Plumage Legend 〜二重の神話〜 第三章・胎動
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 「……一体、何だったんだろうな」
問いかけられて、ケレスは笑う。
「ホントにね」
もう彼らの姿は見えないのに、まるでこちらを守るように自然に立ち位置を変えるソウルのさりげない気遣いが、嬉しかった。
「……それにしてもあの人、ちょっと変わってるわね。口ばっかりで、実力がついて来ないって言うか。精神的に不安定って言うか」
「……ケレスも、そう思うか」
ほんの少し難しい顔で、ソウルが溜め息をついた。ケレスは、彼の腕にもたれるようにして応じる。
「うん。ま、みんながあの人に気をとられて、ソウルはどうでもいいって言うんだから、それはそれでいいのかもしれないけど」
「そうなのか? まぁ……確かに、少し減ればいいと思ってたんだ」
せいせいする、と呟いたソウルに、ケレスは首を傾げた。
「ソウル……私の言ってる『みんな』が誰だか、知ってるの?」
「あぁ。ケレスのクラスメイトだろう。何度かケレスと一緒に出て来たところを隠れて見られてたからな。確か、他にも何度か……薔薇園で紅茶をご馳走になったときも見られていたような気が」
「嘘?!」
反射的に食って掛かったら、そんな嘘を言ってどうするんだ、とにべもなく言い返されて、ケレスは言葉に詰まる。
「ケレスは、気付いてなかったのか?」
見上げたソウルの顔には、あんなに分かりやすいところにいたのに、と書いてある。
まさか家の中までも彼女たちの観察スポットになっているだなんて、想像もしなかった。
「全ッ然。気付いてなかった……みたい。あー、やだなぁ、もぅ……」
小さく唸り声を上げながら、ケレスは赤くなっているだろう頬をそっと押さえた。
ソウルは、特に気にもせず前を見つめているようだ。こんな風に照れているところを凝視されるのも、恥ずかしい。どうか気づきませんように、とケレスはこっそり祈った。
しばらくそうしていると、頬の熱も和らいできた。そろそろ大丈夫か、と手の平を下ろして、ケレスはそっと視線を上げる。横目で窺うのは、真っ直ぐに前を見据える、蒼の瞳。
その瞳の蒼に気をとられ、ふと浮かんできた疑問が、そのまま唇からすべり出た。
「ソウル、あの転校生と、何があったの?」
言ってしまってから、はっとする。こんな風に改まって、昔のことを聞いたことなんてなかった。
思わず考えたことをそのまま口に出してしまったけれど、聞いてもよいことだったろうか。
懸命に考えて、やっぱり謝らなければ、と口を開きかけたケレスに。
「……ん?」
返ってきたのは、もう一度言ってくれ、と言わんばかりの間の抜けた答え。
ケレスは脱力した。
言って、拙かったかな、とすごく後悔したのに、本人は気にもしていないではないか。思わず、やるせない溜め息が漏れた。
「だから……ソウル、もしかしてメルト=シティで、あの人に何かしたんじゃないの? 向かってくる敵対心が、尋常じゃないもの。……一体、何しでかしたのよ?」
ケレスの少し強い口調に、ソウルはおや、と首を傾げた。
「……あいつが……ラーダのこと、気になるのか?」
その問いに、しばし沈黙がその場を支配し……。
そして、ケレスは弾けるように笑い出した。
「何言ってるの? もしも何かあったんだったら、父さんにいちゃもんつけて、んで、婚約解消。面倒じゃなくていいでしょ?」
そうか、と何も考えてなさそうな表情でソウルは頷いた。ケレスの言うことも、あながち嘘ではないのだから。
「父さん、私には甘すぎる砂糖菓子より甘いから。……だから、ついお強請りもしちゃうんだけどね……」
「……小父さんだけにか?」
「うぅん。ソウルにも、トルクにも、ライト姉さんにも、キース兄ちゃんにもだよ。結構甘やかされてたからな……私……」
甘やかされ、愛されて育ったケレスにとって、ソウルと彼の確執は、理解できない。
何か、深い深い理由でもなければ、あそこまで嫌い合うことなんて出来ないはずだ。
「お前は、本当に大切にされて、愛されて育ってきたんだな……」
言葉と共に放たれた優しいため息が、ケレスの髪を揺らす。ふわりとくすぐる前髪のそよぎに、ケレスは顔を上げ、そして、すぐそばにあるソウルの美貌にくっと息を飲んだ。
気づかないうちに、ソウルの息がかかるほど距離を縮めていたことに驚いて、ぎゅっと身を強張らせる。
「ケレス?」
「あ、その、何でもないのッ。ただ、ちょっと……ホントに、何でもないから」
婚約がどうだとか、そんな話をしているからだろうか。
急に、ソウルが自分とは違う生き物に見えて、身構えてしまう。
