Plumage Legend 〜二重の神話〜 第十一章・非情
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 部屋に備え付けの姿見で首を映せば、ようやく絞められた跡も薄れてきた。シャツの吸いきれなかった汗を念入りに拭い、新しいシャツを羽織る。袖を通したところで、空からするりと階下に滑り込んで行く大きな影を見つけた。見覚えのある姿に、思わず窓を開け、バルコニーに出る。ちょうど真下のテラス、その手すりに止まっているのは、まぎれもなく。まだ羽織っただけのシャツのボタンを二つほど留めて、手すりから身を乗り出した。
「っマルス!! 何しに来た?!」
バルコニーから、飛び降りる。なるべく反動をつけないよう、静かに降りられるよう態勢を整え、身を沈めて着地。
軽やかな音を木製のテラスに響かせて降り立ったソウルに、どうやらお茶の用意をしていたらしいケレスがはっと顔を上げる。
「び……びっくりしたぁ。なによ、飛び降りてくることないじゃない! きゃ……」
ばさばさばさ、と大きな羽音を響かせて、銀環をはめた鷲がソウルの肩に止まった。
「痛いから爪立てるんじゃないぞ、このバカ鷲」
「……この間の?」
「あぁ、よく覚えてたな」
ソウルの言葉が不満なのか、大人しく肩に乗っていた鷲は、片翼を開いて耳元でそれを揺らす。何度もやられて、慣れてしまったソウルは、軽く溜め息をついた。
「……大人しくしてろって、言っただろ? マルス」
「忘れるわけないじゃない、あんなに印象的な出会いだったし。それに」
ほら、と鷲の足元をケレスは指差して、同じ銀環してるもの、と呟いた。
「まぁいいわ。ソウルもお茶していく?」
言いながら、ソウルの言葉は待たず、ケレスがポットを傾けた。
「はい。この子には何がいいかしら、お肉? やっぱり鳥?」
差し出されたカップからは、ケレスが好んで飲む種類の紅茶の匂い。カップを受け取ったソウルの肩にいるマルスに、にっこり笑って手を差し出す。躊躇いのないその手は、じっと動かないマルスの首筋を撫でた。
「今日はどうしたの? お手紙は持ってないみたいだけど」
基本的には、義父と自分の間を結ぶ伝令の役割……ケレスに言わせれば伝書鷲なのだが……をするこの鷲が来たということは、義父がまた何か思いついて無茶な手紙をしたためてきた可能性もある。しかし、ケレスが言うように、その足には手紙など見当たらない。当の本人も、知らん振りできょろきょろと辺りを見回している。
「……何だもしかしてお前、遊びに来たのか?」
もともと檻に入れて飼われていたわけでも、リファインド家に常に居ついているわけでもない。元来飼われるような種類の鳥ではないし、自由なこの鷲は、いつでもどこにでも行ける。
「……お前は自由でいいな」
この背中にも、翼があれば。
あのように、なれるだろうか。
「ソウルだって、自由でしょう」
「ほどほどにな」
ケレスの呟きに、かすかな微笑を浮かべて頷く。
リファインド家の次期当主という枠の中での、ある程度限られた自由。今だけ許されている自由、とでも言うべきか。
そうでなければ、彼女に捕らわれていることを前提とした自由。
彼女というのは、言わずもがなのケレスであったり、内に眠るかの存在が、何よりも大切にしている美しい人であったり、する。
いずれにせよ、この鷲と比較するには狭すぎる。
なさなければならないことの多すぎる自分と比較するには……この鷲は、自由すぎる。
「そうだ、お前一応神聖な鳥ってことになってるんだから、しばらくそばにいろ。妙なものが近寄って来なくなるかもしれない」
ある程度はソウルの言いつけを実行できる頭のいい鳥だ。伝令を務めることも出来るし、何より人間に撃ち落とされる危険がない。
安易な思いつきで、神頼みに近いと自身でも思うが、もしそれで事態が好転するのならその方がいい。
いくらソウルがその体を鍛え上げても、すぐさま結果がでるわけでもない。積み上げていく間の保険か護符の代わりにでもしておけば、何かあったときに手が打ちやすい。
「え? この子、しばらくうちにいるの?」
ケレスが目をぱちぱちと瞬いて小首を傾げる。
「……ミリルが妙な真似をしないように、見張りだ」
ケレスには、まだ黒い影のことを告げる気にはならなくて、言い訳のように口に上った言葉。だが、それがある意味真実かもしれない。
「……あれ、何とかならないのかしら。これでも一応、ソウルの婚約者なのに」
やっぱり見えないわよね、と溜め息をつくケレスに向かって、ソウルの肩に留まるマルスは何度聞いても『可愛らしい』としか表現できない声で鳴く。
「ぴー」
「気が抜けるから鳴くな。焼いて食うぞ」
