王子様たちと私 陽の刺さる闘技場・闘う理由
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 澄んだ空の、ぼんやり浮かんだ雲の狭間から、まばゆい、直視できない恵みが降り注いだ。


じりじりと熱く焼けた場内の土が、乾いて風にさらりと誘われていくのが見える。
うつむき気味に、膝の上に肘をつき、手に顎を乗せて気だるい表情でそれを見つめていたディオネは、暑いわね、と一言呟いて足元……二段ほど下の観客席を見やる。
そこに広がる木陰には、涼しい空間を一人占めするかのように全身を横たえてのびているフロッドと、汗だくで、息を切らして冷たい濡れタオルを額に押さえつけるブレス。
両者とも、アーサーとオークに激しい稽古をつけられた末の有り様だった。
 闘技場は、すり鉢状のホールになっている。最下面に土を敷き固めた部分があり、それを囲むように階段状の観客席がある。十二分の一ごとに区切られたその部分には、大木が青々と茂る葉を観客のために広げていた。
しかし、日のさんさんと当たる地面の上で、彼らは楽しそうに演習中。
見ている方が、暑くてたまらない。
「……アーサーって、こんなに強くて、こんなに単純だったのかしら」
何度目かのため息をついて……ディオネは梢の音に耳を澄ませ、目を閉じた。

 「王太子どの!! 俺も少しは、成長しましたか?!」
じりじりと肌を焼く熱い日差し。木々の揺れ動く様子。風を斬る音。身近に感じる、誰かの熱。自分と対等に……いや、それ以上に戦える剣の腕。
自分を取り囲む環境全てが、自分を精神的な高みへと押し上げる。
冷静な、しかしそれでいて奥に炎を秘めた、落ち着いた瞳。逆に、意志を物語るかのように熱く燃え上がる紅蓮の髪。自分より大きく、立派な力を宿した体。
負けられない、と思う。ただ、強くそう刻む。
手にあるのは、晒し布の感触。握りに布を巻きつけ、一応皮膚を痛めないようにした無骨な木刀。その手触りと、身体から何かが溢れそうになる瞬間をいとしむ。
「……っ! いいやっ……まだ、まだだな!!」
打ち込んだ刃を、押し戻される。体格も力も、勝てる見込みは元々ない。
だが。
速さと柔軟性は、負けない。
ぐん、と力任せに突きつけられるオークの剣の切っ先から、上体をやや反らせ、身を屈めることで逃れる。
自然と力を逃がすように刀身の触れ合った場所を支点として、腕をひねって横へと体を起こす。
オークの利き手は右。左ならば、と思ってわざとそちらへ抜けたのに、その動きをすでに読んでいたように、彼の剣は左手へと渡り、つい、と無造作に横へ払われる。慌てて、体勢を立て直して刃を構え、また受ける。重たい、右手とさほど変わらない力。
「王子! 後手ばかりでは勝てぬぞ!!」
分かっています、と答えたかった。
稽古を疎かにしたわけではない。王宮兵士に混じって、模擬戦も何度となく経験した。
しかし……やはり、木の国一の若猛者とでは勝手が違う。
「っ……!!」
がつん、と今までにないほどの重たい感触。手の中から飛び降りてしまいそうになった木刀の柄を慌てて握り、力を相殺するように腰を落とし、上からの力を振り切り、すいっと後ろに退く。
ある程度の距離を置いて、改めて姿勢を正し……正面にいる闘神を見据え、口を開く。
この距離ならば。自分の声の力は、届かない……はず。
「王太子どの! 一つ、お尋ねしたい!」
「……なんだ?」
正眼に構え、一切の隙を見せず。
完璧に立つ彼の、先を促す言葉。
思わず、ほっと安堵の息をついて、アーサーは気持ちを可能な限り落ち着けて、言葉を選び出した。
「……王太子どのは。なぜ、闘うのですか?」
「それが、必要だからだ」
あまりに簡潔な答え。なにを当たり前のことを、と見下ろされているような感覚に付き纏われる。
アーサー自身も、もちろんそう思っている。彼がそう答えることは分かっていたから。けれど……。
何か、違う。
自分の中に納得できない『何か』が蠢く。気づいてほしい、分かってほしいと……自分自身でも、それが何なのか分からないにもかかわらず。

