Plumage Legend 〜二重の神話〜 第十章・激動
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 「ソウル……?」
今まで知っているようで、知ろうとしなかったこと。
己の身体を抱き締めるその腕が、意外なまでに力強いこと。
彼が、怖くなるほど真っ直ぐに、懸命に、想ってくれていること。
そっと開いた瞳に真っ先に映ったのは、緩く波打つ淡い金の髪。振動に跳ね、忍び込む木漏れ日にきらきらと反射して眩しい。
「……あぁ、ケレス……目が覚めたんだな」
ゆっくり、確かめるのが怖い、とでも言うように……恐る恐る開かれた瞳は、どこか温かみを持った蒼。
「ごめん……なさい」
「……なんで」
応える声がかすかに震えて、寝かされていた身体をさらに強く抱き締められる。
「ちょ……ね、ソウル? くるし……」
「あ……ごめん」
そっと、身体が離れる。
距離が出来て……同時に温もりも離れ、なんだか、寂しさがこみ上げる。
「今、下ろす。寝てたから……転げそうで怖くて、それでこういう状態に……だから別に、わざとでは……」
「……言い訳?」
「いや、だから……言い訳だな」
ぼんやりと結んでいた像が、次第に鮮明になる。
途惑ったような表情の、彼の顔。
どこまでも澄んだ、晴れ渡った空にも勝る至上の蒼。
ケレスが、この世界に形を与えられたその瞬間から、最も愛している色。
「何か、投げやりね。……えーっと。あれ? ねぇ、ソウル、里帰りは?」
はたと思い当たった事実に、ケレスは首を傾げる。応じる彼は、ただ、微笑むだけ。
「……今の状況見て、分からないか?」
「まさか」
顔から血の気が引いた。こちらを見て、ソウルは気にするな、と呟く。まだ抱えられたままだったケレスは、向かいの席にそっと降ろされ、衝撃の事実を受け入れるしかなかった。
「まぁ、とりあえずお前は好かれてるから、大丈夫だ。どっちかって言うと、心配されてたぞ、義父の城であんなこと起きるなんて、って」
「何が? どこがよ? ……どういう意味よ、それ」
あぁ、やっぱりすっぽかしちゃったのね、あのあと……と、頭を抱えたケレスの後頭部に、こつん、と何かが当てられた。
「だから、大丈夫だ。むしろ、義父の方が冷や汗かいて。お前が家に着いても目を覚まさなかったら、小父さんに何されるか分からんって。一応、予定通り3日はあそこにいたからな、心配無用」
「だから、私は全然よくないんだってば……」
ほら、と差し出されたグラスを、ソウルから渋りながらも受け取って、脹れっ面になったケレスは、顔を上げる。
その目の前でソウルが、瓶のコルクを慣れた調子で開けていた。きゅっ、と、コルクの擦れる音が、響く。
「え、何? それ……」
覗き込もうとするケレスに、まぁ待てと微笑んで、彼はコルクを抜いた。
ふわりと漂うのは、甘い、咽かえるような芳香。
「何、うわ、すっごい甘い……桃? だよね?」
「あぁ。義父が、ちっとも楽しくなかったろうから、ひとまず土産をって色々持たされた。これはそのひとつ」
注ぎ込まれた液体は、乳白色で、ややとろみがあるように見える。
「……俺には土産のひとつもないんだからさすがというか何と言うか」
少しだけ匂いを嗅いで楽しみ、そっと口に運んで、咥内を湿らせる。
「すっごく美味しい……これ、搾ってからあんまり時間たってなかったり……する?」
「あぁ。昨日のものだ。もう少し飲んどけ。水分なんか、ほとんど取っちゃいないんだから」
再び注がれる乳白色の液体がグラスの中でゆるく渦巻くのをじっと見つめて、ケレスはゆっくりと目を瞬いた。
現状が、いまだに把握できていない。
誘拐されそうになって、ソウルに助けられて。そして、気がついたら馬車にいた。
それだけだ。なのに、頭のどこかで納得できない自分がいる。いったい、何が引っかかっていると言うのか。どれほど考えても、答えは出て来そうになかった。
「……まいっか」
ケレスは、考えても出てこない答えにいつまでも囚われるのは、大嫌いだった。
分かるときには分かるもの。