「何言ってるのよ、鷲を焼いて食べるなんて、そんなことしたらソウルどんな不幸に襲われるかわかんないわよ?」
冗談めかして言ったつもりなのに、ケレスが真剣な視線で見つめてくる。
マルスも同じく、実際やられるとでも思ったのか羽をばたつかせて抵抗してきた。
「……ホントにいつか焼いて食ってやる」
小さく呟いて、ソウルは手に乗ったティーカップを持ち上げる。
冷めてしまった紅茶を飲み下して、小さな吐息。
溜まった疲労は幾分か和らいだが、心労はますます重く全身に圧し掛かってきたような気が、した。

 エフロート屋敷に一羽の鷲が現れてから三日、今日もエフロート屋敷は平和だ。
……表向きは。
「いい加減、帰りやがれ」
「やーだよー。お前のふりして街中歩くと、色んな女の子たちがお菓子とかくれちゃったりするんだよなー」
実家周辺じゃ、俺の悪い噂が広まっちゃっててなかなか俺に近寄ってきてくれる子っていないんだ、と呟くミリルに、鞘に入ったままの長剣を構えた、ソウルのこめかみに青筋が立った。
「……頼むから、俺のふりをしてうろうろするのはやめてくれ。俺の知らない差し入れの感想を聞かれても、俺にはどうしようもない」
深く溜め息をついて構えた剣をゆっくり下ろす。
「お前の相手をしてる暇は、ないんだ」
相変わらず、屋敷のそばに現れる黒い影。
以前の影は、ケレスを狙ってやってきた。では、今回は、と考えを巡らす。自分をを狙うものなのか、それともケレスを狙うものなのか……最悪、両者とも、という可能性もある。
微妙な距離を保ったまま存在する黒い服の男たちは、それをこちらに悟らせないようにしているのかもしれない。いくら最終目的がソウルとケレスの中で眠っている天使としての力だったとしても、二人一緒に得ようとはしないだろうと思う。いや、思いたい、だろうか。
「つれないなー、兄上殿は。遠方からわざわざ訪ねてきた弟よりも、愛しいお嬢さんの方が大事なんだから」
苦笑、に似た微妙な表情を浮かべているミリルに、ソウルは視線を尖らせた。
「お前を大事にして何になる?」
「うわ、それ本気? ひどいなぁ」
実の弟だよこれでも、としつこく主張するミリルには、何を言っても無駄なのだろう。
こちらは弁が立つわけでも何でもないのだから、むしろ勝てない、と言った方がいいだろうか。
「あまり、無闇やたらと出歩くな。俺には、敵が多いから」
「……心配、してくれてんの?」
すでに身を翻して歩き始めたソウルに、背中の向こうにいるミリルの表情は見えない。
自分とまったく同じ顔の浮かべている表情なんて……見たくない。
返事はしないまま、屋敷の玄関へと真っ直ぐ前へ足を進めた。
何か……妙な胸騒ぎがしたから。
 重厚な扉を押し開くと、そこはいつも通り、変わりのない静かな邸内の様子が目に映った。
取り越し苦労だったのだろうか。
そう、楽観的な方向へ考えてみるものの、やはり肌をちりちりと焼くような、かすかな違和感が頭から消えない。何かが、来る。いや、むしろ……何かが、いる、だろうか?
「ケレス!!」
元はと言えば、ミリルに付き纏われて、困った顔でそれを受け流していたケレスからミリルを引き離そうと、不肖の弟を屋敷から引きずり出したことでケレスから離れた。
それが……自分の不安を煽るなんて。本末転倒もいいところだ。
その上、普段ならすぐにキッチンの方から顔を覗かせるケレスから、反応がない。
まさか、もしかして、と、嫌な想像が脳裏を巡る。
「……ケレス!!」
ばたん、と二階からドアの閉まる音が響いた。
「何大声出してるの? おにーちゃん。おねーちゃんなら、庭に出たよ? 薔薇摘んでくる、って」
吹き抜けの手すりに掴まって、身を乗り出すように答えてくれたのは、トルクだ。
不思議そうな顔でこちらを見つめてくる。
先ほどの音も、おそらくトルクが自室から出てきた音なのだろう。だとすれば、自分は一体どれだけ取り乱していたのかと、ほんの少し呆れた。
「薔薇……助かる、ありがとう」
「いってらっしゃーい」
にこにこ……と言うよりはへらへら、だろうか。あまりいい感情を抱けない、面白がるような笑みを浮かべているトルクに、ソウルは溜め息をついて、身を翻した。
 嫌な、予感。
こんなときばかり予感は当たる。
片手に携えた、まだ使いこなせない力の塊。それを握る手に意志を込める。
「まだまだ至らないところは多々あるが……他ならぬケレスのためだ。頼む。力を貸してくれ」
開け放ったドアの向こう側、広がる美しい庭園を駆け抜けて、求める姿を探す。
「間に合ってくれっ……」




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