 「なぜ、必要なのですか」
アーサーの言葉と、真剣な視線に、一瞬飲まれた。
黒く深い闇色の瞳。取り込まれてしまいそうな色に頭を振って、オークは己を強く認識する。
「……本気で、言っているのか? それならばお前は、何のために闘う。何のために自らを鍛える?」
「俺は、自分で選んだ、自分の望むものがあるから。目の前に立つ俺の目標を、精一杯で迎えて、精一杯で手合わせして頂きたいから。いつか、その人に追いつきたいし、可能なら追い越したい。そして、追い抜かれて……対等に、俺を見て欲しい。……俺が、俺であるために。心からの望みのために」
王太子どのは、どうしてですか、と目で問い掛けられ、オークは一瞬口を閉ざした。
 ……国への忠誠と、自分を守るための手段として。
それ以外の言葉は、自分の中のどこを探しても見当たらなかった。
もし、王太子でなければ……国への忠誠を誓う立場でなければ?
もし、自分に何かあったときに自分を守る必要がなければ?
自分は、闘うことを選べただろうか?
 ……分かるはずもない。
所詮、もしは『もし』でしかない。考えることなど、出来ない。
それでも……自分は、彼のようにはっきり『自分のために』とは言えない。
自分が本気で求めて、本気で欲した力ではないのだから。
羨ましい……と、思った。
「……王太子、どの?」
どこか不安げに、首を傾げて。それでいて真剣な、澄んだ瞳をこちらへ向けて、自分の前に立っている彼は、いつからこんなにも強くなったのだろう?
「……どうしてだろうな。そんなことは、考えてもみなかったから。今までの俺には、理由はなかったようだが……これから見つける。そして、もっと強くなろう。自分の望みを叶えるために、な」

 苦笑。
この会合へやってきてからようやく笑顔らしい笑顔を見せた彼に、アーサーは、すとんと気持ちが型に嵌ったのを感じた。一つずれていた角が、正しい位置に入れられたように。
同時に、精神的に落ち着いてきたことも理解した。
これで、少しはまともに闘える。
 試合は、再開された。


 両手に、重い手応えが残った。
同時に……空に、木刀が舞い上がる。
何が何だかわからずに、呆然と空を見上げたまま動けないアーサーは、木刀を握り締めたまま瞳を何度もぱちぱちと瞬く。
自分の手にはまだ木刀があって。
それでは先ほど飛んでいったものは?
ほんの少し、苦い笑みを浮かべたオークが。
「勝者、アーサー=プリズムだ!」
そう告げて、身を翻し、闘技場の奥にある水場へ向かって出て行くのを、何だか信じられない気分で見送って。
もう一度言葉を自分の口の中で繰り返してみた。
 先程弾き返して空を舞った木刀と同じように、アーサーの持っていた木刀が綺麗な弧を描いて飛んだ。

 「――っ!! あはははっ何かすっげ気分いいしっ!! どうしよう俺王太子どのから一本取れた!! 嬉しすぎる……!!」
もうじき、頂上まで昇りきる太陽が、じりじりと光を無制限にこぼす。
その燃え滾る熱を全身に感じながら、アーサーは土の上に寝転がっていた。
汗でしっとりと濡れた髪が土にまみれ、汗ばんだ肌が土を貼り付ける。荒い息が、胸を上下させる。着ていたグレーの半袖シャツは、誰が見ても分かるほどにぐっしょりと濡れていた。少し離れたところに、思わず放り投げてしまった木刀が、無造作に転がる姿が見える。
自分にとって、武術に関してはこと、オークに勝てるなどと努々思ったこともなく、今回もおそらく、あと一歩で負けるだろうとどこかで考えていたにも関わらず、まさか、こんなどんでん返しにお目に掛かれるなんて。
「すっげー……やった……」
これ以上、喜びを体に閉じ込めてじっとしてなんていられない。

 急に地面に寝転がって、笑い始めたアーサーの姿に、ディオネはぎょっとする。
何が起きたのだろう? 暑さのあまりに違うところへと回線が繋がったのだろうか?
この間見た、何となく意地悪そうな、秘密主義の彼ではない。
何もかもが表に現れた、子供のような表情。
なんだか、新鮮で……。
ディオネは、彼の元へと歩み寄った。
「……ねぇ、アーサー? 大丈夫?」
少し離れた位置から、声をかける。

