Plumage Legend 〜二重の神話〜 第七章・震動
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 ――力を欲するか?

耳に響いた、と言うより、頭の中に響いてくるその声は、覚えのあるもの。
ソウルが、と言うよりは、過去の記憶が、と言うべきだろう。
それは、遠く遠く離れていた、けれど確かに同じものだったひとつの力の欠片。
内在する可能性を解放するための鍵、強くあるための力、その証。
それらを凝縮したものが、今目の前にあるモノだった。
「欲しい」
答えて、手を伸ばす。
けれど、その力にはまだ届かない。

――お前はまだ気づいていない。

言い切られ、ソウルは考える。
気づいていないことなど、山ほどある。
……いや、気づいていないことを、自身で認識しているはずはないのだ。認識しているものは全て、分からないこと。
気づいていないものを理解するのは不可能だ。
だが、今の言葉で気づかされた。
そこにある力を得るために必要な『何か』を、ソウルはまだ知らない、理解していない、と言うことだ。
これで、足りないものに気づくことは出来たが、結局それが何なのかは分からない。
 ソウルの中には、開けられない記憶の扉がいくつも存在する。
ひとつひとつの扉のノブを回しながらそれを探っていては、少し時間がかかる気がした。
「それでも、俺は力が欲しい。今、この手に、自分以上に大切な人を守る力が」
拳に、力を込める。
まわりに張り巡らされた、拒絶の壁を砕き、ただ求めるものを手にするために。

――違う。違うのだ。

 すぐさまこちらに返ってきた声音は、拒絶ではなかった。
拒絶のように響く、けれど、ソウルにはそれが、深い悲しみに感じられた。
……何か、とても大切なことを思い出しそうな。
目の前に、くすんだ像が結ばれた。
白い翼、金の髪。伸ばした腕の先にあるのは、きらびやかな。
きり、と頭に走った痛みは、一瞬で映像をかき消して、途切れた。
けれど、大丈夫。
ひとつ頷いて、ソウルは、浮かんだそのままを言葉にする。
「……お前は、俺の一部。昔、俺であったものの欠片。堕ちてきたことで失った力の欠片は数え切れないほどにあるが、お前は、その中でももっとも大切な存在。ここへ来い」
言って、腕を掲げた。
「お前は、俺のもの。さぁ、還って来い」
そう。あの力は、元々彼のものだった。
だから、わざわざ自分から手を伸ばし、掴み取る必要などない。
あれは、自分の失くしていた力なのだから。

――あぁ、ようやく辿り着いた。我が身の依り代、他の誰でもなく確かに『蒼』だ……!

感極まった声が、先ほどまでのもったいぶった動きなど見る影もなく、文字通り飛んできた。
身構える間もなく、こちらに飛び込んできた、その衝撃は……予想したものよりずっと、柔らかく軽やかだった。
まるで、同化するように。溶け込んでするりと消えてしまった光に目を瞬く。
消えてしまった……いいや、元の位置に戻った、のだろう。
体の奥底で、ひっそりと息衝く、過去の力と、記憶のひとかけら。
鮮やかな魅力でもって見る者の目を奪い、その魂を揺さぶる、研ぎ澄ました剣の刃。
澱みのひとつさえ見当たらず、ただ、相対するものを切り捨てるためだけに存在する、血臭と鮮血に彩られた力。
それを振るっていた。覚えている。この力は、何物にも変えられない、他の何人たりとも入り込めない深いところで眠る、重要な鍵だった。
それを一体いつ手放したのか、記憶にも残っていないことが、口惜しい。
「どうして今まで、お前のことを忘れていられたんだろう。俺にとってお前は、あいつと同じくらい大切なのに」
この命を委ねるに相応しい、至高の力。
純然たる強さの証。
それを握り締めて、ソウルは目を閉じる。

 ゆっくりと、目を開いた。
その目に映ったのは見慣れた天井。
ここはソウルに与えられた部屋だ。さっきまで、隣にケレスがいた。
軽く流し見た窓際、注がれる太陽の光の長さは、さほど変わっていない。
ケレスもきっと、まだ風呂の中だろう。ぶつぶつ言いながら酒の匂いを落としているに違いない。
身体を起こす。
わざとでもないのに、体が急な動作を拒絶して、なかなか思うようにはいかなかった。
それでも何とか上半身を起こし、ソウルは左腕を伸ばす。肩の高さへと持ち上げて、意識を指先へ。
そっと、拳を握りこむ。
「……来い」
呟いた声音に反応するように、握った手の中が瞬間的に熱を持つ。
眉を顰め、く、と声を殺す。そんなソウルの行動さえも無視して、手の中には、固い感触が生まれた。重いはずなのに、それを感じさせないのは、それがソウルの中に宿っている力だからだろうか。
細めた目を、開く。
「あぁ……やっぱり、お前なんだな」
目に飛び込んでくる、鮮烈な印象。
しなやかに流れる、それは舞い踊る炎の一片のように見えた。
瞳を射るのは、紅の懐かしい輝き。趣向の施された柄。
そして、銀が滴りそうな、恐怖以上に感動を覚えるほどの、凶悪な美しさを放つ刃。
それは確かに、彼の……ソウルの、いや『蒼』の手の中にあったもの。
「今の俺では、お前を扱いきれないかも知れない。それでも、お前は……俺と共に来てくれるのか」
――それでも、この身はお前と共にあることを欲するだろう。望め、手を伸ばせ、そして、手に入れるがいい。元はお前であったものの欠片を。お前は『蒼』だ。神代の時代から受け継がれてきた、世界を守護する力の持ち主だ。案ずることはない、共に行こう。
 力強い、肯定の言葉。
それだけでソウルの迷いは、幾分か晴れる。
「……では、また呼ぼう。誰かを守りたいときは、誰よりもまず、お前を」
――当然だ。我が身は、そのために存在するのだから。
強く、強く握った柄を、そっと緩める。
――必ず呼べ。我が身は『蒼』と共にある。
ふわりと、剣の姿が光り、輪郭をぼやけさせる。
緩めた指を、柄から離した。
薄れていた輪郭が光の粒となってはじけ、そして、銀の粒子となって、空気に散る。
溶け消えた、その光をぼんやりと目で追う。
すでに跡形もない剣を、今し方まで握っていた左手を、そっと握り締めた。
「強く……なりたい」
人の身なれど、叶うことならば、この世界を。
そして、誰よりも大切な、彼女を。
守りたい。強く、思う。
 例え彼女が『白薔薇』であろうと、なかろうと。
この地界に生きるソウルにとって、彼女は何物にも変えられない、大切な存在なのだ。
内に眠るこの力と同等に、ソウルがソウルであるための、大切な人。
迷う必要などどこにもない。
ただひたすらに、ソウルは望むだけだ。
手を伸ばし、追い求め、この世界で、幸せを掴み取るために。
「俺は、強くなる。この世界を壊させない」
守りきろう、などと大それたことは言わない。
だが、全てを失うことだけは、許さない。
握った指先にともる熱を想い、ソウルは、ベッドを降りる。
見上げた空の先にあるのは、何なのだろうか。
「あんなに遠いところからきたんだな……俺たちは」
誰にともなく呟いて、ソウルは、酒の匂いのこびりついた服を脱ぎ捨てた。




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