王子様たちと私 星の降る空・美の基準
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 誰もが寝静まっているだろう、深夜。
星は控えめに、しかし水晶のように燦然と輝く。優しく、冷たい女神の慈悲が、さらさら、ゆらゆら、と降り積もる。
 そして、女神の気満ちるその世界に、純真なる清き女神は舞い降りた。


あなたの瞳に出会うたび
私はあなたに囚われて。
あなたの声を聞くたびに
私はあなたに縛られる。
陰の女神がこぼしたような
清き涙が流れ落ち。
陽の男神が流したような
熱き血潮が身体を巡り。
いずれ私は恋を知り。
あなたのものへとなるでしょう……



 声量に欠けるが、人の心に深く、甘く響き渡り、ぽっかりと空いた空間を優しく満たしてくれる。母を思い起こすような、心地よい、声。
テラスから朗々と響くそれは、誰よりも清く美しい、気高き歌姫そのものだった。

 「なんか、懐かしい歌だなぁと思ったら。よく、そんな古い恋歌知ってるなー……」
がさがさ、と少し離れた茂みが揺れた。
声で、誰だか分かる。それでなくとも、自分の声をこれほどの距離で聞いて、平気な人など、今のところ両親かシング、そして、彼しかいない。
「アーサー……」
「どうして、は無しだぜ。ここは俺の家、どこにいようと、何をしようと勝手だ。こんなに綺麗な月も出てるんだ……無粋なことは言いっこなしにしてくれ」
「……誰も、訊きたい、なんて言ってないじゃないの。どうせ、お月見か、お花見でしょう? いくら私だって、そんな分かりきったこと、訊かないわ」
「花見、ね」
ふい、と顔を背けた視線の端で、彼がふと笑った気がした。自分を哂うように。
「で? 何でこんなところで歌なんか歌ってるんだよ? 驚いただろ」
いつまでも茂みの中でいるのが嫌だったのだろう、がさがさと葉を揺らし、掻き分けながら、ディオネの方へと近づいてきた。テラスの手すりを挟んで、隣り合う。
「あら、自分のことは訊くなって言っておきながら、私には訊くの? ……まぁ、構わないけれど」
少し唇を尖らせて、横目で彼の様子を窺う。ちょうど薄雲から出て来た月の明かりに照らされて、その表情は克明に見えた。
月光に照らされて、薄く光を跳ね返す黒髪、闇夜にも負けない深い色の瞳が、魅力的だった。
「習慣、なの。夜、歌を歌うのが。私……色々あって、王国から出られなかったの。でも、私は世界の歌姫であって、王国にじっと留まってなんかいたくなくって……でも、仕方ないことだって納得もしてて。だから、歌ったの。毎晩、次の日に変わる時間に。世界に、私の歌が、どうか届きますように……って。小さい頃から歌は好きだったし。それくらいしか……悪夢にうなされる人々を、ほんの少しだけ救い上げることしか出来なかったでしょうけど……何もしないよりはずっといいと思ってるわ。……今も、ね」
ふわり、と風が髪を揺らす。
銀糸の動きが止まったと同時に、視線が交差する。
明確な意志を持って、交わされる沈黙。
その沈黙を、先に破ったのは。
 アーサーの唇だった。

