Plumage Legend 〜二重の神話〜 第十一章・非情
<< text index story top >>





 「ソウル!! もうやだー!!」
悲鳴と共に駆け込んできた可愛らしい少女の重みに、ソウルは仕方なく起きるしかないのだ。
――不思議な夢を見ていたのに。あの続きが、とても気になっていたのに。
「ケレス……今日は何事だ」

 「……こんな日常があっていいのか……」
ソウルは、珍しく神経性の頭痛に蝕まれていた。唯一自分が安らげる場所だったはずの自室は、今ではいつ誰が駆け込んでくるかもわからないという無法地帯になっている。
突如居候することになったミリルは、ソウルたちの留守中にしっかりと滞在許可を得、こともあろうにソウルの隣の空き部屋を借りていた。自分が留守中のことだから、断りようがないのも分かっている、けれど……ミリルのことだから、何か企んでいるだろうと思っていた。案の定、ソウルたちが長旅を終えて帰ってきたその晩に、ソウルの部屋を訪ねて……いや、無断で飛び込んできた。そこまでは、辛うじて予想内だった。
しかし。
「ソウル! 酒盛りしようぜー」
とインセル=シティで製造される最高級のウイスキーを片手にやってくるなど、誰が考えるだろうか。とは言え、酒類に目がないストラー氏にその味を覚えさせられたソウルは、これ幸いと相伴に与ったが。
……ちなみに、先につぶれたのはやはりミリルだった。ソウルは彼を……自分とほぼ同じ体格のミリルを担いで運び、部屋の片づけを済ませて、しかも換気をしつつ寝る羽目になった。
 それからもミリルは、トルクと一緒に小さないたずらを繰り返したり、隙さえあればケレスに触ろうとしたり、そのくせスマル氏にはいい顔で接したりと、その変わり身の早さにはさすがに驚かされた。双子であろうと、生活環境が違えば性格はどのようにでも変わるようだ。
「それにしたって、あの溶け込みようは……」
わずか一週間ほどですっかりエフロート家の生活になじんでしまったミリルに、わけも分からず溜め息が漏れた。
自分がどれほどの時間を費やして彼らに心を開いたか。ここで生活するようになってからそれまでを思い出すなど、考えただけで嫌気が差す。
一年? 二年だろうか。双子の弟はそれをたった一週間、いやそれさえかけずにやってのけたのだ。
あまりの違いに返す言葉もない。
ソウルはもう一度溜め息をついて、ばさりと髪をかきあげた。
 小鳥の囀りや風になびく梢の音に混じる、とてつもない違和感が肌を撫でていく。
――いる。何かがいる。
「またあいつらか……」
窓の外にあるのは、忌々しい黒い影。
ずきずきと痛むこめかみを指で揉み解して強引に収めようとする。
もしケレスがミリルに追い掛け回されていても、このままではまともに走ることさえ出来ない。
いつになくしつこく居座る痛みに眉を顰めた、その瞬間。
有無を言わせぬ強さで右足をつかまれ、不確かな場所へと引き込まれたのを感じた。
それは、いつかも感じた感覚。
脳裏をよぎるのは、世界一の蒼。
耳に残る、低い旋律。