 今だ噛み締めるように小さな笑い声を上げていたアーサーが、唐突にがばっと起きあがって、満面の笑顔を浮かべたままディオネと視線を交わす。
 瞬間、ディオネの体の奥の方で、ぞわりと何かが動き出した。
「……勝者に、祝福は?」
声が、染み込んでいく。
奥から動き始めた何かが、徐々に全身へと広がっていく。
不愉快な感覚ではない。
ただ、慣れはしない。何年経とうとも、慣れることはないだろうざわめき。
「……ディーネ? 歌姫から、この激闘を勝利した、祝福はないのか?」
 祝福。
自分に思いつくのは、歌うこと。
「……何を歌えばいいかしら?」
どんな歌にする? と小首を傾げて訊かれ、アーサーはきょとん、と目を見開いた。
そして、また満面の笑みで答える。
「歌じゃない。ここに、口づけ」
ちょいちょい、と指で自分の頬を指し、ほら、と彼女をせかす。
あまりにも直接的な表現に、ディオネはふわっと頬を赤らめ、戸惑いの表情を浮かべる。
「く、口、づけ……? って、その、えっと、えっと……!」
 確かに、水の国などでは、武術大会の優勝者には女王からの祝福の口づけを得られるという特権があるらしい。その口づけによって水の加護が得られ、水が自分に不利益をもたらすことはなくなるという言い伝えだ。しかし、ここで行われたのは会合での剣術大会であって……いや、大会となっているからには、やはり祝福は必要なのだろうか。
 気がつけば堂々巡りの、しかも自分にとってますますどうすればいいのか、全く分からない答えが出る。とは言っても、実際は彼の望みをかなえることくらい、何でもないのだ。
父にも母にも、シングにもする行為。
それでも、彼にとなると、何かが違う。心臓が、壊れてしまいそうだった。
「ディーネ?」
まだ? と急かすような響きで、自分の名を呼ぶ声。
甘く、ますます思考を掻き乱すその声に、ディオネはくらくらと眩暈を感じる。
「あ……う」
直立不動の姿勢で固まっている彼女のために、アーサーは立ち上がって、少し身を屈め、頬を向ける。
「ほら。少しでいいからさ」
ね? と微笑まれて、ディオネはどうしようもなくなった。
このままずっと壊れてしまいそうな心臓の音を聞いているのは精神的によくなかった。
ゆっくり、踵を上げて。

 かすった。
普段は感じない、汗の匂い。弾けそうな熱い頬。湿って、しっとりと落ち着いた肌。汗に濡れた少し重そうな髪が、銀の髪に紛れた。
かっと、頬が一気に熱くなっていく。
彼の皮膚から溢れた熱が、こちらへと飛び火したように、ディオネは少し苦しくなってぎゅっと拳を握り、うつむき気味に息を吐いた。
「あー……何かものたんねぇけど。ま、いっか!」
もっと、思いっきりして欲しかったなぁ、と自分にしか聞こえないよう囁かれた声が、耳元に滑り込んできた。
駄目、と感じた想いは一体なんだったのか。理解したいと顔を上げたディオネの目の前に、すべらかな皮膚が、シャツの下から現れた。
「あー。あっつ。うわーこのシャツ汗絞れるんじゃねぇの。びたびた……」
 声を出すことも、出来なかった。
うっすらと上気した肌、その体躯は、服を着ているときから想像も出来ないほど立派で、今にも溢れ出してしまいそうな力を感じる。若さと、強さと、雄雄しさを揃えたそれは、自分とは違うものだと意識する以前に、美しいものだと、そう認識された。
「……何? ディーネ。見蕩れた?」
悪戯っ子の口調と表情に、ディオネはぱっと顔をそむけ、勢いよく首を振る。
他に、どう反応するべきか分からなかった。
「……ちぇ。あー……と、着替え、着替え……」
ほんの少し、残念そうに肩を落とす仕草をして、彼はディオネに背を向けた。つと背中を伝う汗の一筋。どうしてこの男は、声のみならず、その肉体までこちらを魅了するのだろう。
すっとあたりに視線を走らせるアーサーの横顔。綺麗に通った鼻梁、深い闇色の瞳は色気を宿してゆったりと瞬く。
頬に張りついた髪をかき上げた、王子とは思えないがっしりした腕……ふと、目をやると。
「これ……っ!!」
鈍い銀色のバンクルに嵌った、深い深い血色の小石。小指の爪ほどしかないその石は、ルビーでもガーネットでもない、本物の血を固めたようなとても不吉な色で。
その石の正体に気付いて、ただでさえ大きく脈打つ鼓動が一層速さを増し、頭に血が上り……ディオネの目の前は真っ白になった。
彼の焦った声が、聞こえたような気がした。

