王子様たちと私 意志貫く弓場・望みについて
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 静まり返った空間は、そこに立つものの意志を試し、受け入れる。
例えどんな思いを抱いていようとも、ただ緩やかに、全てを包み込むようにそこにある。
 この静かな世界を乱すことは、許されない。
己と向き合い、迷いを断ち切るために、よくこもっていた記憶がある。

「あー、懐かしいなぁ。昔よくここに入り込んでシーザーとかくれんぼとか鬼ごっことかした記憶があるんだ」
「……それって、していいの?」
「いや、子供は立ち入り禁止だった」
「おい……アーサー、いくらなんでもそれはまずいぞ?」
複数の足音が床を鳴らす。声がその空間に満ちて、空気に触れて溶けた。
 そこは、弓をひくためだけの場所。
芝生が敷かれ、的が横一列に、人に向けて射ればその命を奪うことさえ可能な道具が、ずらりと並んでいる。
なんの臆面もなく入っていくのはアーサーとオークで、ディーネは何も分からないままアーサーに手を引かれていく。それらに触れたことのないフロッドは彼らの後ろからおずおずとついてきていた。その後ろにいるブレスは、相変わらず表情を見せない。
「ブレスどの、フロッド、弓の経験は?」
アーサーはにこりと笑って二人に振り向く。その後ろでは、出発する前に、気持ちを入れ替えておけと言ったオークが、神妙な顔つきで胸当てをつけているのが見えた。
 不思議な、時間の流れを感じさせない空間。
冷たく清浄な空気は、人を精神の高みと、全身の緊張へと導く。

 きりきりきり、と弦が引き絞られる。
心地よい緊張感。
己と向き合い、信じ、確立したその一瞬に矢を放つ。
ひょうと矢羽が風を生み、的に突き立つ。とん、と軽い音しか聞こえないのは、的までの距離があるせいだろう。
オペラグラスを覗けば、まずまずの位置。
ほっとする。
 アーサーは、しばしその場の空気を感じ、気持ちを落ち着ける。背後、フィールドから少し離れた位置のベンチに腰掛けているディーネを見やる。
静かでありながらひどく緊張感漂う空気に感化されたように、硬い表情をしている。
それに苦笑して、アーサーはゆっくりと彼女の元へ歩き出した。
「ディーネ」
声をかけられて、初めて気がついたようにぱっと顔を上げた少女に、微笑みかける。
「なんだ、真面目な顔して俺を見てたわけじゃないんだな。俺は寂しいぞ」
珍しく率直な物言いをしたアーサーに、ディーネはきょとんとこちらを見つめてくる。
「え、あの、その……考え事してたの」
言い訳めいたセリフを口の中で小さく呟いて、少女が目の前の的に視線をやる。
ここからでは遠すぎてはっきりと見えないが、おそらく、中央付近に突き立っている先ほどアーサーが射た矢を見ているのだろう。
「アーサーって……」
「ん?」
「ホントに、何でも出来るのね」
「やろうと思ったことはな」
間髪置かずに、答えを返した。
「やる気にならなければ、どんな秀でた素質も無用の長物だ」
言いながら向けた視線の先には、亜麻色の髪の青年。
「……あの人は、一体何を途惑っているのやら」
苦笑混じりに呟いて、背をベンチに預けた。
 そこに見えるのは、予想通りのものだった。
弓を構える形は、堂に入って美しくさえある。
隣りのフロッドとは明らかに違い、やや離れた位置のオークの構えとも甲乙つけがたいその様には、手馴れた雰囲気が見て取れる。
それなのに、的を目指して放たれた矢は、どうしてか中心に当たらない。フロッドのように的から大きく外れるわけでもなく、中級者のように当てたくても当たらないのでもなく、おそらく、当たってもおかしくないのに当たらないのだ。
それは構えの美しさや、重いはずの弓を慣れた手つきで扱う姿や、矢を射るたびに、焦りを含んだ表情を見せていることで納得がいく。

