Plumage Legend 〜二重の神話〜 第六章・微動
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 ……時空の大樹が哀しく震える 世界の嘆きが大地を揺らす
伝わる確かな生命の鼓動 世界はゆるやかに流れ出る

 静かに流れる声に、ふと目を開けた。
それはただの歌声だ。
けれど、今回ばかりは、しっとりと響く聞きなれた声が、ソウルには無邪気に紡がれる呪詛に感じられた。
まるで悪夢が忍び寄るように。
ひたひたと迫り来るそれが、何なのか……ソウルは、分からない。

 それは闇が失くした夢 忘れ去るには美しすぎる
囚われた天使の遠い歌――

 噛み殺した吐息が、つと漏れた。
ケレスの歌声が、ふつりと途切れる。
「……ソウル、目、覚めたの」
「あぁ。もう少し覚めずにいて、ケレスの邪魔をしないつもりだったんだが」
「でも、聞いてたら一緒でしょ?」
そう言った彼女は、身体を起こしたソウルに、柔らかな微笑みをくれた。
場所は食堂だ。どうやら、食卓に突っ伏して眠っていたらしい。
ソウルの前には自作の細工物があり、さらに金属を磨くための布と、専用の薬品。正面の椅子には、ケレスが腰掛けている。
どうしてここにケレスがいるんだ、と聞こうとして、ソウルは時計を見上げた。そして、はっと息を呑む。
「……悪い、寝過ごしたか」
思い出した。
ここでケレスに、細工のデザイン画を見せる約束だったのだ。
そして、その約束の時間は、過ぎている。
「気にしないで、こっそり覗き見したし」
「……な」
言われてみれば、このテーブルの上に放り出していたはずのクロッキー帳がない。
ケレスが、悪戯っぽく微笑んで、膝の上から覗かせたそれは、ソウルのインスピレーションの全てをぶつけたもの。
「ソウルの作る細工は、繊細だけど、その中に強さが見えるから好き」
ぱらぱらとクロッキー帳の淡く色づいた紙をめくるケレスに、返す言葉が見当たらない。
確かに、見られて困るようなことは何も書いていない。書いていないけれど。
「……ケレス……覗き見はあまり感心しないぞ」
「ごめんなさい。でも、気持ちよさそうに寝てたから。起こすの、可哀想かなって。でも、じっとソウルの寝顔見てるのもどうかと思って、暇つぶしに。やっぱり私は、ソウルの作る細工物が好き」
言われて、その率直な言葉に口ごもる。ケレスが、クロッキー帳を差し出した。
「父さんは、重そうな奴か、壊れちゃいそうなのしか作らないんだもの。あんなの喜ぶ王都の方々の気が知れないわ」
歯に衣着せぬケレスの物言いに、ソウルは答えず、代わりに、彼女の差し出したノートを受け取る。
「お茶、いれようか? まだ半分眠ってるみたいに見える」
「……頼む、テーブルは、片付けておくから」
「はぁい」
ケレスはにっこりと微笑んで、くるりとスカートの裾を翻した。約束の時間になっても起こさなかったことといい、今の笑顔といい。
今日のケレスは、いつもにも増して機嫌がいい。
その理由が、このデザイン帳だったらいいんだが、と、声に出して呟いてみて。
自分の過剰な自惚れに溜め息がこぼれた。