 オークは、戸惑っていた。
水場で、頭から水を被り、滴るそれを拭う。頭が、少しだけ冴えてきたような気分になる。
アーサーに負けるのは、これが初めてではない。
正直に言えば、衝撃の出会いから、すでに自分は負けていた気がする。
しかしこれは、手加減無しでかかっていって、無残に敗れた自分への戸惑いではなく、あそこまで言い切ったアーサーを羨望する思いへの戸惑い。
そこまで思い、はっきりと言葉に出来るその潔さを、ある意味押しつけとも思える自分の意見の主張を、羨ましいと思った。
今からでも、変われるだろうか。
いや……『変えられる』だろうか。
びしょ濡れの髪をタオルで乱暴に拭きながら、彼は小さく微笑んだ。

 ……ひたり。
自分の手の平から彼女の額へと乗せた冷たい濡れタオルの感触。
「ん……」
小さく、くぐもった声がこぼれて、アーサーはほっと安堵のため息をつく。
そんな自分の姿に、ディーネはゆっくりと焦点を合わせ、こちらが見知った顔であることに淡く微笑んだ。
 脈絡もなくいきなり倒れてしまった彼女に、何が理由か、こんなときどうすればいいのかさっぱり分からなかったアーサーは、驚きのあまりディオネを抱き上げ、彼女の部屋へと走って、彼女のそばにいるはずの“光の歌”を呼んだ。
すんなり出てきてくれた“光の歌”に、ようやく安心したアーサーは、彼女がおそらく……貧血と、原因不明の『何か』によって倒れたことを伝える。
シングは上半身裸のままで少女を抱く自分の姿に、一瞬不快げに眉を顰め、視線をさまよわせたその先……右腕半ばに、ぴったりはまったバンクルと血石を見つけて、なるほど、と頷いた。
わけの分からないアーサーは、原因を問いただしたが、シングが素直に話すわけもなく、とにかくベッドに寝かせろ、まずは服を着ろとディオネを奪い取り、彼を部屋から放り出した。
 「しっかし、なんであんなにいきなり倒れたんだ? 確か、石を見て……そのすぐ後だったと思うんだが」
「……えぇ。少し……事情があって。だって、あの石は……男神様の血でしょう? 直接見たのは初めてで……その力に、当てられた、って言うのかしら? とにかく、頭の中まで響くほど強い力と守護の波動だったものだから……共鳴してしまって」
まだ体調が思わしくないのか、頬に手を当て、淡い小さな笑みを浮かべるだけのディーネは、自分を安心させるために無理をしているのかもしれない。
「無理、するな。わざわざ大丈夫そうなふりするな。俺はそんなこと求めてない。……あぁ、それじゃあ、お礼。家族や、光の歌にするように、礼の一つや二つ、なんてことないだろう?」
強引な自分を表に出して。考えに沈んでしまいそうな意識を引きずり出す。
彼女の前では、強引な、自分勝手な、強気な自分で。
微笑んで、彼女の背を支え、起き上がらせる。ぱたりと額から落ちたタオルは、シーツに水分が染み込まないようサイドテーブルに置いて。あとはもう気にしない。
「え……?」
その頬に手を添えて、真っ直ぐ瞳を覗きこみ、彼女の真っ赤になった顔を見つめて。
「あいつには、機嫌のいいときどんな礼をするんだ?」
「……や……そ、そんなの、別に」
「関係ない? いきなりわけもわからず倒れられて、驚いて慌ててお前抱いて走ったんだけど? 苦手なあいつまで呼んで、状況説明もさっきので終わり? ちょっと身勝手だよな?」
そうだろ? と首を傾げて見せる。
 声をどこか淋しげに揺らしてやれば、彼女は今にも頬が触れそうな至近距離で、こちらの瞳を覗きこんだ。やや伏せた瞳で見つめて微笑めば、ふわりとその頬が紅くなる。
 その瞬間にアーサーも、不可抗力で藤色の瞳に浮かぶ涙を至近距離で見つめてしまい、ふいに湧き上がってくる奇妙な感覚を覚えた。体の奥の方、何かがもぞもぞと動き始めたように、落ち着かない。自然な違和感。
「ど……どうして、そんな意地悪するの……?」
甘い、深い、何にも勝る美しさを持った、音色。
今にも声を上げて泣き出してしまいそうな荒い呼吸に、少し笑う。
「……オコサマにはまだ早かったかな。それに、俺は元々意地悪だぞ?」
いいかげん、離さなければ“光の歌”の報復攻撃が怖い。
そして、自分の歯止めが効かなくなるのも。
ゆっくりと、背に回していた腕をベッドへと下ろし、抜く。
横たえられて、これから何をされるのだろうと怯えた目でアーサーを見つめ返してくるディーネに、思わず苦笑した。
「今日はゆっくり休んどけ。……お休み、ディーネ?」
離れた温度が、今までの密着度を露骨に伝えてくる。
暴れだしている心臓の音を無視して、アーサーはそっと彼女の額に口づけた。
一気に真っ赤になった顔色に、笑いを堪えるように視線をそらす。
あまり見つめていては……止まれない。
「それじゃ、またな。お休み、お姫様」
何気なく言ったつもりの一言に、彼女は敏感に反応した。遠ざかるアーサーの襟首を、その華奢な腕で引き寄せて捕まえる。先程まで瞳に浮かんでいた穏やかな色はすでになく、不安と決意に染まった鋭い色だ。
「っわ……! え? ……えっと。ディーネ? 今のは、いったい……?」
「……私は、お姫様なんかじゃないわ。今のは、感謝の気持ち。いつか、もしもすべてが話せるときが来たら。その時に、全部説明するから……お願い。今は、なにも訊かないで」
ほんのりと赤く染まった頬、緊張にやや強張って、その瞳は懇願するような、誘うような……後者はもちろん、アーサーの思い込みでしかない。
わずかに潤んだ瞳。震える唇。性別を抜きにして、保護意欲をかられる容姿。
これで、否定など出来る人間がいたらそれこそお目にかかりたい。
「……分かってる。お前が思うほど、俺は執念深くもないぞ。微妙に俺を誤解してるだろう? どうせ、あいつからあることないこと言い含められたんだ。ったく……」
はぁ、とついたため息に、くすくすと小さな笑い声が混じったのは、すぐのことだった。
「……じゃあ、な。今度こそ本当に。お休み」
「……おやすみなさい、王子様」
すっかり機嫌も直ったディオネに見送られ、アーサーは煮え切らない自分の感情に鍵をかけるように、後ろ手に彼女にあてがわれた部屋のドアを閉じた。