 「弓は、自分との戦いなんだ。自分を甘やかすのも、厳しく律するのも。全てが自分の感覚と精神力と、決断力に任される。……フロッドは、慣れればある程度伸びるだろう。自分の進むべき先を決めたんだから。王太子どのは、飛び道具を好まないから、それほど触れた経験はないと思う。それでも、あの人の強さと潔さは、ふとした拍子に弓へと走らせるんだ。自分をどこまで高みに突き上げられるか、自分の内面と向き合うにはこれが一番だから」
視線をブレスに固定したまま、アーサーは独り言のように言葉を続け、並べていく。
「それじゃあ、アーサーも自分と向き合ってたの?」
先ほどの的へ向けていた視線があれほど鋭かったのは、自分の内側を見つめていたからなのだろうか。
「まぁ、そんなところだな。俺にも色々と悩みくらいあるんだぞ。それに、いい加減はっきりさせないと」
 ディオネはよく分からないまま、アーサーの言葉を待ったが、彼はそれ以上に触れる気はないらしい。
宙に浮いたまま放置された言葉が、もどかしい。
何を……と問いかける勇気は、となりから流れてきた言葉にかき消された。
「風の国はな、弓術が盛んなんだ。アレは、集中力も忍耐力も、勘まで養える万能の武道。あの国には弓の歩兵隊やら騎馬隊がわんさといるぞ」
アーサーの強引な話題の切り替えに、ディオネはむっと眉を顰めたが、どうやら当人は思ったことを口に出しているだけらしい。
「そうなの?」
「あぁ。王太子どのから聞いたから、間違いない。で、さらに風の国の人間ほとんどがまず最初に習うのは、弓を持つことなんだ。男も女も同じ。とにかく、弓がまともにひけるようになれば一人前で、ひけないといつまでも子供扱いされる。まぁ、小さい頃からやってれば身体で覚えて絶対上手くなるし、環境が変わってもその力に大して影響は出ない」
ようやく、話の主旨が掴めてきた。
「ようするに、ブレス様の様子がおかしい、って言いたいの?」
「惜しい。言っただろ、弓術は自分との戦いだ、って。あの人は今、自分が見えないんだ。何かに追い詰められて、焦ってる。間が読めなくなってるんだ」
だから、普段ならはずさないようなものを、ばしばしはずしまくってるんだ、あの人は。
アーサーはそう呟いて、胸当てをはずしベンチに寝転がる。
「……あら、意外。アーサーが他人の心配してるわ」
感情を隠すように顔を腕で覆い隠したアーサーに、ディオネは冗談めかすような口調で囁く。
「っあのなぁ!」
ほんの少し乱暴に、彼は横たえた身体をがばりと引き起こして、ディオネに向かって首を捻り。
「……アーサーを好きな理由が、分かった気がする」
微笑みを浮かべてそう告げると、ぱたり、とベンチに再び寝転がった。
「ディ……ディーネ、まぁ、ちょっと待て? いや、その、うん、あー……」
「アーサー? ……顔、真っ赤よ? 熱でも、あるの?」
突然ベンチに突っ伏して、震えるアーサーの姿に、ディオネは問いかける。心配だ。
「一応、念のために、聞く。誰が、誰を好きな理由が分かったって?」
「え? 誰がって……」
いきなり、なぜそんなことを聞かれるのか解らなくて、ディオネは目を瞬き、小首を傾げる。
「おう。誰が、だ?」
「シーザー君」
答えると同時にアーサーは深く、深く溜め息をついて。 「……膝貸せ」
こちらの膝へと身体を傾けた。
「きゃ! アーサー、なに、え、ちょっと……」
突然のことで、一体何をされているのかわからない。
ただ、思うのは。こうして彼が触れてくれることへの、喜び、だった。