 ケレスが運んできたのは、涼しげなグラスに注がれたアイスティーだった。
「目覚まし代わりに」
「……そんなに寝ぼけてるか、俺は」
「どうかなぁ……ソウルがこんなところでうたた寝するの、初めて見たような気がするから。お疲れかしら?」
「あぁ……いや、疲れてる、わけではないんだ」
言われてみれば、そうかもしれない。
こんな風に、眠くなるような時間帯でもないのに、今日などは作業の最中だったと言うのに、気がつけば眠っていた、などということが増えたのは、最近になってのことだ。
それは、いつだったか……あの、不思議な場所へと引きずりこまれてから、だ。
あの日以来、ソウルは過去を遡った時代の記憶を夢に見るようになって、先日は、ラーダ……『黒薔薇』と名乗った女の言葉を聞いた。
一体……誰が、何を伝えたくて、ソウルに影響を及ぼしているのだろうか。
いや、ソウルに、ではない。
「あの人に……なんだろうな」
「え?」
「いや、なんでもない。それより……何なんだ、さっきの歌」
差し出されたグラスに口をつけて、再び正面に腰掛けたケレスに問いかけた。
「あぁ、あの歌? なんかね、学校で教わったの、友達から。半分くらいの子が知っててね、何でも、世界が生まれ変わるときに幸せになれる言葉、らしくて」
おまじないみたいに口伝いで伝わってるの、と何気なく言われて、ソウルは首を傾げる。
「世界、が……生まれ変わる?」
先程の歌に連ねられた詞の数々は、ソウルには、得体の知れない違和感しか与えられない不快な言葉の羅列に聞こえた。
何より、その触れ込みが気に食わない。
世界が生まれ変わる、など。
簡単に為せることではない。
「私はあんまり信じてないんだけど、会う人会う人に言われたら、耳に残っちゃったみたい。ごめんね? 下手な歌聞かせちゃって」
「いや、そんなことはない。それより、俺は……」
その、歌詞。その言葉に宿る意味が、気にかかった。
「聞かせてくれるか? 全部」
何気なく言った言葉に、ケレスはぱちぱちと目を瞬いた。
「……は? 私が歌うの? そんなの嫌よ」
「じゃあ、歌詞、ここに書いてくれ」
ケレスの拒絶の言葉に、それならばと、クロッキー帳の白紙の一ページを破りとる。
「どうしたのソウル、急にそんなこと」
「嫌なら歌ってくれ」
「もうっ! 何なのよ分かったわよっ、書かせてもらいますっ!」
唇を尖らせたケレスに、ソウルの手元にあったペンが乱暴な手つきで奪い取られた。
テーブルに載せた用紙を引き寄せ、彼女はその上に文字を並べていく。

――時空の大樹が哀しく震える 世界の嘆きが大地を揺らす
  伝わる確かな生命の鼓動 世界はゆるやかに流れ出る
  それは闇が失くした夢 忘れ去るには美しすぎる
  囚われた天使の遠い歌

  翡翠の涙が瞬き零れる 世界の悲鳴が大地を砕く
  伝わり聞こえる蒼の呼び声 世界はゆるやかに崩れ行く
  それは天が壊した鍵 思い出すには悲しすぎる
  飛び去った小鳥の折れた羽

  償いを終えた者たちはどこに安らうの
  あらゆる偽りと憎しみはそこにある
  願いをかけた空は砕け散り 立ち尽くす大地に降り注ぐ

  世界は美しく堕落して 穢れは解けて消える――

 「こんな歌! これで満足?」
「……あぁ、ありがとう」
こちらに突きつけられた紙の上に、ケレスの文字が並んでいる。
整った字体で記される詞のこと如くが、ソウルにはやはり、異様なものと感じられた。
「書き出してみると、何だか、あんまりいい歌じゃないわね」
ケレスが、グラスを傾けながら呟いた。落ち着いてきたからか、小首を傾げて、訝しげに言う。
「世界が壊れるのを待ってるみたいな……そんな歌」
「世界が、壊れる」
あぁ、とソウルは声を漏らした。
そういう、ことなのだろうか。
彼女の残した、不吉な言葉。
予言にも似たそれは、もしかすると、現実のものになるのかもしれない。
だとすれば、引き金になる『蒼』であるソウルと、どこにいるとも知れない『白薔薇』は、彼女の言う影に狙われるのだろうか。
何かを、忘れているような。
大きな確信を抱いていたのに、それがいつの間にか曖昧になって、放り出されてしまったような。
不安が、胸に宿る。
それは明確な形を持って、そろそろと、近づいてくる。
「俺の大切な……か」
上げた視線の先には、まだ膨れっ面をしたケレスが、横に除けてあった手入れ中の細工を手にとって眺めていた。
翡翠の瞳に、栗色の髪。神話の『白薔薇の乙女』と同じ色彩。
胸の奥につかえた言葉を吐き出す術も知らず、ソウルはただ、手元に残った詞と、わずかな期待を抱いて願う。
「俺に……守れるだろうか」




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