Plumage Legend 〜二重の神話〜 第九章・衝動
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 ケレスに叩き起こされたときは、一体どれほど寝過ごしたのかと不安になったが、まだ日は空に上って数刻といったところだった。天頂に差し掛かるまでは、かなり時間がある。
ではなぜ起こされたのかと不思議に思い、つと彼女に視線を送ると、傍らのサイドボードから、1枚のメモを手に取ったところだった。
「何だ? そのメモ」
「私も、これで起こされたときはちょっとやだったから、内容が大したことじゃなかったら、起こしたりしなかったんだけど……」
歯切れのよくないケレスの様子に、わずかな不安が過ぎる。
「……まさか、義父の嫌がらせか何かか?」
「お義父様はきっと、私たちのこと見るついでに、直接伝えに来るでしょう? そうじゃなくて……」
つい、と差し出されたメモを開く。
そこに記されていたのは……見慣れない記号の羅列。けれど、ソウルは知っている。
「あの……糞餓鬼」
「ソウル、分かる? やっぱりソウルの知り合いからだったのね」
メモの上に並ぶ記号を解読していけば、従わざるをえない用件が見えてくる。
それは、ソウルが珍しく暴言を吐いてしまうほど不本意な相手からの、不本意な呼び出しの言葉だった。
「……ソウルって、変な友達しかいないの?」
「……甚だ不本意だが、否定はしない」
できるものなら否定したい事実だけれど、という言葉は、あえて飲み込んだ。
ケレスに冷笑を向けられるだろうことは分かっていたから。
 それから、ソウルは書き物机に向かい、彼同様、普通なら意味の分からない記号を、求める言葉を示す形に並べて、返事を用意した。
この屋敷ではまともに使ったためしのない呼び鈴で人を呼びつけ、そのメモを託す。
「着いた早々大忙しで悪いが、午後から付き合って欲しい」
「もう少し落ち着いた訪問になると思ってたんだけどな」
それほど不満げな素振りも見せずに、ケレスは小首を傾げ、ソウルの言葉に頷いた。
「それじゃあ用事までは、この城の中を案内しよう。アルツローネの屋敷の庭園には負けるが、今は花も見頃だ。北の時計塔から見る景色は最高だぞ?」
どうせ明日からは、それどころじゃなくなるだろうから、と吐息をつくソウルに、彼女は楽しみだわ、と薄い笑みを見せて。
「でも、とりあえずは、何か食べさせて欲しいかも」
「……同感だ」
お互い、空腹にきりきりと痛む胃を大人しくさせるのが、当面の目的となった。

 「五年ぶりだな、セイ。元気だったか?」
大して広くない薄暗い部屋に所狭しと積み上げられ、埃を被った数々の貴重な書物。足の踏み場もないとはこのことだ。そこに立っているだけでも、圧迫感を抱く。
さらに、明かりはランプが二つだけ。ソウルの声が届いたのか、ランプに引き延ばされた影が、ゆらり、と動く。
「……僕の命よりも大切な資料たちを軽く扱っておいて、何ぃ? そののん気な言葉ぁ」
「お前、その喋り方いい加減やめろ」
ソウルは苦笑し、積み上げられた本の山をすり抜け、部屋の中央へと向かう。ともなったケレスも、部屋の状態に唖然としながら、ゆっくりと後を追いかけてきた。
「久し振りなんだから、もう少し気遣ってくれるぅ? せっかく、色々分かったこと教えてあげようと思ってたのにぃ。まぁ、わざわざ来てくれたんだしぃ、座って、お茶でも飲んで行けばぁ?」
言いながら、彼はどさどさと音を立て、埃を舞い上がらせる。
何をしているのか……何となく想像がついてしまうことが嫌だった。
「……お前、貴重な文献を手荒に扱うなよ。大切な資料なら、この置いておくだけで劣化しそうな部屋をどうにかしろ。それに、茶を飲んでいくほどゆっくりしていく気もないぞ。埃まみれになる」
「まぁまぁ細かいことは気にしないでさぁ」
突き当たったところに、本の中に埋もれるようにひとつの影があった。ソウルは、今下ろしたばかりだろう傍らの本の山と、それらが乗せられていたと思しき、クッションのつぶれた椅子の上から舞い上がる埃に顔を顰める。
「常識的な意見を言ってやっただけだろう」
これだから、ここに来るのはいつも気が引ける。
「ったく、いきなり来ておきながら、失礼だなぁ。相変わらず。ほら、久し振りにやってきた友人のために、わざわざ席を空けてあげたんだよ?」
