Plumage Legend 〜二重の神話〜 第十二章・感情
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 ケレスに見せたら、確実に悲鳴が返ってくるような痕がついてしまった首。
自分で見ていても痛々しいので、なるべく首筋の隠れる服を選んだ。双子の弟には『キスマークでもついてんじゃないの?』と茶化されたが、可能性が欠片も見当たらないため無視した。食って掛かると逆に面白がられるだろうから。
 「……ねぇ、ソウル」
「……何」
「急に、どうしたのよ。必死になっちゃって」
初秋の風を受け、涼しくなってきたテラスで片手腕立て伏せに励むソウルを、ケレスはぼんやり眺めていた。
最近ソウルがテラスにこもっていると聞いたから、そこに備え付けのベンチとウッドテーブルでお茶でも、とティーセットを持ってきたのだが、ソウルは一人修行に励んで、こちらなど見向きもしない。
「ソウルと一緒に食べようと思って、せっかく、スコーンと甘さ控えめのジャム用意したのに。ソウルが好きなオレンジのジャムなのに」
「……あのなぁ……」
深く息を吐いて、ゆっくりと起き上がったソウルの視線に合わせて、ベンチに腰掛けたケレスも顔を上げる。
「一緒にお茶する気になった?」
テーブルに両肘をついて、乗せた顔を軽く傾ける。可愛らしい動作に、ソウルは苦笑した。
「……まぁ、休憩ってことで」
「なによ、私の誘いを言い訳にするの?」
「そんな……いや、そうだな。ちょっと、色々差し迫ってて。ケレスと一緒にお茶するのが嫌ってわけではないんだけど」
深く規則正しい呼吸を何度か繰り返し、額を流れる汗を傍らのタオルで拭う。
「……着替えてきたら?どうせ私だって、ポットのお湯、沸かし直さなくちゃ使えないし。そんなに身体濡れてると、多分すぐ寒くなるわよ?」
ケレスの言葉に、自分のシャツを触ってみる。
「ホントだな。冷たい……ちょっと着替えてくる。すぐ戻るから」
「はーい、行ってらっしゃい。ちゃんと汗拭いてくるのよ?」
向けた背中に投げつけられた言葉に、苦笑する。俺は子供か、と彼女には聞こえないよう呟いて、ソウルはテラスから屋敷に入った。
 部屋に備え付けの姿見で首を映せば、ようやく絞められた跡も薄れてきた。シャツの吸いきれなかった汗を念入りに拭い、ワイシャツを羽織る。袖を通したところで、空からするりと階下に滑り込んで行く大きな影を見つけた。見覚えのある姿に、思わず窓を開け、バルコニーに出る。ちょうど真下のテラス、その手すりに止まっているのは、まぎれもなく。
「っマルス!!何しに来た?!」
バルコニーから、飛び降りる。なるべく反動をつけないよう、静かに降りられるよう態勢を整え、身を沈めて着地。
軽やかな音を木製のテラスに響かせて降り立ったソウルに、ケレスがはっと顔を上げる。
「び……びっくりしたぁ。なによ、飛び降りてくることないじゃない!きゃ……」
ばさばさばさ、と大きな羽音を響かせて、銀環をはめた鷲がソウルの肩に止まった。
「痛いから爪立てるんじゃないぞ、このバカ鷲」
「……お知り合い?」
「知り合いっつーか……ペット?」
ソウルの言葉が不満なのか、大人しく肩に乗っていた鷲は、片翼を開いて耳元でそれを揺らす。被害を受けた当人は、不満げに溜め息をついた。
「……大人しくしてろって、言っただろ?マルス」
「あ、思い出した。この間、おじ様からのお手紙を持ってきた子ね?」
そういえば同じ銀環してるわ、と呟き、ケレスがポットを持ち上げた。
「はい。とりあえず、お茶。この子には何がいいかしら、お肉?やっぱり鳥?」
差し出されたカップからは、ケレスが好んで飲む種類の紅茶の匂い。ソーサーを支えて受け取ったソウルの肩にいるマルスに、にっこり笑って手を差し出す。じっと動かないマルスの首筋を撫でた。
「可愛い……マルス、って言うのよね?」
「かっ……かわ……?なんか、俺だんだんケレスの趣味が分からなくなって来たぞ?」
大型の鷲に笑顔でスキンシップを図るケレスに、ソウルは疑問の視線を投げかけた。
「やだ、失礼ね。可愛いじゃないの。ねー?」