「何が?」
苦笑交じりのソウルが目の前で小首を傾げた。
「なんでもない。美味しいー」
煩わしく纏わりつく思考を振り払って、ケレスは、笑う。こうしていつもと同じように微笑めば、ソウルもきっと安心する。
ソウルに助けられ、そして今まで。
記憶に残らなかった時間、彼はずっと、ケレスのためだけに全ての時間を費やしていたのだろうから。
こんなにも小さく些細なことで、彼が自分のためにいてくれる、そんな確信を抱いてしまう。
ソウルはケレス一人のものではないのに。
誰もが彼に心酔する、そのかかわりを断ち切ることなんてできるはずがないのに。
独占欲。支配欲。
湧き出してくる汚い感情の中に、潜む深い想い。この感情を何と呼べばいいのか……次第に理解することが出来そうで。
 その反面、湧き上がってくる不安は何なのか。
分かっている。けれど、どうすればいいのかは分からない。
自分だって彼の助けになれるはずなのに。こんな風にただ守られるだけの存在ではいたくないのに。どんどんと強く、美しくなる彼に、置いていかれたくないのに。
「……ソウル?」
「ん?」
「何でも、ない」
抱いていた空のグラスを、バスケットの中にそっと戻す。きらきらと輝く金糸が遠いもののようで、そっと、指を伸ばした。
「嘘、何でもないんじゃなくて、その……眠くない?」
「……俺が眠いかどうかって意味か?」
何気なく零れた言葉に、ソウルの問いかけが返ってくる。
特別な意味は何もないから、意味を問われても答えられないのに。
「……それ以外に何があるのよ?」
無理やりな自分自身の答えに思わず苦笑して。
腕を伸ばし、その髪を梳く。
「……眠いかもしれない」
同様に、ケレスも緩やかな眠気に襲われた。
きらきらときらめくしなやかな金糸の一筋。その向こうには、困惑を湛えて揺れる蒼の瞳がある。自分の中にはこんなにも穏やかな気持ちしかないのに、なぜか彼の傍には、不思議な緊張感が張り詰めていて、懸命に意識を保とうとしている。
かもしれない、なんて曖昧な言葉ではなくて、眠い、と言ってしまえばいいのに。
ケレスはぼんやりと思う。
「でも、眠くない」
「何それ。助けてもらったお礼に、膝枕でもしてあげようかなって思ったのに」
本当は恥ずかしいけれど、それをソウルが望むなら。
何もかもをかなぐり捨てて、真っ先に自分のことを求めてくれるソウルだから。
ソウルのために、自分ができることなら……してあげたい。そう思う。
「膝枕……。いったいどういう風の吹き回しだ」
「どういう意味? 私だってちょっと考えたりするんだから」
自分の出来る範囲の中、ソウルのために出来ること。
……正直、考えてはみるけれど、ちっとも思いつかないのが哀しい。
「でも、今は膝枕よりお前がいるんだってはっきり分かるほうがいい」
「……どうする気?」
嫌な予感に眉を顰めると、彼はうっすらと微笑んだ。
「こっち、来てくれ」
何をされるか分からない不安から、及び腰でケレスはそろそろとソウルの隣に腰を落ち着ける。
「な、何?」
「こうする」
ソウルが身体ごとこちらに向いて、長い腕に閉じ込められた。
「ちょっ、ちょっと待って、待って、何、こうするって……まさかこのままアルツローネまで一直線ってことなの?!」
「そりゃ……寄り道はしないからな」
「そういう問題じゃなーいっ!! 恥ずかしいー」
「大丈夫だ、俺しか見てない」
「だからそういう問題じゃないって言ってるのに……! もう!」
背中にソウルの左腕、腹部に右腕、左のわき腹で指を組んで、布越しに肌が触れ合う。
ちょうどいい位置を見つけたのか、ソウルはもぞもぞと動くのをやめると、首筋に顔を埋めてそのまま沈黙。
「……離さない」
溜め息のように囁いた声は、聞こえるように言ったのか、聞こえていないと思っているのか。
分からなかったが、それでいい気がした。
珍しく甘えてくるソウルを素直に受け止めて、このときをこうして過ごせるのなら、それだけで。




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