 「お前は、綺麗だな」
「え? ……それは、素直に誉め言葉として受け取ればいいのかしら? それとも、何か意図でもあるの?」
訝しげな、明らかに疑わしいものを見る目。
「失礼な奴め。俺だって、素直に人を誉めることくらい、ある」
そうなの、と首を傾げた歌姫の動作に、引きずられるようにして肩からこぼれ落ちる銀の髪。
やっぱり綺麗だな、と純粋に思って、目線を上げる。
「それで、今夜は、何を話題になさるの? 王子様」
しかし、彼女の口からはっきりと切り出された台詞に、アーサーは苦笑した。
「何だ、ばれてたのか。手厳しいな」
悪ぶる様子もなく、淡く微笑んで肩を竦めると、軽い身のこなしで手すりを飛び越える。
「綺麗だと言われて、何を思う?」
唐突な議題だ。
アーサーでも、いきなりそんな話になれば戸惑うだろうと思う。
しかし、彼女は違った。
戸惑いの表情はなく、眉根を寄せて、考え込む仕草で隣に立っている。
「そうね。私は、女だから。綺麗だと言われて、嫌な気はしないわ。でも、手放しでも喜べないのよね。何だか、気味の悪い瞳で値踏みするように見られて、綺麗ですねなんて言われたって、誰が喜べるものですか。あなただって、あるでしょう?」
そんな経験、掃いて捨てるほど。
言外に告げられたものの意味に気づき、アーサーは苦笑する。
 お互い様だったのか。
視線の意味に気付いていたか、いなかったかというだけで。
これほどまでに、人は変わる。
「……そうだな。これでもかというくらい、被害を被ってきたな」
そのたびに、相手にも何かしらのお返しはしてきたが。
彼女には想像もつかないほど、壮絶な報復を。
「……あなたこそ、どうなの? 綺麗ね、って、言われた時の気持ち。言わせるばかりじゃ、ずるいわ」
拗ねたように唇を尖らせて、少し睨んでくる彼女には、大した迫力も、恐怖も感じない。むしろ可愛らしさだけが際立って、逆効果だ。
彼女には気づかれないようにひっそりと忍び笑いをもらして、アーサーは空を見上げた。
「……いらぬ御託を並べる間があるなら、もっと自分のためになるようなことをしていればいいのに。誰がそんなくだらないおだてに乗るものか。馬鹿は馬鹿なりに考えろ、とか。相当、酷いこと考えてたな。昔は」
当時の自分の、約半分程度の思考をさらけ出してみる。彼女には、こうしてはっきり物を言わなければ、分からない。だから、彼女にはさらけ出さなければならないのだ。
そう、自分を納得させた。
すると案の定、彼女は絶句。
面白いくらいに想像通りの反応が返って来て、逆に笑える。
くつくつと堪え切れなかった笑みをこぼせば、ディーネはむっと唇を噛み締めた。
「……小さいころからそんな子だったのなら、いい大人にはなれないわよって言われなかった?」
「あいにくと、俺はそんなに不器用じゃなかったんでね。人間、本音と建前ってモノを使い分けないとな」
「……嫌な子」
澄ました顔で彼女を見つめ返してやったら、大人気なく脹れっ面を返すかと思っていたのに。彼女は突然、ほら、と月を指差して見せた。
「……でも、だって、ね? 綺麗なものは、綺麗よ。否定しようもないし、する必要もないでしょう? 月も、花も、太陽も。世界に溢れる自然物は、何でも美しいし、素晴らしい天然の美術品だわ。それは私たちに喜びと、幸せを与えてくれるでしょう?」
独り言ちるように、指の先にある輝く月を見つめ、うっとりと微笑むディオネに、彼は沈黙で答えた。確かに、自然は素晴らしく美しい。
「……だけど、ね? やっぱり、人間の中にだって、綺麗な人は綺麗なのよ。否定しようもないし、する必要なんてないじゃない。純粋に好意で持って、綺麗ねって言ってくれる人が、いなかったわけじゃないわ。アーサーにだって、いるでしょう? シーザー君とか。私も、思うわ。アーサーは、綺麗ね。えぇ……もちろん、外見もだけれど」
感情の起伏の激しい少女が、悪戯っぽい笑顔で再び歌い始める。それは、やはり古い歌……子守唄だ。その甘く透き通った声をどこか遠く感じながら、アーサーはじわじわと湧いてくる得体の知れない感情に、小さく、心の底から微笑んだ。


空を揺蕩う月がね。
暗い闇を照らす、一条の光が。
ほら、笑っているの……
私たちを見下ろして。
あの子はどんな夢を、見ているのかしら。

それは素敵な、あの人のこと。
それとも、風のように流れた月日のこと?
喜びにざわめく、緑むす大地のこと?
どんな夢も素敵だけれど
どうせ見るのなら、やっぱり
大好きなあの人の夢がいいわ……



 歌姫が一曲歌いきるまで、静かに聞く側へと回っていたアーサーは、その声の魅力に舌を巻いた。彼女の声と自分の声は、違う。
本質の部分では同じでも、温度と高さが違う。
彼女の声に込められた、世界を感じさせる温もり。例えるならば太陽の陽射しであったり、大地に宿る土の温かさであったり、冷たいはずの海水の程よい温度であったり、する。
 これが、歌姫の声の魅力。
この世界における至上のもの“光の歌”に愛されし声。
あぁ、綺麗だな、と、素直に思う。

「……ほら。ね? そうやって、綺麗なものを素直に綺麗だなって思えて、綺麗だなって言えるのは、大事なことなのよ?」
歌い終わった余韻も覚めやらぬまま、ほんの少し上気した頬で、機嫌よく告げる、彼女。
ディオネが、くるり、と回る。
「世界中に溢れている綺麗なものだけれど、それを綺麗だって認められるのは、その人の心に余裕があるから。自分以外のものをしっかり見つめられるだけ、余裕を持ってるから。それってね? 凄いことだって、私は思うんだけど……変かしら?」
動作に伴って舞う髪。一筋一筋の煌きが、瞳の端に焼き付いて離れない。
綺麗なのは、お前だろうが。
ほんの少しの苦笑。
彼女の台詞を聞いてからでは、明らかに口説き文句としかとれないその言葉は、音にならずに消えた。
 そして、答えのかわりに。
アーサーは、ゆっくりと息を吸い込んだ。


風はどこへ行くのか……
あなたに答えられるのなら
どうか私に教えて欲しい
私の心を騒がせる一陣の風は
一体誰の元へと向かっているのか
いつも私のそばを吹き抜ける
包みこむように優しく揺らぎ
たゆたう風はいったい
いつまで感じられるのか……