確かにソウルは、自分とは別の体を持つ『男』なのだが……こうして至近距離で会話をする程度の当たり前のこと、今まで気にも留めなかった。
それが、途端に恥ずかしい。そんな風に意識してしまう自分が、嫌だ。
「お姉ちゃーん! お帰りなさぁい!」
 と、自分たちの向かう方向……坂を登った先の高台にある屋敷から、聞き慣れた声が聞こえた。転がるように駆けてくる少年は、弟のトルクのようだ。
 トルクは、身内の贔屓目を抜きにしたとしても、愛玩動物のように可愛らしい。ケレスが八歳になる年に、母のレイラがトルクを産んで、彼が物心つかないうちに療養を兼ねて実家へ戻ってしまったため、ケレスにとって、トルクは唯一の守るべき相手だった。
こうして慕ってくれるのは、姉としても、母代わりとしても嬉しい。
「トルクったら……まだまだ子供なんだから」
笑いを噛み殺し、つと視線を逸らした、その瞬間だった。
「わぁっ!!」
「きゃ……!!」
七歳の子供の体が、坂を下る勢いのままぶつかってきたのは。
「ケレス!!」
飛びつかれる反動によろけたケレスは、反射的に腕を伸ばした。その先にいるのは、たった一人。
指先が済んでのところで触れ合い、そのまま、強く引き寄せられる。後ろに傾いだ体が、急激に前へ倒れる。体に張り付いているトルクを間に挟んで、ケレスは、ソウルの腕に落ち着いた。
まだ、心臓が早鐘を打っている。もしソウルがいなかったら、あのまま坂を転げ落ちていたところだ。ほっと安堵のため息を吐いた。そして、ゆっくりとソウルとの間にいる、やけに大人しいトルクの姿を覗き込んだ。腰に回されたトルクの腕は緩む気配もない。しがみついているトルクから感じられるのは、楽しいだとか、嬉しいだとかいった感情だけ。それが悪いとは言わないが、やはり反省はしてもらわなければ。ケレスは、少し怒った顔を作って嗜める。
「……トルク! 危ないでしょ、勢いつけて抱きついてくるなんて! いくらトルクが小さくても、私一人だったら、絶対一緒に坂の終わりまで転げ落ちてたわよ? もっと気をつけないと」
「……はぁい。お姉ちゃん、ごめんなさい。お兄ちゃんも……」
念を押すと、トルクは素直に謝った。一応、悪いことをしたと思っているらしい。
小さく溜め息をついて、ケレスは顔を上げる。
「ソウル、助けてくれてありがとう。ごめんね」
「……いや、それくらいなんでもないが……大丈夫だったか? トルク、お前も男なら危ないことと大丈夫なことくらい区別できるようにならないとな。気をつけろ」
ソウルの言葉にも、トルクは少し項垂れて素直に頷いた。
「分かればいいのよ。……それで? あれだけの勢いで走ってきたんだから、何か用でもあるんでしょ?」
先ほどのしおらしさなど見る影もなく、すっかり元の調子に戻ったトルクが、ケレスの手を取った。そのまま、握った手を引きずるようにしてトルクは坂を登り始める。
「うん! 父さんが、話があるからって。お兄ちゃんも!」
そう答えたトルクは、思い出したように立ち止まり、ケレスの手を掴んだまま坂を引き返してソウルの手を掴む。そして、ケレスにしたのと同じように、引き摺るように坂を引き返していく。
思いがけず力強いトルクの足取りに、遅れそうになったケレスを、ソウルの手が支えてくれた。
だが、触れたその温度に、ケレスは驚いて体を震わせる。
「ケレス? どうか、したのか?」
「あ……な、なんでもない、大丈夫」
問い掛けてくるソウルの視線に、頭を振って答えたものの、肩に触れるソウルの手の平は、血の気が感じられないほど冷え切っていて。
先程まで触れていた、エスコートしてくれた優しく温かい左手と、肩に添えられている、怖くなるほど冷たい右手。
言葉にならない違和感を、ケレスは胸の中に強引に押し込め、屋敷に向かって自ら足を踏み出した。

 「遅かったね、お帰り。……ソウル君? あの……? なんだか、眼が怖いよ。……どうかしたかい?」
 玄関に出て来て三人を迎えたスマル氏は、笑顔を曇らせることもなく不思議そうに問うた。その変化のない表情が、ソウルに微妙な怒りを呼び起こした。
「……小父さん。ラーダの件は、たしか断ると言っていませんでしたか?」
「……あ、あぁ。うん、そうだよ? 断る、つもりだったんだけど……実際、イーブルバイスの家の者がいるところまで訪ねて行ったんだよ、わざわざこっちから。それなのに……あはは。聞き入れてくれなくってねぇ。どうしようかと思って、悩んでたんだ。そこへ皆が帰って来て……というわけで、ね。どうしようか?」
どうすればいいかな? と微笑み混じりに問い掛けられて、ソウルは小さく息を吐いた。
「……そんなの、俺に言われても知りません。小父さんが、生温いんです。こういう、ケレスの幸せを左右することはきちんとかたをつけないと。小父さんは、優し過ぎます。ケレスが幸せになれないなんて、そんなの、許せない……」
