王子様たちと私 静けさ響く図書館・結ぶ理由
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 静かで、厳かな雰囲気。漂う空気はひんやりと優しく冷たく、そして、古い紙の匂いが満ちている。それは、知識の宝庫。過去の遺産を手に入れるために、誰もに開かれる知識への扉。

 「……そして、光の歌と呼ばれしものは、この世界を愛し護りながら、共に世界への歓びを運ぶ、美しき声を持つ人間を探し出し、その者に加護を与え、慈しんだ。選ばれし者は、稀に見る美貌も併せ持つことが多かったと言う……また、声を持つ者は女性に多く、それ故に選ばれし者は、光の歌姫と呼ばれるようになった……」
きらきらと、銀の髪が光る。
淡い藤色の瞳が、そっと細められる。
白い、白魚のようなたおやかな指が、銀糸をゆるりとかき上げる。
「……歌姫様、綺麗」
ディーネの朗々と歌い上げるような声に、シーザーはうっとり彼女を見上げる。
自分が古代の歴史書を読んでくれと頼んだのに、どうも、内容よりも彼女の声に惹きつけられている。兄の声である程度慣れているとは言っても、やはり、歌姫の声による引力は、計り知れない。
呟かれた声に、彼女は苦笑して、栞を挟むとゆっくり本を閉じる。
「あなたのお兄様の美貌も、相当のものだと思うのだけれど?」
紙面から上げられた視線は、真っ直ぐに一点を目指す。
確かに、兄の美貌は目立つ。シーザーは、光の歌姫である彼女の視線さえ奪ってしまう兄を、ほんの少し羨ましく思い、とても誇らしいと思う。

 「だから!」
「……なるほどっ!!」
「いや、違うだろうお前たち」
まず目に飛び込んでくる、眩しいばかりの金の髪。
そして、飛び抜けた高さにある燃え上がるような紅の髪。
……そして、目立たないはずの、濡れ羽色の髪。
けれど、その三つの彩度の順位を無視して、最も目を引くのは、濡れ羽色の、深く暖かな闇を抱く青年。
何故だろう。彼に否が応にも視界を奪われるのは。
 美貌だろうか。
否、金の髪の青年も、彼とは違うたおやかな美貌を持っている。
 体格だろうか。
否、それならば朱の髪を燃やす彼の方がよほど美しい。
 声だろうか。
否、あそこから彼の声の力が届くはずもない。

 それならば、何だろう。
「……滲んでいるのよね。彼の内面から、強さが。誰もがその姿を追いかける、眩しい光が」
彼の、生きることへの想い。
おそらく、それが彼から感じられるのだ。
強く、熱く、激しく燃え上がるような生への執着。
何の不自由なく育てられたはずの彼が、何故あんなにも生きることへ強い意志を見せるのか?
「……兄様は、僕のお手本なんだ」
「え?」
今、何だかとんでもない言葉を聞いたような気がする。
一緒になって彼を見つめていたシーザーの口からこぼれた言葉に、ディオネは一瞬、目の前が真っ暗になった。
「……アーサーを、お手本にしてるの?」
控えめに声を出して、なるべく、力のこもらないよう気を配りながら、ディオネは聞き返す。
「うん。兄様、僕が小さい頃から、無茶ばっかりしてたのに、それを必ず成功させて。いつも凄いな、僕もやってみたいなって。思ってたんだけど、それは誰でも出来るんじゃなくて、兄様だから出来るんだってこと、教わってたから。実力もわきまえず無茶なことをすると、後で必ず痛い目を見るんだって。そういう、していいこと、悪いこととか、出来ることと出来ないことの区別とか、兄様を基準に知ったんだ。だから、兄様は僕のお手本。誰でも出来ないことを、笑ってさらっとこなせる、自慢の兄様。僕が王子だからって、気を使わずに怒ってくれる数少ない『大人』なんだ。それにね、歌姫様」
にこにこと、アーサーによく似た整った容貌を幸せそうに緩ませて、少年はディオネの隣りの椅子から立ち上がった。
「兄様ほど綺麗でカッコよくて強い人なんて、この世界にいないんだもん」
 それは、何の躊躇いもない、ただ彼の兄を自慢するような満面の笑みと、事実を素直に語る言葉。
何となく、その意味が分かるような気がした。
 それじゃ僕はそろそろ、外で武術の稽古があるので失礼します、とディオネに向かって一礼したシーザーは、ぱたぱたっと軽い足音を立てて出口へ向かう。彼はそのまま、出て行く前にアーサーにじゃれついて軽くたしなめられ、励まされて、くすぐったそうな微笑みを浮かべると、何事かを囁いて、眉根を寄せたアーサーに拳をふるわれていた。
重い扉が動き、数瞬の間ざわめいた空気が、すぐにもとのひんやりした静かな凪に戻る。
澄んだ空気にしばらく身を委ねて、さて、本を戻しに行こうかと、椅子から腰を上げたときだ。
「あ……」
視線の先に、彼がいた。
亜麻色の髪と、碧色の瞳を持つ青年。
その表情は強張って、その目は、深い悲しみが満ちている。
軽く絡まった視線。
ただそれだけなのに、彼は慌てふためいて、さっと本棚の奥へ隠れてしまった。
……視線の意味が、分からなかった。
何に悲しみ、何に恐怖したのか。
まず自分に対してではないだろう。
この身の何を恐れられる必要があるのか、欠片も分からない。それでは、一体なんだろう?
「ディーネ?」
自分を呼ぶ、声。それに振り向こうとした瞬間だ。
がしぃっ、と背後から抱き締められて、ディオネはびくんっ、と体を震わせる。
「な、なっ、ななに?! え、あ、アーサー……」
驚いたときとは違う。
心臓の音が、だんだんと早くなっていく。
早く、大きく、壊れそうなほどに。
顔にふわっと血が上る。体温が上がる。
そんな自分を、彼から隠してしまいたくて、ぎゅっと身体を強張らせる。
……振り向いたら、駄目。
視線が合ったら、壊れてしまう。全部見透かされてしまう。
根拠はなかったが、そんな気がした。
「何見てるんだ? ……何か見えたか?」
アーサーの声が、耳元で囁き声として聞こえる。
ただそれだけでも、怖いくらいに緊張する。
……それでも、質問には答えざるを得なくて。
あの人の悲しい目が気になって。
おずおずと、口を開く。
「あの……ブレス様が」
こっちを睨んでいた、と言うわけにもいかず、ディオネは押し黙った。


