Plumage Legend 〜二重の神話〜 第四章・蠢動
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 「絶…………っ対、なんか間違ってる。どうして、こうなるわけ?」
「……そうか? 別に構わないだろう。形、だけなんだから。特に気にするほどのことでもないし……? どうかしたか? ケレス?」
優雅にティーカップを傾け、馨しい芳香を放つ紅茶を飲みながら、深くため息をついたケレスに、ソウルは同じく紅茶を飲みながら首を傾げた。
別に、正式なものではないんだから。
そう言ったソウルに、ケレスはうーんと唸って首を振る。
「だって……そうだけど。口約束と、変わらないけど。……でも、それでも、婚約って言われたら、何か……」
躊躇いと恥らいと、くすぐったさがあるし。
はぅ、と唸ったケレスに、ソウルは再び首を傾げた。
「女心とやらは、難しいものだな」
「……それは、違うと思う」
女心は私にもよく分からないわ、とケレスが笑う。
「じゃあ、ソウルは、平気なの?」
口元に浮かんだ笑みは、わずかに引きつっていた。泣きだしそうに震えた声に、ソウルはほんの少し悩み、言葉を探し……頷いた。
「平気とか、そういうんじゃない。何て言うか……俺としては、ラーダに盗られることの方が許せないから。そう思うと、小父さんは許しをくれたし、義父はエフロートをよく思ってるらしいし……。ケレスも、俺のこと……嫌いでは、ないんだろう?」
その問いに、ケレスははっきり頷いた。
「勿論。嫌いだったら、話もしないわよ。わかんなかったの?」
「……だから、俺は構わないんだ。ケレスが、いいと思うなら」
ソウルの答えに、彼女はほんの少し頬を赤らめて、再び、小さく頷いた。
「あのね、もう少しだけ……もう少しだけ、待って欲しいの。ソウルとの婚約が嫌だから先延ばしにしたいとかじゃなくって、何て言うのかしら」
ケレスが、カップを下ろし、テーブルにゆったりと身を預ける。
「私には今、そのイーブルバイス家から婚約のお話がきてるわけでしょう? この状態で、イーブルバイス家よりも格上のソウルと私が婚約するってことになるじゃない? それって何だか」
「イーブルバイス家の評判が悪くなるのを、心配してるのか」
先回りして囁いたソウルに、彼女は上目遣いで視線を投げてよこし、ほんの少し微笑んで肯定する。
「言っちゃえばそういうこと」
あっけなく答えて、ケレスがゆっくりと腰を上げた。
彼女の向かいの椅子に腰掛けたままのソウルより、目線は上へ。
「パウンドケーキがあるわ。コーヒーリキュールで風味づけしたの。食べる?」
小首を傾げて問いかけられて、ソウルは反射的に頷く。
「あぁ」
「ついでにお茶のおかわりもいれちゃおうっと」
何が楽しいのか、ケレスは踊るような足取りで、ティーポットを持って食堂の奥へと消えていった。背中で彼女の栗色の髪が跳ねる。軽い靴音。
遠ざかっていく後姿に、得体の知れない不安を抱く。
どうしてだろう、あの微笑みが、いつもの彼女のものではないような気がした。
ケレスが、別のものに見える瞬間がある。
それが夢に垣間見る過去の『彼女』であれば、何の問題もない。だが、それとは別の、何か。ケレスがケレスであるために必要な、何かが欠けてしまいそうな、不安。
 半分まで減った紅茶を、一息に飲み干す。
後味はやや苦く、温くなっているせいか喉越しは悪くない。猫舌のソウルにとっては心地いい。香りの強い紅茶は、やや冷えて香りが少し飛んでしまったほうが好きだ。
反対にケレスは、いれたての熱い紅茶に砂糖を何杯も入れて、さらにその中へレモンやミルクを入れて様々な味を楽しむのが好きだ。たっぷり4杯の紅茶がサーブできる大き目のティーポットを、ケレスはほとんど一人で飲み切ってしまう。茶菓子があればもっとだ。
「ソウル? 大丈夫? なんか、ぼんやりしてるけど」
声をかけられて、はっと顔を上げた。
そこには、トレイを持ったケレス。トレイの上には、ティーポットが乗っているようだ。椅子に腰掛けたままでは、トレイの上にあるものまではわからない。
「あぁ……大丈夫、だ。いや、俺のことより……」
ケレスは。
そう訊ねようとして、言葉に詰まった。
聞くまでもない。
「ケレス、とりあえず、座れ」
「え? ……あ、うん、座るけど……何?」
腰を上げ、トレイをケレスから取り上げる。
トレイの上には、コジーをかぶったティーポットの他に、今も内側で時を刻んでいる砂時計、蜂蜜、ミルク、クッキーの入ったストッカーがひとつと、ケーキ皿が二枚。その上にはコーヒー色のパウンドケーキ二切れ、フォーク一本がそれぞれ乗っている。一方にはホイップされたクリームがたっぷりと添えられていた。
「ソウル?」
不思議そうな顔でこちらを窺っているケレスを、座るよう促す。
ソウルがテーブルにトレイを下ろすと、相変わらず困惑した表情ではあるが、ケレスは元の椅子に腰を下ろした。
「言いたいこと、全部言え」
「はぁ? ……あの、ソウル、何が言いたいのかよくわかんないんだけど」