「失礼なのはお互い様だ。お前の呼び出し方もずいぶんなものだったじゃないか」
あんな紙切れ1枚寄越したくらいで。
「アハハ。返事も大概だったけどねぇ?」
軽い返答に息を吐き出すと、後ろで軽く咳き込む音が聞こえた。
暗いところが苦手なのか、彼女はソウルのシャツを握ったまま、とても嫌な顔をして、咳に潤んだ瞳を擦っているところだった。
「……蕁麻疹出そう」
体が痒い、と呟く彼女に、同感だ、と答えてから、ソウルはゆっくりとケレスを前に押し出す。
「ケレス、これが一族一の『変人』、リュシアリストルセインだ。長いから皆『セイ』とか『セイン』って呼んでる」
目を擦りながらも顔を上げ、はじめまして、と呟いた彼女は。
「……か……かわいー!」
ケレスの瞳からは、先ほどまでの負の感情など消え去り、今では面白いものでも見つけたかのように、楽しそうに輝いている。理由も探す必要さえないほど安直だ。
彼……セイは、ケレスが思わず感嘆の声を上げてしまうほど、愛らしい少年なのだから。
「リファインドの一族は美形揃い、ってホントね……」
見世物にされた当の本人は、拗ねたような表情で、布張りの椅子の上で胡坐をかいている。淡い水色の瞳、白皙の肌、小作りで端正な顔、丸眼鏡の向こうには、幼い表情が浮かんでいた。
セイは、手にしていた分厚い本を傍らの本の山の間に無理やりねじ込む。
「で、彼女が噂の婚約者、ケレス=エフロート嬢だ」
ソウルの言葉に、彼はふと顔を上げたが、眼鏡をかけたままでは焦点が合わなかったのか、丸眼鏡をはずし、再び視線をこちらへ向ける。
 そうして目を瞬いた少年……セイは、ソウルの後ろに半分隠れているケレスを見つめ、あっという間に立ち上がり、わずかな距離を詰めた。
ソウルの許可なしに、しっかりとその繊手を包み込むと、一言。
「……美しい……」
その瞬間に、ケレスがぴくん、と震え、固まった。
「……ケレス、大丈夫か?」
悲鳴も上げられないくらい硬直してしまった少女の姿に、思わず苦笑が漏れる。ソウルは、しっかりとセイに握られたケレスの手を解放してやり、セイの頭を軽く小突いた。
「人の婚約者の手を、勝手に握るんじゃない、恥知らずめ」
「ったいなぁー、何するんだよぅ!」
「あ……あの悪寒は……あれは一体何……?! 蕁麻疹どころじゃないわよ、今の!」
両の腕で自分の体を抱き、呆然としているケレスを、セイに空けさせた椅子に座らせる。
セイの傍に座らせるのは嫌で、椅子は無理やり自分の傍に移動させた。
「こいつ、人間じゃないところあるから。何て言うか……『感じる』らしい」
「……君、ソウルと同じだね。波長が似てる。罪人はもっとイガイガしてて、『感じた』時にそんなに拒否反応示したりしない」
セイとの付き合いは長いが、いまだにこういった言葉の意味を理解出来てはいない。
よく分からないんだけど、とケレスがこちらを見上げてくるが、しかしソウルも苦笑交じりに肩を竦めることしか出来ない。
「でもまぁいいや、ちょうどよかった。君たち二人共に関係ありそうだし、聞いていってよ、新事実発覚」
「え? あの、私にも?」
「えぇ、美しいお嬢さん」
にっこりと微笑んで再び差し出したセイの手を、ソウルは目を細めて叩き落す。
「その態度の変化は一体なんだ?」
「……僕は美しい人に対する最低限の誠意を」
「ソウル、そこまで気にしなくても……だって、この子」
相対する二人の間に挟まれ、居心地の悪そうな彼女に首を振って、事実を伝える。
「ケレスは甘い。こんな外見だが、こいつは俺と同い年だ」
「おな……?!」
ずいぶんと衝撃を受けたらしいケレスの顔色に、ソウルは淡く苦笑を浮かべ、それでもフォローをしようとは思わない。
「言わなくていいのに」
「最近分かったことがあるんだ」
呟いたソウルは、薄く笑んで。
「感情が戻ってくることで、俺はたくさんのものを思い出せるし、たくさんのものを切り捨てていけるようになったと」
「切り捨てて……?」
不思議そうに問い返したセイの言葉に、ソウルは改めて笑みを深くし。
きっかけになる言葉を口にした。
「それで? 新事実は、俺にどんな驚きを与えてくれるんだ」




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