躊躇って口元に指を当てる彼女の動作は、愛らしいが……アーサーにとっては、その唇から出て来た言葉が、あまりにも悲しかった。
「……そこで、男の名前を口にする奴があるか。馬鹿」
こんな……自分の腕に包まれた姿勢で、自分以外の男の名を口にするなんて。
「だって、ブレス様が、あの本棚のところに、いたんだもの」
それが見えたから、そう言っただけなのよ? と小首を傾げて応じる彼女に、脱力する。
そうだ、彼女には分かるはずもない。
この胸に抱くもどかしい感情は。
「……ブレスどのが、どうしたって?」
はぁ、とため息をついて彼女を腕の中から解放したアーサーが、手近な椅子を引き寄せて、それに腰掛ける。
ほっと安堵の息を漏らしたディーネは、同じように傍の椅子を引いて、腰を落ち着ける。
「さっき……あそこから。なんだか悲しそうな目で、こっちを見つめてて……でも、目が合ったら、すぐに隠れちゃったの。……どうしてかしら?」
「お前が怖かったんじゃないのか?」
アーサーが何気なく口にした言葉に、彼女はぱっと顔を上げ、本当に不安げな眼差しで問う。
「私、そんな怖い顔してたかしら?」
やっぱり私のせいなの? と、悲しげに俯く彼女の姿に、アーサーは、苦笑した。
「だったら凄いな。どれほど怖がりなんだか。俺とのダースであんなに平然としてる人が、お前に見つめられただけで怖い……あぁ、なんだそうかなんとなく分かるぞ。まぁ、それは置いておこう」
ははっと笑って一蹴したアーサーに、彼女は詳細を求めたがっているようだった。だが、それを問い詰めたところでアーサーが素直に答えるはずもない、と思ったのだろう。
出会って十日足らずであるにも関わらず、彼女はアーサーの上辺の性格を何となく把握してきたようだ。
 意地悪で、教えてほしいことは微笑みひとつで一蹴する。それでも諦めなければ、含みのある笑顔であっさりとかわされる。
……ほんの少し、胸をもやもやしたものがよぎったが、アーサーはそれを見て見ぬ振りで受け流した。
「それじゃ、そうだな……シーザーに課題を出したんだ。それの答えを一緒に考えてもらおうか。フロッド! 王太子どのもおいでください!」
なんだなんだと、先ほどまでいた席から、二人がこちらへ移動してくる。
フロッドは、自分たちの姿を目で追う歌姫の姿に気づいたのか、彼女の三歩ほど前まで近づくと、さっと膝を折って頭を垂れる。
「歌姫様にはご機嫌麗しゅう。本日もあなたの美しさが煌いて見えるのは、やはりこの心のときめき故かと」
彼女の隣りで、その一通りの流れを目の当たりにしたアーサーは、唖然とした。彼の言葉を受ける立場であるディーネでさえ、目の前に繰り広げられた光景を、受け入れられなかったようだ。
さらりと金の髪が肩を滑り、水の王子は顔を上げる。
「先日はご迷惑をお掛けし、まことに申し訳ありませんでした。私はもう、あなたの下僕でございます。何なりとお申し付け下さいませ。その歌声、美貌、何もかもが神の寵愛ゆえでしょう。どうぞ、その御心をお聞かせ下さいませ」
ふんわりと微笑むのは、まるで華のような、たおやかで魅力ある表情。
彼女はぱちぱちと数度瞬いて、かける言葉を探しているようだった。
 しばらく、そうして向かい合って。ディーネは彼の前へ膝をついた。
「や、止めて、ください……私は、そんなことを願っていません」
囁くような微かな音色。それでさえ、意識を込めずとも力を持って動き出すのだろう。
彼のように、その人物を心から受け入れているものには。
きり、と。怖くなるほどの強さで、胸が痛んだ。

