葉に、アーサーが瞳を瞬いた。
アーサーが疑問を持ったのと同じように、オークも彼女の不安を訝しく思う。突然話を振られたから、というわけでもなさそうだ。いったい何を焦るのか。
それが自分の思う通りならいい……そんな妄想が頭の中をかすかに過ぎった。
 様々な意思が織り込まれた視線を交わすアーサーと歌姫に、オークは胸のざわめきを覚えた。
 アーサーと、今この場にいる二人の王子たち。彼らは月の王国の王女、ディオネ姫に結婚を申し込んでいる。
 どこか他人行儀で、覇気も目的もなかった自分たちの中に突然舞い込んだ異存在。類稀なる美貌と声、純粋さを持ったイレギュラー。
彼女の存在ひとつが、今まであんなにも曖昧で、本音を吐き出すことなどしなかったアーサーを変えた。変わった己を自覚した彼が、歌姫に興味を……好意を持たないはずがない。
それに感化されたように、次々と良い影響を及ぼされた、自分たち。
今までにないくらいいい雰囲気で別れを告げられる、そんな環境を導くことが出来たのは、かの歌姫のおかげだ。
しかし、どんなに彼女が美しく素晴らしい女性であったとしても、彼女は歌姫。
アーサーのように『声を持つ者』でもなければ、その声の魅力は計り知れず、傍に置くには危険すぎる。
しかも、彼らには呪縛のように絡みついている王国から出たことがないというディオネ姫への求婚がある。
おそらくここにいるものは誰も、姫の姿を見たことがなければ、声を聞いたこともないだろう。
そんな彼女と、ここに明確に存在する、同じ『声を持つ者』の歌姫。
様々な条件に拘束されたアーサーはどうするのか。
 残り少ない共にする時間を、自分たちと、いや、歌姫と過ごせる短い時間を、どう使うのか。理由がはっきりしないまま、その答えを聞きたかった。
「そうだ……俺は蚊帳の外だが、今のままだとお前たちは月の王国の王女を取り合わなければならないんだ。いっそここで決着をつけてしまったらどうだ。神が行く末を見守ってくれる神殿。場所は悪くないだろう」
なんでもない風を装った、大きな爆弾。
案の定、アーサーが慌てて顔を上げる。今までの会合において、全員が集まった場所でアーサーが取り乱したことなど一度もなかったというのに、取り繕うこともなくその焦った表情は全員にさらされている。
「王太子どの……出歯亀は無粋です。やめましょう」
「なぜです? いいではないですか、そのほうが後々揉めなくて」
さらりと横から口を出したのは、フロッドだった。
「おい……!」
「歌姫様にも、見届けていただきましょう。婚礼の際に、祝福の歌をいただけるかもしれませんし」
言葉とは裏腹な、硬い表情。
そこにあるのは、緊張と……決断だろうか。
「よろしいですか? 歌姫様」
オークの視線、そして追いかけるように集まる三人の視線に、少女は目を瞬いた。
どこか他人事のように聞いていた言葉を、ようやく理解したのだろう。
「え、と……見届ける、って……」
「俺たちの誰が月の王国に婿入りするかの結論。嫌なら嫌と言え」
切って捨てる勢いのセリフは、その心の現われだろうか。
決して視線を合わせようとせず、彼女の答えを待つ姿はどこか不安げで、普段の悠々とした彼は見る影もない。
「アーサー……?」
言外に問えど、答えは返ってこない。
不安げな歌姫の視線はアーサーに注がれるが、それに応える素振りは、ない。
そっと視線をそらせば、その先には今までにない真剣な表情のフロッドがいた。
更に周囲を見渡せば、かすかに戸惑った風なブレスがいる。
もう一度視線をアーサーに戻した。歌姫と視線が合わない、その微妙な角度。
「聞いているだけで、いいんですよね?」
囁かれる言葉に、アーサーがはじかれたように面を上げる。
「ディーネ?!」
「……だって、断る理由なんて、ないじゃない」
困惑した表情で小首を傾げ、淡く微笑む少女の表情に、アーサーがはっと息を飲み……小さな溜め息をついて項垂れる。
「そうだが……」
「歌姫様が証人になってくださるのでしたら、私も賛成です。早くけりをつけてしまわなければ、また迷ってしまいそうだから……」
ブレスが同意を示し、ゆっくりとアーサーのそばに歩み寄った。今まで、必ずどこかに余裕を持っていたアーサーの揺らぐ表情に、そっと首を振る。
「……私は、引きます。王となる自信は、ありませんから。国に帰り、兄と対峙するだろうというだけで、こんなにも緊張を抱く私が。自分に自信を持てない、どうにもならない弱さを持つものが王になって、たくさんの人々を不幸にすることだけは、そんな愚かなことは……いくら私でも、出来ません」
淀みなく紡がれる答えは、率直であり、純粋な心からの言葉。
「こんな自分が、王女殿下の元へ姿を現すわけには、いきません。誰が赦しても、私自身が赦せません」
「……ブレス殿」
ブレスははっきりと言い切り、前を向いたその表情は明るく、満足げな笑みを浮かべている。決断の色がはっきりと見て取れて、そこにはもう、迷いはなかった。
「おれは……まだ、自分のことしか考えられなくて。他を考えられるとしたら、スイのことくらいで。国だとか、人だとか……そんな大きな単位で、自分を計ることが出来ないんです。自分の事さえ満足に収められないのでは、出来るはずもありませんよね? 王太子様のお話を聞いた今では、直のこと……」
あ、でも明日もしかすると奇跡が起きて、殿下に負けないくらいの自信がついていたら、王女様の元へ胸を張ってまいりますよ、と笑いながら続けたフロッドだったが、周囲からは沈黙しか帰ってこない。
普段ならアーサーが茶々を入れてもおかしくないだろうのに、それさえもなく神殿の空気は静かに澄んで、小波さえ立たない。
「え、と……あの?」
「あの、じゃねぇ! お前が辞退したら俺が婿に行くしかねぇだろうが!!」
頭痛をこらえるように眉間をゆっくりと揉み解しながら、アーサーが声を荒げて言葉で応酬する。激しい声に感化されて、フロッドが一瞬息を呑み、目を瞬いて。
「……あぁっ!! ホントだー!!」
「気づくの遅ぇよ!!」
大声を上げたフロッドに続いて、アーサーが畳み掛けるように怒鳴る。
神殿の空気は、すっかり普段の彼らのものへと塗り替えられてしまった。