 「あーっ!!」
遠くで、別に耳に入れたくもない声が聞こえた。
「アーサー、起きて?」
自分を優しく揺さ振る声に、はっとする。
これだ。
この声に起こして欲しかった。
緩やかに意識が浮上して、アーサーは目を開けた。
「殿下、ずるいです反則です!! おれの知らない間に、う、歌姫様の膝枕なんて!!」
目の前に、ひどく取り乱して幼い口調になったフロッドが、顔を真っ赤にして叫んでいる。
「……あのな。お前、下僕は膝枕なんかしてもらえないんだぞ?」
ぼんやりした頭を叩き起こすのも切なくて、アーサーは身じろぎしてフロッドに背を向ける。もぞもぞと膝の上で動きまわられて、こそばゆく感じたのか、彼女も少し身を捩らせた。
「アーサー、いい歳した男が小さな少女の膝に甘えている様は非常に気味が悪いぞ?」
再び意識を深いところまで導こうとした途端、オークの面白がるような声を耳の端にとらえて、アーサーはがばりと身体を引き起こした。
声のした方を向けば、胸当てをはずしながらくつくつと笑いを堪えるオークが、ゆったりした足取りで近づいてくる。
「そんなに疲れているのなら、ゆっくり休めばいいだろう。もっと、邪魔の入らないところで」
オークは少し間隔をあけて並んだベンチのひとつに腰掛けて、肩や腕を軽く動かして筋肉をほぐしていた。そんな暢気な言葉と動作に、フロッドは眉を顰めて声を荒げる。
「王太子様、殿下の抜け駆けを助長するような言葉は慎んでください!」
「なんだよ、それじゃあお前、月の王国の王女への求婚、撤回しろよ?」
「それとこれとは話が別です」
どうやらフロッドは、先ほどの膝枕の件が堪えているらしく、普段なら多少なりとも影響を受けるアーサーの言葉をぴしゃりと撥ね退けた。
その反応に、アーサーは面白そうに目を瞬き、勢いに乗ってそのまま続ける。
「どうしてどこが違うんだ? 二股はよくないぞ」
「それは殿下も同じじゃないですか!!」
「いやー聞こえねぇなぁ」
楽しげな男達に囲まれた少女が小さな声を上げたのは、そのときだった。
「あの……」
囁くようなかすかな声さえも、瞬時に場を掌握する。
なんと強く、驚くばかりの力。
「ブレス様が」
ディーネの視線の先には、苦々しい表情で胸当てをはずし、出て行こうとするブレスの姿があった。
すかさず、アーサーが声を張り上げる。
「ブレスどの!」
響く、強い声。
抗えない強制力。ブレスの身体が、アーサーを振り返る。
微笑むアーサーをその先に見つけると、途端に表情が消えた。
「何か?」
「お話、しませんか。ここのところ全員揃ってお会いしていませんでしたし」
普段のアーサーならばありえないほど、強引な言葉。
いつもならば意識して声量を下げているのだが、今回は、そんな気配りを欠片も見せないで。
ディーネが、おずおずとこちらの表情を盗み見てくるが、別に機嫌は悪くない。
むしろ、呼び止められ、その行動を制限されているブレスの方が眉間に皺を寄せ、その真意を読み取るのに苦労している。
 明らかに普段とは異なるアーサーの様子に、フロッドも不思議そうな表情を見せ、オークはただ、その様子を遠巻きに眺めている。
そんな彼らの反応を当然のものと思いながら、緩やかに微笑んで、アーサーは口を開いた。
「お題は、自分の望み、なんてどうでしょう」
今までのアーサーから出るはずのない言葉に、全員が耳を疑ったのは当然だろう。
ブレスは振り返った姿勢のまま、訝しげに目を細めて視線をアーサーに注いでくる。
「アーサー……お前の思いつきはいつものことだが、それはお前にえらく不利な話題だな?」
とんでもない話題だぞ、それは……と笑いながら、オークは腰掛けた姿勢のまま、腿の上で肘を突き、指を組み合わせた。
「とんでもないですか? ……あぁ、フロッド、そんな怯えた顔するな。今日は当て馬になんかしないから」
オークの言葉に同じく笑みを返しながら、アーサーは視界の端でじりじりと身を引くフロッドへ言葉を投げる。
「今回は俺が最初になったっていいくらいだ。ただし。俺の話を聞いたらお前の答えも必ず出すんだぞ?」
「そ、それは構いませんけど……!」
「更正を手伝った俺が、納得できる内容であることを、祈ってるよ」
アーサーがにやりと笑って応じれば、彼からは悲鳴が返って来た。
冗談のような会話に、今日の本命は不機嫌そうだ。眉根を寄せ、こちらを見つめてくる。
 これでいい。
アーサーは一人ほくそえみ、相変わらずきょとんと目を瞬いている隣りの少女に甘く微笑みかけた。

