Plumage Legend 〜二重の神話〜 第八章・鳴動
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 彼は、生まれたその瞬間からすでに『蒼』と共にあった。
彼が『蒼』と共にあるのは当たり前で、彼自身、それ以外の仮定など、考えたこともなかった。彼は『蒼』を作ったもの……彼の母でもある存在に、そう創られていたのだ。
いや、もしそのために創られたのではなかったとしても、彼は『蒼』と共にあることを願っただろう。
何度となく宿主を変えて、けれども『蒼』たる手の中で。
過ごした時間が、彼の全てだった。
 この世界に生を受けたとき、彼は形を持たなかった。
与えられたのはただ『蒼』の運命……世界を守るための力、という漠然とした存在価値だけ。
彼は『蒼』の一部分として生まれてきたのだ。
 けれど、それを変えたのは他ならぬ『蒼』自身だった。
『蒼』は彼を呼び、彼を振るい、そして、彼をひとつの『存在』として認識した。
彼は、やがて自我を持ち、必要とされることを知ったのだ。
決して揺らぐことのない『蒼』とのつながり。
絡みつく螺旋にも似た深い部分での同化は、宿主である『蒼』の意識をはっきりと感じ取れるほど強く、その意志を彼へと刻み込んだ。
彼はただ使われる道具などではなく、『蒼』の力を担う最たるもの。
彼は『蒼』の中で、唯一独立した『蒼』の一欠片だった。
それを、自覚した。

 その『蒼』が何人目の『蒼』だったか、彼は覚えていない。
けれど、久しぶりに揺さぶられるような力の渦を感じた。
力の渦が『蒼』に宿るのは、世界に何らかの変革が訪れるとき。
世界を守るための力を授けられている『蒼』が、世界を統べる『翠』よりも輝くということは、この『蒼』が大切な役目を背負って生まれたということ。
だから彼は、再び出会った新たなる『蒼』のために、己の全てを委ねようと思ったのだ。
たとえ『蒼』がどのような姿になろうとも。
此度の『蒼』に与えられた使命を果たすためならば、たとえ地界の果てまでも追って行こうと思ったのだ。