 「え、あの……それ、って、もしかして……アーサーが、ディオネ姫の婚約者になる、ってことなのかしら?」
「いや、だからちょっと待てって!」
焦るアーサーに、周囲への気遣いなどしていられない。
彼女の言葉に、更に苛立ちを覚えて、否定する。
「それこそ、成り行きというか何と言うか……とにかく、俺が決めたことじゃないだろうが!」
「でも、そういうことなんでしょう?」
彼女の確信をつく言葉に、アーサーは口を噤むしかない。
「……光の歌姫、ディーネ=クレス、確かにこの結末を見届けました。どうか皆さんの選択に、迷いや疑問が浮かぶことがありませんように」
そっと、祈るように指を組み合わせて目を閉じた姿は、やはり女神のように神々しく……息を呑み、その姿に見とれている。
ただ自分だけが、歯を食いしばり、その姿を苦悩に満ちた瞳で見つめる。
こんなことになるとは。彼女の前で、こんな結論がでるなんて。
……残り少ない日々が、どこか他人行儀になることを見越し、アーサーは悔しさを握り締めた拳に込めた。
焦りと混乱は、静まりそうにない。

 自分が選ぶ、選ばない以前の問題で、話はあっさりと解決してしまった。
結論に、不満があるとは言わない。彼らの中であればおそらく、アーサーが適任だっただろう。しかし、自分は知らない。アーサーが、求婚している理由を。何のために、何を求めるがゆえに月の王国へ行くことを決めたのか。国を継ぐはずの、第一王子である彼が。
王女としては、文句など一欠片たりとも出はしない。
だが、今の自分……光の歌姫であるディーネ=クレスは、そんなアーサーの行動に納得できない。自分への言葉は、行為は。いったい、何だったと言うのか。
彼は歌姫を繋ぎとし、何の思い入れもなく月の王女の元へと行くのか。
曖昧な態度に、胸がさざめいた。
 もう、今までのようにはいられない。
醜く変質してしまう自分が怖くて、今までになかった自分を黒く塗りつぶしていく泥のような感情に蓋をしてしまうためには、これ以上は無理だと、そう思う。

 美しい造作の顔に張りついた微笑が、アーサーに向けられることはなかった。




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