 男神の血。
そう呼ばれる宝玉がある。
自分の腕に、ちゃっかり嵌っている美しい銀細工のバンクルに、見劣りすることなく存在している小石がそうだ。小指の爪ほどしかないそれなのに、価値は金では計り知れない。
透明感の低い、どこか血を思わせる深い紅。だからだろうか。男神の血、などという、取り方によっては非常に不吉に思われる名前がついたのは。
男神の血という名を戴いているだけあって、実際、その石の守護の力は侮れない。そのへんの護符などとは、比べるまでもない。
対となる石に、女神の涙という……女神の力の残滓を宿したものもあるが、それは全て、月の王国に、空から降り注ぐ。扱える者も月の王国の巫女しかいないため、女神の涙のみ、管理責任等は完全に月の王国に存在するのだ。
それはともかく。
 男神の血は、鉱脈があるわけではなく、ただどこか土地を耕していて出て来ただとか、彫刻用の石を切り出しに行ったら石ころと一緒に落ちていただとか、そんなとんでもないところで、ごくごく少量が発見されてきた。そのため、男神の血とは、この世界に存在する何よりも貴重な宝玉なのだ。
だから前に馬鹿がつくほど高価で、誰もが持つことなど出来ない。
見たことのあるものも、その存在を知っているものも、一握りしかいないだろう。
……それなのに。

 ディーネの部屋から抜け出して、自分の部屋へと向かう廊下を歩きながら、アーサーは一人考える。男神の血に共鳴する彼女。今は訊かないでという否定の言葉。『姫』という単語への明らかな拒否。そして、あの美貌と抱く色彩。
隠したいようではあるし、別にそんなことを問い詰めて、自分から嫌われることもない。
 焦らなくたって、構わないだろ?
彼は、そういう人物であった。
 ただ、分かったのは。
彼女が、自分の知っているどんな人間よりも興味深くて、どんな人間よりも飽きないということだった。




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王子様たちと私 陽の刺さる闘技場・闘う理由