それはディオネも知っている、懐かしい恋歌。
静かでありながら激しく放たれる熱と、咽かえるような甘い響きに、ぞくぞくする。
胸が熱い。今までにない喜びで、興奮している。
アーサーの歌う声を聞いたのは、これが初めてだ。嬉しい。
どきどきと高鳴る鼓動と、落ち着かない自分の隣で、彼はだらしなく手すりに肘をつき、普段の言動が信じられなくなるほどの優しさを感じられる声を出し。
そこには、彼のすべてがあった。
「……アーサーだって……! 十分、古い歌じゃない!」
動揺を悟られたくなくて、ディオネはわざと、食って掛かった。
「そっちに合わせたの。俺はまず歌なんか歌いません」
「あっ、歌なんかって言ったわね! どういう意味? もうっ、失礼しちゃうわ!」
こちらの乱れに気づいてか気づかずか……あたふたしているディオネの姿に彼は微笑んで、優しく、ディオネの髪を撫でてくれた。

 彼は、苛立っていた。
きらきらと輝く、匂い立つような美少女は、自分よりもはるかに美しく愛らしくて。
ざわりと波立つ、激しい嵐のごとき美男子は、自分よりもはるかに立派で逞しくて。
プライドを、押しつぶされてしまいそうだった。
だから、嫌いだった。
自分より美しいという事実も、その事実を本人達がはっきり示してくれないのも。
まったくもって、気に入らなかった。
美しい歌声が流れる。最近の歌ではない、どこか懐かしさを感じる旋律。
 ――だめだ。聞いてはいけない。
本能的にそう思った彼は、慌てて耳を塞いだ。
周囲を漂う気配から神気が抜けるまで、頑張って耐えなくては。
前夜祭で聞いた彼女の声は、人から負の感情を拭い去る。
喜びを運び、幸せを感じさせてくれる。
しかし、自分はそんなモノを望んでなどいない。
救いなど。誰が求めるものか。
本能の望むものを強引に押し込めて、彼は耳を塞ぎ続け、苦悩の時が過ぎるのを待った。

 おやすみなさい、と、柔らかな声が聞こえた。
幸せそうに、うっとりと囁いているだろう、彼女の声。
それに答えたのは、普段よりほんの少し、安らいだ青年の声。
ぼんやりとした頭を強引に叩き起こそうと、彼は頭を振った。さく、さく、と……靴底が下草を踏みしめる音が聞こえた気が、して。
「……盗み聞きとは、いい趣味だな?」
斜め上の方から、抗いがたい魅力を持った声がする。
それは、そうだ。彼は武術全般に精通している木の国の王太子にまで勝った実力を持っている。
そういった事になんの取り柄もない自分の気配など、見つけるのは容易かっただろう。
ゆっくりと、顔を上げた。
見るものを震撼させるような、凄惨な美貌。
微笑むその表情は男にしておくには美しく、あまりに魅力的だった。

 アーサーは、不機嫌だった。
意識の端に、誰かの気配が引っ掛かったのだ。
つい先ほどまで、いい気分で歌まで披露したというのに、それを彼女だけではなく、よりによって『美しさがすべて』のフロッドにまで聞かれていたとは。
勿体ないことをしてしまった。
「……盗み聞きとは、いい趣味だな?」
嫌味のように、満面の笑みで言ってやる。
彼は、自分の動きと呟きに、かなりの恐怖を感じているらしい。怯えたようなたどたどしい動作で、顔を上げた。
 ……沈黙。
その沈黙が、面白かった。
彼女のそばにいると、なぜだか落ち着かなくて、何か会話で繋げていなければ不安になる。
どうしてだろう……と、ほんの少し考えながら、彼はわざと、言葉も発することのできないフロッドに、話しかけた。

 自分の見せ方を熟知しているアーサーは、他者を圧倒させるくらいに美しく微笑んで見せる。そして彼女に語らず、ぼかして告げたことを、はっきりとここで、自分のために彼に告げた。
「人の声聞いて何を思ったかは知らないが、幸せそうだなぁなんて間抜けなこと考えてるんなら、大間違いだぞ? 俺はそれなりに人間の汚い部分も、悪いところも。全部ひっくるめてみてきたんだからな。俺自身の過去を完璧に知ってるわけでもないような奴に、俺の何が分かる? もしこれから先、あの歌姫に妙な真似をしたら、未来も……命もないと思え? ……って言っても、俺がするわけじゃないけど」
最後に小さく呟かれた声は、本当に小さくて消えていった。冗談のように。
甘く、深く響く声は、楽しそうな響きを残したまま凶悪な台詞を吐く。
他にどうすることも出来なかったのだろう、フロッドが恐怖に引きつった表情で必死に首を縦に振っているのを見て。

 彼は意外と、扱いやすいのかもしれないなぁ、などと、不届きなことを考えていた。



  月が、再び薄雲を被った。




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