トレイから、クリームの乗った方のケーキ皿をケレスの前へ下ろす。同様に、蜂蜜の入った瓶とミルクピッチャーを下ろし、クッキー入りのストッカーは中央に置いた。ティーポットをその隣へ、そして、残ったケーキ皿を自分の前に置く。
「わかってないのか」
「分かってないのはソウルじゃないの? いきなり何なのよ」
「俺に聞きたいことがあるのなら、答える。不満があるなら、俺でよければ聞く。愚痴でも、何でも。だから、そんな……泣き方を忘れたような、つらい顔するな」
さら、と、砂時計の中の動きが止まった。
呆然とソウルを見つめてくるケレスの視線を避け、目の前のポットに手を伸ばす。
コジーを脇に下ろし、ケレスのカップにストレーナーを当てる。
「蜂蜜とミルク入れるんなら、カップの半分くらいか?」
「あ……う、うん」
「俺ももらっていいか?」
続けた問いかけに、ケレスは一つの頷きで答えた。
「……ありがと」
「どういたしまして」
ストレーナーを移し、今度は自分のカップの、八分目まで紅茶を注ぎ込む。
先程の紅茶とはまた違う、やや甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「大丈夫? それ、キャラメルの香りをつけたお茶だから……」
「キャラメルの匂いがするだけで、甘いわけじゃないんだろう? ケレスの作ってくれる菓子と同じだ」
そう応じて、視線を上げる。
ケレスは、不安を宿した瞳で、けれど真っ直ぐにソウルを見つめてきた。
「言ってみろよ」
促すと、彼女はようやく口を開いた。
「分からないの」
「何がだ?」
「……私が」
驚いて目を見張ると、彼女はさっと視線を落として、小首を傾げる。
「だって、まだずっと先のことだと思ってたの。婚約とか、結婚とか。ソウルがどうだとか、男だとか女だとか。なのに、ある日突然私の上に降りかかってきたのよ、しかも、私の知らないうちに」
華奢な指先が、蜂蜜の小瓶に伸びる。それを持ち上げて、もう一方の手が添えられている小さな匙をつまんだ。
「ねぇ、ソウル? 私と婚約して、何かいいことがあるの? だからあの転校生は、私と婚約したいの?」
「……ケレス」
「ソウルは? 私と婚約してもいいって言うのは、どうして? 転校生のことが嫌いだから? それとも、今ここを放り出されたら困るから? それとも……私が、可哀相だから?」
「それはない。絶対に」
並べられる言葉が痛々しくて、途中で遮ることが出来ればどれほど楽かと思った。
だが、ケレスの言葉はすべて聞かなければならない。
今のまま、ケレスが泣き出しそうな、それでもなお泣けないままでは、とてもではないがこの先、ラーダをはっきり拒絶しろ、などとは言えない。
もともと異性とのかかわりが極端に少ないケレスのことだ、ここに来て突然ケレスの領域に土足で踏み入ってきた異分子が上手く消化できないに違いない。
それならばソウルは、ケレスの疑問を、不安を解消してやることくらいしか出来ないのだ。
そして、それでケレスが普段の表情豊かなケレスに戻るのであれば。
どれほど答えづらい問いかけでも、たいした問題ではない。
「じゃあ、あの人はどうして私に婚約なんて? はっきりした理由もないのに、男の人は婚約できるの?」
「違う。少なくとも俺は、ケレスでなければ婚約してもいいとは言えない。小父さんの頼みであろうとも、義父の命令であろうとも、だ。俺にとっては、ケレス以外は考えられない」
ここまで言い切った手前、さらに『それはなぜか』と聞かれれば、答えるつもりだった。
もう、言うも言わぬも同じようなものだと思ったから。
けれど、彼女はそうなの、と味気ない言葉だけを残し、そっと俯いた。
「ケレス?」
「そこまで言われちゃうと、余計に、どうしていいか分からなくなっちゃうじゃない」
小さく呟いたケレスの言葉。
ソウルは意味が分からずにわずかに眉を顰め、続けられるかもしれないその囁きを待つ。
……答えは、返ってこない。
「男の人って、結構身勝手ね」
「女も、なかなかだと思うが」
「確かに。振り回されるのは男の方だって決まってるもの」
言って、ケレスは顔を上げた。
その瞳には、微笑み。少なくとも、先程までの苦悩に満ちた表情からは脱却したように見える。
「どっちにしても、私がはっきりさせなくちゃならないんでしょう。なら、私がいいって言うまで、婚約も、そのお断りの申し込みも。今すぐ結論を出さなくって、いいでしょう?」
「あ、あぁ、それは、もちろん構わない。当然だ。大事なことだからな」
ソウルがそう答えると、ケレスはにっこりと笑って、フォークを手に取った。
「何だか、開き直ったらお腹すいちゃった。ソウルも、食べて食べてッ。結構自信作なのよ? 甘すぎず、苦すぎず。感想、聞かせて頂戴?」
促され、言われるままにフォークを取り、ケーキを切り分け口に運ぶ。
その味はほろ苦く、控えめに甘く。まるで、ケレスの曖昧な態度のようにほろほろと口の中で壊れた。




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