 『ようこそ、俺の領域へ』
顔を上げたソウルを迎えたのは、鉱山口で出会った、あの深く蒼い瞳。
美しいその瞳の持ち主は、自分と同じ淡い金の髪。色素の薄い、白い肌。鋭い目つきが、今は余裕と愉悦に細められている。口元に滲むのは、皮肉気な笑み。すらりと長い手足と、高い位置にある腰、そして何より、その背には。
「……羽……」
純白に輝く、大きな翼が生えていた。
『おう、これでも俺は天使だからな、初対面はそれらしくしてみた。気になるなら消しとくぞ。俺は話がしたくて引きずり込んだんだし』
ソウルは、自分の状態を確かめた。
地面と呼んでいいのかも分からない黒い平らな部分に座り込んでいる。
周りを見渡しても、ただ黒いだけ。
なのに、お互いは確かに明確な輪郭を確認することが出来る。
不思議な空間だ。
「ここは……?」
『お前が前にも迷いこんだ場所。さっき言っただろ、俺の領域だって。人間は、自分の意識下をすべて把握してるわけじゃない。お前たち地界の人間は、必ず意識のどこかに俺たちのような天界での姿形を、人格を保存してあるんだよ。納得したか?』
「……多分」
ソウルの目の前にしゃがみこんで人差し指を振る彼に、小首を傾げながら頷いてみせる。
『あぁ? お前俺の癖になんだその曖昧で中途半端な姿勢は!! 俺はそんな男のつもりはないぞそんなであいつをモノに出来ると思ってるのか!』
激しい叱咤と共に飛んできたのは、握り拳によるこめかみへの攻撃だった。
硬い関節に容赦なく抉られ、ソウルはあわてて首を振る。
「いや大丈夫です納得しました、分かりました」
『ならいいんだ。で、引きずり込んだには訳がある。お前についてだ』
握った拳をゆっくりとほどきながら、彼は溜め息混じりに低く呟く。
「俺について?」
『あぁ。お前、訳の分からん黒いのに付き纏われてるだろう?』
ほら、さっきもいただろ、という言葉に、ソウルは頷いた。
「ケレスがこの間、攫われかけて。一体何者なのか、何が目的なのか……さっぱり訳が分からない」
自分ならともかく、非力なケレスに。許すことは出来ない。
『もう切羽詰ってんだな。いいこと教えてやるよ』
にっこりと、満面の笑みを浮かべたその人がソウルの両肩に手を乗せた。
真正面にある顔は自分によく似ている。もう少し歳を重ねたら、自分もこんな風になれるのだろうか。ぼんやりと目の前の顔を見つめれば、その人からは、微笑と。
「っ痛……!! ちょっ、や、やめっ」
『お前が俺のように強けりゃ、あいつを危険な目に遭わせることもねぇんだぞ馬鹿野郎!! 中途半端に迷ったり立ち止まったりするの、いい加減やめろ。お前はあいつをどうしたい? 欲しいだろう? 何よりも、誰よりもどんな宝よりもあいつが!』
きりきりと絞め上げられる喉から、押し潰された息が漏れた。
きっと、酷い顔をしているだろう。けれど目の前にある蒼の瞳は、ただじっと、ソウルを冷ややかに見つめ返すだけ。
『俺はこの腕ひとつで人を捻りつぶすことだって出来る。お前にそれが出来るようになれとは言わない。……出来るなんて言い切れるってことは、したことがあるってことだからな。だが、今のお前は弱すぎる。実体でもないただの影の気配を感じ取っても、あいつ一人守れない。俺にはそれが耐えられない。許せない。お前が俺自身ではないと分かっていても、あいつに危険が及ぶなんて嫌だ。他でもない俺の力不足であいつがいなくなってしまうなんて、考えるのも嫌だ……!!』
そのままへし折られてもおかしくなかった首は、そっと緩められた指の痕をくっきりと残して開放された。つぶれた喉が、慌てて息を吸い込み、咽かえった。
『あいつらの狙いはな、俺とあいつだ。俺たちを内に抱くお前とケレスなんだ。俺は自分の力で自分を守れない。あいつはこの間、強引に力をひねり出したみたいだが、俺にはそれが出来ない。全部お前にかかってるんだ。お前には、強くなってもらわなけりゃ困るんだ』
「……俺に……?」
しわがれた声が、喉から絞り出された。
ソウルは、朦朧とする意識で目の前にいる彼を見つめる。
『あぁ。全部、お前にかかってる。あいつらの計画をつぶすためには、お前が捕まっちゃいけないんだ。あいつらを寄せつけない強さを身につけなけりゃならないんだ。俺たちが……いや、お前たちが幸せになるためにも』
彼がそっと、喉に痕がついているだろうまだ違和感の残る部分を撫で上げる。
『あいつらの弱点は、背中。隠し通すことの出来ない弱みがそこにある。次に斬るときは、そこにしな。きっといいものが見られる』
ゆっくりと離れていく指先に、かすかに喉が震えた。
彼は淡く微笑みながら、そっとソウルの瞼に手をかざす。
『……乱暴な真似して、悪かったな。ただ、俺があいつのことをそれだけ想ってるってこと、忘れんじゃねぇぞ。すべて、お前にかかってるんだから……』
引き摺り下ろされたときと同じ、急激に上昇する感覚。

 はっと顔を上げたソウルは、全身を覆う気持ちの悪い汗と、喉を覆う違和感に首を傾げた。一体何があったか。覚えているのは、二つ。
弱点が、背中にあるということ。
自分が……もっともっと強くならなければならないこと。
まだぼんやりしている意識を強引にたたき起こすように、ぱしんと頬を叩くと、ソウルは洗面所に向かった。




<< text index story top >>
Plumage Legend 〜二重の神話〜 第十一章・非情