心の奥底で怒りをふつふつと沸き上がらせながら、ソウルは呟いた。
「ソウル……」
呼ばれて顔を上げると、恥ずかしさと嬉しさと戸惑いを同居させたような複雑な表情のケレスが視界に入った。
その瞳に何と答えればいいのか分からず、思わずソウルは言葉を詰まらせる。
「うーん……困ったなぁ」
「あの……とりあえず、場所移動しない? お茶とお菓子出すから。こんなところで立ったまま話してないで」
「そうだよー、お姉ちゃんが帰ってきたら、ケーキ切ってくれるって言うから楽しみに待ってたんだからね」
 気がつけば玄関先で、ケレスの婚約談義は本格的になり、一体どうやってイーブルバイスを諦めさせるかと言った具体的な部分にまで踏み込んでいた。それを見かねたのか、ケレスが会話を遮ってそう提案してくる。
ケレスの意見を却下する理由もない。ソウルとスマル氏は、食堂に移動するよう困惑顔の二人の姉弟に促され、会話を続けながら歩き出した。
飲み物と茶菓子を前に、しばらく埒のあかない会話が続いて、そして重い沈黙が流れた。
こちらから友好的に断るのはどう考えても難しく、このままではケレスが面倒に巻き込まれるのは火を見るより明らかだ。
スマル氏が一つ、重苦しい溜め息をついた後、仕方ない、といった表情で口を開いた。
「それじゃあ、ソウル君。ケレスと婚約するかい? そうすれば、もう付き纏われることもなくて、他から面倒な話も舞い込まずにすむし……」
スマル氏の唐突な爆弾発言に、ソウルは思わず、口の中に入っていたコーヒーを吹き出しそうになった。隣で、けふん、と小さく咽たケレスも同様だったらしい。
「何それ?! 父さん、何考えてるの?!」
わずかに咳き込みながらも、ケレスは慌てた様子でテーブルを叩く。もちろん、ソウルも同感だ。ただ……理由は、ケレスの内にあるものとは異なるだろうが。
「いくら小父さんでも、言っていい冗談と悪い冗談があります。俺にそんなことを言って、本気にしたらどうするんですか?」
狼狽して『何それ』と『どういうこと』を連発するケレスを隣に、ソウルは深く息を吐いた。ソウルの言葉に、スマル氏はおや、と首を傾げる。
「冗談? まさか。本気に決まってるじゃないか」
何とか気を落ちつけようとしてコーヒーを飲み干したソウルは、スマル氏の『本気』発言に更に打撃を受け、咽た。咽続けるソウルの隣り、ケレスが唐突に口を噤んだ。
「け、ケレス……?」
「でも、父さん。ソウルと転校生、あんまり仲良くないみたいなの。そんなことして、大丈夫なの?」
ケレスの言葉には、真剣さが感じられた。勿論それは、ソウルの引き取り先であるリファインド家のことや、ソウルの立場を思ってのことなのだろうが。
「ケレス、俺は男だからどうでもいいが、お前のことは、この先ずっと関わってくるんだ。だから、あんな婚約なんて、許せないって言ってる」
言いたい言葉に、どうして感情の色が感じられないのか。もどかしさに、ソウルは唇を噛んだ。こんなにも胸のうちには湧き上がってくるのに。伝えたいのに。
沈黙を守るケレスに、さらに言い募ろうとした瞬間。
「それじゃあ、お兄ちゃんは……! 僕のホントのお兄ちゃんになるんだね?! そういうことだよね! うわぁい! やったぁ! お姉ちゃん、やったね! よかったね!」
今まで黙って話を聞いていたトルクが、いきなり声を上げた。
「ちょッ、トルク! どうしてそうなるのよ、もう……!」
慌ててケレスが首を振る。その頬は真っ赤だ。
「……何で? だってお姉ちゃん、お兄ちゃんのこと嫌いじゃないでしょ? よく知りもしないそのラーダとか言う人と婚約するより、よく知ってて、それで嫌いじゃないお兄ちゃんと婚約する方がいいじゃん。そうでしょ?」
「う……確かに、そう、かもしれないけど」
トルクの言葉に、反論も出来ずに口の中でもごもごと数言呟いたケレスは、一つ頷いてうつむいた。すでに頬どころか、耳や首筋までほんのりと赤く染まっている。ふと視線を逸らせば、スマル氏はケレスの様子に忍び笑いを噛み殺していた。性質の悪い父親だ。娘が弟にやり込められている様を見て懸命に笑いを堪えているのだから。
「……そ、ソウルは? ソウルは、どう思ってるわけ?」
「ん? 俺、か?」
突然名を呼ばれ、ソウルは視線を再びケレスに戻した。
見つめてくるその顔は、ソウルの答えに何かを期待しているように見えた。だが、ソウルはケレスが何を待っているのかわからない。
だから、正直に言うだけだ。
「俺は……別に、構わないぞ。ケレスさえよければ」
ケレスが、息を飲んで言葉を失った。




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