 「俺の望みか。言葉にするのは難しいな、こういうことは。シーザーに……俺を超えて欲しいんだ」

 どこまでが本気なのか悟らせない、溢れんばかりの微笑み。
オークは相変わらずの苦笑でそれを受け流し、フロッドは恐怖に引き攣った顔を隠そうともしない。ブレスに至っては、多少眉を顰めただけでそれ以上の反応はなし。
そして、ディーネの反応は。
「なんだか、アーサーが凄く普通のことを言ったように聞こえたの」
頬に手を当てて、ぱちぱちと目を瞬き、軽く首を傾げる姿は、小さな子供のよう。
「失礼なセリフだな、まったく。俺でも一応、人並みに望みを持ったりするの。それに、俺はシーザーのこと、ホントに可愛いと思ってるんだぞ? 兄バカっぷりを披露してやってもいいくらいだ。とは言っても、俺を追い越すのは不可能だって分かってるから、せめて追いかけてきて欲しい」
一歩間違えばただの自画自賛でしかない言葉だが、アーサーにとっては当然のこと。
「どうしてアーサーって……」
「ん?」
「何て言うのかしら。普通の人なら言えない事でもさらっと言えて、しかもそれが厭味じゃないの。不思議」
「そりゃあ、俺だからな」
「それで納得できるのが、すごいって言ってるの」
俺は凄いんだって、と続けようとした途端、口をへの字に曲げたフロッドが割って入る。
「おれだって、スイに俺を超えて立派な女王になってほしいです!」
負けじと主張するのは、どうやら『兄バカ』の部分らしい。確かに、フロッドとアーサーの共通点と言えば、そこしかないような気もするが。
「いや、お前は追い越してもらうとか追いかけてもらうとかのレベルじゃなくてだな、むしろ一緒に駆け上れるかどうかだろ」
精一杯の強がりを、まるで羽虫を払い落とすかのようにぺしりと扱き下ろされたせいか、フロッドは途端にしゅるしゅるとしぼんでしまう。
「うぅ……スイは、スイは真っ直ぐに育っているはずだ……あの子が、あんな優しい子がまさか殿下のように歪んだりは……!」
「俺と比較するたぁいい度胸だなコラ」
にやりと笑んでやれば、フロッドはまるで蛇に睨まれた蛙のように頬を引きつらせて、固まった。
「で? お前の望みは結局なんだよ」
さぁ、墓穴を掘れと言わんばかりの笑顔に、フロッドは引きつった顔の筋肉を強引に戻して、きゅっと歯を食いしばった。
「……スイと、もう一度最初からやりなおしたいです」
真っ直ぐな視線に、アーサーは優しく微笑んだ。
空気の温度が変わりそうな、驚くばかりの柔らかな微笑み。
「いい答えだ。まぁ、まずは取っ掛かりつかまないとな」
自分の言葉に自信満々で頷いていたアーサーの耳へ、唐突に届いたのは……かたん、と言う小さな物音だった。
「……ご用がないなら。失礼致します」
静かに澄んだ表情が消え、かすかに苛立ったような複雑な視線が、緩やかな会話に釘を刺した。
アーサーは、その表情を淡い笑みへと変え、今にもその場を離れようとするブレスに囁く。
「ブレスどの。ここは、いつでも開けるように言い渡しておきます。迷いが晴れましたら、ぜひ、その妙技を披露してくださいね」
かっと、ブレスの顔に朱が差す。
振り払っても隠そうとしても、浮かんでくる何かの感情を強引に押し込めて、ブレスはその身を翻し逃げるようにその場を去った。
 後に残されたのは、わけの分からない、と言った表情のフロッドとディーネ、ほんの少し、真剣みを帯びた鋭い視線をアーサーに向けるオーク。
そして、彼らの途惑いもどこ吹く風、涼しい表情でブレスの出て行った方向を見つめるアーサーだった。
「……さて、王手はかけたが、これからどう転ぶか……王を落とすのは難しいな」
呟く言葉は、理解する者もいないまま空気に溶けて消えた。




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