 その日ソウルが出会ったのは、予想外の人物だった。
普段なら、ソウルのいるこの場所へは決して寄りつかないはずのライトが。
「もう許さないわこの変態むっつりーっ!! ケレスをたぶらかしてどうするつもり?! 私の大切なケレスをぉっ!!」
ソウルにはいまひとつ意味の理解できない言葉を叫びながら、やってきたのだ。
この、細工師のために用意された工房へ。
「……それで、何の用だ?」
作業台の上で最後の磨き上げを行っていたソウルは、彼女の目に細工が触れないようそっと研磨用の布で隠して、ゆっくりと顔を上げた。
開け放ったドアの前に立つ彼女の奔放な行動は、先が読めない。
別に読めたからといって嬉しいわけではないが、こんな風に突然現れる未知の生物を、ソウルはそれなりに警戒していた。
彼女は、とてもケレスを大切にしている。本当の妹のように可愛がっている。
これで、ソウルが傍にいることを嫌がりさえしなければ、得体の知れない生き物だろうとも、気にしなかったのに。
「何の用?! そんなの、決まってるでしょう!!」
彼女は、いつも通りの荒々しさでそう言って、急に押し黙った。
普段ならソウルが口を挟む余裕もないくらいにぽんぽんと飛び出してくる言葉の数々が、やってこない。何事かと顔を上げると、彼女の予想外の姿が目に飛び込んできた。
ライトは、とても真剣な瞳をして、こう言ったのだ。
大事な話があるの、と。
「本当は、こんなはずじゃなかったんだけど。私の熟考の結果、こうなったの。だから、ちゃんと納得のいく答えを聞かせて頂戴」
「……何の話だ」
真剣な顔をしていても、ライトはライトだ。その脈絡のなさは変わらない。
「せめて、主語を入れて話せ」
溜め息混じりにそう吐き出してみれば、ライトは何でもないことのように、はっきりと言い切った。
「そんなの決まってるじゃない。ケレスのことよ」
……言われてみれば、確かに、ライトとソウルの共通項は、ケレスしかない。お互い、必要以上に距離を縮める気がないのだから。
「ケレスが、どうした」
「どう、って言われると、ちょっと言いづらいんだけど。はっきり言うわよ」
むしろ、ライトの物言いの方が分かりづらいのではないだろうか。
そう言いかけ、滑りそうになった口を閉じる。
みだりに不用意な言葉を吐くと、いつ彼女の逆鱗にふれるとも知れない。
それならば、黙っていた方がましだ。
ソウルは沈黙したまま、彼女が喋り出すのを待つ。
「あんたは、ケレスを幸せにする自信があるの」
酷く、真面目な顔で。
ライトの告げた言葉を、反芻する。
幸せにする、自信。
「……とりあえず、どの辺が熟考の結果なのか、聞いてもいいか?」
「なに言ってんのよ! 私があんたにこんなことを質問すること事態がありえないじゃないのっ! 熟考を重ねて、結局こんな結果になっちゃったのは、私だって甚だ不本意よ!」
だが、それこそ彼女に愚痴られても困ってしまう。
「……私はね。一人っ子だから、ケレスが本当の妹だと思っているの。ひとつ違いで、すごくしっかりしているけれど、実際は、とてもとても傷つきやすい、繊細な子だから。ケレスが、私を本当の姉だと思って接してくれていることだって、私はちゃんと知ってる。だからこそ、必要なのよ。私がいなくなったとしても、あの子をちゃんと泣かせて、守って、幸せにしてくれる人が」
ライトが、俯いたまま言葉を続ける。溜め息、不安、困惑。
様々な感情の混ざった、複雑な声音。
「私は、いつまでもここにいるわけにはいかないの。私には将来を誓った人がいるし、その人と一緒に、この街に住むことは出来ないわ。うちの家督は、元々エフロートの分家だから、ここで絶えても構わない、と言われているし」
「だから?」
「だから。私は、あんたにケレスを任せていいのかどうか、と聞いているの」
ようやく顔を上げたライトの瞳は、見たこともないような真剣さと、剣呑さを帯びていた。
「ケレスがどう言うかは知らないけれど。私は、あんたとケレスの婚約を、いいとも悪いとも思っていない。だって私は、あんたのことをよく知らない。知ろうとしなかった。それに、これからあんたのことを知るための時間もない。だから、はっきり言うわ。あんたは、ケレスを幸せにする、と、私に誓う?」
酷く、真面目な声で。
何を言うかと思えば、そんなこと。
ソウルは知らず知らずのうちに力を入れていた肩を落として、笑った。
他に、取るべき表情を知らない。
「……な、ななっ。あ、あんた、い、いつの間にっ……!」
大仰に驚いて見せるライトに、あぁ、そういえば言っていなかったか、とソウルは肩をすくめる。
「ケレスのおかげで笑えるようになったらしい。あまりにも馬鹿らしい話で、つい」
「馬鹿らしい話?! どこが馬鹿らしいって言うのよ! 私にとっては何よりも大切なことよ!!」
「俺にとってはそんな当たり前のことを今更誓わされる方が馬鹿らしい」
「……え?」
一瞬毒気を抜かれたように沈黙したライトに、どう言えば分からせることができるだろう。ソウルはしばし考え、ぽつり、と思うままを言葉にした。
「お前は、ケレスを大切にするのだと、誰かに誓ってそうしているのか?」
「そんなわけっ……」
「俺はケレスが大切で、何よりも大切で……ケレスは怒るかもしれないが、笑うだとか泣くだとか、自分の持たないどんな感情よりもケレスが必要なんだ。ケレスは誰に譲るつもりもない。俺はケレスの傍にいる。誰よりも傍に」
そう。それ以外の方法など知らない。
ソウルはただ、ケレスの傍にいると、一人で決めているだけなのだ。
同意を得たわけでもなく、それはソウルが望んでいるだけ。一方的なものだと言える。
「俺が言えるのはそれだけだ。幸せにしたいのは確かだが、俺の思う幸せがケレスの幸せとは限らない。ケレスが俺の望む幸せを望んでくれるのならば、俺は、ケレスを幸せに出来る。その自信ならある」
本来ならば、胸を張って言えるようなことではない。
ソウル自身も、言いたくなかった。こんな情けない……自分本位な考えなど。
けれど、求められれば答えるしかない。ソウルには、その答えしか存在しないのだから。
「これで満足か?」
作業台の上に落としていた視線を、少し持ち上げる。
その先には、目を瞬いてこちらを凝視してくるライトが。あんぐりと口を開けたまましばし固まって、かっと頬を赤らめた。
「……っ本当に口の減らない男ねっ!! 腹が立つったらないわ!!」
親の敵でも見るような目つきに、ソウルの方がわずかに身を引いてしまう。
別に悪いことなど何もしていないのに……居心地が悪い。
「もう二度とこんなこと聞かない! こんなこと……頼むまでもなかったのよね!」
じゃあね! と、ライトは振り向きもせず踵を返し、さっさと走り去ってしまった。
入ってきたときから開け放したままのドアが閉められることもなかった。
彼女の背中は、ソウルにただ沈黙しか寄越さない。
「……何なんだ、あいつは」
眉を顰めてライトの背中を見送りながら、ソウルは、安堵の吐息をつき、肩を落とした。
開いたままのドアから吹き込む風は、思いの他心地よいものだった。




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