 唐突に、アーサーが吹き出した。
「お前、月の王国の姫の求婚者だろうが。光の歌姫の下僕になってどうするよ」
月の王国の姫。
その言葉にはっとなって、ディオネはアーサーを振り返る。
その表情は、いつも通り飄々とした面白そうなものを見る目。
「……殿下、お聞きして、よろしいですか?」
すぅっと、金の髪の青年の表情が冷たいものへと変わる。彼の変化を相変わらず面白そうに見つめていたアーサーが、小首を傾げて応じた。
「ん?」
「殿下は、なぜ、ディオネ王女殿下に求婚を?」
ゆるゆると、表面だけでも和やかに過ぎていた午後の時間が、凍りついた。
「……何で、んな話になるんだ?」
アーサーの表情は、今だ、面白いものを見たような、新しい玩具を見つけたような、そんな表情。対するフロッドは、ひどく真面目な、どこか強張った視線。
「……失礼ですが、殿下は王位継承者でらっしゃいます。そんな方が、なぜ、他国の姫と」
「それは、俺も聞いておきたかった。アーサー、お前は第一王位継承権を持つもののはずだ。それが、なぜ……」
膝を折ったままの青年の後ろから、かつん、と軍靴の踵を鳴らして、燃え上がる髪を流し、強く温かい深緑の瞳をした青年が、真っ直ぐな姿勢でアーサーに問う。
 途端に、アーサーから余裕の色が消えた。
……フロッドなら軽くかわせても、敬愛する木の国の王太子に、そんなことは出来ないのかもしれない。
眉根を寄せ、王太子の姿を見上げて、視線を合わせる。オークが、はっと表情を変え、すぐに取り繕うように微笑むと、頷いた。
二人の間で、何らかの意思の交換があったのだろう。アーサーは、ほんの少し表情を和らげると、すぅっと流すように視線を逸らして、立ち上がった。
「……それじゃあ、フロッド。お前はどうしてだ?」
ほら、お前らいい加減に立て、とフロッドの手をつかんで引き上げ、ディオネの身体は猫の子でも持ち上げるかのようにひょいっと抱き上げると、そのまま椅子に座らせる。
ディオネは、ぼんやりとした瞳で、彼の姿をゆっくりと追いかける。
……さっき自分を抱き上げた腕が、指が……どこか震えていたような気がするのは、気のせいだろうか。
 気のせいであって欲しい。
少女は、祈るように膝の上で組み合わせた指を弄ぶ。
「おれは……多分、認めて欲しかったんです。誰かに」
引き起こされ、タイミングを計ったようにオークが引き寄せてくれた椅子を、礼を述べて自分の手元へ運び腰掛けながら、フロッドは囁くように告げた。
オークも同じように席につき、聞く姿勢をとる。
「おれは、育ちがあんな環境だったからか、自分に全然自信がなくて。頑張るとか、そんな自分から動こうとする気持ちを忘れてて。それでも、誰かに認めてもらえないと、自分がここに存在することを許せなくて……だから、ちょうど良かった姫を利用したんです。おれは幸い、王子だけど継承権は持たないから、条件にぴったりだと思ったし。選んでもらえれば、おれはそこで存在を認めてもらうことが出来る。ただ、今となっては……」
ふっとため息のような微笑みを零して、彼は、目を閉じた。
「おれは、自分の存在意義さえ自分で築けない、他人に何かしてもらおうと甘えてばかりいた子供……それも、駄目な子供だったんだっていう事を、改めて認めさせられるようで。こんなことで求婚者を名乗っていいのかと……気持ちが揺らめくんです。……月の王国両陛下は、お美しくて上品な方々だから、姫君もそれはそれは美しいんだろうと思いますけど」
「結局そこかオイ」
最後の言葉にすかさず突っ込んで、問いかけた人はため息をつく。
「まぁ、それが分かったお前はちょっと成長したってことなんだろうな。ここでこうして俺に勉強教えてくれって言えるようになるくらいは」