首を傾げる彼女に賛同するように、肩の犬鷲は鋭い嘴を開いて、軽く一声。
「ぴぃ」
「ほら鳴き声とか」
「……鳴き声はな……」
見た目にそぐわないその鳴き声は、ソウルも確かに可愛いと言えるが。
この鳥の狩りをする姿を目の当たりにして以来、可愛いなどという形容詞を使う気にはならなかった。
「で?また義父の手紙でも持ってきたのか?」
義父と自分の間を結ぶ伝令の役割……ケレスに言わせれば伝書鷲なのだが……をするこの鷲が来たということは、義父がまた何か思いついて無茶な手紙をしたためてきた可能性もある。しかし、その足には手紙など見当たらない。当の本人も、知らん振りできょろきょろと辺りを見回している。
「……何だもしかしてお前、遊びに来たのか?」
もともと檻に入れて飼われていたわけでも、リファインド家に常に居ついているわけでもない。ただ、ソウルが雛だったこの鷲を山で拾ってきて、世話をしてやったら懐いただけだ。だから銀環を嵌めてやって、そばにいるときに肉片を与えていただけ。
元来飼われるような種類の鳥ではない。常に自由なこの鷲は、いつでもどこにでも行ける。
「……お前は気楽でいいな」
鷲はこの国の紋章でもある。紋章に描かれるのは双頭の鷲だが、それでもセルヴィーナ帝国では、鷲を神の御使い、または邪や魔を祓う鳥として神聖視している。
この国で誰かに捕らわれることなどない、自由な鳥。もし捕らわれたとしても、世界に名だたるリファインドの紋章を施した銀環をつけた鷲を閉じ込めようとする身の程知らずは、なかなかいない。何より、この鷲は何者かに捕らわれるようなへまはやらない。
「ソウルだって、自由でしょう」
「ほどほどにな」
ケレスの呟きに、かすかな微笑を浮かべて頷く。
リファインド家の次期当主という枠の中での、ある程度限られた自由。今だけ許されている自由、とでも言うべきか。
そうでなければ、彼女に捕らわれていることを前提とした自由。
彼女というのは、言わずもがなのケレスであったり、内に眠るかの存在が、何よりも大切にしている美しい人であったり、する。
いずれにせよ、この鷲と比較するには狭すぎる。
なさなければならないことの多すぎる自分と比較するには……この鷲は、自由すぎる。
「そうだ、お前一応神聖な鳥ってことになってるんだから、しばらくそばにいろ。妙なものが近寄って来なくなるかもしれない」
ある程度はソウルの言いつけを実行できる頭のいい鳥だ。伝令を務めることも出来るし、何より人間に撃ち落される危険がない。
安易な思いつきで、神頼みに近いと自身でも思うが、もしそれで事態が好転するのならその方がいい。
いくらソウルがその体を鍛え上げても、すぐさま結果がでるわけでもない。積み上げていく間の保険か護符の代わりにでもしておけば、何かあったときに手が打ちやすい。
「え?この子、しばらくうちにいるの?」
ケレスが目をぱちぱちと瞬いて小首を傾げる。
「……ミリルが妙な真似をしないように、見張りだ」
黒い影が付き纏っていることを知らないケレスに事実を告げるわけにはいかなくて、言い訳のように口に上った言葉。だが、それがある意味真実かもしれない。
「……あれ、何とかならないのかしら。これでも一応、ソウルの婚約者なのに」
やっぱり見えないわよね、と溜め息をつくケレスに向かって、ソウルの肩に留まるマルスは何度聞いても『可愛らしい』としか表現できない声で鳴く。
「ぴー」
「気が抜けるから鳴くな。焼いて食うぞ」
「何言ってるのよ、鷲を焼いて食べるなんて、そんなことしたらソウルどんな不幸に襲われるかわかんないわよ?」
冗談めかして言ったつもりなのに、ケレスが真剣な視線で見つめてくる。
マルスも同じく、実際やられるとでも思ったのか羽をばたつかせて抵抗してきた。
「……ホントにいつか焼いて食ってやる」
小さく呟いて、ソウルは手に乗ったティーカップを持ち上げる。
冷めてしまった紅茶を飲み下して、小さな吐息。
溜まった疲労は幾分か和らいだが、心労はますます重く全身に圧し掛かってきたような気が、した。




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