「お前の教え方はお前にしか理解できない方法だがな。……もう少し一般的な方法を取れ。無茶過ぎる」
苦笑するオークが立ち上がって、アーサーの頭を軽く小突く。
「歴史を端折って覚えたら、意味がないだろう。歴史はその全てで織り成す絵巻のようなものだ。それを、部分部分で流れを無視した読み方などしては、余計混乱する。……フロッドは、お前のように一度に丸暗記出来るわけではないのだから」
アーサーが小突かれたところを手の平でなで、むくれた表情をして見せるほどに、彼らはどうやら仲直り……いや、打ち解けたのだろう。
その表情にまた笑う王太子と、その笑顔に笑みを浮かべるアーサー。その様子は、端から見ていても、本当の兄弟のように仲睦まじい。よかった、とディオネも薄く笑みを浮かべた。
「……あ! はぐらかしましたね?!」
「ははは、馬鹿だなぁ、聞いちまったもんは返せないぞ? お前のを聞いたら喋るなんてことも一切言ってねぇし。甘い甘い」
「ず、ずるいですよ!!」
身を乗り出して食って掛かるフロッドの姿に、アーサーは相変わらずはぐらかすように笑って、小首を傾げる。
「さぁて、なんのことかなー」
「殿下っ!!」
何度言いがかりをつけても、アーサーは知らぬ存ぜぬで通すばかり。
子供のような脹れっ面で、もういいですっ、とフロッドが諦めたのは、そのやり取りが数十回に渡って繰り広げられてからだった。
「……案外しつこかったな。もう少しでぽろっとやるところだったぜ」
ふぅ、と額の汗を拭う振りをしながら呟くアーサーに、フロッドが色めき立ったのは必然だろう。
「冗談だ馬鹿! あれだけ押し問答して答えなかったら、絶対答えてくれないってことくらい学べ!!」
「……けちだ」
「んなこと言うのはこの口か!」
ぽそりとこぼされた言葉さえ逃がさず、アーサーは上品な美貌の青年の口の端を、容赦なく引っ掴んでひねりあげる。
「ひらいっ!! ひらいれすっれば!!」
ばたばたと暴れるフロッドに、たっぷり数瞬は掴んで、ゆっくりと放してやりながらアーサーは満足げに笑う。
その口元は、腫れ上がったように真っ赤で痛々しい。
「……あぁ、おれの美貌が……」
「こいつはまだ言うか」
「なんでもありませんっ!!」
ぱっと口を両手で抑えて、なにも喋ってませんっ!! とぶんぶん首を振るその目は潤んで、アーサーは悪い、と呟いて苦笑した。
「ま、機会があればそのうち教えてやるよ。今は、全員揃っちゃいねぇしな」
ディオネだって、彼の理由が、聞きたかったのに。

 さっと立ち上がって、アーサーはゆっくり後ろを振り返る。
「……まったく、気侭な姫さんだな」
静かだなぁと思っていたら、それも当然だ、目を閉じて、小さな吐息を零して。
「あ……」
「なんだ、凄い歌姫だな。あの喧騒の中で……」
声量を抑えて、小さく驚きの声を漏らしたフロッドと、苦笑するオークに見守られて。
「それじゃ俺は、これ、部屋まで届けてきます」
ひどく安らいだ微笑みを浮かべ、歌姫をそっと抱き上げたアーサーが、囁いた。

 「……念のために言っとくが、アーサー、いくらお前でも光の歌姫を汚すと罰が当たるぞ?」
背後からかけられたオークの容赦ない一言に、思わず彼女を取り落としそうになりながら。
「……もう、罰当たってるかもしれません」
吐息と共にそう吐き出したアーサーは、その場を後にした。
「……俺って王太子どのに、何だと思われてるんだろ」

 眠る腕の中の歌姫は、どんな夢を見るのだろうか。




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